第10話
堤恵がそれを知ったのは、小学生の高学年になった年だった。
「親父が、早くに亡くなった当主の代わりに、家の事を取り仕切っていたんだが、そろそろ次代に引き継ぐ準備を始めると、決めた頃だ」
とは言え、次代の志桜里はまだ幼く、成長して心配がなくなるまで、年が近い息子が傍で支えられるようにと、教育を始める事にした。
「志門が生まれた時、物心はついていたから、志桜里には弟がいたはずなのに、分家であるオレがでしゃばってもいいのかと、子供心に素朴に質問したら、親父が教えてくれたんだ」
お前の伯母は、抜けた人だったんだ。
仮にも先代当主につける形容ではないが、父親は吐き捨てるように言った。
「種を貰った男にだけ名を知らせて、肝心なこちら側に報告するのを怠ったんだ。お蔭で、戸籍も作れなかったっ」
恵は耳を疑った。
「……戸籍は、必要でしょうっ。何で、名前が分からないだけで?」
篠原和泉の叫びは、その時の恵と同じだ。
だが、術師の家柄として、それは重要な行為だった。
「名前は、術をかけるに当たって、一番使いやすい道具なんだ」
偽名でも、本人がその名で己を認識していたら、害になる。
だから堤家の、特に本家は、敢てその本名に守護の呪いをかける。
かけるタイミングは、出産してすぐが主だ。
志門も、そのタイミングで、命名されたのだが、それが家に伝えられる前に、母親の症状が急変し、帰らぬ人となってしまった。
「……名付け自体は、父親である石川一樹さんだったらしいんだが、あの人は当時風来坊でどこにいるのか、名前を届け出る期日いっぱい使っても探し出せず、結局、母親と共に子供も死産した、という事にしたらしい」
「……」
あんまりな事情だった。
カラオケボックスの、音楽と歌が鳴り響く空間で、呆然と話を聞く和泉に、恵は神妙に頷いた。
「色々と、言いたいことはあるだろう。オレも、親父に投げかけた。仮の名を付けて誤魔化して、分かった後に変名しても、あの暴落寸前だった家の奴らからの害は、避けれたのではと思う。だが、あの時は、親父も当時健在だった爺さんも、混乱していたらしいんだ」
法を犯してでも、死んでしまった娘が残した子供を、完全に守りたい。
特に、祖父はそう思い詰めたらしかった。
「名を呼ばれた事はありませんでしたが、お祖父さまはとても可愛がってくれました」
「その爺さんの時代劇好きの影響で、言葉遣いがこう定着してしまったんだ。仲良くする上で、違和感ないか?」
「多少は。もう、慣れかかってますが」
和泉が納得している横で、高野晴彦も納得していた。
うちの若と志門の息が、何となく合っている気がしていたのは、爺さん子だからか。
「お勉強の大半は、時代劇に沿っておりましたので、随分と偏っていたと、今では理解しておりますが、どうしても、話し方を変えられず……」
岩切静にも、時々伝染している。
それが少し、申し訳ないと志門はうなだれている。
そんな少年に、明るい色合いの髪色の男が、ほんわかと笑って返した。
「あの子も、父親の腰の低さを見ながら育ったから、崩れた言葉の方が使いにくいらしい。お前さんといて、違和感がないのならそれでいい」
「しかし、全く会わない内に、友人どころか恋人まで作っているのか。完全に、オレの負けだな」
スナック菓子に手を出す兄弟の様子を見ながら言ったキィと笑い合う恵に、市原凪が慎重に尋ねた。
「志門君が、こちらに来るときの事情、お父さんも知ってて気にしているんです。どうして、式神で志門君を追い回したんですか?」
「らしくないって、親父にも零してたって。市原さんと、お知り合いなんですか?」
二人の問いに、恵は不思議そうに首を傾げた。
「あれ? うちの親父が、そっちの方の会社の系列に、お世話になってるんだけど、会った事ないか? 親父は、堤姓のままなはずだけど」
「篠原財閥は、従業員が多いからな。一々、個人を覚えてはいられないだろ」
返した男の言葉で、和泉が目を見開いた。
「うちの従業員なんですかっ?」
「親父は、な。オレは、元実家近くで、職を見つけた」
堤の分家の残りを、牽制するために。
その牽制が、間に合わなかったのが、あの時だった。
「……分家の一人が、駅に降り立った志門に、蠱毒を仕掛けた」
「……」
目を剝く少年たちの傍で、志門は静かに顔を伏せた。
そんな従弟を見ながら、恵は続ける。
「無意識に返したから、この子は無事だった。だから、仕掛けた奴に突撃して、返された蠱毒で苦しんでいるのを助けてから、自分が仕掛けるから、下手な事はするなと説得して、何とかこの子を安全圏に追いやったんだ」
言った従兄に頭を軽く叩かれ、少年が顔を上げると苦笑した顔があった。
「うまく返されていて危うかったが、すぐに対処はしたから、その人は今も健在だ」
慢性化した病となったが、あんなものを作って仕掛ける方が悪い。
それは、それまで何度もあった襲撃も同じだ。
そう言う恵に、志門は困ったように笑いを返した。
「わが一族に伝えられるものが、昔から周囲の術師の家系に、何故か注目を浴びる。あんなものを、何故気にするのかが分からないが、誇張されて噂になってしまうんだろうな。その為に、堤家の直系は、よく式神や蠱毒の脅威にさらされてきた」
晒されては来たが、晒された分脅迫の材料にしたり、恩を着せて融通を利かせたりして来た。
そうすることで、裏の力は付けて来たが、同時に余計な蟠りも作って来た家系だった。
「志桜里と一緒に、父親の元に送り出せればよかったんだが、その準備が整わない内に、当の志桜里を狙われてしまった」
囮として傍にいた弟と志桜里に、ほぼ同時に同じ力加減の式神が、仕掛けられた。
これは、間違いなく当主本人と、側近の恵の失態であって、一人無意識に返した弟の失敗ではなかった。
何故ならどうもその式神、一度は返された一つの物を、無理に二つに分けた形跡があったのだ。
明らかに、当主を守る影がいると、察しての動きだった。
「通常の力の半分だったから、すぐにその影響が出る事はなかったが、症状が落ち着くまでは、志桜里の傍を離れることができなかった。だから、無言で、無害の式神を送っては追い回し、何とかあの地に追い出したんだ。念のために持たせた乗車回数カードが空だったのは、最大の誤算だったな」
お蔭で、こういう事になってしまった。
「……単に、お前や友達の姿だけ、借りる許可を取るために、今回は連絡を入れただけだったのに」
「姿を、借りる?」
きょとんとした少年たちに、恵は口を噤んで小さく笑った。
「まあ、お前さん達には、全く障りがないようにはしているから、今は楽しんでくれ」
言いながら立ち上がり、キィを見下ろす。
「後は、頼む」
「健闘を、祈る。坊にも、よろしく言っててくれ」
ほんわかと笑いながら手を振る男に笑い返し、思わず立ち上がった志門を振り返った。
「全てが終わったら、今度は向こうに会いに行く。それまでは、元気でな」
目を見張った少年は、従兄の心境を察したのか、唇をかみしめてから、しっかりと頷いた。
黙ったままのその仕草に微笑み、乱暴にその頭を撫でる。
そのまま部屋を出て行く男を、少年たちと大人の男女は、それぞれの思いで見送った。
「まあ、色々と未知な部分がある敵だが、成り行きに任せるしか、ないよな。その前に、これが成功するかどうかも、未知だからな」
「……何をやろうとしてるんですか? それに、姿を借りるって、どう言う事ですか?」
まだ不審感を持っている和泉に、キィは小さく唸って答えた。
「堤家の膿みと、北森家の膿みが、うまい具合に手を組んだんで、絞り出した後で、恵自身も双方の家と絶縁するつもり、と言えば棘がないかな?」
「充分、棘がありますけどっ?」
思わずそう言ってしまった和泉の横で、立ったままの志門が息を呑んだ。
振り向くと、表情を変えて固まったまま、長椅子に腰を落とし、顔を伏せてしまった。
「……」
「古谷君?」
そんな様子を心配し、防音の為次々とカラオケ曲を入れていた凪が、志門の顔を覗きこむ。
目を合わせた少年は、困ったように笑った。
「まだまだ、恵さんの手助けは、出来ないんですね。なんて、情けないのか」
「何言ってるのよっ。まだ、私たち未成年だよっ。その膿だしの手伝いに、姿を貸せただけでも、まだ役に立ってるわよ」
「あー、やっぱり、そう言う事なのかあ。もしかして、さっきあの人が交換した、折り鶴を提げてた組み紐、あれが、何か役に立ったのかな?」
凪の大真面目な宥め声に、晴彦が何故か気の抜けた声を出した。
「おお、流石、ジュラの子孫。話が早いな。それは、一定の距離の範囲にいる生き物を感知して、その姿を取らせることができる、セイ坊渾身のおかしな道具だ」
ほんわかと言われ、中肉中背の少年はさらに力なく笑う。
「また、変な特技を作ったんだ。そんなだから、変なファンが湧いて出て来るのに」
「そうなんだよ。困ったものだよな。無自覚に、他の国でもやらかしてるからな」
力なく笑ってしまった晴彦は、キィを見た。
「ひい祖父さんを知ってるという事は、あの団体の方ですか?」
あの団体とは、昔セイを頭領に、裏で暗躍していた群れの事だ。
組織、と言ってもいいが、今は解散状態で、そう呼ぶのは躊躇われる。
少年の葛藤を察し、男はそれでも首を振った。
「一度も、あの群れにはいなかったが、何度かかかわったことがある。一応、セイ坊とも幼馴染なんだが、どちらかと言うと、先代の上の娘たちの方が、年は近い」
その関係で、セイとも親しく、岩切静の父親と意気投合して、とある国で同僚となった。
つかず離れずの間柄で、それでも気安い仲になったのは、セイの側近の一人、オキと同種であることが、一番の要因だった。
そう説明した男の正体を察し、和泉が目を剝いた。
「あの人と同種って……じゃあ、あんた達は……」
若者に近しい者たちの間では、オキの正体は広く知られている。
隠密作業に長けた男で、その正体は、長毛の小さな黒猫だ。
「オキの里は不幸だったな。もっとも、オレの方も、幸福ではなかったが」
ほんわかとした中に、苦い笑みを混ぜた男は、ゆっくりとその正体を告げた。
「元々は愛玩猫として、カスミの旦那の実家で養われていた一族なんだ。ある事件を境に、逃げる羽目になったもんだから、主探しも難航している。だから、この二人はまだ、親の姿を借りているんだよ」
キィが主を持てたのは、自分から動いたためだ。
「……約束してた女が、男を作って死んだと聞いて、なら、オレも勝手にやろうと思って、金持ちの家に紛れ込んで、その金持ちの主が死んだ後、姿を貰った」
主探しの過程で、狼の夫婦と暮らすセイと親しくなり、いざこざに紛れて姿を消した経緯もあるが、今の姿になる主と出会って数年で、少年に成長したセイと再会した。
「……あの、もしかして、男女の間で子供が出来るのは一人だけで、次を儲けるのは子供が成人してからとか、そんな種族ですか?」
「? ああ。まあ、同じ男女間での話だが」
何故知っているのかと、きょとんとした男に、確認の問いを投げた晴彦は、男の兄弟たちを一瞥する。
「……そちらのご兄妹も、若には紹介しているんですか?」
そう神妙に問われ、キィは色々と察した。
「ああ、それは勿論。余りに意外だったらしくて、不思議そうにしてたから、人間とオレたちの種族は、別物だというのは、教えておいた」
どちらかと言うと、自分たちの方が異質で、他の哺乳類は子づくりにそこまで間は空けないと教えたら、戸惑いつつも成程と頷いていた。
「……教えはしたし、あの子も頷いてはいたが、何処まで分かったかは、不明だ」
「それが、問題なんですよね。何であんなに、表情が分かりにくいんでしょうか?」
真顔で相談をする未成年に、キィも真顔で頷いた。
「何で、あんなになったんだろうな。昔は、良く笑う可愛い子だったのに」
「えっ?」
部屋の中の少年全員の声が、見事に揃った。
「か、可愛いって。側近の人たちは、よくそう言ってますよね」
若と敬愛されている若者は、笑顔を浮かべても、周囲に集った者たちには、尊いとしか思われない。
なのに、本当の側近の男女は、何かにつけてその形容詞を付ける。
親の代は、その人たちとは感覚が違うと割り切っているが、子供の代の自分達には、同じ人を見た感想が大幅に違うのに、違和感を覚えていた。
「私のお母さんは、私たちと同じ感覚なんですけど、お父さんは可愛い弟分としか、見えていないみたいです。お祖父ちゃんたちも」
凪が首を傾げながら言うと、キィの方も首を傾げた。
「何でだろうな。笑わないあの子も、完成度の高い可愛さだと思うんだが」
無言で目を細める兄弟は、何か言いたげではあるが、全く口を挟まない。
そんな二人にも、まだ不思議そうにしている少年たちにも構わず、男は話を戻した。
「恵が覚悟を決めた時点で、セイ坊に協力を仰いだ。お前たちを巻き込んだことで、恐ろしく複雑化して見えるが、実際には単純な、膿だしの行為だから、心配ない」
ほんわかとした、しかしはっきりと言い切った言葉に、少年たちはようやく安堵したらしいが、その様子を見ながらも、キィは小さく呟いた。
「まあ、それに便乗した、とんでもない鉢合わせを計画してる奴が、約一名いるけどな」
その呟きを拾ったのは兄弟たちだけで、少年たちは安堵と共にカラオケへと意識を持って行っている。
呟きを拾った二人も、弟を暫く凝視しただけで、何も言わなかった。
関西地域には、大きな製造業の企業がいくつもあり、意外に地域支部の工場も多いが、一時期よりも少なくなった。
一昔前の不況で、外国への移転や、経営の縮小のために、その企業と契約していた下請けも影響を受け、倒産してしまったのだ。
そんな経緯で廃墟となってしまったとみられる工場が、犯罪に使われている。
「……」
不法侵入と誘拐罪。
傷害罪と恐喝罪も、含まれそうな事案だ。
凌が見つけたのは、見知らぬ少年少女が同じく見知らぬ男どもに、説得と銘打った言葉を投げられている場面だった。
説得と言うよりも、恫喝の勢いのそれは、正直言って不愉快以外の何物でもなく、相棒を待つまでもないと、大男が動き出す前に、制止の声がかかった。
「……少し、様子を見ましょう」
いつの間にか横に控える娘が、落ち着いた声で窘める。
「……暴力を与える前に、助け出してやりたいんだが」
今、知り合いらしい少年たちは眠っているように見えて無事だが、この後何をされるか分からない。
気を張る男に、娘は静かに返す。
「その暴力を与える奴は、他にいる筈です。どうせなら、全員の役者がそろってから、一網打尽の方が、無駄がないでしょう」
今いるのは、見張りで残っていたであろう数人と、今知り合いの少年たちを運び込んだ三人で、いずれも荒事になれた男か、恰幅のいい男ばかりだ。
裏の人間ではないようだが、だからと言って安心できない。
表の人間が、裏の人間と繋がって、融通を利かせている場合も、大いにあるからだ。
「と言うより、よくあそこまで集めましたな。分別がなさすぎる」
「どういうことだ?」
呆れたような呟きを、凌は聞きとがめて聞き返す。
「あれは、術師の端くれです」
「全員か?」
短い問いには無言で頷かれ、大体の事情を察した。
「……例の、林家の世代交代が、他の術師たちをここまで焦らせているのか?」
「あくまでも、端くれが、焦ってるんでしょう。その林家とやらも、実力のない奴を滅ぼそうとは思わないでしょうに。色々と勘違いしているようですな」
その勘違いで、大迷惑を被っている子供たちがいる。
娘はやれやれと首を振った。
「ろくに調べもせず、子供たちの軽い自己主張を真に受けて、所かまわず手を付けてしまっているのでしょう。でなければ、ああも苛立ってはいない。見当違いな子供を連れて来て、八つ当たりなど、しないでしょう」
「……つまり、本物の霊感とやらすら感知できない、本当の端くれという事か。大の大人が、何をやってるんだ」
盛大に嘆く大男の傍で、娘は顔を曇らせた。
「……あの子供たちも災難です。このようなことに巻き込まれて、今後の生活に影を落とす事がないと、いいのですが」
見た限り、今は眠っている少年たちと同年か、年上の少年少女だ。
つまり、思春期真っただ中か、その余韻が残っている年代だ。
大の大人ならばまだしも、この世代の子供たちが多少見栄を張って自慢する位、大きな器で受け止めてやればいいだけなのに、不機嫌な男たちは声高に罵り、子供たちは一様に怯えている。
それだけでもトラウマになりそうだが、今回は相手が悪い。
数分後、群れになってやって来た、残りの役者たちを見て、凌は思わず顔を顰めてしまった。
「……一般の、何も知らない子供を相手に、こいつらが出て来るかっ」
今ではそれぞれに、表社会に作った企業を隠れ蓑に、法に障るギリギリで活動している、元裏社会の組織の、末端の姿がそこにはあった。
「あそこの会長は、表社会の子育て世代が厳しいのを憐れんで、最近では自分の会社の従業員に、保育士の免許を取らせる補助金を確保して、育児所も作ったという、子供好きの人だぞ」
「元裏社会の、元締めさんがですか?」
娘がつい、耳を疑って確かめると、凌は大きく頷いた。
松本建設の社長とも親しくなったその会長は、それこそ従業員の末端まで、顔も名前も経歴も把握している。
「……このまま、このことをあの人に知らせても、奴らの将来はどす暗いな」
自分が闇から闇に葬るのと、どちらが奴らにとっての最大の罰になるのか。
銀髪の大男は、思わずその二択で悩んだ。
「……堅気の企業より、白く見えますな」
従業員たちを把握する理由は、後ろ黒いものだろうに、言葉だけ聞くといい会社に聞こえる。
その分、仕事の内容が厳しいのだろうなと予想しつつ、娘は悩む大男に言った。
「あれで、役者は揃いました。その雇い主の方に注進するのもいいですが、まずは、今起こりかねない事案を、止ねば」
「ああ、そうだな」
我に返った凌はすぐに頷いて、今来た男たちの群れに、真っすぐ飛び込んでいった。
「……勢いづけることも、しないのですね」
感心するより、呆れてしまう娘だが、同じように男たちの群れに飛び込んでいく。
「な、何だ、お前らはっっ」
言いながら男の一人が懐を探って出した物を、凌はあっさりと攫み上げ、綺麗に笑った。
「銃刀法違反、だな。駄目だろう、堅気の子供が見てるのに、こんなものを無闇に出しては」
「ふざけんなっ、どこのもんだっ?」
「おいおい、裏を隠し始めて、何年経ってるんだ? そんな買い言葉、既に古いぞ」
言いながら銃を奪い、そのまま勢いよく投げた。
丁度、銃を構えた一人の顔に、思いっ切り命中し、屈強な大男が声もなく倒れる。
「屈強な体してるんだから、体使え、体を」
相手にそんな事を言いながらも、確実に沈めていく凌を見ながら、娘は小さく笑っていた。
「最近の者たちは、緊迫感が足りないのでしょうな。だからこそ、狙いを定めるまでに間を空けてしまうのでしょう」
「集中すると無言になるから、それも分かりやすすぎる」
「そうですな」
嘆きに似た大男の声に娘は同意しつつも、まさに凌に銃口を向ける目つきの鋭い、小柄な男の鳩尾に、塩ビパイプを叩きこむ。
その間に、目線だけで子供たちの様子を伺うと、突如現れた大男と娘の乱闘を、身を寄せ合って見物していた。
意外に屋内は照明の為に明るいが、その明るさのせいで逆に、現実味がないようだ。
何が起こっているのか、把握しているようには見えない顔で、全員が二人の動きを目で追おうとしている。
実際には、追えていないが、追おうとする努力で見えるようになることもあるだろう。
「動く獲物を狩る時に、便利ですから、その感覚を大事にしてくださいね」
「何を言ってるんだ、お前さんは。目で追えても、手が同じ動きをしなければ、意味がないぞ」
「その辺りは、各々で精進してもらうしか、ありませんな」
呆然と見学する子供たちを話に巻き込みながら、二人は次々と男たちを捕縛して行った。
もろもろの犯罪は、全て未遂となる。
未遂でも、知り合いの子供たちを害しようとした時点で瞬殺案件だが、今は全く無関係な子供たちもいるので、凌はそれですませた。
実害が出そうな連中を先に片付け振り返ると、そこに残っていた連中が身を竦めた。
ここにいた子供たちを脅していた男の一人が、引き攣った声で叫んだ。
「行けっ」
恰幅のいい男の命令を受けて背後に控えていた、岩のように大柄な男二人が無言で近づくのを見る。
残った男たち四人が、少年四人を抱えて、うちの三人が何やら口の中で呟いた。
三匹の巨大な昆虫が、ぎこちないながらも素早く、大男たちより早く凌に飛び掛かって来た。
「……人を指さすとは。そんな失礼な事をするんだから、木っ端みじんにしても、構わないよな?」
大男たちの主に指をさされ、気分を悪くした男は、目の端で逃げようとする連中を見止めながら、飛び掛かった昆虫の一匹の足を、むんずと捕まえた。
「お、本当だ。捕まえられる」
面白そうに呟いた声が、三人の男を振り返らせた。
「へ?」
目を剝く男の視線の先で、蟷螂に似た虫の後ろ足四本をまとめて攫んだ凌は、そのまま振り回してほかの昆虫たちを叩き落した。
「は、はあっ?」
大きな獣たちの主が、思わず固まって目を剝く中、銀髪の大男はその勢いのまま、持っている昆虫で大きな肉食獣の式神を殴りつける。
息をつく間もなく、護衛達を倒した凌は、少年たちを抱えたまま立ち尽くす敵たちを見据えた。
「こんな都会に、熊なんか連れて来るもんじゃない。銃殺案件だぞ」
その銃殺案件の式神たちは、声もなく倒れている。
昆虫たちの方も、不気味に動いてはいるが、再び襲い掛かるまでの力はないようだ。
「……違う役者が、出てくる間が、なかったのですが」
娘が意味不明な呟きを吐くのを聞き流しながら、凌は男たちを見据えたまま、ゆっくりと近づく。
口の中で悲鳴を上げた一人が、叫ぶような声で喚く。
「ち、近づくなっ。このガキたちが、目に入らねえのかっ」
「入らないな、流石に」
どんな化け物だと真顔で言われ、言葉を失う男の代わりに、その息子らしい年若の男が叫ぶ。
「それ以上近づくと、一人殺すぞっ」
銀髪の大男の足が止まった。
その事に、少しだけ優勢を感じた男が口を開く前に、目の前の男が微笑んだ。
見惚れ程の綺麗な顔立ちの大男の笑みは、恐ろしく冷たかった。
「躊躇いもなく、言ったな。若い者の売り言葉買い言葉ではなく、本気のようだな」
なら、と足を進めた男は、ゆっくりと手を伸ばした。
「オレも、本気でそれを阻止しよう。その上で、お前らはこの土地の肥やしになれ」
固まった男たちの手から、あっさりと少年たちを奪い返し、後ろの方へと引き渡すと、微笑んだまま再び男たちに向き合った。
その大男を背に、娘の方は少年少女に向き直り、優しく笑いかける。
「これから少し血生臭くなるから、こちらの退治に目を向けておきなさい。こちらの方が、目に優しい」
言いながら、まだうごめいている大きな蟷螂に突き刺すべく、塩ビパイプを掲げ上げた。
「いや。それは、土産に持って帰りたいんだが」
控えめな、全く聞き慣れぬ声がその動きを止めた。
手を止めてそちらに目を向けると、少年少女の背後に、長身の男が立っている。
目を見張った娘の背後で、黄色い悲鳴が上がった。
「叔父様っっ。人間の土地の肥やし化は、止めて下さいっっ。少なくとも、子供たちが見てるところではっっ」
おやと目を見開いた娘が振り返ると、加害者の一人に手を伸ばしかかっていた凌に、一人の小柄な女がしがみ付いているのが見えた。
どちらかと言うとあか抜けない、田舎の娘である自分と違い、花のある綺麗な女だ。
「もうっ、どうしてこんな形で、姿を見せる事になるのよっっ」
半泣きの女は、しがみ付かれて見下ろし、思わず目を剝く銀髪の大男を、ウルウルとした目で見上げた。
「お願い。この国で、明確な犯罪行為はやめて」
「……ユウ?」
完全に殺気が霧散した凌の様子に、少年少女の背後の男が、溜息を吐く。
「もう少し前に、乱入してもらう予定が、その余裕がないとは。流石は旦那だ」
その男の声に振り返った凌が、意外そうにその名を呼んだ。
「オキ? お前、既にユウと……?」
その言葉に、オキも意外そうに首を傾げた。
「何で、そっちで不思議そうなんだ? 一応、姿はこいつの姉なんだから、早めに再会した方が、障りないだろう?」
「まあ、そうだが……」
「まあ、再会した時、死ぬかと思う程にぼこぼこにされたが」
加減を知る女のやることだから、大袈裟な言い分だが、男はしれっとそう言い、優はそれを睨みながらも、大叔父から身を離し、今のうちにと逃避を図る男達を、次々と拘束していく。
手伝う間もなくその行為を終え、女は改まった顔で銀髪の大男の前に立った。
「こうなったら仕方ないわ。すぐに、お兄様とも再会して」
「どうして、そう言う展開になる?」
両手を合わせ、祈るように切り出す甥っ子の娘に、凌は呆れ顔だ。
「まずは、お前の、今迄の話を聞いて、納得してからだろう?」
最もな言い分に、背後のオキも頷いた。
「……何で、律が、お前の事を、頑なに話題にしないのかも、訊きたいんだが?」
優の肩が大きくはね、恐る恐る大叔父の体越しの男を覗き見る。
訊きたいとは言っているが、大体の想像はついている顔で、オキは白い目で見返している。
「まあ、その話も後でいいだろう。先に、この子らを親元に返して、そいつらを警察に突き出そう」
銃の所持だけでも、突き出せる案件だ。
誘拐として、子供たちが被害を出すか否かは、本人たちが親と相談の上で決めればいい。
そう言われて頷いた凌は、追って来た知り合いの少年たちの方へと目を向けた。
「……成程、とんでもない茶番に、泳がされたんだな」
そこに転がしたはずの四人の少年は、消えていた。
近づいた凌は、そこに落ちていた物を、指でつまみ上げる。
それは、薄い金色の糸で編まれた組み紐の、細長い根付紐だった。
「堤恵とやらも、ここには見当たらないし、もしや、あそこまで紛い物を持って来た、あの草食の獣たちは、捨て駒か? 随分と、むごいことをしたな」
「むごいことをしたのは、あんたらであって、オレ達じゃない」
少しだけ、水月の餌食になった獣たちを憐れみながらの言葉に、オキがしれっと答えた。
「あんたらが、こんな所まで出て来なければ、ここまでする事はなかった。それこそ、そいつらも姿を借りるだけで、済んだはずだ」
もし、エンや雅が出て来たとしたら、それだけで済んだ。
それだけで、多少の画策の意図が、察せられる二人なのだ。
「その画策は、誰のものだ? カスミではなさそうだな」
探る言葉には、聞きたくないと言う複雑な声音が、混ざっている。
だから、オキはゆっくりと確認した。
「長い話になる。それでもいいのなら、腰を据えられる場所で、話したい」
「いいだろう。どうせ、水月とも合流する」
そう、まずは、本当に水月が、後片付けまで出来ているのかも、確認しなければならない。
気は進まないが、これも向き合わないといけない犠牲だと、凌は腹をくくって動き出した。
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