第2話

 その報告を受けたのは、偶々寝る為に戻った山の住処だった。

 意外に勘が良くなった塚本つかもと家の当主が、仕事帰りのセイを住処の玄関先で捕まえたのだ。

 眠そうな若者は客として招き入れ、留守番しているエンが茶菓子を用意している間に、重々しい報告を聞いた。

「志門君が、修学旅行に参加するそうです」

「そうか。それは、良かったな」

 拍子抜けしたように間抜けな顔をさらした塚本伊織いおりに、セイは無感情のまま首を傾げた。

「何だ?」

「いえ。古谷家に関わる方々は、今大騒ぎしているのですが」

「? 何で?」

 本当に分からなくて問う若者に、伊織は慎重に答えた。

「未だ、学校の集団行動に慣れぬ子が、よりによって古都を含む関西の都市に、同年の子たちと向かうと決めたのですから、当然心配と不安が出て来ることでしょう」

「……成程。この時期は、各学校も同じように集団で観光してくるだろう。その大衆に紛れれば、あくどい術師類も、他の裏稼業の奴らも動きやすい」

 一応納得し、セイは頷きながらも問題点を並べたが、あっさりと続けた。

「でも、それは今に始まった事じゃない。春と秋だけじゃなく、年末や長期休暇がある季節も、同じことだ。観光者の年齢層が変わるだけで、問題が急増する訳でもない」

「それはそうですが」

 親としてはそれで割り切れないと、伊織は小さく唸った。

「和泉も、肩書が大きすぎて心配ですし、我が家から誰かつける予定でおります」

「まあ、過ぎる位の保険でも、しないよりはましだろうから、いいんじゃないのか?」

 篠原家は、財閥ともいえるほどの大企業になっている。

 その一人息子の和泉が今迄無事なのは、意外にも頑丈な壁に育った幼馴染たちのお蔭でもあるが、学園の方針で無差別な教育をされているせいでもあった。

 暗黙の了解で、同級生たちにも特別扱いされていない和泉だが、他の土地ではそうもいかない。

篠原和敏かずとしの側近の娘も一緒に参加するが、何処までも一緒に行くわけにはいかない。

「自由行動の時間が、意外に多いのです」

「……それは本当に、修学になるのか?」

 茶と茶菓子を用意して来たエンが、優しい顔立ちを曇らせて、素直な疑問を吐く。

 その疑問に、伊織も重々しく頷いた。

「その自由行動が、一番困る子供もいるのを、学校側は理解していないんです」

 大多数の生徒が、心待ちにしているのが、その自由な時間に行く遊び場や店なのだろうが、中にはそれが苦痛の生徒もいる。

「そう言う生徒は不参加でもいいんですが、学校側は姑息なんですよ。その学年だけ、親しい同級生とクラスを一緒にするんです」

 大昔の過去を思い出したのか、伊織の目が据わっている。

「そ、そうなのか。最近の学生も、なかなか大変なんだな。授業料を払ってもらっている立場だから、無駄に出来ずに参加する子も、いそうだな」

 大昔の学生を経験しているエンは、美形の類の男の気持ちを察し、宥めるように治めながら、ちらりとセイを一瞥した。

 蚊帳の外状態の若者は、半目になっている。

 これは、接客どころじゃないなと、男は穏やかな笑顔のまま伊織の相手に戻る。

「去年は、葵さんの所の娘さんが、その旅行に行ったんだろう? その時は、どうだったんだ?」

「石川さんの所の娘さんと、日時と場所がほぼ同じだったので、二人ほど強靭な方が付いておられました」

「だったら、今年も一人はついているかな?」

 市原凪も、隠れて見守られることになるだろうと、エンは頷いてから天井を仰いだ。

「……場所は、何処なんだ?」

「関西の方です。京都を中心に、観光名所を回るのだとか」

「……」

 天井を仰いでいた男が、同じくらいの長身の伊織を見返し、妙に静かな声で再び尋ねる。

「……日時は、分かっているのか?」

「はい。来月の頭から、三泊四日です」

「……そうか」

 偶然だなと、エンは頭の中で呟いた。

 確か、その頃だと言っていた。

 先程来たみやびが母親と出かける、古都と関西を巡る四泊三日の旅の日程が。

 偶然じゃないとは分かるが、一応そう言う事にしておこう。

 相槌を打ちながら、そう心に決めたエンの考えを知ってか知らずか、眠そうなセイの声が言った。

「大丈夫だろ。関東の方は、中学時代の旅行先が、関西の方の地だったらしいから」

 はっとして、伊織とエンが同時に若者の方を見た。

「……その人も交えた騒動を、心配してたんじゃないのか?」

「そこまでは、考えてなかった」

 首を傾げたセイの前で、エンが呆然と呟き、伊織は無言で何度も頷く。

 そう、修学旅行の対象者には、あの人もいた。

 今年、高校二年になっているはずの、森口水月もりぐちみづきが。

「真面目に学校に行ってるそうだし、人当たりはいいから、旅行にも参加する、よな?」

 参加しないという選択があるなら、しない可能性もある。

 だが、しないならしないで、それはいい。

 旅行先にも、こちらの土地にも出没しない、という事なのだから。

「出没って、熊の扱いですか。仮にも雅殿の御父上を、あなたが」

 真顔で言いながら頷いたエンに、伊織は呆れた顔で呟いた。

 その呟きに、セイが眠そうに返す。

「熊に失礼だ。熊の場合は大きさが大きさだから、襲われる時の気配が半端ない。攻撃されたらすぐ分かるけど、あの人真後ろに来るまで、その気配を爆発させないから、振り返った時には遅いんだよ」

 あの年齢で、ああだったのだから、今はもっと化け物じみた動きをする事だろうと言う若者を見つめ、エンが目を細めた。

「……攻撃された事が、あるのか?」

「凌の小父さんと、間違えたんだって。どう間違えば、あの人と間違えるのかな?」

 親子という以外、共通点がない男の名を上げたセイを見つめ、エンは溜息を吐いた。

 襲い掛かりたくなる程、恨まれている父親と間違われた、そう言う事らしいが、恨む方も事情があるだろうし、襲われた本人が平然としているので、深く尋ねるのもどうかと思う。

 何より聞いてしまったら、父親世代全員、恨みの対象になってしまいそうな気がする。

 何とか聞き流す形で相槌を打ったエンは、着信音が響いて半目のセイが、携帯電話を取り出すのを見守っていた。

 着信者を見ずに、すぐに受けた若者は、細くなった目を更に細める。

「……どうも、お久しぶりです」

 耳に当てていた携帯電話を、テーブルの上に乗せながら、無感情にも静かに相手に挨拶した。

「盆休みの時も、世話になったな。元気にしているか?」

 妙に落ち着き払った、少年の域を超えた声が挨拶をかえし、それを聞いた二人の男が小さく息を呑んだ。

 その呑んだ息の音が、聞こえたらしい。

 気楽な声が問う。

「お前さん、一人じゃないのか?」

「はい。丁度、山に戻っていて、客一人と居候一人、一緒に居ます」

「何だ、寝に帰ってたのか。睡眠の我慢は、子供には敵だ。ゆっくり休め」

 どちらかというと、この相手の方がセイよりも幼い筈なのに、しっくりとくる言葉だった。

 頷きたいのを我慢しているのが、手に取るように分かる若者は、見守る男二人の前で眉を寄せ、苦し気に問いかけた。

「お急ぎの用では、ないんですか?」

「そう嫌そうに訊かれると、答え辛いんだが。まあ、急ぎではないが、頼みがある。近くまで来てるんだが、ひと眠りした後でも、聞いてくれるか?」

 本当に、渋々承知したセイに代わり、エンが電話に顔を近づけた。

「この子じゃないと、出来ない事ですか?」

「ああ。その子じゃないと、やりづらい事だ」

「まだ、こちらに学生の団体が入ったという話は、ありませんが。現地集合なのですか?」

 あり得ない話だが、念のためと問う伊織に、声の主の森口水月は、呆れた声で答えた。

「学生の団体? 修学旅行の事か? 春に来た時、顔出しただろう?」

 そう言えば、と思い当たって顔を引き攣らせた男を眠そうに見やり、セイが相手に答えた。

「ええ。こちらの中等部と、ほぼ重なっていたと聞きました」

 丁度忙しい時期で、若者とは会えなかったが、盆休みに会った。

 その時に面白おかしく、中等部の子供たちが話さなかった事まで吐いてくれて、素直に安堵した。

 凪たちの時に重ならなくて、良かったと。

 中等部の少年たちにも、意外に同世代の友人も多いという事は、聞いていたから、先の修学旅行も楽しんだことだろう。

「……今は、中間試験の勉強期間中だ」

「成程」

「折り入って、間に入って欲しい話がある。今からそっちに向かう」

「……お待ちしています」

 嫌そうなのを隠すことができないまま、セイは電話を切った。


 色々と、考える年頃なのだと、水月は切り出した。

 挨拶だけはと、客が来て客間に落ち着くまでそこにいたセイを、エンが自室の方へと送り出した後、代わりに用件を問いかけた答えが、それだった。

「……ちなみに、おいくつのつもりですか?」

「花の高校生だ」

 物足りなそうに、緑茶を啜りながらの答えだ。

 本当は、アルコールを飲みながら、切り出したい気分のようだが、その「花の高校生」相手に出す飲み物ではない。

 生憎、炭酸飲料も切らしており、精々渋い茶を淹れて出した所だった。

「思春期特有のお話、ですか?」

 意外そうに目を丸くし、伊織が問うと、水月は真顔で答えた。

「思春期でなくとも、この手の話は考えてしまうものだ。しかも、ちと込み入り過ぎてしまって、オレとしてはどこから切り崩すかと、考えた挙句の相談だ」

 真面目な相談らしい。

 本当に悩んでいるのだろうが、この人の立場がエンを疑わせている。

 高校二年という花の盛りの、綺麗な顔立ちの少年なのだが、今は、という前書きが付く。

 自分達が生まれる遥か昔に、自分達がいた団体に身を置き、あまつさえ二代目頭領の右腕にまで上り詰めていた、侮れない人だ。

 一度は、とある人との衝突で命を落としたのだが、ある企みに使われるために、蘇った。

 五歳くらいの時に舞い戻り、弟子であった森口りつの元に身を寄せ、日本人の子供として学校にも通っており、修学旅行も楽しんだらしい。

ちなみに、中学生の時は、関西の方に行き、珍しい造りの建物や、美味しい食べ物を満喫したそうだ。

 もう、現在の日本に馴染みまくりである。

 娘の雅は、テレビにすら、触りたがらないというのに。

 黙って観察し始めたエンに代わり、伊織が控えめに尋ねた。

「若限定の、相談事なのでしょうか? 我々では、役不足の?」

 探るような問いに、水月は首を傾げて見せた。

「どうだろうな。お前さん達は、どの程度気安いんだ? あの人と?」

「あの人?」

 含む言い方に嫌な予感がして、つい尋ねたエンに、少年は答えた。

しのぎの旦那だ」

「あの、旦那が、その相談事に、関係するんですか?」

 思わず、詰まりながらの問いにも、水月は頷いた。

「まずは、オレが、腹を割って、あの人と和解せんことには、何も進められないと思うんだ」

「何を、進める気なんですか?」

「それは……まあ、思春期でなくても、悩むようなこと、だ」

「?」

 初めて躊躇い、少年は咳払いしてから切り出した。

「これは、お前さん達に話しても、かなり顰蹙を買う話なのだが……」

「物騒な、前置きですね」

 少しだけ慄きながら、それでも聞く姿勢の男に、水月は告白した。

「実は、あの旦那と間違えて、あの子を串刺しにしたことがある」

 目を剝いた伊織の横で、エンの顔が強張った。

 空気も一気に冷え込んだが、それを受けて少年は重々しく頷いた。

「この、使いようのない顔ぐらいなら、多少形を変えてくれても構わん。歯は食いしばるから、思う存分殴ってくれ」

「そんなこと言われて、殴れるわけがないでしょう。その綺麗な顔をっ」

 吐き捨てるように言い切られ、水月は目を細めて男を見た。

「お前さんもしや、うちの娘に、惚れてるのか?」

「……そう言う話では、ありません。最近では、男も綺麗な方が好まれるんですから、女性好きなのなら、気軽にそんなこと言わないでください」

 エンはきっぱりとそう言い切ったが、その前の間と、早口での言葉は、年齢の割に鋭い少年には、疑いしか湧かせない。

「……そうか。まあ、そう言う事なら、少し目を置いて置くか。兎に角、その話をして、あの旦那に詫びを入れたいのだが、お前さんでも殺意が浮かんだだろう? 血を分けたあの旦那なら、流血沙汰になる。つまり……」

 水月は少し眉を寄せて、悩みを打ち明けた。

「オレ一人だと応戦しながら、ある程度怒りを沈め、詫びを入れる事になるんだ」

「はあ」

「そうすると、間違いなく、どこかの地が、更地になる」

 何故なら、暴れ馬と比較すると、暴れ馬に失礼な暴れ方をするあの大男と応戦するとなると、相当の暴れ方をしなければならなくなるからだと、少年は真顔で言い切った。

「だから、仲介役が欲しいんだ。完全に、あの旦那を抑えられそうな」

「……つまり、あの人の実の子を仲介にして、当のその実の子を襲ったことを、告白して謝罪したい、と?」

「本当は、律に頼もうかと思ったんだが、最近忙しそうでな。成長したとはいえ、忙しい上に心労まで加えてしまっては、また体を崩しかねない。あの子なら、予約しておけば、暇なときに付き合ってくれるのではと、思ったんだ」

 意外にも、しっかりと考えた上で、訪ねて来たようだ。

 凌の旦那と呼ばれる男は、大柄な男だ。

 色白で髪も銀髪と言う淡い色の上、綺麗に整った顔立ちのせいで、見た感覚より細身に見えるが、エンや伊織よりも目線が高い大男だ。

 あの人と目線が合うのは、同じくらいで凌の弟子で甥っ子の一人である男と、あの人の友人やその倅位だが、その人たちよりも豪快且、最恐の男であることで知られている。

 そんな大男と、友人の女房との間にできたのが、今自室で爆睡しているはずのセイで、恐ろしい事に過去あの人の喧嘩仲間としても名高かったのが、目の前に座る少年、水月だった。

 事情を聞いて、伊織の方は難しい顔で唸っているが、エンの方は小さく頷いた。

「確かに、あの子の事だから、その事情を話せば、暇を作ろうとするでしょう」

 意外に、人が良いというよりも、年長者には甘いのだ。

 会った時に幼い子供でも、成長した知り人には、甘くなる傾向があるらしい。

 爺さん子だったのが、今になって障っているとしか思えない、厄介な事態だ。

「ただ、仮眠に戻ってすぐなので、起きて来るとしたら朝ですよ」

「そうなのか? じゃあ、出直すか。一応、宿を取る予定なんだが」

「何なら、泊っていきますか? 部屋なら空いてますよ。保護者の方に断りを入れた後なら、問題ないでしょうし」

 今後の予定を口にする水月に、エンはあっさりと切り出すと、少年は難しい顔になった。

「いや、それは……」

「ミヤなら、ここには来ないと思いますから、その心配はないですよ」

 少年の気持ちを察して、男は穏やかに言った。

 水月は、雅がこの家内にいる時、一人でやって来ることはない。

 泊るのも躊躇う行為なのだが、エンははっきりと娘の予定を知っていた。

「初めて、旅行に行くそうなんです。現代の準備も初めてなので、藤田さん宅にお邪魔して、準備も勉強中なんです」

 そこまで大仰にせずともとも思うが、旅行で失敗はしたくないらしい。

 先程訪ねて来た、雅の真剣な言葉と顔を思い出して、ついいつもの笑顔とは違う笑みを浮かべてしまう男を見つめ、水月は眉を寄せた。

「……寿と、旅行に行くのか? じゃあ、旅行するというのは、三人でだったのか」

「……え?」

 訊き返したのは、男二人だった。

「三人?」

「雅殿が、母君と、旅行に? 何処にですか?」

 二人とも、別な疑問を持っての訊き返しだったが、水月はどちらにも答えるような言葉を発した。

「律が、来月の頭に、寿に旅行に行かないかと誘われたらしい。丁度、その辺りでの仕事もあるからと、仕事の後に落ち合う予定だと、そんな事を言っていた。確か、落ち合うのは京都だとか……」

 伊織が、口の中で悲鳴を上げた。

 青褪める男の隣で、エンは安堵の溜息を吐いた。

「そうでしたか。助かります」

「……何が、助かるんだ?」

「いえ。あの人たちだけなら、色々と不安がある時期でして」

 首を傾げた水月は、曖昧な男の言葉で深く意味を察した。

「ははん、もしや、学生の団体云々と言うのは、こっちの地の高校生の団体を心配した話、だったのか?」

「ええ。実は、先程ミヤが、関西の観光名所を回る旅に、母上から誘われたと真剣に相談して来たんです。行って楽しんできたらどうだという話は、したんですが」

 頭を抱え込んだ伊織を横目に、エンは穏やかに続けた。

「同じ時期に、同じようなスケジュールで、高校生の子たちも旅行と知りまして、少しだけ心配していたんです。律さんが一緒ならば、そこまで大仰な事にはならないですよね」

「……確か、宿にする家を紹介したから、途中で合流するとか、そう言う話だったな」

「つまり、それまではあのお二人、野放しという事ですかっ?」

 嘆く伊織を、水月は首を傾げて見つめている。

 頭を抱え続ける男を、エンは苦笑して宥めた。

「大丈夫ですよ。奔放に遊び惚ける為に、出かけるわけではないはずです」

 そう、雅の方は何処まで関与する気かは知らないが、その母親の方の目的は、はっきりしている。

「藤田さんの娘さんと、それこそ篠原さんの息子さんを、心配しているんでしょう」

 偶々を装って近づくつもりなのか、別人としてさりげなく傍にいるのかまでは分からないが、騒ぐ気はない筈だ。

「まあ、言い方が、少し気になったんですけどね」

「?」

 少しだけ笑みに苦いものを混ぜたエンに、水月が無言で問うと、男は穏やかに続けた。

「女子会も兼ねて、京都で旅行すると、そんな話だったんです。だから、もしかしたら他に、誰か女性が現地で、待ち合わせているのかなと。それが律さんだったのかと、安心しました」

 雅にしては、緊張をあらわにしていたのも、少々気になっているがと言ったエンを見つめ、少年は一応頷いた。

「だから、藤田家に宿泊しているのか。いつもはここで、お前さんと過ごしているのに?」

「……過ごしてませんよ。いつも夜は、ご自分の住処に、帰ってます」

「ほう」

 水月は頷きながら、優しく微笑んだ。

 伊織が、その娘を思い出させる笑顔に、顔を強張らせるのに構わず、ゆっくりと言う。

「お前、年頃に見える娘を、一人で帰らせてるのか? しかも夜中に?」

「下手に送り迎えして、送られ狼になられてはと、恐ろしい人なんです」

「喜んで狼になってもらえば、いいだろう。男として、情けなさすぎないか」

 真顔で返す男に、少年は呆れた声を出す。

 揶揄ったつもりが真面目に返され、親としては複雑な話だ。

 そんな少年に、エンは何を思ったか、取り繕うように言った。

「心配しなくとも、そんじょそこらの男には、太刀打ちできないくらい、強い女性ですから」

 油断しなければ、という一言は付け加えないで置く。

 だが、その一言も察し、水月は苦い顔になった。

 確かに、自分でも、強敵の凌でも、驕る心があれば油断が生まれ、それが元で危険が及ぶこともあるから、エンの言い分もよく分かる。

 色々と、気になる事はあるが、まずは先の申し出に答えた。

「分かった。今日はこちらで、世話になる」

「はい。では、そのつもりで、支度しますね」

 エンはそう答え、すぐに立ち上がった。

 週末の夕方に、セイが戻るのも珍しいが、客が泊まるのも実は珍しい。

 それどころか、周囲の一家は遠慮があるらしく、余程の事情があっての相談ならば別だが、訪問すらも殆んどない程だ。

 唯一、年末年始や盆などの、人が集まる時期に、飲み会で飲み過ぎた者達が、広間や空き部屋で、雑魚寝していくくらいだ。

 数ある寝具の中で、最近日干ししたばかりの物を用意し、もう一人の客の塚本家当主が辞するのを、玄関まで見送る。

「……護衛は付けない方が、逆にいいかもしれない」

 穏やかに、男が忠告すると、伊織は苦い顔で頷いた。

「女子会とは、こう言う意味ですよね? あなたの、お姉さま方も、落ち合う可能性もあると……」

 可能性どころか、今の水月の話が、こちらの予想を確定しつつあった。

「セキレイさんにも、確認してみる。その上で、何か対策を練ろう」

 これが、若い子供たちを巻き込む話になるとは、限らない。

 だが、楽観はできなかった。

「出来るだけ早く、連絡する」

「よろしく、お願いいたします」

 深々と頭を下げ、伊織が家を辞したのを見送り、家内に戻ったエンは、そっと客間を覗いてみた。

 その気配にも気づいたのか、水月がすぐに振り返る。

「夕食は、もう少し……」

 笑顔を作って少年を見返し、普段の世話を申し出ようとしたエンは、その少年の向かいに座る男に気付き、言葉を切った。

「あの子が、夜も起きないのなら、この人に食わせてやってくれるか?」

 向かいの男に一瞥して、水月が切り出す。

「きっと、腹が減り過ぎて、怒りの沸点が低くなっているんだろうから、大目に頼む」

 気楽に言う少年を睨み、銀髪の男が低く声を出した。

「これでも、我慢してるんだが。さっきの時点で、襲い掛からなかっただけ、ましだと思って欲しいもんだな」

 何でこの人が、ここにいるのか。

 唖然とするエンに、その心境を察している水月は、やんわりと言った。

「一緒に来たんだ。元々、この人のいる寮に、泊る心算だったんだが、ここに泊まってもいいのなら、ここで話を進めようと思ってな」

 つまり、どこかで盗み聞きされていたという事かと男は気づき、青褪めた。

 エンの珍しい表情の変化だったが、それが意外と知らない水月は、笑いながら切り出した。

「カ社長と、連絡とる事は、ないぞ。この人から、社長の姉が、女子会の旅行に行く旨は、伝わっている。それで、社長の様子もおかしいと、この人から相談されたもので、あの子の方にも、何か話が来ていないか、探りに来たんだが……」

 その探りの為に、ありもしない相談を作り、大男の怒りを買った。

 少年は、笑いながら説明し、まだ廊下で立ち尽くしているエンを、手招きした。

「あの社長が、姉を、無条件で一人、旅行に出すのは、不自然だろう?」

「……」

「安全と判断した、その理由はさっぱりなんだ。お前は、心当たりが、ありそうだな?」

 塚本氏との、短いやり取りは、この少年の耳に聞こえると分かっての、曖昧な会話だったのだが、無駄だったようだ。

 後ずさりたい気持ちだったが、ここで逃げて万が一、今眠っている若者の方に、お鉢が回るのは我慢がならない。

 腹をくくったエンは、その心境の変化を静かに見守っていた、親世代の二人のいる部屋に、足を踏み入れた。

 後戻りが出来ない、とんでもない騒動が、ここで巻き起こり始めていた。


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