私情まみれのお仕事 外伝4 修学のための旅行編

赤川ココ

第1話

 関東から南の都市へ数時間で到着する列車から降りて、一時間弱。

 何故、こんな所に来てしまったのか。

 少年はぼんやりと線路を見下ろして、立ち尽くしていた。

 自分が仕えている当主から、すぐに家を出て近くの駅に向かい、そこから列車を乗り継いでとある土地の、とある家に手紙を届けるようにと言われ、身支度も言われるがままに整えて家を出たのが、昨日の夕方だった。

 指定された深夜列車に乗るために、指定の駅まで辿り着くまでは怒涛で、何も考える暇がなかったが、指定の寝台列車の席に落ち着いてから、色々と考えたがどうしてもこの行動の理由が、分からなかった。

 一昨日の仕事で、自分が大失敗してしまった事は、よく分かっている。

 そのことで愛想をつかされて、家を追い出されるのならば、仕方がないと思っているが、それにしては周囲が静かすぎた。

 あの失敗のせいで、当主に何が起きてしまったのか分からなかったのだが、昨夜に指示を持って来た者から、その無事を聞けたのはほっとしたが、この指示の意図が全く見えなかった。

 その意図らしきものが見えたのは、目的の駅に着いた時だった。

 ホームに降り立ち、出口を探していた少年に、不穏な気配が襲い掛かったのだ。

 振り返ったその先で、ガマに似た生き物が動きを止め、すぐにどこかに去っていく。

 その正体に心当たりがあり、呆然とその姿が逃げていくのを見送ってしまった。

 あれは、一族でよく使われる、呪いものだ。

 立ち尽くした少年は、次に襲い掛かるそれから逃げるように、ホームに止まっていた列車に飛び乗ってしまった。

 目標を見失って主の元へ戻るそれを、走り出す列車の中から見送りながら、少年は絶望した気持ちに沈んでいた。

 自分よりも一つ年上の当主は、厳しいながらも自分を弟のように可愛がってくれていた。

 だがそれは、仕事を滞りなくやり遂げていたからで、先日の失敗は見限る理由として、妥当なものだった。

 家から遠い場所に使いに出し、誰も知らない場所で呪い死なせようと思う程、あの失敗は許されない事だったのだ。

 家を追い出されるだけならまだしも、生きる事も許されない程に。

 ぼんやりと外の風景を眺めていた少年は、そこまで考えて我に返った。

 そこまでの大失敗をしたのだから、最期位は命令をきちんと成功させなくては。

 そう思い立って次の駅で降りようと思ったものの、中々駅に停車しない。

 何処まで行くのかと、不安になる少年を乗せたまま列車が辿り着いたのは、全く知らない簡素な駅だった。

 知らない土地の、知らない駅名をぼんやりと見上げ、不意に空を見上げると、見知った生き物が空で弾けるのを見た。

「……」

 不思議な光景に目を見張り、ぼんやりとしたまま周囲を見回す。

 ホームから見える駅の外は、関東とは違う長閑な田園が広がっていた。

 後ろの方には、古びたビルと住宅が立ち並び、平日ながら呑気な話声も聞こえる。

 昼過ぎのホームは乗客もまだらで、少年がいるホームのベンチには、三人の男が並んで腰かけて、何やら話をしていた。

 若い男二人と、中年の着物姿の男という変わった組み合わせだったのだが、少年にはそれが変わった事だというのにも気づかずに、ただ立ち尽くしていた。

 やがて、アナウンスと共に列車の到着を告げる音楽が鳴り響く。

 自分が降り立った列車が来た方向とは逆方向から、向かいのホームに列車が滑り込んで来るのが見え、少年は知らず歩き出していた。

 急にその肩を強い力で攫まれて、我に返った。

 立ち止まったその目の前に、列車が滑り込んで静かに停車する。

 機械音を立てて扉が開くのを見ていた少年の頭上から、無感情な声が降って来た。

「飛び込みたい事情があるんだろうけど、この列車は勘弁してくれないか?」

 我に返った少年が顔を上げて見上げると、声と同じように無感情な顔が見返していた。

 色白の、妙に整った顔の若者だ。

 ベンチに座っていた男の一人だ。

そう気づく間もなく目を瞬く少年に、若者は続けた。

「この辺りは、まだまだ交通便が悪いんだ。この時間を逃すと、長く待たないと次の列車は来ない。この上事故処理が入ると、更に大変なんだ。仕事が押しているのに、それは勘弁してほしい」

 無感情ながら切実な言い分を、少年はその若者の容姿の神聖さに見惚れながら、聞いていた。

 癖のない真っすぐな短い薄色の金髪と、白い肌の中に瞳の黒さだけが際立つ若者が、呆然と見上げ続ける少年に目を細めた。

「……? 大丈夫か? 目が……」

 黒々とした目に、吸い込まれそうになった、そう感じたのは眩暈がしたためだった。

 目を見開く若者の後ろで、一緒に居た老若の男二人が慌てて駆け寄るのを見ながら、少年はその場で倒れ込んでいた。

 その日、その三人はとある場所に呼び出されてはいたが、乗車券が時間と席を指定したものではなかったため、少年を保護する時間があった。

 そして、その少年の行先が、偶々同じ都市であったこともあり、駅員と顔見知りの和服の男が間に入り、乗り越してしまった少年の法律違反を、見逃して貰うことができた。

 奇妙な若者と、古谷ふるや家の人びととの初顔合わせは、恥ずかしいながらも懐かしい、志門しもんの思い出の一つとなった。


 中学生の時はまだ、世間とも馴染みが薄すぎた為、古谷家も志門を心配したのか、初めから参加しない意向を伝えていたのだが、高校生にもなるとそれもどうかと思われているようだ。

 古谷志門にとっては、少々不安が湧き出てしまう行事が、近づいて来た。

 高校二年の秋、この学園は文化祭の前に、修学旅行が予定されている。

 その行事に無関心だった志門に、真顔で問いかけたのは、最近親しくなった篠原和泉しのはらいずみだった。

「お前、旅行は参加するのか?」

「? 旅行?」

「……修学旅行。来月だろう?」

「文化祭の準備で参加不可は、駄目ですか?」

「駄目だな。それじゃあ、オレたちも参加できねえだろ」

 文化祭の準備も、そろそろ始める時期だが、それを言い訳にするのなら、喜んで参加しない奴も、少しはいるだろう。

「オレも、京都に行くなら気心知れた奴らだけで行きたいよ。好き好んで学校の行事で行かなくてもなあ」

 集団行動は、面倒臭い。

 和泉もその考えを持つ少年だが、他の二人はそうではなかった。

「教育の一環で行けるんだから、多少の不便さは目をつむらなきゃ」

「そうそう。堂々と親の金で、遊び倒せるんだから。チャンスだぞ」

 土産は何か所かいるだろうが、数物の菓子類を数箱買って置けば形になるだろうと、市原凪いちはらなぎ高野晴彦たかのはるひこは今から浮足立っている。

 一応、行く方向で班決めされ、不安を胸に秘めながら帰宅した志門は、一週間悩んだ末に古谷氏に参加の意向を告げた。


 岩切静いわきりしずかの名は、父親が憧れていた人の名の音の数ある漢字の中で、一番気に入った文字を当ててつけられたと、常々言われていた。

 その父の憧れの人と出会ったのは、八歳になった頃だ。

 日本の同年代が小学生に上がる前から、静は父親の仕事を覚え始めていた。

それが気に入らない母方の親族たちに、些細な指摘を毎日受けながらも、ぼちぼち頭角を現し始めていた頃、暴動が起こった。

 父が死んだ後、母方の親族はあっさりと暴動のリーダーに寝返ってしまい、その国の中枢の王家は亡命するしかなくなってしまった。

 その王家を逃がした後静は捕まり、見せしめのために死刑に処される直前だった。

 親族たちは尋問と称して、代わる代わる暴力をふるい、十歳の少女は刑の執行前から立つことも出来なくなっていた。

 もう、楽になりたい。

 刑場に引きづり出され、執行人たちが握る銃口の前に立たされた時、ぼんやりとした頭では、それしか考えられなかった。

 見せしめと称して張り付けられた少女を前に、民衆は戸惑い憤っているようだったが、暴動の首謀者がふんぞり返って座っているのを見て取り、巻き添えを恐れて黙り込んでいた。

 銃を構えた執行人たちに、司令官が合図を送る前に、すぐ傍で無感情な声がかかった。

「この子が、キヨシ・イワキリの娘か?」

 それに答えたのは、矢張りすぐ傍の男の声だ。

「ああ。シズカ・イワキリだ。オレと意気投合して、この国の治安を守ってくれた立役者の、大事な一人娘で、忘れ形見だ」

 その男の声に聞き覚えがあり、静は重い頭を上げた。

 拘束された少女の傍に、若者と男がいた。

 一人は顔見知りだ。

 国王の側近中の側近で、赤毛で薄い色と濃い色が寅毛のように見える髪を持つ、長身の男だ。

 戸惑った少女が口を開く前に、その背後で女が笑った。

「君と意気投合した割に、娘の名前はこの子絡みにしたんだね」

 優しい女の声の指摘に、無感情の声が小さく唸った。

「漢字の読みなんて、考えた事がなかったから気づかなかった。その名づけ方、他でもやってないか?」

「やってるね。塚本つかもと家が、まさにそれじゃないか」

「それ位は、大目に見てやれよ。オレもいずれ、連れ合いが出来たら、名付け親を押し付ける予定なんだから」

 国の中心人物だった男の側近の気楽な言い分に、無感情な声が再び唸っている。

 静は、その場にふさわしくない会話を交わす三人を、ぼんやりと見上げていた。

 頭の方もおかしくなったのか、ただ目が霞み過ぎてそう見えるのか。

 無感情の声の若者は、父親の昔話に出て来る人物を思い起こさせる容姿に見えた。

 走馬灯にしては、全く見た事がない人たちが出てくるのはおかしい。

 ぼんやりと見上げる少女を見下ろした若者は、周囲を気にする様子なく何やら刃物を取り出した。

 見た事のない形の刃物に目が言っている間に、静を拘束していた物を断ち切り、倒れ込む体を受け止めて後ろにいた女に引き渡した。

「後、頼む」

 久し振りのぬくもりに我に返った静は、振り返って暴動の首謀者の引き攣った怒りの表情を見た。

 怒号の命令を吐く。

「全員まとめて、撃てっ」

「やめた方がいい」

 無感情な声が、やんわりとその命令を断ち切り、続けた。

「あんたの仲間たちの頭が、一瞬で飛んでしまう」

「な……」

 顔を歪めた恰幅のいい首謀者は、司令官が合図を送る手を止めたまま、執行者たちを呆然と見つめているのに気付いた。

 一様に引き攣った顔の彼ら全員、銃口を囚人に向けていなかった。

 己の口の奥深くその銃口を突っ込み、引き金に指がかかった状態で固まっていた。

「全員と言うのが、その人たちの事なのなら、止める理由はないけど。部下を大勢失いたくないなら、無駄な動きはやめるんだな」

 言いながら処刑場の高みから飛び降り、真っすぐに歩き出した。

 驚愕の表情で固まった、首謀者の方に。

 民衆が二つに割れ、若者の行く道を無言で作る様は、何かの言い伝えを連想する光景だった。

「さ、君はお医者さんに診てもらおうね。よく、頑張った。偉いよ」

 光を淡く吸い込む薄色の金髪の後姿を見送っていた静は、優しくそう呼びかけられ、支えてくれている女を見上げた。

 父親と同じ黒髪の、綺麗な女性が優しく微笑んで見下ろしている。

 その後ろに、安堵した数年来の友人の顔を見つけ、本当に助かったのだと実感した少女の緊張は、そこで切れてしまった。

 随分取り乱し、その後眠り込んでしまったらしいのだが、全く覚えていない。


 その時の顛末を聞いたのは、その数年後だった。

 しかも、母方の親族の接触があった数日後の事で、ほぼ又聞きだという師匠からの伝手だった。

 怪我の治癒と国籍の獲得、その他諸々の手続きと共に、日本語と日本の常識を頭に叩き込むのに時間がかかり、同年代の子供たちと共に学び舎に通えるようになるまでに、二年かかった。

 本当ならば、救助して来た若者が、責任を持って教え込むのが筋なのだが、何故か反対の声が多かったらしく、悩んだ若者が頼み込んだのが今の師匠だった。

 あっさりと引き受けてくれた若者と金髪の若者は、同じくらいの体格だが色が真逆と言う分かりやすい見分け方ができると、一時期話題になったらしい。

「その位、似てる気がしないか?」

 こっそりとそう言って来たのは、自分をお医者さんの所まで運んでくれた女性だった。

 名を、みやびというその人も、金髪の若者セイは、色々と無頓着すぎるから、女の子を教育するには向いていないと、反対した一人だ。

「養うのは問題ないと思うよ。朱里さんも、一応立派に育ったし。でも、もろもろの教育はねえ」

 そう言う雅も、色んな家に反対されてしまい、静の師匠とはならなかった。

「……別な教育をしそうだから、だろうな」

 師匠となった鏡月きょうげつは、その理由を短く予想した。

 世間にもまれていた静は、心の中で納得していたが、それを知った師匠に嘆かれたくないと、きょとんと首を傾げておいた。

「……」

 疑わし気に見下ろされたが、突っ込んだ事を言われなかったので、吉としている。

 完全に絶縁できたはずの、母方の親族が接触して来たのは、小学六年になった年だった。

 その頃にはすでに友人となっていた同級生に暴力をふるって、静を連れ去った伯父たちは事件発生後数十分で追い詰められ、その一週間後国が落ち着いたと連絡が来た時、鏡月は数年前の話を聞かせてくれた。

「数人の人質を取って、首謀者と取引をしたらしいんだが、その内の一つが、お前の保護だった」

 二親ともいない静を、親族の岩切家が引き取るのは当然だ。

 だが、母方が引き取ると言い出す事態が来るかもしれないと、セイは先の事を考えて、取引というよりも脅迫に近い話を持ち出したらしい。

「つまり、お前と母方の連中が会ってしまう事から、その規約を破ったことになるわけだ」

 その上、関係のない子供に危害を加え、静を連れ去ろうとしたことで、完全に約束は破られてしまった。

「セイにしては、随分と長い日時をかけたものだったが、ここのような土地を作らん為なら、仕方がなかろうな」

 鏡月はしたり顔で頷きながら言い、複雑な気持ちになっている少女の顔を覗きこんだ。

 瞳孔が完全に白くなっている若者だが、視線はがっちりと合って見える。

 その薄い瞳は、揶揄いの色があった。

「志門といる時、随分と大人しかったな」

「そ、それは……まあ、助けてもらったので、少しは見直したと言いますか」

「そうか」

 最近、弟子仲間の一人となった年長の少年は、静の秘かな望みだったセイの弟子という座を、あっさりと奪って行った憎らしい人だった。

 だが、その嫉妬に近い感情は、この一週間で全く別な物へと変わっていた。

 吊り橋効果、そんな言葉で解決できそうな話だったが、きっかけはそんなものでもいいのだと、父親も言っていた。

 人を好きになる理由がどんなものでも、その後の結末が幸せになるのなら、関係ないと。


 初等部と中等部と高等部は、校舎の棟が違う。

 しかも、カツアゲや威圧行為を防ぐために、その双方の出入りにも許可がいる。

 学校では交流がなかった弟子仲間が、許可を取って初等部に来たのは一度きりで、吉本朋美よしもとともみに礼を言いに来た時が、最初で最後だった。

 静が中等部に上がってからは、一年先輩に当たる弟子仲間と友人の四人で学食を取ったり、意外に親密な付き合いを始めたが、高等部との交流は出来なかった。

 だからそれを知ったのは、頻繁に溜息を吐いていた古谷志門に、相談された時だった。

「修学旅行、ですか?」

「ええ。どうやら、中等部と初等部でも、一度はあった行事の様です」

 初等部は一泊二日で、近場の県外の観光地を回って来たらしい。

 中等部は二泊三日で、南部の島の県を全て回って、観光したそうだ。

「高等部は、京都を含む関西の観光地を回るそうです」

「そうなんですか。それは、高等部の学生全員、ですか?」

「旅費を払った者は、という条件らしいのですが……」

 払込期限も、もう間近に迫っていると、志門は困った顔で言った。

「古谷さんも、ご存じなのでしょうか?」

「まだ、案内の資料を見せていません」

 そう言われ、少年の悩みどころを察した。

「学校の案内書や校則を一通り頭に入れたんですが、宿泊場の確保や観光地への諸々の手続きは、生徒数がはっきりとした月に、既に済ませるようです」

 予約割や学生割と団体割を活用し、もし急遽参加できない生徒が出ても、損にならないように取り計らっているらしい。

「生徒側は、割り引かれていない額を支払うので、その差額がもしもの時のための個々の費用として使われるそうです。キャンセル料もそこまで高くないとか」

「……そんな事も、生徒手帳に書いてありましたか?」

 校則は一通り読んだが、そんな生々しい説明はなかった気がすると、志門が首を傾げるので、笑って首を振った。

「親御さん向けの、案内書です。日本語を覚えたての時は、兎に角文字が読みたくて、ついつい読みふけってしまいました」

「成程。という事は……」

 眉を寄せて考える少年に、静は気楽に言った。

「志門さんが行くか否かは、問題にならないという事です」

 旅費を払ってもらうという、その負担をしてもらうか否か、それを悩めばいいというだけだが、それが一番難しい。

 気楽に言った静も、その悩みは分かる。

 もう一人の弟子仲間と違い、自分達は居候と言ってもいい。

 高額の出費を、養い親たちに課するのは、とても申し訳なく思ってしまう。

「……旅費の方は、石川いしかわ家から渡されているお小遣いを使えば、大丈夫だと思うのですが……」

 古谷家に引き取られてから今迄、志門は余り外に出る事がなかった。

 だから、月々払い込まれる石川家からの、養育費と名打ったお小遣いが、意外に貯まっていた。

 旅行参加の許可も、旅行用品一式購入の件を説得して、その小遣いで賄えばすぐに取れるだろうと思う。

 問題は、志門本人の気持ちだった。

「……そう言えば健一けんいちさんは、春に行きましたね」

 九州一周旅行で、定番のカステラをお土産にくれた。

「旅行の初日に、土産は全て買ったと言ってました」

 胸を張って手渡された時は、少しだけ羨ましかった。

 同じ時期にあった、初等部の旅行には、未だ残る体中の傷跡が気になって、参加できなかったのだ。

 金田かねだ健一も、初等部の旅行には参加しなかったと聞いていた。

 理由は全く違うが、行けなかった分中等部は、とても楽しかったらしい。

「……」

 微笑んだまま思い出していた静は、真顔で見つめる志門に気付いた。

「?」

「……予行練習には、なりますかね」

「? 何の、ですか?」

 きょとんとした少女に微笑み、志門は不意に言った。

「楽しめるかは分かりませんが、修学の為に行ってみる旨を、師匠たちにはお伝えしてみます」

「そうですか。お土産、楽しみにしています」

 急にそう決めた少年が不思議だったが、その微笑みに見惚れた静は、そう答えてしまっていた。


 そうか、去年も同じことがあったなと、瑪瑙めのうは小さく笑って言った。

里沙りさ嬢と志桜里しおりは学校が違うだけで、同じ場所に時差で向かうくらいだったから、分担できた」

 ほまれも苦笑しながら、頷く。

 秘かに志門が報告して来た、修学旅行参加の意向は、その夜の内に実家にも届いた。

 翌日、石川家の父と姉と慌てた古谷義人よしとに呼び出された松本まつもと家の元祖、何故か出産準備と称して身を寄せていた鬼塚おにづか家夫婦とその側近たちが、客間に勢ぞろいしていた。

 先程まで、志門の神妙な報告と決意を厳かに聞いていたのだが、解散した夜全員がちょっぴり、甘酸っぱい思いに浸っていた。

 冬休みに入ってから、弟子仲間を誘って旅行に行ってみたいから、その予行練習として経験しておきたいと、志門は真顔で参加理由を答えたのだ。

「それって、静ちゃんが修学旅行行けなかったのを知って、少しでもその楽しみを味合わせたいって言う、ほろ苦い気持ちよね?」

 うっとりとしたまま言葉にその想いを乗せるのは石川志桜里で、血縁上でも戸籍上でも志門の姉に当たる少女だ。

 高校三年で、就職活動も始めた志桜里だったが、連絡を受けた父親の一樹かずきの暴走を心配し、一緒に訪問していた。

「だが、早すぎるんじゃないのか? まだ、学校生活にもようやく慣れた所だというのに」

 一樹が不安を口にすると、古谷夫人と側近たちに自分の妻を任せて、客間に来た鬼塚ただしも、真顔で頷く。

「しかも、関西の古都を主に回るんだろ? 寺も多いが、質の悪い術師も紛れて住んでるところだぞ。悪影響がないか、心配だな」

「でも、僧侶になる為には、少しくらいはその類に慣れておかないと。それこそ時間がないんじゃないか?」

「それだ。志門は、僧侶と両立して古谷家を継ぐ気なのか?」

 瑪瑙の軽い返しに、誉が真顔で問い返した。

 どちらも大柄だが、何処にでも馴染みそうな瑪瑙よりも、強面な誉の方が鬼の血が混じって見える。

 実際は、鬼よりも恐ろしい存在の誉は、術師として志門を開花させるのを、不満がっていた。

「……古谷家を継ぐのも、まだ不安だというのに、死人の浄土の見送りを扱う僧侶を目指すつもりなんだろうか」

「そのつもりじゃないですか? 子供を養う仕事に、向いているかどうか分からないですし」

 将来の話をする年齢に差し掛かってはいるが、今は目先の心配だった。

「まあ、誰かがこっそりついて行けばいいだけだが」

「去年のようにか?」

 軽く瑪瑙が言い、誉が小さく笑った事で、去年の事を思い出した二人が冒頭の言葉を発したのだった。

 それを聞いた志桜里が、目を剝いた。

「え。付いてきてたのっ?」

「気づかなかったか? 人を目印みたいに目立つようなこと言ってた割に、見つけられなかったんだな」

「へ、変装してた?」

「いいや?」

 焦った少女を意地悪に見る大男を呆れた目で見やり、瑪瑙が種明かしした。

「こっちも、見つけられたら気まずかったんで、単に護衛相手を交換しただけだ。里沙をこの人に見てもらう代わりに、オレがあんたを守ってたんだよ」

「……ばらすなよ」

 安易な種を聞き、白い目で見やる主の娘の視線を避けながら、誉が首を竦める。

 意外に仲が良い二人を見比べながら、直が話を戻した。

「つまり、今年もそうしてくれるつもりがある、と?」

「多分、オレの方はそうなるな。葵さんが、意外に心配性だからな」

 市原葵には、娘の里沙の他に、息子の凪がいる。

 あの大男に似た少年ならば、心配しないのだろうが、何故か母親に似て小柄に育ってしまった。

「小柄なだけで、猫の皮被った鉄球なんですけど、心配する必要があるんですか?」

「それ、誰が言い出したんだ? 学園内で浸透しているらしいじゃないか」

「さあ。オレが卒業する前には、そう呼ばれてましたよ」

 その時、市原姉弟は中学に上がるか上がらないかの年だったが、姉の美少女ぶりよりも、凪の通り名の方が有名だった。

「……葵さんは、逆を心配してそうだけどな」

「ああ……逆、ですか」

 地元ならば、目が届くから何とか対処できるが、旅行先で何か起こされては、大変だ。

「里沙の場合は、迷子になる可能性もあったから、最悪接触する必要があったからな。誉さんが近くにいてくれて、有難かった」

「偶々近くにいた体を装うのは、こいつでは無理そうだったからな。顔を知られていなかったから、説明も難しかったが」

 危うく、攻撃されそうになったと誉は気楽に言い、瑪瑙が苦笑しながら軽く礼を言っている。

「その凪坊にはまだ、会った事ないから今回もそれで行くか?」

「学園は同じだし、班も同じの可能性が高いよな? 篠原の倅も班が同じだと言っていたし。なら、もう少しひねった方がいいかもな」

「……」

 首を振った瑪瑙の言葉に、何故か石川家の大男が顔を顰めた。

「?」

「そう言えば篠原和泉と、同年だったな。志門は」

「ああ。凪と幼馴染なんだ」

 誉が、苦い顔で舌打ちした。

「どうした?」

「いや。舞台が悪い上に、とんでもないのが出てきそうだな」

 急に不機嫌になった大男に戸惑い、石川親子が顔を見合わせる中、直が天井を仰いで考えこんでいたが、思い当たって目を剝いた。

「あ。藤田弥生ふじたやよい嬢も、幼馴染でしたね」

「ああ」

「うわあ……志門、意外にとんでもない人材が、周りにいるなあ」

 言われて、瑪瑙も思い出していた。

 藤田弥生は、篠原和泉の父親の秘書兼執事をしている男の、娘に当たる。

 現在、藤田真治しんじの妻として、弥生の母として収まっている女。

「あの女が、自分で出て来なければ、まだ安心なんだがな」

 分かっていない主親子に構わず、自分の不安はそう抑えた誉だったが……そこで、真剣に考えなかったことを、盛大に悔やむことになるとは、その時には思っていなかったのだった。

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