番外編

旅立ちリボンとクレマチス 1






 ここからは番外編です。

 時系列は1巻後となります。

 ネタバレでもOK!という方はこのままスクロールしてお楽しみください。











 ※※※※※※※※※※










 掃除を終えると、部屋の中は殺風景になった。


 余裕のある生活をしていなかったから、あまり物はないと思っていても、十年以上住んだ家を彩っていたらしい。

 必要のないものは処分したが、それでも引っ越しの荷物はローザ一人では持って行くのが難しい量になった。

 手伝いを固辞しなくて良かったと、今になってほっとする。


 ローザが三角巾を外すと、癖のある黒髪の後れ毛が頬を撫でる。

 幼く見られがちな顔は変わらずとも、引け目を感じていた青い瞳はあまり気にならない。

 ほんの数ヶ月で、ずいぶんと変わったと思う。

 開け放した窓からは、少し埃っぽい匂いと共に秋の冷涼な風が入り込んできた。


 今日は、ローザが青薔薇骨董店に引っ越しをする日だった。

 大家に退去の意思を告げて一ヶ月。なにもかもわからないことばかりだったが、なんとか準備が終わった。


 空いた時間で、知り合いの部屋へ今まで世話になった挨拶へ行く。

 住人の入れ替わりは激しくとも、アパートにはローザが幼い頃から住み続けている者もいた。

 共同の水道などで遭遇することも多く、彼らはすでにローザが出て行くことは知っている。改めて別れを惜しんでくれる者が大半だが、ローザがこぎれいになったことに好奇のまなざしを向けてくる者もいた。後者に対してはローザは言葉少なにはぐらかす。


 今年の初夏の数奇な出会いで、青薔薇骨董店ブルーローズアンティークという中上流アッパーミドル階級クラス向けの骨董店に勤めるようになった。けれど正直に話したとしても、ただの労働者ワーキング階級クラスの娘が、そんな格の高い店に勤められる訳がないと一笑されるだけだ。

 この事情を唯一知っているのは……。


 ローザは、気の良い主婦にそっと問いかけた。


「あの、ミーシアは、今日、どうしているかご存知ですか……」

「ミーシア? あの子なら朝に出てくのを見たね。冬も近いけど花売りに休みなんかねえもんだ。おおかた花を仕入れた足で売りに行ってんじゃねえかね」

「そう、ですか」


 労働者階級特有の抑揚で語る女に、ローザは気落ちする自分を感じた。

 ミーシアは、ローザが母を亡くし前の職場を解雇されて気落ちしていたところに、花売りを教えてくれた娘だ。

 ローザが花売りをしたのは一ヶ月という短いあいだで、迷惑をかけたにもかからず、心を砕いてくれた恩人である。

 青薔薇骨董店に雇われたあとも、顔を合わせるたびに気にかけてくれた。ローザが唯一勤め先を開かしたのも彼女だ。

 しかし、勤め先とその経緯を話し、引っ越しが決まったことを告げて以降、ミーシアとはほとんど顔を合わせていなかった。


 一度アパートの前で鉢合わせたときには、ミーシアは仕事があるからと言葉少なに去って行った。そのときの彼女からは、深く踏み込んで欲しくないかたくなさを感じた。


 仕方がない、とは思う。


 ローザが少し落ち込んでいると、女は肩をすくめた。


「まあ、あんた良いところに住みかえんだろ? ミーシアも羨ましくなっちまったのかもしれないねえ」


 女になんとも答えられず、ローザはまごつく。

 店からこのアパートは馬車に乗っても一時間はかかる。そうそう会いに来ることはできない。だからこそ、ミーシアにきちんと感謝と表し、別れを告げたかった。

 けれど、それぞれの階級に対して複雑な心境があるのはローザも肌で感じていた。


 今挨拶のために巡った住民達の中にも、ローザに対し羨望のような色を見つけた。

 通りすがりに「お貴族様気取りか」と皮肉げな悪態を付かれもするのだ。

 ミーシアもまた、そのように感じてローザを避けたのかもしれない。ならば彼女の意思をくんで、このまま別れるべきなのだろう。


 悄然としたローザは、共用の階段から上ってくる銀髪を見つけた。

 すぐに現れたのは、妖精のように美しい青年だ。


「おやローザ、部屋にいないと思ったらここにいたんだね。話し中だったかな」


 口元に微笑を浮かべた彼が、朗らかに声をかけてくる。

 彼がローザの雇い主であり、これから住む部屋の大家であるアルヴィンだった。

 アルヴィンを振り返った女は、ぽかんとして見入った。

 それほど美しい青年なのだ。しかしアルヴィン本人は、そのような視線など全く気にかけた風もない。

 ローザは相変わらずだと思いながら、彼にうなずいてみせた。


「はい、アルヴィンさん。お別れの挨拶をしていたのです。もしかして部屋に行かれましたか。申し訳ありません。お手間をおかけいたしました」


 ローザが謝罪をすると、はたりと銀灰の瞳を瞬いたアルヴィンはいきなり距離を詰めてきた。

 覗き込まれたローザはもちろん、傍らにいた女もまたぎょっとする。


 まずいとローザは思う中で、アルヴィンはかまわず仰け反ったローザを観察すると眉を寄せた。


「顔色が優れないね、眉尻が下がって頬も少し強ばっている。なにか気がかりがあるのかな」


 動揺しかける心を、ローザは努めて平静を保つ。

 アルヴィンは諸事情があり、人の感情の読み取り方が独特なのだ。彼に他意はなくただ純粋に疑問に思っているだけなのは知っている。ただ、この距離の近さは、周囲に誤解を生んでもおかしくなかった。


 現に女は身なりの良いアルヴィンとローザの親密な距離に、隠しきれない好奇心が宿っていた。


 ローザは顔を赤らめないよう気をつけながら、アルヴィンをそっと見上げた。


「たいしたことではありません。少し寂しくなってしまっただけなんです。それよりも距離が近いので、離れていただけますか」

「おや、そうかい。ごめんね。……そちらのご婦人も歓談中に割り込んですまないね。僕は彼女の引っ越しを手伝いに来たんだ」


 アルヴィンがローザから一歩離れて女に語ると、女は含みのある表情で手を横に振る。


「いやいや、アタシなんて気にしないでいんですよお! じゃあローザ元気にやるんだよ」


 ぱちん、とウィンクを残して、女はそそくさと扉を閉める。

 ローザはなんだか疲れた気分で肩を落とした。思い切り誤解をされただろうが、その勘違いをどうほどけば良いか皆目見当が付かない。


 妙な置き土産ができてしまったとローザが途方に暮れても、隣のアルヴィンに気にした様子はない。平静そのもので問いかけてきた。 


「ローザ、ほかに心残りはないかい?」


 その問いに、ローザの脳裏にミーシアの快活な笑みが浮かんだ。けれど首を横に振って振り払った。そう、仕方ないのだ。


「はい、大丈夫です。荷物が思っていたより多くなってしまったので、労力をおかけいたします」

「そのための僕達だからかまわないよ。セオドアも君の部屋の前で待っているはずだ。……おや? もう一人誰かいるね」


 ローザの部屋のある階に戻ると、その先にある扉の前で言い争う男女がいた。











 以降毎週火曜日更新です。どうぞよろしくお願いいたします。

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