第15話 それは夢のような時間で

 コリンは別に、もうよかったのだ。

 たまたま客が話していた、妖精のことなら何でも解決してくれるこっとうを頼った。


 店主のアルヴィンは、コリンが隠していた心の奥底まで暴き立ててきた。

 人と思えないほどれいで、いつも微笑しているのに、笑顔がひどく恐ろしく感じられた。


 けれど、こうしてフェリシアに、ポジーホルダーを返してくれた。

 見届けまでさせてくれたのだ。ぽっきりと心が折れたコリンには、充分な収穫だ。

 だってあのポジーホルダーだけは、フェリシアに返さなきゃいけないと思ったのだ。




 フェリシアに対するはじめの印象は、なんだか間抜けな貴婦人だな。というものだ。

 だって、たかだか馬車から降りただけ、そこで足をひねって転んだのだから。


 大慌てで使用人に介抱されていたが、フェリシアはポジーホルダーの鎖がとれてしまったことをこの世の終わりのように悲しんでいた。

 あんまりにも悲しそうだったから、つい手を出してしまったのだ。


『おい、ねーちゃん。そんなにかなしーんなら直してやるからよこしなよ』


 そうしてコリンがポジーホルダーの鎖を直してやると、フェリシアはぼろぼろと涙を流して、びっくりするくらい嬉しそうに、お礼を言った。

 ほんの少しだけ、紳士らしくできた気がして誇らしくなった。


 その後で、高価な銀製だったのだから、コリンの店が使っている金属で直してはいけなかったのだと兄に殴られた時は青ざめたが。

 けれどフェリシアは翌日も現れて、持参した靴の靴磨きを頼むと同時に、話をしていくようになったのだ。


『あのね、コリン君に親切にしてもらえたのが、とても嬉しかったの。私の周りに居る方々も、親切にしてくださるけれど、必ず感謝の印を見せなければならないから……。本当に、心からお礼を言えたのは久々だったのよ。嬉しかった気持ちを忘れたくないから、このまま使うの』


 なんだか、きらきらした宝物のような言葉を使う人だと思った。

 甘い人だと思ったけれど、コリンが普段は絶対近づくこともない人と特別に仲良くできたのが嬉しくて、照れくさかった。


『コリン君は、良い子ね。こんな変なおばさんに付き合ってくれるなんて』

『物好きなのはフェリさんの方だろ。それにおれ、フェリさんみてえな綺麗な人見たことねえぜ』


 くすくすと笑う彼女は、なぜコリンの隣にいるかわからないほど美しい。


『まあ口が上手。私にもコリン君のような子供が居たら良かったのに。ちゃんと、妻の役割を果たせていたら……』


 コリンにはすべて把握できるわけではなかったが、フェリシアが周囲とのあつれきに悩んでいることは知っていた。

 美しいのに、時折寂しげな目をするのが悔しいと思った。


 だから本当は、「子供」と言われて嬉しかったのに、わざと唇をとがらせた。


『フェリさん、おれみてえな紳士に子供はねえよ。弟とか、せめて友達にしてくれよ』

『ふふそうね、ごめんなさい。私も貴婦人らしくなくとも、コリン君とは友達が良いわ』


 寂しそうに目を伏せていたフェリシアが、ようやくほほむ。


『フェリさんみてえなお金持ちは、昼飯の後にお茶会なんてもんをすんだろ。皿いっぱいのケーキとかクッキーとか。ぱっさぱさのスコーンを食べるなんて、すごいよな』

『あら、焼きたてのスコーンはとても幸せな味がするのよ』

『フェリさんには珍しくねえだろうが、そんなもんここじゃ食えねえよ。ビスケットでもごちそうだ。でもなあ、焼きたてのスコーンってそんなにうまいのか』

『なら、いつか私のおうちでお茶会をしましょう。ジーンは労働者階級の子供なんて! って言ったけれど、コリン君は私の恩人だもの。恩人をもてなすのも貴婦人だと思うの』


 夢見がちな人だな、と感じた。

 しない方が良いと、年下のコリンでさえ理解できるのに。

 でも彼女の語る夢はなんだか楽しくて、馬鹿にしたくなくてうなずいた。


 フェリシアの家で遭遇したフットマンの男に殴られた時には、理不尽さに歯がみしながらも、自業自得だとも思った。


 フェリシアはコリンにとって、妖精のように現実味のない美しい人。

 きっと夢が覚めるのも、なんの前触れもないのだ。


 だから、混乱していた。自分の前で、息を切らすこの人は誰だろう。

 現れるときは、必ず美しく姿を整えていて、朗らかで無邪気だった。けれど今のフェリシアは、息をぜいぜいと切らして髪も乱れている。

 そして顔は、今にも泣き出しそうにゆがんでいた。

 いいや、泣いていた。


「フェリさん……」


 言葉を紡ぐことすら苦しげなフェリシアは、それでも唾を飲み込んで話し始めた。


「コリン君、ごめんなさい。会いに行けなくて、会いに来てくれたのに気付かなくてごめんなさい。信じてもらえないかもしれないけれど、私は全く知らなかったの」


 ようやくコリンは、彼女が泣く人だったと思い出した。人付き合いに疲れてしまったと言って、労働者階級の小汚い子供に、まぐれに助けてもらって泣いてしまうくらいには。


 何か、拭う物が必要だ。

 コリンはすぐローザから袋を受け取るなり、中にあるハンカチをフェリシアに差し出していた。


「化粧をしてるときは、泣いちゃいけねーんだろ。自分で言ってたじゃねーか」

「だって、コリン君はひどい目に遭ったのでしょう……? コリン君とお茶がしたいと素直にお誘いできたら、こうはならなかったわ」

「別に、いーよ。もう、いーんだ。あんたの大事な物、返せたら充分だ」

「私が嫌なのよ。引っ越すことになってしまって、これでお別れになってしまうから」


 コリンは、奈落に落とされたように視界が真っ暗になった気がした。

 だがフェリシアは、ぎこちなく笑いながら続けるのだ。


「私にはルーフェンは居心地が悪かったけれど、コリン君が一番の良い思い出だったのよ。周囲の期待に応えられずに、息が詰まりそうな中で、あなたが友達になってくれた。だからね、最後にお茶会をしましょう。良いわよね、ジーン」


 フェリシアが振り返ると、同じく息を切らして追いついてきていたジーンは、仕方ないと肩を落とした。


「焼きたての、スコーンでしたね。準備して参ります」

「とっておきのティーセットも、まだしまっていないのよ。私を許してくれるのなら、ポジーホルダーのお礼に、お茶会に招待させてくれないかしら」


 コリンは、焼きたてのスコーンも、ましてやお茶会なんて、本気にしていなかった。

 そりゃあおいしいと言われれば気になったが、労働者階級ワーキングクラスの自分に貴族みたいなことができるわけがない。


 なのにフェリシアは、こうしてコリンなんかのために一生懸命になってくれる。


「おれ、あんたの知ってる作法、ぜんぜんしんねーぞ。どうなってもしんねーからな」

「もちろん、堅苦しいお作法は抜きにしましょう。私も、はしたなくても、おなかいっぱいケーキを食べてみたかったのよ。お友達として許してくれるかしら」


 コリンにとって、フェリシアは妖精のように現実味がなかった。

 だから、一度目にこの家に来て、使用人に殴られた時にそういうものだと諦めた。

 けれどこれが最後でも、彼女が自分と同じように友達だと思ってくれるのだと知った。


 つん、と目頭が熱くなったけれど、コリンはこらえて笑ってみせた。


「しょうがねーな! おれがやだっていったらフェリさん泣いちゃうもんな」


 フェリシアが涙ぐむのに、仕方ないなあと思いながら、コリンは横を見る。

 隣では青いのようなドレスをまとう少女が、ほっとした顔で微笑んでいる。


 本当は諦めてしまおうと思っていた。

 けれど、あの青薔薇に一歩踏み出してよかった、と思えたのだ。


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