第14話 妖精のような人

 包みを慎重に握ったローザは、ゆっくりと階段を上がり、緑の扉の前に立つ。


「今日は、この家に設定されている朝の訪問日モーニングコールだ。家ごとに決めた時間帯を周知して、この日なら約束なしに会いに行っても良いとする裕福な人達の習慣だよ。フェリシアも、この日は必ず家に居るのは確認済みだ。後は君が声をかけるだけ」

「は、はい」

「大丈夫、手順さえ間違わなければ、彼女らは絶対に疑わない」


 不思議な習慣にも驚けないほど緊張するローザだが、アルヴィンの言葉に一つ息を吸い、ノッカーを叩く。


 扉を開けたのは、ぱりっとした白いエプロンとキャップを身につけた使用人らしき女性だった。ラベンダー色のドレスの女性ではない。


 動揺しかけたローザだったが、あらかじめアルヴィンから、出迎えは使用人と教えてもらったのを思い出し、踏みとどまる。


「あの、」


 使用人の女性は銀髪の美貌の青年であるアルヴィンにぽかんとしていたが、ローザが声をかけるとこちらを向いてくれる。


「ぶしつけな訪問をお許しください。わたしは、ロザリンド・エブリンと申します。奥様のフェリシア・オルコット様はいらっしゃるでしょうか。コリンくんの代わりに、奥様が大切にされていたポジーホルダーとハンカチをお返しに参りました」


 準備をしていた言葉を言い切り、布袋に入れていたポジーホルダーを見せる。

 すると、使用人の女性はポジーホルダーを見るなり、うろたえた様子で後ずさった。


「しょ、少々お待ちください。……奥様っ奥様っ!」


 言い置くなり、家の奥へと消えていく。

 すぐに小走りで、ラベンダー色のドレスを身にまとった女性、フェリシアが現れる。


 彼女はローザの手にあるポジーホルダーを見るなりよろめいた。

 フェリシアは追いかけてきた使用人に支えられるが、そのままほろほろと涙をこぼし始めたのだ。


 疑われることはなかった。

あんしたローザだったが、しかしフェリシアの流す涙が悲しみと落胆に染まっていると感じた。


「ああ、コリン君は、こないのね」


 なにかかみ合わない気がしたローザは、涙を拭ったフェリシアにぎこちなく微笑みかけられた。


「取り乱して、ごめんなさいね。それは、私の母から譲られた大事な物なの。返しに来ていただいてうれしいわ。よろしければ、中でお話を聞かせて……」

「嬉しいと思っていないのに?」


 受け取ろうとしたフェリシアは、アルヴィンの言葉に凍り付く。

 そこで、初めて彼に気付いたらしい彼女は、彼の美しさに一瞬目を奪われていた。

 ローザもぎょっとして振り返る。


 銀の青年は穏やかな微笑みのまま、フェリシアを見つめて納得したようにうなずいた。


「瞳孔の拡大もさほどではないし、笑みもこわばっている。悲しみと絶望……というところだろうか。これで最後の疑問も氷解した」

「あの、あなたは……」

「僕はアルヴィン・ホワイト。今回はこの子の付き添いだ。君は、コリンがポジーホルダーを届けに来ることを期待して落としたんだね?」

「アルヴィンさん!? 何を言うんですか!」


 思わぬことを語り出すアルヴィンに、ローザはうろたえる。だがアルヴィンはむしろ不思議そうにするばかりだ。


「ローザはおかしいと思わなかったかな。このポジーホルダーは手に持つタイプのものだ。持ち手の鎖はけんろうに修復されたばかりで、彼女は持ち歩くのを習慣にしていた。もし落としたとしても、気付かないのはおかしいだろう? 落としたとたん、コリンを訪ねることもあり得たのに、約一カ月間それもなかった。できない状況だったのか、あるいはわざと会いに行かなかったのかのどちらかだ。どちらだったのかな?」


 アルヴィンの推測に対して、フェリシアが息をみ、諦めたように肩を落とした。


「ええ、その、通りです。コリン君に、焼きたてのスコーンをごちそうしてあげたかったの。以前相談したときにジーンにはだめだと言われてしまったけれど、大事な物を届けに来てくれたお礼なら、押し切れるかしらって」


 フェリシアの背後に控えていたメイドの女性がおそらくジーンだ。

 彼女は後ろめたそうに目を伏せる。


「ほんの思いつきだったの。もし届けに来てくれなくても、コリン君ならきっと預かってくれるから、返してもらいに行けば良いって。けれど、引っ越しの準備で行けなくなってしまって……」

「引っ越しですか? どうして急に」


 ローザが思わず口を挟むと、フェリシアは痛みをこらえるように顔をゆがめる。


「実はコリン君のところでポジーホルダーを落とした翌日に強盗に入られてしまったのよ。夫が一度強盗に入られた家では安心できないからと、郊外に引っ越すことになったの。私も外出は控えるしかなくて……。明日にはもう、ここを離れるわ」

「そんな」


 言葉をなくしたローザは、玄関ホールだけでも調度品は最低限にしか整えられていないと気付いた。

 アルヴィンが不思議そうに小首をかしげる。


「コリンからは、このしきから出てきた若い男の使用人に殴られて追い返されたと聞いたよ」

「まさか、本当に……?」


 青ざめるフェリシアが背後を振り仰ぐと、ジーンは困惑のまま答えた。


「うちにいる男性の使用人はみんなとしを取っていますし、若い、とは言いがたいですが」

「けれど一週間前にはコリンの口の端に、まだ打撲の傷が残っていたよ」

「出入りの業者だったのでしょうか」


 アルヴィンの言葉にジーンが答えると、据わりの悪い沈黙が落ちる。

 フェリシアは無理に明るく声を張り上げた。


「ちゃんと来てくれたのに、会えなかったのはきっと自業自得ね。私はずっと待つだけだったもの。でも、最後にコリン君をご存じの方とお話しできるのはうれしかったわ。ジーンにも、コリン君が悪い子ではないと証明できたもの」

「奥様……私があのとき反対したばかりに……」


 言葉を詰まらせたジーンの肩に、フェリシアは慰めるように手を置く。


「いいのよ、あなたが止めるのも当然だわ。コリン君にちゃんとお別れの言葉を言えないのは残念だけれど、仕方ないわね」


 花売り仲間のミーシアが、中流階級ミドルクラスの相手の恋文を読もうとしなかったように。

 ローザが丁寧な言葉遣いをするだけで、馬鹿にされていじめられたように。

 労働者階級ワーキングクラスと、中上流階級アッパーミドルクラスの間の壁はとても高い。


 労働者階級は自分の住む地区から一生出ないことも少なくない中で、フェリシアとコリンが育んだ交流は、奇跡のような産物だった。

 ローザ達がコリンにフェリシアの事情を教えれば、誤解はほどけるだけましだ。


 にもかかわらず、寂しげなフェリシアに、ローザは胸が詰まった。

 このまま別れれば、二人は生きているのに、一生会えなくなるのだ。


 脳裏によぎるのは、母との別れの記憶だ。ローザは、流行病で死ぬ母と別れの言葉を交わし、最後まで見守った。

 そして、そこまでしたとしても、後悔はいつまでも残るものだとも思い知ってしまった。


 コリンもフェリシアも、生きている。まだ間に合うのだ。


 ローザは、唇をめて、心を決めた。


「では、僕達はコリンの頼みを完遂できたし、これで……」

「オルコット様、ほんの少し、返すのをお待ちください!」


 ローザはアルヴィンの言葉を遮り、目前の貴婦人に言い放つ。

 フェリシアが目を丸くして驚いているのを横目に、ローザは一礼すると、ぱっと外へ飛び出した。

 鮮やかな青のスカートが翻る。


 ミシェルが仕立ててくれたドレスは、たくし上げた裾が足に絡まず軽やかで、ローザの歩みを妨げない。

 アルヴィンに沢山教えてもらったのに、淑女らしい姿ではないだろう。申し訳なく感じながらも、ローザは走った。

 そして、道のつじで所在なさげにしていたコリンに駆け寄る。


「あ、あんたローザ!? その、目の色……」

「コリンさんっやっぱり、ご自分で渡しましょうっ」


 ローザが叫ぶと、驚いていたコリンは息を吞んだ。


「オルコット様は、待っていらっしゃいました! 沢山事情があってすれ違ってしまったけれど、コリンさんとお茶がしたかったとおっしゃっています。ですが明日にはもう会えなくなるのです。だから……っ」


 必死にローザは訴えて、コリンにポジーホルダーを差し出す。

 戸惑うコリンだったが、ローザの背後を見て、こぼれんばかりに目を見開く。


「奥様、そんなに走られるのは……!」

「コリン君っ……」


 ローザも振り返ると、そこには、よろよろと走ってくるフェリシアの姿があったのだ。


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