第13話 青薔薇は一歩踏み出す



「あそこのフェリシアさんは、おれ達が店を広げてる前で転んでさ。そのぽじーほるだー?の鎖がとれて泣いてっところを助けてやったんだ。貴婦人なんて、すまし顔でお高くとまってるもんだと思ってたのに、泣き虫でびっくりした。でも、直ったらすげーうれしそうにしてさ。そこから、おれに靴磨きを頼みに来るようになったんだよ。最初は施しかと思ったけど、おれなんかと話すのをすげー楽しそうにしてたんだ」


 語るうちに、コリンの表情は和らいでいく。

 彼にとってフェリシアという女性との時間が、とてもよいものだったのだと感じさせた。


「おれは母ちゃんを知らねぇけど、居たらあんな感じだったんかなって思った。話を聞いてくれて、笑顔であったかくて、頭をでてくれんだ。きっと、フェリさんは、寝るのが遅くてもプーカが来るよって脅さねぇだろうなあ。ああ、おれがスコーンなんて食ったことねえって言ったら、いつかうちに来てお茶をしようって言ってくれたんだ。住所まで教えてくれたんだぜ。スコーンって、焼きたてが一番おいしいからってさ。まあ、それは家の人に止められたって次に会いに来たときしょんぼりしてたけど」

「確かにスコーンは焼きたてが一番だ。クレアが時々焼いてくれるけれど、おいしいよ」

「焼きたてが一番なのは本当みてーだな。フェリさんも、メイドのジーンのスコーンが絶品だって言ってた。食べれたらよかったな」


 アルヴィンの言葉に、コリンはかすかに表情を緩ませたものの、すぐに悲しみを帯びた。


「一カ月前くらいかな。おれがへましてをしたときに、ハンカチを貸してくれたんだ。一番大事にしてるアクセサリーを落としたのも気付かずにさ。だからさ、届けに行ったんだぜ」


 コリンは自嘲するように鼻で笑った。


「お茶に誘うくれーだから、顔を見せるくれーなら大丈夫だろって馬鹿正直にさ。一応気を遣って裏口から行った。もしだめでも使用人に渡して帰れば良いってな。でも、裏口から出てきた若い男の使用人は、出会い頭におれを殴って追い払ったんだ。『お前も盗みに来たんだろ。卑しい労働者階級ワーキングクラスのガキが、近づく場所じゃない』って……!」


 ローザは、ぎゅうと心臓をつかまれたように胸が痛くなる。ああ、その感情を自分は知っている。


 労働者階級でも最下層に位置する自分達は、犯罪の原因とみなされやすい。

 ローザも人に声をかけただけで、嫌悪と共に振り払われ、これ見よがしに財布や時計が盗まれていないか確認しながら去って行かれたことがある。

 実際花売りの娘達も、売り上げが振るわなければ、スリをしようかと冗談のように話していた。だから自分は違う、と主張しても全く意味がない。

 彼らが自分達を忌避するのは仕方がなく、自衛のために避けるのは当然だ。


 抑えきれなくなった感情を爆発させて、コリンはアルヴィンに訴える。


「なあ、おれは、盗みをしようとしたわけでも、施しをもらおうとしたわけでもねえんだぜ。ただ、ちょっと仲良くなった人に、親切をしようとしただけだ。それがどうして相手の身分が高いだけで、本心を疑われなきゃなんねえんだよ! やっぱり階級は超えちゃだめだって言うのかっ……」


 記憶がよみがえりかけたローザは、目をつぶりうつむく。

 それで、心の痛みがなくなるわけではない。

 肩で息をするコリンは、それでも泣かずに続けた。


「だから、フェリさんに近いあんたみてえな人に、返してもらおうと思ったんだ。だますようなことをして、ごめん、ごめんなさい。おれのことは言わねえでいーから、ただ、返してえだけなんだ」

「どうして謝るのかな。僕は全く構わないよ。一つ謎も残っているしね」

「え」


 年相応のあどけない顔でぼうぜんとするコリンに、アルヴィンはほほんだままだ。

 そう、彼の表情は変わっていない。怒ってもいないし、責めてもいないのだ。


「君のお願いは、ポジーホルダーとハンカチを君の妖精に返すことだ。残念ながら、本物の妖精ではなかったけれど、引き受けたからには返すよ」


 言葉を切ったアルヴィンは、さっとローザに向いた。


「と、いうわけで、ローザの出番だ」

「わたし、ですか」


 急に話を振られたローザは驚いたが、アルヴィンはいつの間にかかばんから取り出した布袋へ、ハンカチとポジーホルダーを丁寧に入れながら続けた。


「僕は顔がれいすぎて、ご婦人に勘違いさせてしまうことが多いんだ。本気にさせてしまうらしい。そのせいか年を召した使用人や、男性にはかつのごとく嫌われるし、疑われるんだよ」

「自覚はあったのですね」


 ローザはこの一週間でアルヴィンが怒らせた客の数を思い出す。

 たいていは買い取り客やこっとうの鑑定にきたいちげんの客だったが、彼のゆったりとした語り方をお高くとまっていると非難する。

 他にも容貌の美しさから不真面目と決めてかかられたり、文句をつけられたりともめ事はそれなりにあった。

 アルヴィンは、あくまで自然体で居るだけなのに。

 そうか、彼も理不尽を知らないわけではないのだ、とローザは気付く。


「だからね、同性の君が適任なんだ。今の君はどこからどう見ても、良いところのお嬢さんだ。疑う人は誰も居ないよ」

「あ……」


 ローザは体の芯が冷たくなる。つまり、本物の貴婦人の前に出るということだ。

 口ごもってしまったらどうしよう。いぶかしく思われて迷惑をかけてしまうかもしれない。


 怖い。

 けれど、とローザはコリンを見る。


 傷つき切った彼の願いをかなえられるのは、君だけだとアルヴィンは言った。

 人に声をかけることすら満足にできなかった自分だけだと。


 そうだ、今の自分は、見違えるように姿が変わった。

 アルヴィンは、みすぼらしいローザをあおのようだと語る奇妙な人だ。

 けれど、怯える自分にあきれず、理由を聞いて様々なことをしてくれた。


 働けるように知識を授け、場に相応ふさわしい衣装を用意してくれた。

 体を支配していた怯えが、目の覚めるようなドレスの青で落ち着いていく。

 

 心は、以前のままだけれど、変わった気はしないけれど。

 ……今だけは、そうではないと思って良いだろうか。


「い、き、ます」


 かすれた声でローザが答えると、アルヴィンは頷いて包みを渡してきたのだ。


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