第11話 刺繍図案の妖精

「えっ、いつでしょう?」

「おや、そういえば話してなかったね。ミシェル、例のしゅう図案を貸してもらうよ」


 アルヴィンはミシェルから一冊の冊子を受け取ると、近くのテーブルに広げた。

 その表紙は幻想的な図案で彩られている。


「ご婦人方の間では昔から刺繡がたしなみになっていて、刺繡図案集もよく売れるんだ。だから人気の仕立屋が一般向けに図案集を出すこともある。服と同じように刺繡図案にも流行があって、最近は妖精と花が人気なんだ。まあ、たいていは昆虫の羽が生えた創作上の妖精なのだけど、あのハンカチに刺されていた刺繡は、少々違った」


『──ねえホワイトさん、見てくださいな。今は妖精の刺繡が流行はやっているのはご存じ?』


 ローザが青薔薇ブルーローズに来た当日、客の貴婦人が、楽しげに話していたのを思い出す。

 ただ、ローザはハンカチの刺繡は見せてもらったが、妖精ということ以外はよくわからなかった。

 しかしアルヴィンにとって、描かれている妖精の違いは明確だったのだ。


「以前お店にいらした奥様もスカーフに刺していらっしゃいましたね。あの妖精と、何が違ったのでしょうか」


 ローザが問いかけたとたん、彼の銀灰の瞳がぐっと輝きを増した。


「ハンカチに刺されていた妖精は、小さなブルーベルと戯れ楽器で音楽を奏でていた。あれはシーリー・コートと呼ばれる妖精をモチーフにしたものなんだ。シーリーは〝祝福された〟という意味の言葉で、良き行いをする妖精の総称だよ。店内のフィギュリンに、昆虫の羽が生えていないものがあったのを覚えている? どんな特徴だったかな」


 フィギュリンは陶器で出来た人形のことだ。ローザは棚に並べられた妖精を思い出す。


「たしか……金髪で、踊っていたり楽器を弾いていたりする、手のひらに載るようなわいらしいものが多かったと思います」

「正解だ。彼らが人々が抱いている妖精のイメージの原形であり、図案の主流になっているんだ。妖精の図案を流行らせたのは、この仕立屋ハベトロットだよ」


 一旦言葉を切ったアルヴィンは、めくっていた刺繡図案の一つで手を止めてローザに覗き込むよう促してくる。

 指し示されたものは、確かにハンカチに刺されていた図案だ。


「僕はあのハンカチの刺繡図案が、ハベトロットで発売された最新のものだと知っていた。つまり、コリンの探し人は、最新図案が発売されてから今までにハベトロットを訪れたご婦人の可能性が高い。だからハンカチに刺されていたイニシャルを頼りに顧客リストで住所を特定したというわけだ……っと、そんなに驚いた顔をしてどうしたの?」


 不思議そうな顔をするアルヴィンに、ローザは驚きが覚めないまま答えた。


「刺繡図案だけで、本当に見つけられたことに驚いて」

「ふふ、私もはじめは驚いたわ。彼は妖精に関するどんなさいな知識や情報も、余すところなく収集しているのよ。妖精学者フェアリースコラーの名に恥じないと思わない?」


 ミシェルがあきれとも感心ともつかない声で語る。

 ローザは改めてアルヴィンを見上げた。この一週間、ずっと少々ズレた不思議な青年だと感じていたが、それでも妖精についての知識の深さは本物だ。


「僕はただ、妖精という神秘を信じたいだけなんだよ。とはいえ本人に返すまでがコリンの頼みだ。まずは合っているかコリンに確かめてもらおう。さあローザ、店に戻ろうか」


 自分の成したことが当然とでもいうように平然としているアルヴィンは、そう語るとローザを促した。






 つじしゃを使い店に戻ると、ちょうどコリンが店先で所在なさげに立ち尽くしていた。


「コリンくん、待たせてごめんなさい」


 ローザが馬車から降りるなり声をかけるが、コリンはぎょっとしたように後ずさった。戸惑っていると、コリンはためらいながらも、話しかけてくる。


「お、お嬢さま、誰かと間違っちゃいません、ですか」


 コリンとは一週間前に知り合い、従業員と紹介されたから、顔見知りなのだが。

 彼の見知らぬ者に向けるまなしに、ローザは勝手に身がすくむ。

 だが、アルヴィンが後ろから支えるようにのぞんで言った。


「ローザ、コリンは気付いてないよ。人の印象なんてこれくらい変わるんだ、面白いね」

「……えっこのお嬢さま、あのおどおどしたガキか!?」


 アルヴィンの言葉でようやく気付き、コリンは目をいた。即座にまじまじとローザを見つめてくる。

 その視線に、ローザはいつもと違う居心地の悪さを感じる。だが同時にずっと体にあった息苦しさが、ほどけていくような気がした。


 ローザに驚いていたコリンだったが、はっと我に返ると襟元からひもをたぐり寄せる。


「ちゃんとおれは約束を守ったぞ。あんたから預かったもんは、売ってねーし傷ひとつつけてねえ。今度はあんたが守る番だ」


 引き出した巾着の中から、ころりとコリンの手のひらに転がったのは、確かに花畑の意匠のブローチだ。

 ブローチを受け取ったアルヴィンは、いつもと変わらない微笑のままコリンに言った。


「僕も『妖精のような人』の居場所を見つけたよ」

「っほんとか!」

「例の物は持っているね? よし、ではこれから確認しに行こう。さあ馬車に乗って」

「えっお、おい!?」

「もちろんローザも付いてきて」

「わ、わかりました」


 にっこりとしたアルヴィンは、コリンの背中を押して馬車へと乗り込ませる。


 馬車なんて乗ったことはないのだろう。

 出発した馬車にびくつき、向かいの席で虚勢を張ろうとしつつも所在なさげに縮こまるコリンに、アルヴィンは手を差し伸べる。


「目的地に着くまでにもう一度、返したいブローチを見せてくれるかな。この間は少ししか見られなかったからね」


 もう否やはないようで、コリンは例のブローチを取り出して、アルヴィンに差し出す。

 アルヴィンは懐から出した手袋をはめて慎重に受け取ると、じっくりと観察を始めた。隣に座っていたローザもそれを見守る。

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