第10話 青薔薇の装いを

 それから一週間、ローザはみっちりと店の商品に関する知識を教え込まれ、会計の仕方、立ち居振る舞い方まで教えてもらった。


 はじめの三日は怯えが抜けず、用意された椅子に座っていることしかできなかった。

 しかし、紺のドレスを着て店の隅に座る自分を、客達はほとんど気にしなかった。


 一様にアルヴィンが従業員を雇ったことに興味を示すが、まず「どこかの商家のお嬢さん?」と聞かれる。むしろ外見と年齢の違いに驚かれるほうが多いだろうか。

 ローザが黙って座っていることも、ここでは「静かに商品を眺めさせてくれる良い店員」と評価される。

 この店では、こちらから話しかけず、訊ねられたことに答えられる方が良いのだ。


 そう気付いてからは、人と話さない部分の仕事はあまり気負わずこなせるようになった。

 客のために紅茶を運んだり、商品のこんぽうをしたり、手入れをしたりという雑用だ。

 所作に関しては、アルヴィンにすぐ及第点をもらえた。


 思い出したのは母の教えだ。


『相手に一番見られるのは、手元ですよ。だから指をそろえて、なるべく両手で扱うの』


 動くときには一呼吸置くこと。

 姿勢はまえかがみにならないよう気を付けること。


 今まではきびきびと素早く動かなければ、怠けていると叱られた。

 だが、ここでは母の教えを実践した方が褒められる。

 今までにないことで、ローザはうれしさに頰が緩む。


 それに、アルヴィンの動きも参考になった。

 きびきびというより、自然と視線が吸い寄せられるような柔らかな動きは、とても目に心地が良い。





 上達ぶりは一週間後、再び訪れた仕立屋ハベトロットで、ミシェルに驚かれたほどだ。


「本当に、あなた労働者階級ワーキングクラスだったの? こんなに早くむとは思わなかったわ」


 試着室の仕切り板を隔て、渡されたものを身につけながらローザは答えた。


「物心ついた頃から、間違いなく、ハマースミスで暮らしておりました。丁寧に振る舞いなさいと母に教えられましたけど。ただ仕事先では『お高くとまってる』とよく言われました。頑張って口調を乱暴にしようとしたこともありますが、うまくいかなくて……」


 それもまた言葉が詰まる要因になっていた。なんと答えたら良いか、考えている間に相手をいらつかせてしまう。変えられたのは、一人称くらいなものだろうか。


 だが青薔薇ブルーローズでは、ローザの発音は気にされない。

 もちろんまだ、うまく話せないことは当然あるが、そんなときはアルヴィンが補助をしてくれる。

 なにより、普段のローザのまま話して良いと肯定されて、今ではかなり気構えずに話せるようになっていた。


「わたしが言うのも恐縮ですが、とても働きやすいのです……着終わりました」

「水が合っていたのかしらね。確認するからこちらへいらっしゃい」


 ミシェルの声に、ローザは恐る恐るパーティションの陰から出てくる。

 すると、ミシェルは満足と感嘆のため息をこぼした。


「アルヴィンの見立てはすごいわね。ちょっとここまでの原石だとは思わなかったわ」

「げんせき、ですか」

「自分で見てみると良いわ」


 ミシェルは、ローザを壁の姿見の前へ立たせる。

 鏡の中には、青いドレスを着た一人の淑女がいた。


 ドレスはジャケットとスカートのツーピースになっていて、どちらも鮮やかだが、落ち着きのある青のタフタで作られている。

 ジャケットは男性のように襟元が開いているが、下に着たシャツの装飾的な襟がのぞいていて、品良くきちんとした印象を醸し出している。

 胸元にきゅ、と結ばれた水色のリボンタイも愛らしい。スカートはオーバースカートとは違う青の布で作られており、薄い水色のフリルとリボンが華やかでれんだ。

 ドレープが寄せられて、さらに下に重ねている若草色のスカートが覗いているが、ボリュームは抑えられており、着心地は驚くほど軽い。


 なによりどこもかしこも小さなローザにぴったりで動きやすい。

 落ち着きがありながらも、軽やかなドレスだった。


 今のローザはどこからどう見ても、誰も花売り娘だったとは思わないだろう。

 前髪を上げられているが、黒髪を結われた頭に小さな帽子が載っているせいか、大きな目も気にならない。

 ローザがまじまじと鏡を見ていると、銀髪の青年が映り込む。

 もちろんアルヴィンだ。


「ひゃっ。ど、どうして!?」

「ミシェルが許可してくれたから入らせてもらったんだ。きちんとノックはしたよ」


 全く気付かず呆然とするローザを、アルヴィンは目を輝かせて眺めた。


「やはり僕の見立て通りだ。とてもれいだね、ローザ」


 上機嫌なアルヴィンは、ごく自然にローザの手を取ろうとしたが、寸前で止まる。


「手を取っても良いかな」


 確認してくれるようになったのは喜ばしいのだが、改めて聞かれるとますます恥ずかしい気がする。

 手放しに褒められたせいで、顔が熱いローザがしゅんじゅんしていると、こほんとミシェルがせきばらいをした。


「ドレスの説明をして良いかしら?」

「あ、申し訳ありません、ぜひ」


 ローザがうなずくと、ミシェルは今日も美しいドレスのスカートを揺らして近づいてきた。


「今回のオーダーは店の仕事着だから、スカートにはさほどボリュームを持たせない代わりに、形で華やかさを出したわ。それからローザ、もっと近くに来て」


 ローザの前に膝を突いたミシェルは、折り重なるスカートの内側を探ると、下がっていたクリップを取り出す。

 そして後ろに流れるスカートのトレーンをたくし上げ、クリップで挟む。

 すると、足下からローザが履いていた柔らかい革製の短靴が覗き、さらに歩きやすくなる。

 たくし上げられたスカートは、裾に施された柔らかなフリルと相まって、花束のように見えた。


 アルヴィンは、賞賛を浮かべ満足そうにする。


「ますます青薔薇のようだね。良い仕事だよ」

「ふふ、あなたはいつも笑っていてわかりづらいけど、褒め言葉は素直だから嬉しいわ」


 得意げにしたミシェルは、ローザに語る。


「こうすれば、裾も引きずらずに動けるでしょう。この上からエプロンをしても調和はとれるし、なにより、ジャケットとシャツ、スカートとオーバースカートを分けてあるから、追加で仕立てても組み合わせられるわ。あなたは上流階級アッパークラスじゃないのだし、季節ごとにパーツを一つ増やすくらいがちょうどいいでしょう」


 細やかな部分にまで気を配られた一品に、ローザはなんだか胸がいっぱいになってしまった。肌触りのいドレスをでる。


「そうだね、外回りも少なくないから、夏はもう少し薄手のジャケットが良いだろうし、冬になれば防寒具も必要だ。その時はまた世話になるよ」

「ええ、いつでもいらっしゃい」


 当然のように先の話をするアルヴィンに、なんと言って良いかわからずローザは彼を見上げる。

 このドレスの支払いは、アルヴィンがすることになっていた。

 さりげない話の中でも、ローザは彼が自分を従業員として扱う意図を感じた。

 ローザは美しいドレスをもらったことよりも、居ても良いと肯定されるような言葉が嬉しかった。


「ではローザ、店に戻ろうか。おそらくコリンも来ているだろう」


 彼の言葉で、ローザは今日が調査の期日だと思い出す。

 アルヴィンは時折外出していたものの、調査らしい調査をしている様子はなかった。


「あの、ブローチとハンカチの持ち主は、見つかったのですか」

「見つかったよ」


 あっさりと肯定されてしまい、ローザは一瞬理解が遅れた。

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