第8話 花は微かに綻んで


「えっ!?」


 あまりに驚きすぎて見上げてしまったが、ミシェルは平然としている。


「隠しているわけじゃないんだけど、あなたみたいに気付かない子も居るから確認しているのよ。で、どう?」

「だい、丈夫ですけど……」


 ローザが洗われている間に、ドレスの丈詰めを終わらせるほどの人である。とても職人としての意識が高いのだろう。

 ローザの母も、仕立屋の下請けをしていたから、職人の気質や矜持はある程度わかるつもりだ。だからうなずくと、ミシェルは淡々とローザの胴から腕のあたりをでていく。


「コルセットを使うにしても、ちょっと細すぎるわね。美しくドレスを着るにはある程度肉が必要なのよ。今のサイズで仕立てたら、すぐにきつくなるわ。少し幅を持たせときましょう。アルヴィン、ちゃんと面倒を見る気があるのなら、ご飯を食べさせてね」

「クレアが張り切っているから大丈夫だ。とりあえず今着ている服はもらっていくよ」


 ローザは衝撃で忘れていたが、二人のやりとりで、入店時にアルヴィンが「制服を仕立てる」と言っていたことを思い出した。あれは本気だったのだ。


「あああアルヴィンさん! どどどどうして服を!? わたし払えませんっ」

 動揺でうまく言葉にならなかったが、アルヴィンは察してくれたらしい。

「従業員として必要なものを僕が準備するのは当然だから、気にしなくて良いよ。僕は、君が店に立つ姿が見たいんだ」

「……どうして、ここまでしてくださるのですか。こんな小汚い労働者階級ワーキングクラスの子供っぽい娘。お店に出たら、迷惑をかけてしまうだけなのに」


 彼の思惑がわからず、ローザはうつむくことも忘れて、借り物のスカートを握る。

 すると、アルヴィンは心底不思議そうにした。


「そんなに変だろうか。君は物も丁寧に扱うし、歩くのも静かで、言葉も所作も綺麗だ。ともすれば店に来るご婦人達よりもずっと上品だよ。それに僕の店が嫌なわけでもないよね。しきりに身なりを気にしていたから、まずは服を整えようと思ったんだよ」


 まさかそのように言われると思わず、ローザは顔が赤らむ。

 言葉をなくしていると、かすかな驚きを込めてミシェルも答えた。


「ええ、ちょっと驚きなのだけれど、話し方も歩き方もとてもれいよ。話し方だけなら、目をつぶれば上流階級アッパークラスの淑女に聞こえるわ。少なくとも着替えた今のあなたを、労働者階級だと思う人は居ないでしょうね」


 ミシェルにまで肯定されて、ローザはどうしていいかわからない。

 アルヴィンはミシェルの言葉にうなずきながら言った。


「君は、僕とクレアとの会話から僕が物を動かされたくないことを把握して、バックヤードを掃除してくれたね。このことからも、僕は君がお客さんの意図を汲み取って行動できると考えている。すぐにうまく働けなくても、君自身が考えているほど接客ができないとは思わないんだ」


 視線を合わせるように身をかがめた彼は、銀灰の瞳で、あらわになったローザの瞳を覗き込んだ。


「だからね、君がどうしてうつむくのか。君が怖がる理由を教えてくれないかな。僕に解決できることはある?」


 なぜ、この人はこんなに優しくしてくれるのだろう。

 諦めのため息をついて、もう帰ってくれと言ったってなんらおかしくはない。

 実際、花売りに誘われる前に受けた仕事の面接では、ローザが口ごもったとたん、不採用と追い出されたこともある。


 しかし、アルヴィンは解決しようと、理由を教えてくれと言ってくれる。

 わかってもらえるかは、わからない。ローザは恐る恐る唇を開いた。


「わたし、は、外見も良くないし、おどおどしているのが不愉快だと言われることも、多いのです。だから皆さんを不快にさせないよう、一生懸命考えていたら、言葉に詰まるようになり、視線も怖くなりました。ですが……」


『あなたの目は──……』


 母の悲しい表情が記憶の中からよみがえり、無意識に目を押さえる。

 周囲と同じ言葉を話せず、同じように動けないローザは、奇妙で気味が悪い存在として忌避された。

 縮こまって不快にさせないことだけを考えておびえていて、だからずっとブラウニーと呼ばれていた。

 表に出る仕事なんて、自分がするべきではないと思っていた。


 けれど、アルヴィンがローザを語る言葉には、うそがないとも感じる。


 信じてみても、いいだろうか。


 ローザは、息を、吸って、吐いて、それでも震える声を、絞り出した。


「ごめいわくを、かけてしまうかもしれませんが、働きたいのです。頑張らせて、いただいても良いでしょうか……」


 もう、後がない。ローザはどんなところでも、働かなければいけない。

 けれど、働くのであれば、青薔薇骨董店ブルーローズアンティークで頑張りたいと思ったのだ。


 たずねることだって、ローザにはとても勇気が必要だった。

 体がこわばり、不安で心臓が破裂しそうだ。


 祈るような気持ちのローザに対し、アルヴィンはあっさりと一つ頷いた。


「もちろんだよ。僕は青薔薇のような君が良い」


 ローザの胸に熱いものがこみ上げてきて、ぐっと唇を引き結ぶ。そうでもしないと安堵で泣いてしまいそうだった。


「ありが、とうございます……」


 なんとか絞り出した感謝の言葉に、アルヴィンは不思議そうにしたが話を戻すようだ。


「要するに君は、人を不快にさせるのが怖いから自信がないんだね。それならある程度対処できる。自信は対応できる余力があるか否かで変わる。青薔薇での対応は僕が教えられるよ。ひとまずは、商品の知識かな」

「アルヴィン、常々考えていたのだけど、あなた普段はどんな風に接客しているの」

「これが欲しいと言われたら売る。買い取りを依頼されれば鑑定して適正な値段を出す。あとは、少し談笑するというところだろうか。ただ男性や、一部の女性は会話の最中に怒って退店してしまうことも少なくないんだ。だからローザも気構えなくて良いよ」


 それは、安心して良いのだろうか。ローザはそこはかとなく不安を感じながらも、アルヴィンの言葉で、なんだか肩の力が抜けてしまった。


 ただ、ミシェルは頭痛を抑えるように頭へ手をやる。


「やっぱり。あなた、細かい機微まで読み取るかと思ったら、時々びっくりするほどぶしつけになるものね。乗りかかった船だし、接客に関しては私の方でも教えましょう」


 アルヴィンはよくわかっていない様子で「ありがとう」と礼を言っている。


いデザインが浮かんだから、注文にはすぐ取りかかるわ。実はドレスが一つキャンセルになったから予定も空いてるの。十日……いいえ一週間後くらいで良いかしら」

「僕は運が良いな。時期的にもちょうど良いし是非お願いしよう。さすがハベトロット。糸紡ぎだけではなく仕立ても一流だね」

「ふふ、私をハベトロットにしてくれた、あなたのおかげよ」


 とんとん拍子に話が進んでしまい、ローザはぼうぜんとアルヴィンを見上げる。


「良いの、ですか」

「もちろんだよ。僕はね、あの時のように、君の瞳がまた輝く姿が見たいんだ」


 アルヴィンはほほみのまま、だがどこか上機嫌そうに語る。

 ローザはどきどきと緊張に体の芯が縮こまるのを感じたが、ふと思う。


「ブラウニーではない」と語る彼に、ローザの瞳は一体どんな風に見えたのだろう。



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