第7話 仕立屋「ハベトロット」
だがしかし、その幸せな気持ちは
フロックコートに帽子を
そんな彼は
店内は、美しいものを美しく詰め込んだ空間だった。
最新流行の様々なドレスが着せられたトルソーや、目が覚めるような色鮮やかな布が棚に詰め込まれ、リボンやレースが所狭しと並んでいる。目に楽しい華やかな光景だ。
従業員らしき女性達も、色味としては地味でも、よくよく見ればドレスの形は凝っている。
きびきびと働いており、一つ一つの所作も洗練されていてローザは目を見張ったが、それも、彼女達がこちらに気付くまでだ。
このようなところ、ローザが来てはいけない場所の最たるものではないか。
ローザがそう思っても、アルヴィンに片腕を
すぐさま奥から現れたのは、華やかなドレスに身を包んだ妙齢の人だった。
首元まできっちりと襟が詰まり、腰の後ろあたりでスカートが膨らむのは流行のバッスルスタイルだ。
しかし全体的なシルエットはすんなりとしていて、斬新さを感じさせる。ローザの素人目でも素晴らしいドレスは、その人の美しさを引き立てていた。
淡い
その人は、銀色の美貌のアルヴィンに気付くと、ぱあっと表情を輝かせた。
「アルヴィン! 私のミューズ!」
「やあ、ミシェル。相変わらず美しい装いだね」
アルヴィンにミシェルと呼ばれたその人は、得意げな顔をする。
「ふふ、当然でしょう? この仕立屋ハベトロットは、女性を幸福にするドレスを仕立てるんですもの。店主の私が、美しくなければどうするの。……で、今日はどうなさったの? ずいぶん珍しい子を連れているみたいだけど」
異国の
好奇心と値踏みの気配を感じたローザは、不快ではないものの反射的に下を向く。
そんなローザの両肩にぽん、とアルヴィンの手が置かれた。
「実はね、このローザが青薔薇の従業員になったから、制服を仕立てて欲しいんだ」
「まあ! ちょっとあなた顔を見せてちょうだい!」
「ひぇ!?」
とうていうつむいていられず、ローザはアルヴィンを振り仰いだ。
しかし心底
ずずい、と華やかな美貌が
じっくりと眺めたミシェルはにんまりとする。
まるで、獲物を見つけた肉食動物のようだった。
「前々から感じていたけれど、あなた本当に美しい物を見つけ出すのが得意ね」
「褒めてもらったのかな、ありがとう。僕からの注文としては、働くための服だけど、彼女が一番綺麗に見えるようにして欲しい。色は鮮やかな青が
「そして美しさを引き出すのがとても上手」
「とはいえ、すべては磨いてからだわ。今のままじゃ、青薔薇に置いておくにはちぐはぐでみすぼらしい。サーシャ、マリア!」
ぱちん、と指を鳴らすと、即座に従業員の娘達が近づいてくる。
「二階のバスルームでこの子を磨いておいで。採寸もお願い。終わったらそうね、サンプルとして縫い上げた紺のドレスがあったわ。丈を詰めて置いておくからそれを着せて」
「かしこまりました! さあお嬢様、こちらへどうぞ」
「その、ふええ……!?」
「待つ間に、もう一つお願いがあるんだ。この店の刺繡図──……」
アルヴィンは、さらにミシェルと会話をしていたが、ローザはそれどころではない。
にこりと笑った娘達に、問答無用で二階の部屋へ連れて行かれたからだ。
あっという間に服を脱がされると、泡立てられた湯の中で丸洗いをされたあと、そこかしこを計られた。
髪も結い上げられ、良い香りのする化粧水を振りかけられる。
最後に首が緩やかに詰まった紺色のボディスと、
そこまでされたところで、なぜか上機嫌のサーシャとマリアに連れられて、応接間らしき個室に通される。
中では、アルヴィンとミシェルがテーブルに向かい話し合っていた。
テーブルには
しかしローザ達が現れると、手を止めて顔を上げた。
ローザが後ずさる前に、椅子から立ち上がって近づいてきたミシェルは、ローザを上から下まで眺めた。
「さすが私の従業員ね。前髪を上げたのは大正解よ。ありがとう。業務に戻っていいわ」
「あたし達もとっても磨きがいがありました!」
サーシャとマリアが笑顔を一つ残して去って行くのが、ローザにははっきりと見える。
そう、従業員の二人は、ローザの長い前髪を上げて留めてしまったのだ。
前髪がないために相手がしっかりと見えてしまうローザは、居たたまれずにうつむきかけるが、銀の髪が視界に翻る。
覗き込んで来たのは、もちろんアルヴィンだ。
くい、と顎をとられて、まじまじと見られる。
「とても綺麗になった。そうか、足りないと感じたのは整えていなかったからなんだね。これは僕が悪かった」
「ひえ、あの、その」
妖精のようなアルヴィンの美貌が間近になって、ローザは動揺するばかりだ。しかし、すぐさま彼の襟首が引っ張られて離される。
なんとか落ち着いたローザは、アルヴィンを引きはがしてくれたミシェルを見た。
「たとえ恩人でも、女性への無礼な振る舞いは許さないわよ。男性は、許可を取る前に女性に触れないの!」
「そうなのかい。店に来るご婦人達は楽しそうな反応をするから良いのかと思っていた」
「それはあなた目当てに来るからよ。普通は他人にいきなり距離を詰められると、警戒するものだし不愉快になるものなの」
「それはよくない。ローザにも嫌な思いをさせていただろうか」
アルヴィンに存外真剣に確認されて、後ずさりかけたローザだったが、ふるふると首を横に振った。
「あの、他意がないのはわかっていましたから……ですが、驚いてしまうので、できれば控えて欲しいです」
「あら、この人、表面上は人当たりが良いから勘違いする子も多いんだけれど、あなたはそうじゃないみたいね」
ミシェルに面白そうに語られたローザは、困り果てる。なんとなくとしか言いようがないのだが、確かな理由は一つだけある。
「今日、半日拝見しただけですが、アルヴィンさんの対応は、どのようなお客さんでも、変わりませんでしたから」
そう、コリンに対しても、ブローチを買っていった婦人に対しても、その前にいた老年の紳士にも一切言葉遣いも距離感も変えなかったのだ。
ならば、ローザに対する態度はけして特別ではないと理解するには充分だった。
そこでローザはアルヴィンに良いと言われたまま、話しやすい言葉使いで話していることに気付き、口を押さえる。
恐る恐るミシェルを
「そう……頭の回転も良いのね」
小さく
「ローザでいい? ねえ、あなたの体に触っていいかしら。数字はわかったけれど、実際に触れて確かめたほうが、よりあなたに合う服が作れるから」
「え、ええと、構いませんが」
確認してくれるのはほっとするが、そこまで気にすることなのだろうか。
戸惑ったローザに、アルヴィンは納得の声で言った。
「なるほど、君はいつもそうやって女性の意思確認をしてるんだね。同じ男として参考になるよ」
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