第6話 解釈と想像の中に
いくつか質問をしたあと、アルヴィンはコリンを帰した。
万年筆で手帳にさらさらと書き記す彼に、ローザはおずおずと声をかける。
「ホワ……アルヴィンさん。本当に、彼の人捜しを引き受けて、くださるのですか」
名前で呼んでくれと願われたことを思い出し、言い直した。
だがアルヴィンは気にした風もなく、ハンカチの
「引き受けるし、調べるよ。むしろ
確かに、妖精は花から生まれ、草花や木々を元気にさせる力を持つとも言い伝えられている。
なにより妖精は様々ないたずらと同時に、幸福を授ける存在でもあった。
このエルギスでは装飾としてだけでなく、お守りとしても花や草木の意匠には妖精が添えられることがよくある。
ローザは、先ほどアルヴィンが語った言葉が引っかかっていた。
「アルヴィンさんは、わたしにも妖精に会いたいと、おっしゃっていましたが……」
本気なのか、とまではさすがに言葉にできなかったが、彼はローザが目を伏せた反応で理解したらしい。
「そうだね、産業革命によって著しく文明が発展したエルギスの人間は、妖精を空想上の存在と考えている。僕も
「えっでは、なぜ……?」
まさか自ら妖精を否定するとは思わず顔を上げると、アルヴィンは屈託なく語った。
「僕はね、妖精の大半は得体の知れない現象や存在に、過去の人々が納得できる説明を付けようと解釈した結果、生み出されたものと考えているんだ。あるいはしつけや教訓を効果的に伝えるために利用された。たとえばプーカを知っているかな。子供を寝かしつけるときに必ず使われる脅し文句に出てくる妖精なんだけど」
「『よい子にしていないと、クロゼットからプーカが現れるよ!』というものですか」
ローザは母から言われたことはないが、近所に住んでいる子供が、そう脅された結果、部屋で眠れなくなったのを思い出す。
「あれはね、なかなか眠らない子供を寝かしつけるために母親達が生み出した説が有力だ。他にも科学で解明される前の自然現象が妖精の仕業と語られることもあるし、偶然の符合で生まれた妖精も少なからずいる。人はそうして妖精を利用してきたとも言えるね。だから、本物と偽物の境はとても曖昧なんだ」
アルヴィンは、先ほどまでの浮き世離れした様子とは打って変わり、銀灰色の瞳に理知的な色を強く感じた。
全く違う人のようにすら思え、ローザは彼を見上げるしかない。
「そういった解釈と想像の妖精達の中に、ほんのひとかけら、本物の神秘が混ざっている可能性がある。だからこそ、僕はより多くの妖精の話を収集するんだ。真偽は僕が読み解けばいいからね」
「だから、コリンくんの話を受けてくれたのですか」
「そうだよ。あの子はまさに、妖精という大枠で僕を頼ってくれた典型だ。妖精に親しむ人が増えれば、たとえ本気で信じていない人々だったとしても『もしかして……』と考えて話を持ち込んでくれる。コリンは僕の試みが成功した
朗らかに語るアルヴィンに、ローザは少しだけ、彼に対する印象を修正した。
アルヴィンは本気で妖精に会うために行動していても、現実をちゃんと見据えているのだ。
それでも、やはり店の経営が副業と語るような変な人であることに違いはないが。
ローザは自分の考えに気を取られていたせいで、丁寧にハンカチを懐に入れたアルヴィンが向き直ったのに反応が遅れた。
「それに、今回の調査はローザに僕の仕事を知ってもらうのに、ちょうど良いと思ったんだよ。君がブラウニーじゃないと証明するためにもね」
「あの、別にわたしは、気にして、おりませんので……」
そこまでしなくともと思うのだが、アルヴィンは意外に頑固だ。
「そうしなければ、君に安心して働いてもらえないだろう? 僕はここにいてもらいたい。だからね、ローザ。今から出かけようか」
アルヴィンに確定事項で語られてしまったローザは、途方に暮れる。
その時、奥から低い声が響いた。
「アルヴィンさん、私の昼食を放置して、どこへ行くんです?」
ローザが振り返ると、笑顔のクレアが立っていた。
だがローザには、彼女が若干不機嫌なのが感じられた。
しかも、彼女からはおいしそうなグレイビーソースの香ばしい匂いが漂ってくる。
くう、とローザの腹が鳴った。
真っ赤になって腹を押さえたが時すでに遅く、アルヴィンが目を
「おや、ローザお
「普段は一日一食なのですが、昨日から、なにも食べていないのを思い出しまして……」
正直に言う必要はなかったのに、口が滑ってしまった。
ますますうつむくばかりだ。
最近、家賃を工面するために食事代を切り詰めていたのだ。
しかも今日の朝は
ローザの空腹を知ったクレアは、大きな声を響かせた。
「まあ、まあ! それはいけないわ! 最近は砂時計のような体つきがもてはやされますけどね、女の子がやせすぎるとろくなことがないんだから! じゃあ消化に良いスープも作りましょうね。アルヴィンさん、お腹を空かせたままのロザリンドさんを連れて行くなんて、私が許しませんからね!」
「そうだね、外出はお昼を食べたらだ」
クレアの言葉にアルヴィンも同意し、ローザは背を押されるように食堂へ向かう。
くぁ、と大きくあくびをした猫のエセルが、ローザの足下に絡むように続いた。
地下の食堂で出されたのは、ローストして薄切りにした牛肉をグレイビーソースで温めたものだった。
クルトンの浮いたスープは適度な塩気と奥深い滋味が感じられてお腹に染み、ジャガイモやパンがいくらでも入ってしまう。
母がいた頃でも、ビスケットと紅茶ですませていたのに、こんなに豪華な昼食は久しぶりだ。
アルヴィンのところでは、昼だけをしっかり食べるのだろうかと思ったのだが、クレアはさらに、夕飯も作るのだという。
「アルヴィンさんは食べられれば何でも良いって態度で、無頓着なのよ。だから温めれば食べられるものを用意しておくの。でもこれからはロザリンドさんの分も作るから、もう少し改善させてみせるわ」
「お腹が満たされたら、とりあえずは動けるからね」
「あなたはそれで良くとも、グリフィスさんはそういうわけにはいかないんです!」
クレアの熱い思いのおかげで、ローザは久々にお腹がいっぱいになったのだった。
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