第5話 金物修理の少年と妖精のような人

「おれは、街頭で金物修理の呼び子してんだ。金物修理だけじゃやっていけねーから、靴磨きとか雑用もすんだけどな。で、その最中に、へましちまってをしたおれにハンカチを貸してくれた奥さんが、このブローチを落としていったのさ。その人は妖精みてーに綺麗な人だった。あんたにだって負けねぇ」


 コリンはまるであらかじめ用意していたかのように、とうとうとまくし立てる。


 ハンカチについている汚れは、傷を押さえた時のものか、とローザは納得した。血液は洗濯の手順を間違えるとなかなか落ちないのだ。


 話の間もしげしげとコリンの手元を見つめていたアルヴィンはブローチに手を伸ばすが、彼はすぐに手を引いた。

 警戒心もあらわに、アルヴィンを睨み付ける。


「どうして逃げるのかな」

「おれはまだあんたを信用してねえ。言いがかりをつけてるかもしれねーだろ。おれは、ハンカチは貸してもらったし、ブローチも拾っただけだ。あんな妖精みてーな人から物を盗むわけがねーじゃねえか! この話を受けるって約束してくれなきゃ渡せねーな」

「なるほど。君は、僕がこのハンカチとブローチが盗品だと疑うと考えているのだね」

「知ってんだよ。お上品なやつらはみんな、おれみてーなガキはスリだと思い込んでっからな。おれには立派な仕事があんのによ! 取り上げて売り払われちゃ困んだ!」


 吐き捨てたコリンの言葉は、全くその通りだった。

 このエルギスには純然たる階級がある。


 アレクサンドラ女王陛下に仕え、爵位と領地をいただき国政を動かす貴族達上流階級アッパークラス

 爵位は無くとも、財力や才覚によって貴族にも劣らぬ影響力を持つ紳士ジェントリ中上流階級アッパーミドルクラス

 つつましくも、豊かな生活を送る中流階級ミドルクラス

 そして、豊かな生活を送る人々を支え、日々の食事のために必死に働く労働者階級ワーキングクラス


 階級によって自然と利用する町や店は分かれており、パブ一つ取っても、中上流階級が利用する店と、労働者階級が騒ぐ店は違う。


 だからローザは、明らかに中上流階級向けの店だった青薔薇骨董店ブルーローズアンティークを前にしてひるんだ。

 コリンの場合は利用するどころか、近づこうとすら思わない店のはずだ。


 だから、たいてい店主も信用しない。

 分不相応な客は、けんもほろろに追い払うか、いいように利用するだけだ。

 この少年は、それをよく知っているのだろう。


「そんで、受けてくれんのか、くれねーのか。もちろん報酬は払うぜ。ここはまあ、信用の世界だかんな。前金で出す」


 ブローチを脇にあったテーブルに置いたコリンは、懐から巾着を取り出すと、ざらざらと硬貨を取り出した。

 一つ一つの額は小さいが、それなりの量である。

 コリンにとっては一カ月分の給料になるのではないだろうか。


「なあ、金も出すんだ。おれを客と扱ってくれよ!」


 ローザはコリンのつっけんどんな態度が、虚勢だと感じていた。

 彼の言葉は労働者階級らしく乱暴だったが、それは自分が傷つけられることを怖がり守るためのもの。

 必死さは本物で、頼み事をしたいのもおそらく本当なのだろう。

 昔から、ローザは人の感情に敏感だった。

 母が表情に乏しい人だったせいなのか、それとも視線に過剰に反応してしまうせいなのかはわからない。

 ただ相手の気持ちを言い当てて、気味悪がられたことがあるほど、相手が何を感じているのか察することができた。


 だから、コリンは本当にアルヴィンを頼ってきたのだと納得をする。

 けれど、はたしてアルヴィンはどう受け取るのだろうか。


 ローザがアルヴィンの陰で見守っていると、アルヴィンは机にばらまかれた「前金」を見て、ふむと顎に手を当てる。


「落とし物なら警察に行くのが順当だと思うけど……」

「サツなんざ信用できっかよ! あいつらおれをぶん殴るだけだぜ!」

「まあ、そういう警察ばかりではないとはいえ、世間ではそのように捉えられているね。だから警察以外の調査機関を頼ろうとしたけれど、この金額では、探偵に依頼するにしても難しい。それとも、探偵には行って門前払いをされただろうか」

「っ!」


 息をむコリンに、アルヴィンはずいと身を乗り出すと、いきなり手をとる。

 ああ、この対応は自分だけではないのだな、とローザは妙に感心した。


「視線がそれて手汗もかなり多くなっている。この推測は合っているようだ。ところで、君が握りしめているハンカチが汗でれてしまうけど、大丈夫かな」

「なっにすんだよ!」


 焦ったコリンは手を振り払うが、手汗は気になったようで、ハンカチはそっとテーブルに置く。

 アルヴィンは手を振り払われたのを気にした様子はなく、ほほみのまま続けた。


「それと、僕は探偵ではないから、報酬はいらない。欲しいのは妖精が絡む出来事だけだ。だから受けようか」

「……は?」

「えっ」


 あまりにもあっさりと了承されて、ローザもまた驚きの声を上げる。

 コリンはそこでようやく、アルヴィンの陰にいたローザに気付いたようだ。

 いぶかしげにじろじろと見られてローザは縮こまる。

 だが、アルヴィンの了承が本気なのか気になり、彼をそろりと見上げた。


 ローザの目には横顔しか見えなかったが、彼の気ままな態度は変わらず、テーブルに置かれたハンカチを手にとり、刺繡をじっくりと眺めている。


「お、おいっ大事に扱えよ! てか本当に受けてくれんのか!?」

「手がかりとしては、ハンカチでなんとかなりそうだ。なにより、君はその奥さんのことを『妖精のような人』と称しただろう。僕としてはとても気になるね」

「はあ!?」


 期待と好奇心に満ちたアルヴィンに、コリンはハンカチを取り返そうとする手を止めてあっけにとられる。

 しかし、コリンをじっくりと眺めたアルヴィンは困ったように眉尻を下げた。


「とはいえハンカチは必要だ。僕を信用してもらうためにも……うん、これがいか」


 アルヴィンがショーケースの中から取り出したのは、華やかな色彩のエナメルで着色されたブローチだった。えんけいの表面には、驚くほど細かく庭園が描かれている。


「エナメル製のブローチだ。春の庭園を再現した細工が秀逸でね。ハンカチを預かる代わりに渡しておこう。終わったら返してくれれば良いよ」

「えっあっは!?」


 ブローチを入れた革製の巾着袋を差し出されたコリンは、絶句してアルヴィンを見上げる。

 当然だろう、少なくともコリンが前金と称して出した金額より、明らかに高価なものをぽんと出されたのだから。


「あん、た、なんで、おれを信じてくれんだ……」


 コリンは信じられないとばかりに、恐れを感じさせる表情で口にする。

 銀色の美しい青年は、不思議そうに小首をかしげるだけだ。


「君は、この店に入ってくるときからずっと緊張をしているだろう? その眉間のしわから口角のこわばり、先ほど握った手の冷たさまで、恐怖を如実に表している。声は震えていて虚勢を張っていると知るのは簡単だ。はじめは隠し事があるのかと考えたけれど、君が『妖精のような人』について発する声の調子から、物品を返したいこと自体にうそはないと判断できる。そもそもだけど、返したいと噓をついて君に益があるのかな」

「いや、なんも、ねえけど……」


 コリンが気が抜けたような声を漏らす。

 確かにそうだ。普通の中流階級なら、頭ごなしに否定するというだけで。


 ただ、とローザは思う。

 彼は夕方から出てくる花売りがしょうだという話も知らなかったほど世間ずれをしていない。

 そのせいで、言葉通りに受け取ってくれたのかもしれない。

 

彼の言葉は、驚くほど率直だが、同時に驚くほど噓がないのだ。

 ローザは改めて、アルヴィンは普通の中流階級と違うのかもしれないと思い始めた。


 その間も、アルヴィンは滔々と語る。


「僕は妖精に出会える可能性があるのなら、一つも逃したくない。君の話は確かに少々目的から外れるけれど、布教活動と思えば許容範囲さ」

「おれ、妖精なんて、信じてねー……」

「それは知っている。けれど、僕を頼ってくれたということは、妖精についてならここだと思ってくれたのだよね、それで充分だ。さあ、どうする?」


 唾を吞んだコリンはしゅんじゅんしていたが、きっと目をつり上げて、巾着を受け取った。


「わかった、おれの誇りにかけて、絶対傷つけずに返す。けど、ブローチはまだ渡せねー。だからあの人を見つけてくれたら、渡すってことでもいーか」

「もちろんだ。一週間後にまたおいで」


 アルヴィンは穏やかな微笑みのまま、了承したのだった。

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