第4話 妖精学者の解き明かし



「ローザ」


 背後から名前を呼ばれ、ぞうきんを動かしていたローザははっと振り向く。

 入り口にはいつの間にかアルヴィンがいて、しげしげと室内を見渡していた。


 ようやくローザは、軽くのつもりが本格的に掃除をしてしまっていたと我にかえり、余計なことをしたと青ざめた。


「あの、あのあの、無断で……じゃなくて、か、勝手を……」

「待って、ローザ。君が言葉に詰まるのは、発音と言葉を選んでいるからだろう?」


 言葉がうまく出てこず焦っていたローザは、アルヴィンに指摘されて口を噤んだ。

 確かに発音が気取っているとよく言われるから、発音と言い回しを選んで遅れがちになり、まともにしゃべれないという悪循環に陥っていた。

 さほど言葉を交わしていないはずのアルヴィンに、指摘されるとは思わなかった。


「どう、して」


 驚いたローザが見返すと彼はほほんで言った。


「君が詰まるのは、なまりが出やすい単語や言い回しの時ばかりだからね。ここでは君が話しやすい言葉使いで良い。僕は気にしないしクレアもそうだ。君の発音は綺麗だから」


 賞賛の言葉にローザが面食らっていると、アルヴィンは感心した様子で続けた。


「それに、バックヤードを掃除したことも、驚いたけれど構わないよ。荷物の位置は一つも変えていないみたいだ」


 彼は置いてある瓶を手にとり、問題ないことを確認するとますますうれしそうにする。

 ローザは、本当に良いのだろうかと思いつつもおずおずと話しかけた。


「物を、動かされるのはお嫌いだと、聞いており、ました。高価なもの、ばかりですし、品物には手をつけず、埃を掃いて床も磨ける範囲で磨きました。怒って……おられませんか」

「うん、その言葉遣いのほうがずっと良い。怒っているかはわからないけれど、この空間は心地よいと感じているよ。クレアは料理はおいしいけれど、おおざっぱなところがあるから、僕が頼んだ分類にはしてくれないんだ。けれど君は埃もちりも綺麗にして、床まで磨いているのに、物はそのままだ。まるでブラウニーみたいに掃除上手な働き者だね」


 こわごわと、楽な言葉使いにしたのだが、「ずっと良い」と言われて肩の力が抜ける。

 さらに、アルヴィンが怒っていないと感じてどっとあんしたローザだったが、「ブラウニー」と称されて現実に引き戻された。


「品物の扱い方を覚えたら、手入れもしてもらえるかな。そうすれば僕も研究の時間を多く取れるかもしれないな」

「あの、ホワイトさんっ」


 ローザが思い切って呼びかけると、アルヴィンは初めて眉尻を下げる。

 それを忌避と困惑だと感じたローザは戸惑い、ぎゅっと箒の柄を握った。


「名字で呼ばれると自分だと思えないから、アルヴィンで良いよ。それでだけど」


 男性を名前で呼ぶなんて、とローザの顔は赤らむが、アルヴィンにずずいとのぞまれたことで、それどころではなくなる。

 さらに頰にまで手を添えられて硬直した。


「頰はこわばっているし、ずっと視線も合わない。体温も低いね。話していない時には口角も下がっている。恐怖と強い不安を感じているだろう? 何か嫌なことがあるのかな」

「嫌な、わけでは、ございません……」


 ローザは気まずい気持ちになったが、よい機会だと思い直した。


「わたしは、やはりこちらに相応ふさわしくないと、思うのです。わたしは、ブラウニーみたいに薄汚くて、醜い労働者階級ワーキングクラスです。お店に、いらっしゃるお客様が見たら、きっと幻滅してしまいます。わたしも、まともに目も合わせられませんし……本当は接客なんてできないのに、甘えてしまって……申し訳ありません」


 語るうちに、どんどん気持ちは沈んでいく。

 この国で身分の差というのは目に見えずとも厳然と存在する。このような店は、とうていローザがいて良い場所ではないのだ。


 高望みをしてしまったけれど、迷惑をかける前に、諦めよう。


 だが頭を下げるローザの頭上に落ちてきたのは、おかしそうな笑い声だ。

 ローザがよく聞いた、小馬鹿にするような笑いではなく、楽しそうな声である。


 あれ、と顔を上げると、アルヴィンが朗らかに言った。


「誤解をさせてしまったんだね。僕の言葉は仕事ぶりがブラウニーらしいという比喩のつもりだったんだ。けれどよかった。僕の店に入った時の君の表情は、頰が赤に染まって青い目も輝いていたから、気に入ってくれたのだと認識していたけど、間違っていないね」

「あのっその……はい」


 ローザの顔が真っ赤に染まった。まさにこの青薔薇に入ったとたん、こんなに美しい場所で働けるのかと胸が弾んでいた。

 前髪で表情が見づらいだろうに、アルヴィンはとてもよく見ている。


 当の彼はローザの羞恥をよそに、楽しげに銀灰の瞳を輝かせた。


「そもそもブラウニーは世間では醜い妖精くらいにしか思われていないけど、とんでもない。正当な報酬を用意すれば、家事を手伝ってくれると伝えられる、勤勉で家事好きな妖精だ。エルギスの各地方で伝承されていて、その土地ごとに特色があったりするけど、ここは割愛しておこう。大事なのは特徴と性質だ」

「は、はあ」


 じょうぜつな語りにローザは目を白黒させたが、彼は全く頓着せず生き生きと続けた。


「ブラウニーの由来は、茶色く毛むくじゃらな小さな人の姿をしているところからだ。茶色のぼろを着ている部分からも来ているね。……確かに小さいし茶色い服を着ているし、ローザにも当てはまるだろう」

「はい、そうですね……」

「おや? なぜ落ち込んでいるのかわからないけど……さあ、顔をよく見せて。君は、鼻がないわけでもないし、指に水かきがついているわけでもない。背は小さいけれど至って標準的な女の子だ。では性質はどうかだね。ローザ、こちらにおいで」


 手を握られ連れてこられたのは、再びの店舗部分だ。

 そこで、アルヴィンはローザに期待のまなしを向けて問いかける。


「ここはれいに整頓されていると思うけど、散らかしたくならないだろうか」

「そのようなこと思いませんっ!」


 こんなに美しい配置をしているのになぜ散らかす必要があるのか。動揺したローザが答えると、なぜか彼は少々残念そうにしながらもうなずいた。


「そうか……。ブラウニーはとてもひねくれ者な一面がある。散らかった部屋は綺麗にし、綺麗な部屋は散らかすと言い伝えられているんだ。そういう気持ちにならないのであれば、残念だけれど、君がブラウニーである可能性は低いよ」


 残念そうに肩を落としながらも締めくくったアルヴィンに、ローザはぽかんとした。


 彼はローザの比喩を、そのままの言葉として受け取った上で大まじめに否定してきたのだ。

 なめらかな語り口に圧倒されてしまったが、はっと我に返る。


「残念、なのですか?」

「ああ、残念だ。なぜなら僕は、妖精に会うためにこの店を経営しているからね」


 当然のごとく答えたアルヴィンに、ローザはまた言葉を失う。

 はじめはとても貴族的だと感じたが、ようやくに落ちた。


 この青年は、美しい外見とは裏腹に、中身はとても残念な変人である。


「いや、君がひねくれ者のブラウニーらしく、真逆の言葉を語った可能性もあるのか。ならこれは証明にはならないな……もう一つの理由も気になるし……」


 なぜかまた悩み始めてしまうアルヴィンだったが、カラン、とスズランのドアベルが響いたことで入り口を向く。


 ローザも同じく見ると、店舗に入ってきたのは、十一、二歳くらいの少年だった。

 ぶかぶかのジャケットの袖と、膝につぎあてのあるズボンの裾をまくり上げている。

 多少こぎれいにしている様子だったが、顔についている汚れが拭いきれていない。眉間にしわを寄せ、にらむようにこちらを見つめる頰には治りかけのあざがある。

 それでも、小さな頃から働いている子供特有のさかしげな様子がにじんでいた。

 ローザと同じ、労働者階級の少年だった。


 少年は奥にいるアルヴィンとローザに気付くと、硬い表情でずんずんと近づいてきた。

 そして、アルヴィンを下からぐうっと睨みあげる。


「あんたが、妖精のことならなんでも解決してくれる学者か」

「正確には妖精が関わる話を収集しているのだけど、妖精が関われば相談に乗っているのも本当だ。君の名前と、用向きは?」


 アルヴィンが微笑のまま問いかけると、少年はジャケットの内側から、布に包まれたものを取り出した。

 布は美しいしゅうが施されたハンカチで、中身は金属でできた精緻な細工物だった。

 えんすいけいをしており、おそらくは銀製だろう。銀の花弁で作られた花々が周囲を飾っていて、まるで花束のようだ。

 ブローチだろうか、とローザは思った。


 ハンカチは、茶色いシミができてしまっているが、縁には色とりどりの刺繡糸で細やかな刺繡が施されている。どちらも、素人目に見ても良い品である。


「おれはコリン。この落とし物を持ち主に返してーんだ。妖精学者フェアリースコラーならできんだろ!」


 少年のはきはきとした挑むような声に、ローザが改めて見直す。

 ハンカチに施された刺繡では、小さな子供のような妖精がブルーベルと戯れていたのだった。


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