第3話 場違いさに逃げ出して

 結論を語れば、全く大丈夫ではなかった。


 自分のスペースだといわれた椅子に座り込み、ローザは必死に渡された冊子に目を落としていた。

 頭に入っているかはわからないが、そうでもしないとこの場に居られなくなりそうだったのだ。

 客が来てしまったので、ローザへの説明は一旦中断し、アルヴィンは接客に向かった。それ以降、入れ替わり立ち替わり客が訪れて切れ間がない。


 現在店内では、流行の腰のあたりが膨らんだバッスル型のドレスで着飾った婦人達が、アルヴィンと歓談しながら品物を眺めている。

 いや主に、アルヴィンとの会話を楽しんでいるようだ。


「ねえホワイトさん、見てくださいな。今は妖精のしゅう流行はやっているのはご存じ? このスカーフに合うブローチを探しに来ましたの」


 肩のスカーフを外した婦人が刺繡を見せると、アルヴィンは興味深そうに見つめる。


「これはすてきな小さな人々だ。花と同じくらい小さく描かれているから、ピクシーがモチーフだろうね。きっとあなたを楽しい気分にもさせてくれるはずだ」

「ふふふ、ありがとう。妖精の意匠は仕立屋ハベトロットが出している図案が有名だけれど、この刺繡もなかなかでしょう」

「確かに。ただピクシーは少々いたずら好きな部分もあるから、そのままにしておくのは少し心配だね、それなら──」


 言いつつ、アルヴィンはショーケースから装飾品を一つ取り出した。

 まるで花束のような意匠の銀細工の地に色石がちりばめられたブローチを見て、婦人の目が輝く。


「このジャルディネッティのブローチはどうだろう。ジャルディネッティはリタール国の言葉で〝小さな庭〟を意味する、多くの小さな色石をちりばめた意匠だ。これだけ多くの花があれば、きっとピクシーも楽しんでくれるだろう」


 芝居のような浮き世離れした言い回しも、妖精のようなアルヴィンにはよく似合う。

 ジャルディネッティのブローチは、今見ている冊子に載っていた。

 ローザがページをめくると、値段と製作時期が書かれていて、ひそかに息をむ。


 あの一つで、ローザが一カ月はゆうに暮らせる。

 だが婦人は気に入ったらしく、買うことを即決したのだ。


「ええ、とても良いわね。気に入ったわ。包んでくれる?」


 アルヴィン達のやりとりを見ていた女性客二人組の会話が、ローザの耳に入ってきた。


「さすが妖精店主フェアリーマスターと呼ばれている方だわ。妖精に関することは何でも知っているもの」

「店主が若すぎるから、信用できないってパパは言っていたけど、悪い人ではないわ。妖精が関わるお話を集めている、というのは確かに不思議だけど」

「そうねえ、エルギスは妖精との契約で生まれた国だなんて言われているけど、ただの伝説だし。産業で繁栄している今では、ねえ」


 思わせぶりに語る女性客の話は、その通りだった。

 この店に来る人達は皆アルヴィンを「妖精店主」と呼ぶ。

 事実店舗には、花に紛れて妖精がモチーフに使われた調度品や小物が数多く並んでいる。

 妖精女王との契約をまとめた功績で、妖精公爵と呼ばれる貴族がいるらしいが、妖精自体はあくまで伝承だ。

 妖精は少し前までエルギス正教によって悪魔として排斥されていた歴史もある。科学工業技術によって国が繁栄した今では、おとぎばなしにしか残らない。


 だが、この店には多くの妖精が息づいている。その中で自身が妖精と称されてもおかしくないアルヴィンは、とても良くんでいた。


 ローザとは、大違いで。ますます自分のみすぼらしさが際立つようで、アルヴィンの「店に居てくれたらいと思った」という言葉には正直耳を疑うばかりだ。


「ちょっと、あの子……」


 女性客の一人の声に、ローザはびくんと体が震えた。

 きらきらした空間でも見劣りしない女性達が、身を縮めるローザを見つけてしまう。


 見なければ良いのにそっと顔を上げると、彼女達はこちらを見てひそひそと言葉を交わしている。視線にいぶかしげな色があった。やはり場違いだと、誰でも思うだろう。


 たまらなくなったローザは、立ちあがると扉を開けて奥へ逃げ込んだ。


 扉の先はバックヤードだ。表に並べきれない商品を置く場所だと説明を受けている。

 店舗と同じくらい広々とした空間には、まっすぐ歩けないほど所狭しと物品が並んでいた。大半が布や紙にくるまれているが、どれもが優美で高価な代物だろう。


 しかしながら部屋のあちこちはほこりまみれで空気が籠もっており、お世辞にも居心地が良いとはいえない。銀器は曇りきっており、並んでいる調度品もどこかくすんでいる。


 だが今のローザにとっては、きらきらした美しい空間よりずっとましだった。

 あたりを見渡すと、隅に木製のロッカーが置かれているのを見つけた。

 開いてみると、ほうきやモップと共に掃除道具一式が収められた木製の箱……お手伝いさんの箱ハウスメイズボックスがある。


 その中に、「トンプソンクリーニング社製」と書かれた磨き剤の容器を見つけて、ローザは少し複雑な気分に浸る。

 病弱な母を支えるため、小さい頃のローザはアパートの住民の家で掃除を請け負っていた。賃金は花を一つ売るのと同じくらいたいしたことはない。

 それでも掃除は一人で黙々と進められるため、ローザの性に合っていたのだ。

 その縁で、就職先も紹介してもらえたのだから、良い経験だったと思う。


 だから、こういった部屋を見ると、そわそわとしてしまう。


「埃を、掃くだけ、でしたら……」


 冊子をテーブルに置いたローザは、半ば無意識に箒を手にしていた。


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