第2話 花と妖精と一抹の不安

 軽やかなドアベルに迎えられ店舗内に入ると、ローザは緊張も忘れて周囲を見渡した。


 表から見るよりずっと広く奥行きがある店内は、植物のモチーフであふれていた。

 壁に据えつけられた棚には、背に昆虫の羽を広げた陶製の妖精があり、スミレの描かれたティーセットやディッシュプレートの周りを楽しげに踊っている。

 壁には、様々な大きさの油絵、水彩、素描、版画といった絵画が飾られているが、そのすべてが、なんらかの花々をモチーフにしていた。振り返るとドアの上部に付いていたドアベルは、スズランの形だ。


 店の一角に設えられているあめいろのテーブルの縁や脚には、優美な唐草模様が彫られている。椅子の座面も、意匠化された花模様の布が張られていた。

 店奥にある硝子張りのショーケースの中には、繊細な細工のブローチやコサージュ、イヤリング、ネックレスなどのアクセサリーが並ぶ。

 壁に設置されている間接照明も、シェードはブルーベルや薔薇にチューリップなど、花や草木の意匠なのだから徹底している。


 あまり圧迫感を覚えないのは、品物の陳列の仕方がいからだろう。

 この空間に、本物の花がないことが不思議なほど草花で満ちていたのだった。


「さあ、こちらにおいで。まずは大まかなことを説明しておこう」


 ぼうぜんと立ち尽くしていたローザだったが、店の奥から呼ぶアルヴィンの声にはっと我に返る。

 熱を持つ頰を感じながらも、商品に触れないようスカートを押さえて、慎重に奥へと進んだ。

 表からはすぐに見えなかったが、奥には店内を見渡せる位置に机と椅子があり、そこが彼の居場所だとわかる。

 近くには深緑のビロードが張られた肘掛け付きの瀟洒な椅子が据えられており、隣にあるサイドテーブルには、猫のエセルが丸まっていた。


「仕事についてだけど、まず店に何が置いてあるか覚えてもらおうか。リストがあるから、それを頼りにして欲しい。疑問点があれば何度でも聞いてくれて構わない。僕は店に客がいない時は研究をしているから、質問にはいつでも応じるよ」

「は、はい。え、研究ですか?」


 渡された冊子を慌てて受け取ったローザが聞き返すと、アルヴィンはうなずく。


「僕は妖精学者フェアリースコラーなんだ」


 学問を探究する研究者は教養ある中流階級ミドルクラスだ。

 しかし、妖精を対象とした学問など、ローザは聞いたことがない。

 お金と時間に余裕がある貴族であれば、変わった学問を専攻することもあるだろうが、彼はこっとうの店主である。

 

 ますます謎が深まりローザは困惑するが、アルヴィンにくるりと体の向きを変えられ、肩を押された。

 ぽすんと座らされたのは、ローザが眺めていた椅子だ。


 戸惑いのまま見上げると、アルヴィンは微笑のまま続けた。


「今日からここが君の場所だ。椅子や机が気に入らなければ、バックヤードにあるものを何でも使って構わない。接客していない間は、好きなことをして良いよ」


 聞き流してはいけないことをさらりと言われた。


「ああぁぁぁの! 接客をわたしがするのでしょうか!」


 即座に立ちあがったローザが悲鳴のように声を上げると、アルヴィンが不思議そうに小首をかしげる。


「おや、従業員にすると言っていなかったかな」

「おっしゃって……ではなく、言ってました、けど、てっきり掃除や事務などの雑用かと考えて……いまして……わたし、このような姿ですよ……?」


 なんとか言葉を選んで話せたとあんしたが、アルヴィンに不思議そうにされてしまう。


「もちろん雑用もお願いするだろうけど、客の相手をしてもらう方が多いと思うよ」


 ローザは彼と話がかみ合っていないらしいと途方に暮れた。


 しかし、救い主はきちんと現れる。

 遅れて店内に入っていたクレアがあきれて、アルヴィンに詰め寄ったのだ。


「アルヴィンさん、従業員にするのはわかりましたけど、最低限の支度はしてあげなきゃ! あなたが気にせずとも、この店に来るお客様は彼女の格好じゃだめですよ」


 よくぞ言ってくれたと感謝したい気持ちで、ローザは激しく頷く。

 アルヴィンは改めてローザを眺め直した。


「そう、かな。いや、確かになにか足りないかもしれない……?」

「ええそうです。従業員を雇うのはとても喜ばしいです。でもあなたが大して気にしないとしても、お客様を迎えるんでしたら整えてあげないと本人も肩身が狭いですよ!」


 ふくよかな体を揺すりながら、クレアはきりっとローザへ向き直る。


「あいさつが遅れたわ。はじめまして、私はクレア・モーリスよ。クレアでもモーリスでも良いわ。通いでアルヴィンさんの家の掃除と、食事を用意しているの」

「ロザリンド・エブリン……です」


 ローザがとっさに背筋を伸ばして腰を落とすと、ぱちくりとクレアは目をしばたたいた。


「あらまあ、完璧なお辞儀だこと。この店に来るお嬢様みたいだわ。もしかしてどこか良いところにおつとめだった? でもそれにしてはちょっと若すぎるかしら。アルヴィンさん、人との距離が近いし、勢いに押されてしまったのでしょう。ごめんなさいねえ。お店にお花を飾ったらどう? ってアルヴィンさんに提案したのは私なのよ。まさか人を花と称して連れてくるなんて、思ってもみなかったの」

「けれどローザがみたいなのは本当だろう?」

わいらしいとは思いますけど、それとこれとは別です。アルヴィンさんが普通の人の発想なんてするわけがなかったわ。……ほらエブリンさん、こんな風に平気で女ったらしな言い回しをしますから気をつけてね。ところで親御さんは心配してないかしら」


 アルヴィンの言葉も一蹴したクレアにまくし立てられる。

 ローザは圧倒されたが、まだ生々しい痛みが鮮明になるのを感じつつ答えた。


「あの、わたしはもう十八歳ですし、親は亡くなりましたので……」


 クレアは驚きをあらわにした。


「ええ!? そうなのっ。てっきり十四歳くらいかと……あっごめんなさいね! 小柄だし、全然そうは見えなくて……」


 クレアの率直な物言いにローザは縮こまりながらも、諦めの笑みを浮かべる。

 そう、ローザは人よりも成長が遅いらしく、同じ年代の娘に比べてずっと小柄で、年相応に見られたことがなかった。

 おかげでたびたび年齢を確認されるが、それでも人を不快にさせるよりはずっと良い。


「前の勤め先も、解雇されてしまったので、働き口を、頂けるのは、ありがたいのです」

「まあ、それなら、よいの、だけれど……ええうん、そうだわ。これからは同僚になるんだもの、困ったことがあれば是非相談してね。せっかくアルヴィンさんが従業員を入れる気になったんですもの。あのバックヤードもいずれはれいになるはず!」

「クレア、バックヤードと僕の部屋は手を入れないでね」


 アルヴィンが朗らかながらくぎを刺すように言うと、クレアは悔しそうにする。


「もう、耳にたこができるくらい聞きました! ものを動かされるのが嫌なんですよね! あんな雑然とした中でどうしてものの位置がわかるかわからないし、整頓した方が良いと思うんですけどね。できれば、お店以外の場所も掃除させていただきたいところですもの。では私は仕事に入りますね」

「今日からローザの分の食事もお願いするよ」


 のんびりとアルヴィンが了承するなり、クレアは店奥の扉を開けて消えていく。


「さあ、君にも奥を案内しようか」


 大丈夫、なのだろうか。

 ローザは不安しかなかったが、アルヴィンに開けられた扉をくぐるしかなかった。

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