一章 シーリー・コートとお茶会を

第1話 猫と親切と青薔薇骨董店




 ローザの緊張は頂点に達していた。


 昨晩とは一転して晴れた午前中たどり着いたのは、ルーフェン中心街近くの、中上流階級アッパーミドルクラス向けの店が軒を連ねるしょうしゃな地区だ。


 銀色の妖精のような青年、アルヴィンからもらった名刺は、ローザがアパートに帰り、眠って起きても消えていなかった。

 ようやく現実味が湧いてきてローザは青ざめたが、いくら見つめていても、名刺としおれたしろはそのままだ。

 自分に都合の良い夢を見たとしか思えない出来事だった。


 一体なにと遭遇したのか。困惑は胸一杯に広がるが、彼の店で働くと約束をしたのだ。


 かすかな望みが捨てきれず、ローザは身繕いをすると、名刺を頼りに街へ飛び出した。





 途中で迷ってしまったため、彼の店にたどり着いた頃には完全に日が昇っていた。

 ノッティングチャーチストリートは、女王陛下の宮殿の近くにある通りだ。


 重厚なレンガ造りやしっい塗りの背の高い建物が整然と立ち並び、舗装された道をれいに着飾った人々が行き交っている。

 どの店も、店の間口からしてこぎれいだ。


 そこは、ローザが住んでいるような、崩れかけの建物が並び、毎朝日雇い労働者や通勤者でごった返す通りではない。裕福な人々が暮らす地区だ。


 名刺が示す店は、その通りから少し離れたテラスハウスにあった。

 テラスハウスは、ルーフェンではよくある建築様式で、複数階建ての家が壁を共有して連なった住宅だ。

 この家は見た限りでは四階建てで、一階部分が店舗になっているようである。


 店の正面右には硝子ガラスりの大きなショーウィンドウがあった。中には優雅な植物の意匠が施された椅子やテーブルを使い、美しい色彩の硝子のオーナメントや陶器のティーセットが並べられている。


 ショーウィンドウの隣には、外から見える位置に「青薔薇骨董店ブルーローズアンティーク」と書かれた瀟洒な鉄細工の看板が下げられている。

 その下には深い青に塗られた両開きの扉があり、扉に下げられた札は「開店中」だ。


 間違いない。ここが、アルヴィンが言っていたこっとうだ。

 ローザが知っている、古びた道具が山ほど店先に積まれているような店ではない。

 歴史を経ることで希少価値のつく、高価な品物を扱う店なのだ。


 アルヴィンの身なりからして、分不相応とわかっていたはずなのに、実感がなかったローザは店の前で立ち尽くす。


 なるべく綺麗な服を着て、体も清潔にしてきたが、その程度では全く意味がない。

 気後れしたローザには、店の前で立ち止まることすら悪いことのように思えた。


 一歩、後ずさった足に、するりと温かいものが巻き付いた。


「ひぁっ!?」


 心臓が飛び出しそうなほど驚いたローザがよろめくと、その体を誰かに受け止められた。

 ローザはさらにうろたえて、受け止めてくれた人を振り仰ぐ。


 それは五十代ほどの、ふくよかな中年女性だった。明るいくりいろの髪を簡素にまとめ、清潔そうなワンピースを着ている。

 少ししわの目立つ顔は善良そうな雰囲気を醸し出しており、ローザを受け止めても動じず、心配そうにしていた。


「まあ大丈夫?」

「も、申し訳ございません!」


 飛び跳ねるように離れたローザが頭を下げると、女性は気にせず朗らかに笑う。


「いいのよ! それにしても、エセルが人に懐くところを見るのは初めてだわ」

「エセル、ですか?」

「この猫の名前よ。立派な毛並みだからエセル立派なの」


 女性の言葉に、ローザがとっさに下を向くと、金色の瞳と目が合う。

 それは青みがかった灰色の毛並みをした猫だった。

 ふさふさとした毛並みは手入れが行き届いていて、とても触り心地が良さそうである。気品ある顔立ちで賢そうだ。

 ルーフェンには野良猫や野良犬も多いが、この猫は明らかに飼われている猫だ。


「もしかして今なら私にもでられるかしらね、ほらエセル、こっちおいで」


 女性がしゃがみ込んで手を差し出すが、エセルは全く興味を示さない。だがローザには「なぁお」と一声鳴くと、眼前の青い扉の前に座り込む。


「残念、やっぱりだめねぇ。ご飯の時はちゃんとよってきてくれるのに」


 無視された形になった女性だったが、気にした様子もなく立ちあがるとためらいなく青い扉を開いた。

 灰色の猫が尻尾を立てて悠々と店舗に入っていくのを、ローザは見送った。

 だが、女性がこちらを向いているのに気づき、我に返る。


「そういえば、あなたどうして店の前にいたのかしら? もしかして青薔薇に用があった? 妖精に遭遇したかしら? それとも何か見て欲しいいわきの品があった? アルヴィンさんは本当の依頼だったら、きちんと受けてくれるわ。ああもしかして、品物を売りたいのかしら。でもそちらなら、アルヴィンさんは花と妖精のモチーフしか受け付けないから気をつけてちょうだいね」

「いえっそ、その……!」


 一気にまくし立てられたローザがたじたじとなっていると、後ろから引き寄せられる。

 ローザが顔を上げると、昨日の怖いほど美しい銀髪の青年アルヴィンだった。


 日光の下で見る彼は、束ねられた銀髪が良く手入れされた銀細工のように輝いていて、ますます現実味がない。だが、肩に置かれた手の感触は本物だ。


 ローザを引き寄せたアルヴィンは、ほほんだまま上からのぞんできた。


「やあローザ、よく来てくれたね。待っていたよ」

「ひぇ」


 美々しい顔で、明らかに上機嫌とわかる声で挨拶をされる。ローザが固まっている間に、アルヴィンは朗らかに女性へ語った。


「クレア、この子は昨日、僕が雇った子なんだよ。君はこの店に花を飾れと言っていたね? 青薔薇のようなこの子ならぴったりだろう」

「まあアルヴィンさんが雇った!? それに青薔薇ってまた変なことを……!?」

「ではローザ、おいで」

「え、あの、あのあのっ」


 クレアと呼ばれた女性が絶句する間に、ローザはアルヴィンに腕を引かれて青い扉の向こうへ踏み込んだのだ。


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