第3話 銀の貴公子は妖精めいて


 青年は薔薇を持った手をローザに伸ばすと、前髪を上げてまじまじとのぞんできたのだ。

 前髪越しではない青年は、さらに輝きを増して美しく見える。


「──欲しいな」


 あまりに予想外の事態に思考が停止していたローザだが、ようやく我に返った。

 鮮明に見えるということは、この美しい青年と目を合わせているということだ。


「っひ……」


 悲鳴を吞み込み反射的に後ずさると、美しい青年の手は簡単に額から外れる。

 上げられてしまった前髪を引っ張って視界を遮り、落ち着こうとするローザだったが、ふと先ほどの彼の言葉を思い出す。


 聞き間違いでなければ、彼は「欲しい」とつぶやいていなかったか。


 前髪越しにそっとうかがうと、美しい青年は戸惑うようにこちらを見返していた。

 片手には、ローザが拾い損ねた白薔薇がある。


 ローザは先ほどのろうばいも忘れ、もはやすがる思いで問いかけた。


「あの……白薔薇を、買ってくださるのでしょうか……!」

「? 白ではなく青薔薇では……」

「あお? 青薔薇、ということです、か」


 青薔薇は、自然界にはない。それこそ、伝説上の妖精の国にしか咲いていないだろう。


「──待てよ。……そうか、これなら解決か」


 だが、青年は質問には答えず、ぶつぶつと独り言を呟くのに、ローザは戸惑う。

 どういうことか問いかけようとしたが、手に持った白薔薇を眺めていた青年が、再び距離を縮めてきた。


 そのうえ、己の手が薔薇を持った大きな手に包まれて、ローザの肩はびくんと跳ねる。

 いつの間にか傘が差し掛けられていたが、全く気付かなかった。


 じっくりと覗き込まれて、息が止まる。

 青年のかんばせが薔薇のように美しく綻んだ。


「僕は君が欲しいな。青薔薇のような君が」

「はいっ!?」


 まるで口説き文句のような言葉に声が裏返った。


 即座にミーシアの話を思い出す。

 夕方から夜にかけて出没する花売り娘は、一緒に春を売るという。

 先ほど見かけた花売り娘と去っていった男性は、娘に対し恋人のような甘い言葉をかけていた。


 青年もそういう存在として、ローザを求めているということだろうか。

 しかし彼のように美しい人なら、ローザなんかに声をかけずともよりどりみどりではないだろうか。


 そう、考えるのだが、彼の雰囲気にはローザをからかう色などじんもない。そもそも彼はとても距離が近い。


「ああああのああの、わたしはそのえっえっと……」


 案の定口ごもってしまい、ローザはますますうろたえる。まともな返事ができずにいると、じっと観察するように覗き込んでいた青年は眉根を寄せた。


「顔が赤らんで、瞳が動揺している。それでも充分愛らしいけど、僕は君を恥ずかしがらせることを語ったようだね。何が悪かったのだろうか」

「あ、あいらしい!? ……って、ご存じない、の、ですか……?」


 青年の淡い微笑に困った色が混ざる。ローザは徐々に落ち着いてくる。

 この不思議そうな様子は、本当に知らないのかもしれないと思い、おずおずと語った。


「夕方からの花売りは、その、春を売る方、なのでてっきり……そのようなお誘い、かと……」

「おやそうなのか。僕は青薔薇のような君が僕の店に居てくれたらいと思ったのだけど、君は春を売るのかな?」

「い、いいえ!」


 ローザはとっさに首を横に振って、まだ身の振り方に踏ん切りが付いていなかったと思い至る。

 勘違いをしてしまった羞恥が再び襲いかかってくるが、彼の「僕の店」という単語が気になった。


「で、では、どうしてあなたのお店に、わたしが、必要なのですか……?」

「僕の店はこっとう屋だよ。クレアに花くらい飾りなさいと言われて、仕方なく探していたんだ。気に入った花が見つからなくて困っていたけど、君を見つけた」


 ぎゅ、と手に力を込められて、ローザはまだ手を握られたままだと気付き鼓動が早くなる。

 だが、ローザの動揺など意に介さず、銀の青年は上機嫌で続けた。


「君を雇えば万事解決だ。やはり僕は運が良い」

「で、ですがわたしが薔薇みたいだなんてとても……なぜ青薔薇なんて……」


 今更ながら、自分が青薔薇と表されたことに、顔がじんわりと火照り出す。

 こんな薄汚れた自分を薔薇に喩えるなんて、何かの間違いだと思った。

 けれど、青年は不思議そうにするばかりだ。


「なぜって、君の瞳はれいな青だろう。薔薇のように華やかだから青薔薇。なかなか良い表現だと思うのだけど。僕の店も青薔薇というから、君はきっとぴったりだ」

「ひぇ、ち、近いです……っ!」


 再びぐっと覗き込まれ、ローザは悲鳴を上げることになる。

 確かに自分の瞳は青いが、瘦せこけた顔の中で妙に大きくぎょろついていて、気味悪がられることが多い。今までにない反応にローザは途方に暮れた。

 それでも必死に頭を働かせて、青年の言葉をしゃくした。


 つまりこの青年は、自分を従業員として雇いたいらしい。

 青年の発音は、母と遜色ないほど綺麗だ。身なりもとても良いから、少なくとも中流階級ミドルクラス以上の出身だろう。

 なのに、なぜかはわからないが、彼はローザを忌避しないようだ。


 自分はとてもではないが、接客業には向いていない。

 だが、それでも──……


 しゅんじゅんするローザを、青年はじっくりと見つめる。


「どうやら、悩んでいるようだね。そういえば、給料の話をしていなかったか。相場がよくわからないけど、ひとまず……」


 言いつつ彼が提示した金額に、ローザは目をこぼれんばかりに見開いた。

 花売り娘の収入どころか、以前勤めていた洗濯屋の給料よりもずっと多い。


 ローザが言葉を無くしているのを金額に対する不満と勘違いしたらしい彼は、ふむと考える風だ。


「これで難しければ別の優遇措置をとろうか。食事付きか、を用意するとか……」

「それは困ります!」


 とっさに強く否定してしまった。

 青年は少々驚いたようだが、微笑は崩れない。

 春を売るより、よっぽどうさんくさい話だ、とローザは心のどこかで思う。


 だがこれは、絶好の機会だ。

 ミーシアに迷惑をかけてしまう以上花売りは続けられないし、なにより、提示されたお給料がもらえれば、アパートの家賃も払える。


 それに不思議と、彼とは目を合わせても怖くない。

 とても美しくてづくけれど。


 こんなに良い条件をつけてもらった上で、さらに要求するのは気が引ける。

 しかしローザは、遠慮がちながらも問いかけた。


「あの、通いでも、良いで、しょうか」

「もちろん構わないよ。では……」

「それとお名前を教えていただけますか。わたしはロザリンド・エブリン、です」


 独特な彼のペースに飲まれる前にと、ローザが先んじて声を上げると、ポケットを探っていた彼は眉を上げた。


「ロザリンド、名前までなんだね。僕はアルヴィンだ」

「アルヴィン様、とお呼びすれば良い、でしょうか」

「いいや、アルヴィンでいいよ。抵抗があるなら〝さん〟で。君はローザで良いかな。僕の店はここだ。明日から来られるだろうか」


 いきなり愛称で呼ばれてどきんと胸が跳ねるが、渡された名刺に目を落とす。


 しょうしゃな名刺には店名だろう「青薔薇骨董店ブルーローズアンティーク」と、店主の名前らしい「アルヴィン・ホワイト」と共に、住所が書かれている。かなり遠いが、通えない場所ではない。


「僕の店は、だいたい午前中に開くけど」

「だ、大丈夫です」

「よかった。では今は、この薔薇を貰おうか」


 アルヴィンはさらにローザの手に銀貨を落とすと、白薔薇を自分の胸に挿した。

 しおれていた薔薇が、彼の胸で艶を帯びたように感じられる。


「明日、待っているよ」


 銀髪がガス灯にきらめき夜の雑踏に消えていくのを、ローザは呆然と見送った。

 なんだか夢のようだったが、質の良い紙に刷られた名刺も、白薔薇一輪の対価としては多すぎる銀貨も手の中にある。


 夢では、ない。


 いつの間にか雨は綺麗にんでいて、夜空には星が輝いていた。


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