6. 狩り
「今回は小さな商店だから、アタック役は一人ずつでもだいじょうぶだろう。目標は、食料品店と薬局、衣料品店だ。食い物はもちろん、薬局ではキズ薬や絆創膏、カゼ薬や腹痛の薬なんかも必要だな。服は子供用にかぎらず、冬物ならなんでも持ってこい。サイズはエミが直してくれるだろう」
武装を終えたジュンが全メンバーにむかって言った。
戦闘にあたってはオーバーなどは邪魔だ。せいぜいノースリーブのシャツに、ジーンズ姿といったところだ。ヒロにいたっては、上半身裸で、絵の具で極彩色のペインティングをほどこしている。いまは、年少組に背中のペイントを手伝わせていた。
トールも顔への隈取りをおこなった。化粧をして、ほかの人格にならなければ、とても人を殴ったりできそうもない。特に今日はそうだ。ずっと胸にいやなものが滞っている感じがする。その気分は、ヒロが視界に入ることによって増幅するようだ。
「回収役は、食料品店に六人。薬局と衣料品店は二人ずつ、つけることにする。アタック役の分担は……」
「おれが薬局をやるぜ。いいだろ?」
いちはやくヒロが言った。間髪いれぬすばやさにジュンも気おされたようだ。
「……わかった。じゃあ、食料品店はおれがやろう。トールは衣料品店をたのむ」
「わかった」
気は進まないが、やるしかない。この先、どれだけ寒くなるか、まったく予想できないのだ。電気がきている今は暖房はなんとかなるが、万が一送電がストップするようなことがあれば、いくら屋内にいても凍死の恐れもある。なにが起こるか予測がつかないのが、彼らの生きる世界だからだ。
「よし、それじゃあ、次の<接触時>に、同時に行くぞ」
<接触時>というのは、この世界と、異界との接点が明確になる瞬間だ。このタイミングにおいてだけ、この世界と異界とがつながるのだ。その時間は、ばらつきはあるが、おおよそ三分から十分くらいまでだ。その時間内で、襲撃を終えて撤収しないと、異界に閉じこめられたままになる恐れがある。それどころか、靄のなかで永劫の間、さまよい続けるはめになるかもしれないのだ。
だから、時間にはとてもシビアにならざるを得ない。そのために、メンバー全員がクォーツの腕時計を持っている。それをストップウォッチモードにして、同時にスタートさせて、メンバー共通の活動時間をつくりだすのだ。
「五、四、三、二……」
ジュンがカウントダウンを続ける。
「一、ゼロ、出撃っ!」
そのかけ声とともに、<狩り>がはじまった。
トールは、サトシと、もう一人の年少組の子供、ツトムをしたがえて衣料品店にとびこんだ。
店の広さからいっても、今回はインラインスケートは履いていない。ふつうの靴だ。でも、武器は例によって、アイスホッケーのスティックだ。
注文紳士衣料、と書かれた看板がある。<テーラーミヤザキ>という店らしい。
これでは、子供服は期待できないな、と思いつつ、トールはスティックを振りあげた。雄叫びをあげる。こうでもしなければ、とても士気を維持できそうにない。このスティックは、鶴見にあるスポーツ専門店にあったものだ。かなり昔に手に入れたものなので、そうとう汚れている。あちこちに血のような染みがついているのは、<狩り>に使われた痕跡であろう。むろん、そのうちの何割かは、この一、二年にトール自身がつけたものなのである。
と、トールのからだの動きがとまった。
店の奥はあがりくちを経て和室になっており、七十歳ちかいような老婆が座って店番をしていた。そこは仕立て作業をする場所でもあるらしく、縫いかけの背広が人の上半身の形をしたハンガーにかけられていた。
「な……なに?」
白髪頭の老婆が目をまるくしている。
「おとなしくしていたら、なにもしないよ」
トールはかすれ声で言いつつ、ふりあげたスティックが急に鉛になったように思った。とてつもなく重く感じられる。
「回収しろっ!」
トールはサトシとツトムに命じた。
小童たちが、持っていた袋の口を開き、手に触れるものをとにかくそのなかに突っこんでいく。
「肌着とか、セーターとかを中心にしろ。背広やネクタイなんかどうしようもないぞ。それと、女物もあれば集めるんだぞ」
トールは、老婆から目をはなさずに指示をだした。
「ど、どろぼうっ!」
やせた老婆の顔が引きつる。しわだらけの顔に、恐怖とともに怒りの表情が刻まれた。
「どろぼうっ! 警察をっ!」
「おとなしくしててっ!」
トールは振りあげたスティックを金属製のワゴンに叩きつけた。特価品のラベルのさがったネクタイが飛びちる。
「た、たすけてっ」
老婆は腰がぬけたようにへたりこみながら、それでも必死に店の奥に逃れようとする。割烹着のような和服の裾が乱れるが、色っぽさとは無縁の光景だ。
「まてっ!」
トールは、老婆を追って、奥の部屋にあがった。
老婆が、芋虫のようにからだをうごめかせている。
その背中にむけて、スティックを振りおろす。
――老婆の後頭部が割れて、鮮血がふきだす。
――年齢を経ていても、血液はやはり赤いのだ。熱いのだ。甘いのだ。
――弾けた肉のむこうに白いものがみえる。頭蓋骨か。砕けたのか。
――もう一撃をくわえたら、きっと脳まで弾けるだろうな……
妄想をふりはらった。トールは畳に打ちつけたスティックを持ちあげ、構えを直した。
老婆は恐怖にまみれた表情で縮こまっている。からだにケガはないが、かなり精神的なダメージを与えてしまったらしい。
「なまんだぶ、なまんだぶ……」
くちのなかで、念仏をとなえている。
なぜ、こんなことを……とトールは思った。そればかりではない。今しがたの鮮烈なイメージはどこからきたのだろう。トール自身の破壊願望、他人を傷つけたいという衝動――トールの心の暗部から湧いて出たものではなかったのか。
「もう袋はいっぱいだよ!」
サトシの明るい声が報告する。彼らにとっては、どんな局面であっても<狩り>は遊びなのだ。
「よし、撤収する!」
トールは腕時計を見る。まだ三分も経っていない。早くもどるぶんには支障はないはずだ。
「おばあさん、ごめんなさい。ぼくらも生きなきゃいけないんだ」
小声でわびて、トールはきびすを返した。
その時だ。
トールは背後に衝撃を受けて、バランスをくずした。
「ぬすっとめぇ!」
わめきながら、老婆がぶつかって来たのだ。
相手は老人だとはいえ、こっちも小学五年生の体格にすぎない。安易に背中をむけたのは失敗だった。
トールはあがりくちから店の土間に顔から落下した。額を打ちつけて一瞬視界が暗くなる。
「警察に、つきだしてやるっ! この、ぬすっとめ!」
頭の上から、憤怒にみちた老婆の声が降ってくる。
全身が凍りつくような感覚が全身をつつんだ。
「おまえたちもっ!」
老婆の矛先が年少組に向いた。
わーっ、という悲鳴とともに年少組は逃げ出していく。声には余裕がある。やはり、彼らにとってはこれも遊びの一部なのだ。
トールは、しびれる指先で土間を掻いた。額はジンジンと痛む。首のつけねもどうかしたらしく、鈍痛がある。
しかも、倒れたショックでスティックを取り落としていた。
「おまえは逃がさないよ」
老婆の声が間近に聞こえた。
「このぬすっとが。しかも、まだ子供じゃないか。おそろしい」
トールは目をひらいた。怒りに変形した老婆の顔がすぐそばにあった。
悲鳴をあげつつ、トールは逃げようともがいた。からだが半回転し、あおむけになる。だが、老婆はトールの腹のあたりにしがみついている。
「この、往生際のわるいっ」
老婆が、爪の長いひからびた手をトールの喉元に伸ばした。
「ぐひっ」
トールはいきなり気管をねじられ、くぐもった声を鳴らした。
爪が食い込んでいる。すごい力だ。
トールは苦しさのあまり、のたうった。老婆は、あおむけになったトールの腹のうえに座った。両手で、トールの喉を締めにかかる。
――これは、なんだ?
トールは目尻に涙をためながら思った。
泥棒だから、罰せられるのはあたりまえだ。だが、ここまで、ふつうのおばあさんがやるものだろうか。
――それに、この爪は……
あまりにも鋭すぎる。そして、力も強すぎる。
トールは口をパクパクさせた。許しを乞おうとしているのだが、もはや言葉にならない。
「へんな子だね。へんな子だよ。まるでよその国から来たみたいだよ。どうして、あやまらないんだい?」
――あやまろうとしているんじゃないか。それをさせてくれないんじゃないか。
トールは、せめて目で改悛の気持ちを伝えようとして、老婆の顔を見あげた。
愕然とした。
老婆の顔が変形している。唇がくちばしのように伸びている。そして、硬い殻のような突起が頬のあたりから湧きだしている。いくつも、いくつも。そして、目が赤い。白目の部分がなくなってしまっている。そして、赤い虹彩のなかの黒目の部分は細く、横長になっている。
腕もだ。白い粉をふいたようになった皮膚からは、トゲのある鱗のようなものが浮きだしているではないか。
――これは、なんだ?
――化けものだ。人間じゃない。
トールの全身に嫌悪と恐怖が駆けめぐった。
「ふん、どうしてやろうかねえ」
憎々しげな声がくちばしから漏れた。
喉にかけられた指からわずかに力がぬけた。
トールは思いきり息を吸い、そして絶叫した。
老婆――あるいは、老婆だったもの――が、のけぞった。痙攣的なトールの腹筋の動きに振りとばされかけたのだ。
トールはスティックに右手を伸ばした。グリップを握りしめると、目を閉じてそれを振るった。
鈍い音がして、いやな手ごたえが返ってきた。
からだをおさえつけていた呪縛が解けた。トールは、夢中で起きあがった。
そのまま、店から駆けでる。
目前には靄がある。それが無性になつかしく思えた。このむこうには、帰るべき場所があるのだ。
一瞬、ふりかえった。その瞬間、ふりかえらなければよかった、と後悔した。
老婆はのけぞっていた。あがりくちの部分に背中を押しつけるようにしていた。
その額が割れて、赤いものが流れ出ているのが見えた。
目はうつろだった。そして――
老婆はどう見ても人間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます