第11話【4】

 ダンジョン攻略演習の翌日、休日だ。


 俺は城下町の中でも待ち合わせスポットとして人気な、大きな噴水の前で空を仰ぎ見て人を待っていた。

 今日の俺は我ながら格好がついている。

 普段の実用性重視の目立たないローブではなくアリスから貰った服を着て、特に携帯している武器も無い──《魔力短剣マジックダガー》だけは一応忍ばせているが。

 至って普通の青年といった感じだ。


 何せ今日はデートである。

 ……そのお相手は、アリスじゃないけど。

 ただまぁ彼女がご令嬢であることに変わりはないので、少なくとも普段の格好は不相応だろうと思った次第だ。

 気合いを入れたと言うよりは、無難に楽しみたいといった思いが強い。

 デートよりかは友人と遊びに出かけるという方が雰囲気は近いかもしれん。


 待ち合わせの時間である3度目の時鐘の音──正午になってから数分後。

 聞き覚えのある軽やかな足音がパタパタと背後から聞こえてきて、俺は噴水から腰を上げて振り返った。

 ミルクティーのように滑らかな茶髪を揺らしてこちらに手を振るその姿は、元気な子犬を思わせる可愛さを振りまいていた。


「やっほー! ごめん、待たせちゃった?」

「大丈夫。こんにちは、ソシエール」

「うん! こんにちわっ!」


 プリシラ・ソシエール。

 今日は剣も持たずにカジュアルなパンツスタイルで、抜群のプロポーションを惜しげも無く披露していた。

 肌の露出は少ないが腰に巻いたベルトがくびれを強調していて、否が応でもその女性らしいシルエットに目を惹かれる。


 緩く羽織っている上着はやはり上級貴族ということなのか、遠目からでも生地の良さが見て取れる。

 くせっ毛の髪はポニーテールに結び、普段よりも元気で快活な印象だ。

 薄く化粧もしているのか、全体的に血色が良く見える。元が真っ白だから少し頬に朱を入れるだけで見違えていた。


 はー、かわいいかよ。ほんとかわいい。


「まずは昼食だな。一応安くて美味い店は少し知ってるけど……何か食べたいモノとかあったりするか?」

「あ、考えてくれてたの? ってそっか。私が無理やり約束取り付けたんだった。気を遣わせたね」

「いや、アレは俺が悪いから。気にすんな」


 ……あの感触が、頭から離れない。

 忘れたくとも目を瞑るとダンジョンでのことを思い出してしまって、罪悪感で死にたくなるのが最近のルーティンだ。

 我ながら最低すぎて殺したい。


 とにかく、ソシエールに冗談のようなノリで言われた買い物の荷物持ちを、俺は謹んでお受けしたというワケだ。

 幸いにして力はある方だから、剣を何本も買ったりしなけりゃ大丈夫……な筈。


 ……大丈夫だよな?

 服だけでそんな両手で抱えて前が見えなくなったりしないよな?


「んー、今日は私のオススメに行こ。シグマくんには是非ともあそこの料理を食べてもらいたいんだよねー」

「了解。楽しみにしてる」

「うん、そうして」


 ニヤ、と得意げに笑うとソシエールは俺の手を握って、軽やかな足取りで貴族御用達のお食事通りへ歩いていった。

 何の躊躇もなく握手を交わされてドキドキしながら彼女の背を追いかける。


 少しずつ、ソシエールに対する自分の認識が変わっていることには、気付かないフリをすることにした。


*  *  *


 やがてたどり着いた先にあったのは、普段俺が外食で行くような庶民的な出店とはまったく違うお店だった。

 ドレスコードとか要るんじゃないかと疑ってしまうそこは、白を基調とした街並みとは一線を画すような木造建築らしい。

 温かみのある黒いソレはどこか静謐とした優雅さを醸し出していて、店の前に立っているだけで背筋が伸びる。


「あははっ。緊張しすぎだよ」

「いや……明らかに俺に釣り合ってない気がするんですけど。俺の格好大丈夫? 摘み出されたりしない?」

「へーきへーき。と言うか多分君が想像してるようなとこじゃないよ、ここ」

「そう、なのか……?」

「うん。個人経営だし、店員も確かふたりだけだったかな」


 個人でこんな店を構えてるのか。

 しかも貴族も多く利用するというこのお食事通りに、これ程立派なモノを。

 素材、味。両者優れていなければ実現できないであろう領域だ。


「こんにちわー」

「……どうも」


 ソシエールに手を引っ張られ、たたらを踏みながら店に入る。

 中も外観と同じく暗めな色使いで構成されていて、絢爛豪華な貴族の食卓とはまた違う印象を受けた。

 相対するように照明の蝋燭には青い炎が灯っていて、暖かな内装に清涼さが添えられている。圧迫感は薄いモノだった。


 良い匂いはしない。無臭だ。

 結界に踏み入った感覚があったし、恐らく洗浄魔法を魔法陣に組み込み、ソレを利用して店内を清潔に保っているんだろう。

 維持費だけでも相当掛かる筈だ。

 どんな財産を持っていたら個人でこんな贅沢な設備を手に入れられるんだか。


「──いらっしゃいませ、プリシラ様」

「もうっ。なんで先輩はそういつも畏まってるのかなぁ。私たちの仲でしょ?」

わたくしは敬うべき相手に、相応の敬意を払っているまででございます」

「敬うべきって……そんな大層な人間じゃないんだけどなー、私」


 恭しい礼と共に姿を表した女性。

 綺麗な『黒髪』をボブカットに整え清潔感溢れる出て立ちをした彼女は、どうやらソシエールと親しい間柄のようだ。

 しかし俺の鼻は良い。染料特有の匂いがするから地毛ではないだろう。

 ……だが髪色にコンプレックスを抱えているとしたら、何故この国で忌み嫌われる黒なんかに染めているのだろうか。


 髪色もそうだが──この魔力、凄いぞ。

 無駄がほとんど無い、削ぎ落とし効率化された魔力の巡りだ。

 確実に一般人ではない。いや、ソシエールが『先輩』と呼んだ時点でソレはわかっていたことだったな。


 ──剣を握る者だ、彼女は。


 まぁ、今は包丁を握っているようだが。


「この人はシグマくん。私の……そうだね、ライバル、かな?」

「ほぅ……。んっ、失礼しました。いらっしゃいませ、シグマ様」

「えっと……どうも」

「お好きな席にお掛けください」

「いつもありがとね。行こっ」


 ソシエールに引っ張られ、席に着く。

 共に見るメニューに書かれた料理の名前だけで食欲が掻き立てられる。

 今日はなんとなく肉ではなく魚介類を食べたい気分なので、オリジナルソースを使った海老のソテーを注文した。

 飲み物は少し奮発して珈琲にする。不作で価格が高騰しているせいであまり飲めていなかったため、あの苦味が恋しくなったのだ。


 ソシエールは貝をメインに据えたパスタと紅茶を頼んだらしい。

 見た目がわかるモノがないので完全に想像になってしまうが、彼女がオススメするくらいだし味は期待して良いだろう。

 海から距離のあるここで食べる海老料理は完全にピンキリで、その点王城のメイドさんらの技術は本当に凄い。

 生意気ながら比較するのも楽しみだ。


「コーヒー飲むんだね。容赦ないなあ」

「容赦? なに、奢ってくれんの?」

「そのつもりだよ。付き合わせてるのは私の方だもん」

「だから気にしなくていいって。お前と出掛けられるなんて、むしろ俺が金を払わなきゃいけないんじゃねえの?」

「んへへ、それはそうかも? 婚約全突っぱねで有名だからねえ、私」


 ──ソシエール家は、中立派だ。


 今、メビウス王国は二分されている。

 伝統を重んじて貴族制度を踏襲するつもりの第二王子につく者。

 全ての規則を取っ払い、法整備から王国を造り直すつもりの第三王女につく者。


 急激に平民の支持を得て、しかし高位貴族の圧力で動くに動けないアリスは常日頃から策略を巡らせている。

 煮え湯を飲まされている下位貴族、虐げられた経験のある平民、未だ立場が弱く不安定な女性──着実に派閥は育っている。

 力の差はまだまだ埋められないものの、対等になるのは時間の問題だろう。


 故に、アリスに追いつかれまいと高位貴族は中立派の家を取り込もうと動いているわけである。

 そんな中立派の最上位──頂点に君臨するのが、ソシエール家なのだ。

 彼女が婚姻を結べば家の繋がりが生まれ、発言力、武力、財力、その他諸々を兼ね備えた『力』が手に入る。


 ……ソシエールの立場は、今や貴族社会の多くが狙っている。

 当然、婚約の申し出も多いだろう。


 噂には聞いていたが、本当に全て受け入れずにいるんだな。

 受け入れはせずとも、個人的な付き合いぐらいはあるものだと思っていたが。


「レキシコンはどうなんだ?」

「んー、彼は……うん、やっぱり友だちの関係がいいかな。夫婦は解釈違いだね」

「本人の知らぬ間にフラれた……」

「でもまぁ、いずれ私たちがそういう仲になる可能性はあるかも。レキシコン家からじゃ断るのに大義名分が要るし」

「今は無いのか?」

「無いよ。ワガママを貫いてるだけ。お父さんも私が嫁ぐを嫌がってるから、私だけのワガママじゃないけど」


 ふふっと愛おしそうに笑うソシエールは父を想う健気な娘そのもので、愛情に溢れた彼女がひどく魅力的に見えた。

 俺の知らない、家族への愛──今俺が抱いているこの感情は、何なのだろう。

 嫉妬? 羨望? ……わからない。


 まあ、いいか。

 彼女が素敵な人だということさえわかっていれば、何ら問題は無い。


「逆に聞くけど、君とアリスさんはどんな関係なの? あの《魔導師》がここまで気にかける人なんてほとんど居ないよ?」

「駒だよ。俺は、あの方の女王クイーンだ」

「……君は本当に、何者なのかな」


 楽しい雰囲気が、霧散した。


「……怖ぇ顔、すんなよ」

「結構君とは良い関係を築けてると思ってたんだけど、私には話せないかな?」

「俺の一存じゃ、決められねえな」

「……そう。ま、いいや。君は君で守るべきものがあるだろうしね。私たちは変わらず中立を維持するかなー」

「あっちに行かないだけで俺らからすりゃありがたいわ」


 ソレ以降、料理が運ばれて来るまで俺たちは無言を貫いた。

 どこか心の距離が空いたような、喪失感のようなモノが胸を満たす。


 その静寂は、居心地が悪かった。

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