第15話 不吉

『伊織・・・待って、伊織・・・!!』

暗い廊下を、動けずに床に這いつくばっている自分を置いて、人間の姿になったジュリアと共に歩き去っていく、伊織の背中が見える。暗闇の中、彼女のボブの後ろ髪の下に垣間見える、項の白さもぼんやりと浮かんでいる。震える手を伸ばして、うわ言のようにエリカはそう声を絞り出していた・・・。

そこで、エリカは目を覚ました。うつ伏せに倒れていた筈が、顔に圧迫感はなく、今は仰向けに寝かされているらしい事に気付く。そして、硬い床の上にあった筈の頭が、今は何か、布に包まれた柔らかい物の上に置かれているのにも気づく。

「エリカ・・・!!良かった、目を覚ましてくれて・・・!!駆けつけて良かった・・・」

感極まったような声が、エリカの顔の上から聞こえる。そこにあったのは、金髪を横に垂らして、エリカの顔を見つめている、エルヴィーラの姿だった。先ほどまで、自分の中を満たしていた冷気が、エルヴィーラの声によって体の外に押し出されていく感覚がする。エルヴィーラの声は、今日も、爽やかな風に吹かれて、木の葉達が優しくこすれ合うような、不思議な声音だった。しかし、ジュリアの凍てつく声音とは違う、その声に安らぎを覚える。

「え・・・エルヴィーラ・・・?ここは、何処?」

「取り敢えず、伊織の家があるマンションの近くの公園に移動しました。伊織の家の廊下で倒れていたエリカを連れ出して・・・」

自分の真上のエルヴィーラの顔が見えているという事は、つまり今まで膝枕をして、エルヴィーラはエリカを見守ってくれていたという事か。エリカは素早く身を起こす。二人は、公園の木造ベンチの上にいた。空は既に茜色を帯び始めてはいたが、春も色濃くなった今の時期、もう日が少し落ちても寒さはない。

見回せば、そこは、朱宮家からも伊織のマンションからも近い、昔よく遊んだ公園だった。その景色を見て、また、意識はすぐに伊織の事へと飛ぶ。

あの後、ジュリアと共に何処へ向かったのか。今もまだ、伊織の意思はジュリアに操作されたままなのか。

「そうか・・・私の事、あのマンションに助けにきてくれてたんだ・・・。ごめん、私、あの家で、ジュリアに襲われて・・・それでジュリアに何かされた後、意識なくしちゃって・・・それで・・・、伊織が・・・」

エリカは、エルヴィーラにそこまで話したところで、言葉に詰まった。あの光景がフラッシュバックしたように、脳内に流れ込んでくる。

『エ・・・リ・・・カ・・・いっちゃ、やだ・・・』

そう言って、死人と見紛うような蒼白で生気の失せた顔色で、自分の胴にしがみついていた、ジュリアの手駒と化していた伊織の、衝撃的な姿を。その、思い出すだけでも寒気がしてくるような、冷え切った声を。

「伊織を・・・ジュリアに、取られた・・・!」

そう言ったところで、エリカの声は涙ぐみ、ベンチの木の板の上に涙のしみを幾つも作りながら、エルヴィーラの、白のブラウスに包まれた肩に寄りかかった。そして、エルヴィーラにそっと髪を撫でてもらいながら、エリカはしばらく、エルヴィーラの肩を借りて、泣いた。


泣き止んだ後、エリカは、エルヴィーラが救出に来る前、伊織の家で何があったのかを順を追って説明した。学校でエリカと言い争った一件があった後、伊織は学校を休んでいた為、プリントを届けに行った事。そこで、豹変した伊織に押し倒され、無理やりに唇を奪われそうになった事。必死に抵抗して伊織を引き離したら、ジュリアが現れて、伊織は今、自分の操り人形となっていると話した事・・・。

「あの夜・・・、私達の家の窓硝子が粉々にされて、警察まで呼んだ夜に・・・、家の前に来てたのは、霊力を使ったのは、ジュリア自身じゃなく、伊織だって言ってた・・・。ジュリアは、自分はエルヴィーラのように完全な人間体にはなれなかったから、霊力を消耗するような事をする際には、伊織を、操り人形みたいに、操ってるんだって、そう言っていた・・・」

一部始終を話し終えた後、エリカは、顔を覆って、深く溜息をついた。

「これからもまだ、面白い物を見せてあげるって、ジュリア、私の意識が途切れる前にそう言ってた・・・。伊織も連れて、何処かに行くところまでは見たけど、そこからは分からないの・・・」

「ジュリアの邪気がある一カ所で、尋常ではない程濃密になっていたから、行ってみたら、伊織の家だったから驚いたわ・・・。ジュリアがあれ以上、エリカに手を出す前に、間に合って良かった・・・」

エルヴィーラはそう言うものの、エリカの気持ちは晴れない。伊織は、ジュリアと共に姿を消してしまった。

「伊織が、ジュリアの操り人形になってしまったのも、元は、全て私のせいなんだ・・・。私がずっと、伊織の気持ちを蔑ろにするような事ばかりしてきたから・・・。伊織を助けたいけど、今の私に・・・ずっと伊織の気持ちに気付けなかったような私に、今更、伊織を助けたいなんて言う資格があるのかさえも、分からなくなってしまった・・・。伊織は、私を憎んでいるだろうから」

考えても考えても、エリカの中に、伊織をどうやったら救い出せるのか、解決策など全く見いだせない。どんどん、思考は黒い渦の中へと沈んでいく。

そんな中、エリカのスマホの着信音が鳴った。LINEではなく電話だった。

「お母さん・・・?」

画面に表示されている、発信主を見て、訝りながらもエリカは、スマホの画面を操作して耳に付ける。次の瞬間、母の切迫した声が、エリカの鼓膜を震わせんばかりに響いてきた。

「もしもし、エリカ⁉ああ、良かった、繋がって・・・!お父さんが、運転中に事故に遭ったって、さっき警察から連絡が入って・・・!」

背筋を悪寒が走り抜ける。エリカの頭の中に、先程、去り際にジュリアが残した台詞が蘇る。『面白い物を見せてあげる』と。

「まさか・・・!」


「命に別状はないそうだけど、当分は入院が必要だって・・・。こんな、立て続けに我が家に不吉な事が続くと、考えてしまうわね・・・。もしかして、あの子の・・・消えたジュリアの呪いなんじゃないかって・・・」

人気の途絶えた病院の待合室で、憔悴した様子でソファに座って、母は、エリカとエルヴィーラにそう言った。

ジュリアと共に伊織が姿を消して、その矢先に次は、父が車を運転中に事故に・・・。エリカも、茫然として、母の言葉を聞いても、返す言葉が出てこない。

言葉を失くしているエリカの代わりに、エルヴィーラが母に尋ねてくれた。

「ジュリア・・・?今日の事故の前にも、ジュリアが現れたの?」

「いえ・・・、はっきりジュリアを見た訳ではないけど、あまりに事故の様子が不可解だから・・・。幸い、お父さんは意識ははっきりしてたから、話を聞いたのだけど、それが、おかしな事を言っていてね・・・。運転していたら、突然、誰もいなかった筈の道の上に、湧いて出たように、黒い服装をした女の子が現れて、道路を横切ろうとしたんだって・・・、それでびっくりして、急ブレーキでも間に合わないと思って、ハンドルを大きく切ったら、そのまま、街路樹に衝突して・・・。でも、その後に警察の人とかが、本当にそんな女の子がいたのかって聞き込みもしてくれたのだけど、道路沿いの店の人とかは、そんな子はいなかった、急にお父さんの車がハンドルを切って、道路の脇に突っ込んできたって・・・。明らかに、普通の事故じゃないでしょう?」

母は、困惑した様子で深い溜息をついた。その話を聞いていたエリカは、戦慄を覚える。

『そ、それって、まるで・・・』

朱宮家のリビングの窓硝子が、粉々に割られたあの晩、事件が起きる直前に、門の前に姿を見せていた人影・・・。それと、今回の事故で父が見たという黒い服装の少女の姿・・・。話としては、類似点を感じる。

あの人影の正体は、ジュリアに意思を乗っ取られ、操られた伊織だった。父が事故に遭ったのは、ジュリアと伊織がエリカの前から姿を消して、しばらくしてからの事だ。凶行に及ぶ時間は十分にある。ジュリアが、伊織をまた操って、父の前に現れさせたのだと、エリカは確信していた。

横に目を遣ると、エルヴィーラと視線が合う。エルヴィーラも表情を険しくしている。彼女も、エリカと同じ思考をしていたのだろう。彼女は、エリカの母に、更に尋ねた。

「もしかして・・・、その、エリカのお父さんが見たっていう女の子は・・・伊織に似ていなかった?」

エリカの母は、驚きに目を見開いた。どうして、その事を知っているのかと言わんばかりの反応であった。

「え、ええ、そうよ・・・。お父さんが言っていたの、『あの女の子、凄く見覚えのある顔立ちをしていたような気がすると思ったら、エリカの幼馴染の子に、伊織ちゃんによく似ていた気がする。でも、伊織ちゃんがこんな事をする訳がないし、一瞬で消えた理屈も分からないし・・・』って。でも、エルヴィーラは、どうして分かったの?この話は、まだしてなかったのに・・・」

エルヴィーラの隣で、エリカは固まっている。やはり、父を事故に遭わせたのは、ジュリアに操られた伊織だ。今の伊織は、完全にエリカに対しての歪んだ感情を利用されて、ジュリアの手駒と成り果ててしまった。エリカは膝の上で拳を強く握る。

エルヴィーラは、エリカに尋ねてくる。

「エリカ・・・、今日あった事も含めて、エリカのお母さんに、全てを話してもいい・・・?エリカのお母さんも、やはり知っておくべき事だと思うから」

ソファに座り、俯いたままのエリカは、力なく頷いた。今は、長話をして説明する気力すら、エリカには湧かなかった。


「・・・ジュリアと、伊織ちゃんが・・・⁉それに、伊織ちゃんが、エリカにそんな感情を持っていたなんて・・・」

エリカの母は、ジュリアが、エルヴィーラと、朱宮家への憎しみから、人間の姿へと生まれ変わったという、普通なら荒唐無稽にしか聞こえない筈の話も信じてくれた。その話を聞かせている相手が、他ならぬ、人形から人間へと転生したエルヴィーラだからであろう。

「今の伊織は、エリカへの感情を利用されて、ジュリアが自分の復讐を叶える為の、操り人形にされてしまっている。また、ジュリアが伊織を操って、どんな事を私達に仕掛けてくるか分からない状況よ・・・」

「そんな・・・あの伊織ちゃんが・・・」

エリカの母にとっても、伊織は、幼い頃から幾度となく、朱宮家に遊びに来てくれた、娘の大切な幼馴染だ。その彼女が、ジュリアと共に、復讐の共犯者となろうとしている事への衝撃は深いだろう。

そして、エリカの母はじっと考え込んでいる様子であったが、ポツリとこんな事を呟いた。

「それにしても・・・そうか、伊織ちゃんの、エリカに向ける『好き』は、親友っていうだけの意味じゃない『好き』だったんだね・・・」

その呟きを聞き、エリカはハッとする。ジュリアの話の衝撃が大きすぎて、霞んで見えていたかもしれないが、母親としては、その事もまた、重大な事実の筈なのだ。娘の幼馴染で親友。それ以上の感情を抱いているとは、想像もしなかった相手から、娘に、愛情を向けられているのだから。それも、娘と同性の相手から。

母は、伊織が、エリカに、愛情を抱いているという事実を知って、そちらはどう考えているのか。その真意を知りたくて、しばらく閉ざしていた口を開き、エリカは問う。

「・・・伊織が、私に、親友としての意味だけじゃない、『好き』っていう気持ちを持ってる事は、お母さんはどう思ったの・・・?伊織も私も、女なのに。やっぱり、女同士なのにおかしいとか、伊織の事、気持ち悪いとか、思った・・・?」

口に出して、母親に問うてみると、やはり、声が少し震えた。その震えは、母親の口から、少しでも否定的な言葉が出たらどうしようと、恐れる気持ちからだとすぐに分かった。

エリカの母親は、エリカを試しているような口ぶりで、こんな言葉を返してくる。

「・・・質問に質問で返してしまって、悪いけど、そしたら、もしも私が、『伊織ちゃんがエリカにそんな感情持ってるなら、もうエリカには今後一切近づかないで』って伊織ちゃんに言ったりしたら、エリカは、私の事をどう思う?それに、伊織ちゃんとはもう関わらないなんて事、エリカに出来る?」

母親の問いかけを聞いたエリカは、即座に首を横に振る。伊織が、自分の隣にいない日々が続いていく事など考えられない。そんな日々に、耐えられる自信もなかった。

「そんな事・・・無理!!私の隣に、伊織がいないまま、生きていくなんて・・・。それに、例えお母さんでも、伊織にそんな事を言ったり、私から無理やりに引き離そうとしたりなんてされたら・・・きっと、私は許せない」

思いがけず、強い口調で言葉が迸り、エリカは、自分でも驚いた。

エリカの返事を聞いた母親は、薄く笑う。そこに、エリカと伊織の関係に対する、忌避や嫌悪の欠片も見られない事に気付く。

「試すような聞き方をしてごめんね、エリカ。でも、今ので、エリカから本音が聞けて良かったし、はっきり分かったわ。貴女には、伊織ちゃんが本当に必要な存在で、貴女もちゃんと、伊織ちゃんの事、愛してるんだって。エリカがそれだけ、私にも怒れるくらいに本気ならば、私は、女の子同士だからどうとか、そんな事を横からあれこれ言うつもりは一切ないわ。きっと、お父さんも同じ事を言うと思う。二人がどういう風な関係にこれからなるのかは、二人が答を出す事だからね」

父に負けず劣らずの人形収集家で、人形愛の深い変人である事は、自他共に認めるところの、エリカの母親であるが、こうした言葉をくれる時は、しっかりとした賢明な親なのだと、エリカは感じた。

「ありがとう・・・お母さん。私、馬鹿で、人形にばかり熱中してたから、伊織が隣にいてくれる事もいつしか当たり前みたいに勘違いしてた。でも、伊織の気持ちを知ってしまったからには、もう逃げないで向き合おうと思う。本当は、こんな形で知りたくはなかったけれど・・・。エルヴィーラと共に、ジュリアに立ち向かって、伊織を必ず取り戻してみせるよ、お母さん」

エリカは、そう宣言する。横で、エルヴィーラも、エリカと母親のやり取りを黙って聞いていた。そのエルヴィーラの表情に、一抹の寂寥が浮かんだのを、エリカはこの時、まだ気付いていなかった。


「次は・・・何をすればいい・・・?ジュリア・・・」

伊織は今、ジュリアから借りた、黒いドレスを身に纏っていた。他に貸せる服もなく、人間体のジュリアは、伊織の制服を一着借りて、着ていた。

二人は、街外れの廃教会の、玄関へと続く階段に腰掛けていた。ジュリアは、霊力を消耗した後だからか、やや苦し気な様子であった。

「ええ・・・そうね。エリカの父親の車を事故に遭わせたのは、良い手際だったわ、伊織・・・。でも、まだ、エルヴィーラを・・・あの女を追い詰めるには足りない。もっと強力な手段を・・・」

伊織は、廃教会の、茜色の空に突き刺さるようにそびえる、3本の尖塔を仰ぎ見ていた。紅の夕陽に映える、窓に嵌め込まれた色彩豊かなステンドグラス達にも。

この教会を眺めていると伊織は、胸の中に、ひりひりとした痛みを伴って、とある残像が浮かび上がってくる。

『街の外れにね、3本のとんがった塔が目印の昔の教会があるんだって!そこでね、私、エルヴィーラと、結婚式を挙げるんだ!』

『結婚って、でも、エリカ。エルヴィーラはお人形さんだよ?お人形さんとは結婚出来ないよ・・・』

『だから、エルヴィーラが人間の姿になりますようにって、ずっとお祈りしているの。私は、本気だよ。だからね、伊織。エルヴィーラがいつ、人間になれるかは分からないから、結婚式ごっこをやっておきたいなって。今度、エルヴィーラのお人形を持ち出してさ・・・』

走馬灯のように、頭の中を駆け抜ける、ずっと昔の会話の映像が、そのひりひりした痛みを更に強くし、伊織は胸を押さえる。少し舌足らずの、幼馴染の・・・今は、恋心を抱く相手のその声が、耳元で蘇るようだ。あの日、彼女の無邪気な話を耳にしながら、同時に感じていた、もやもやした、実体も名前も分からない感情と共に。

「ああ・・・そうね。この廃教会、貴女も知ってるものね、伊織。あの女・・・エルヴィーラがエリカと結ばれる場所にしようとしている教会だもの。昔、あの女の人形を二人で持ち出したりしていたわよね、貴女とエリカは」

伊織の傍に、気付けばジュリアは立っていて、共に教会を見上げている。その上にそびえて見える、3本の、切っ先のように鋭い尖塔も。

「伊織、必ず、エルヴィーラの身勝手な目論見なんて砕いてやりましょう。それだけが、貴女が楽になって、幼い頃からずっと続く苦しみから解放される術なのだから。私と伊織、二人から、エリカを奪ったあの人形の女に復讐する事が」

伊織の家を出る時に、家の台所から拝借してきた、銀色の上に茜の陽を照り返す刃の包丁を、ジュリアは取り出した。そして、刃を布で包むと、伊織の手に包丁を握らせた。

「昔、エルヴィーラの人形を傷つけようとして、貴女は出来なかった。でも、今の貴女なら、人間の姿のエルヴィーラを容赦なく刺す事が出来るわ。私の霊力で操ってあげるから、伊織はただ操り人形として身を任せていればいい。考える事は何もない」

「エルヴィーラを・・・刺す。そうしたら、私もジュリアも、憎しみは終わる・・・?」

言葉をあまり多く発する事が出来ない。かろうじて、ジュリアに尋ねられたのはそれだけだ。ジュリアは深く頷く。

「そう。それも、ただ刺すのではつまらないわ。エルヴィーラだけではなく、エリカにも、私達二人の痛みを知ってもらわなくてはいけない。どんな思いでこの10年近く、私達が耐えてきたのかを。エリカの目の前でエルヴィーラを、貴女がその刃で刺し貫きなさい。今の貴女になら、必ず出来るから」

「また・・・エリカの家・・・行くって事?」

「そうよ。邪魔になる人は少しでも少ない方がいいから、エリカの父親には、死なない程度に事故に遭ってもらったわ。これで、あの家に今夜は、エルヴィーラの他はエリカと母親だけ。襲うならば、今夜ね」

伊織は、託された包丁から、布を取り払う。そして、その刃が、人間体のエルヴィーラの腹を、刺し貫く様を思い浮かべる。彼女が床に崩れ落ちて、もがき苦しむ姿。それを見て、エリカが悲痛な叫びをあげている、そんな光景が浮かぶ。

「今夜で、あの女は、元の人形に戻る。私が霊力を込めたその刃で刺されたらね。そして、二度と人間の姿にも戻る事はないし、魂のない、空っぽの人形になる。そうなれば、今夜で全てが終わるわ。私と伊織で、エルヴィーラに勝って、あの女からエリカを取り戻せるわ。必ず、やり遂げましょう」

ジュリアは、包丁を握る伊織の右手を、両の掌で包み込んだ。


病院を出て、一度朱宮家に帰る事となり、エリカ達3人は、駐車場に向かって歩いていた。

伊織とエリカの、これからの関係は二人で決める事で、口出しはしない・・・。そう母親が言ってくれた事には、エリカは安心していた。

『でも、その為には、何とかしてジュリアの呪縛から、伊織を救い出さないといけない。エルヴィーラと力を合わせて、ここは、伊織を取り戻す為の策を考えないと』

そう思って、横を歩くエルヴィーラを見ると、薄暮の弱くなった日差しの中でも輝きを失わない金髪をなびかせて歩く、彼女の横顔は、何処か哀愁を帯びて見えた。

思えば、伊織の話を待合室でした後から、ずっと、エルヴィーラは口数少なかった。

「どうしたの、エルヴィーラ・・・」

そう聞きかけた時だった。エルヴィーラの表情が急に硬くなり、金髪をなびかせ、駐車場のとある方向をじっと見つめる。そして、緊張感の漂う口調で、エリカと、エリカの母親にこう告げた。

「エリカ・・・。何か、凄く不吉な予感がする。今、ジュリアの邪気が強まっているのを感じた。街にまた出てきているわ。・・・恐らく・・・いえ、確実に今夜、何か仕掛けてくるわ。一番の狙いは私のようだけど、場合によっては、エリカやエリカのお母さんにまで、危害を加えかねない・・・。それくらいに、今日の邪気は強くなっているわ。きっと、また、ジュリアは伊織を操り人形として、私達への襲撃に使ってくる・・・」

病院の駐車場で、緊張した面持ちのエルヴィーラからそう告げられて、エリカも、エリカの母親も薄暮の中、立ち尽くしていた。

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