第14話 奪われた伊織
あの昼休みのやり取りがあった、翌日から伊織は学校に顔を見せなくなった。
エリカは、自分と伊織の二人の関係や、動向になど、他のクラスメイトらは興味など持っていないだろうと考えていたが、伊織が不登校になったのではないかという話を、少なからずのクラスメイトらがしていたのには驚いた。普段、伊織と二人、教室の中で空気に同化するように過ごしていた時には、二人の名前が彼ら、彼女らの口から出る事など皆無だったのに、いなくなったら、その名前が飛び出すようになるとは、皮肉に感じられた。
しかも、その話は尾ひれがついて広められていた・・・。とは言え、その中身はエリカにとって、当たらずしも遠からずな話ではあったから、聞いていて、エリカはヒヤヒヤさせられた。
「更級さん、不登校になったらしいよ?それも、皆噂してるんだけど、その原因は朱宮さんなんじゃないかって・・・」
「朱宮が?確かに更級と朱宮の二人、距離間バグってるのかってくらい、いつもべったりというか、他の誰かとつるんでるところ、どっちも見た事ないけど、更級、朱宮と喧嘩でもしたの?」
今日もまた、彼ら、彼女らの噂話の声が、無関心を装っているエリカの耳に飛び込んでくる。
話の中心にいるらしい少女が、何がおかしいのか、くっくっと喉を鳴らして話を続ける。
「そうそう、あの二人、前から他の誰とも絡みゼロだし、二人だけでいつもべたべたしてたじゃん。放課後になると、よく、二人でオカルト同好会だっけ?の部室に行ってたし・・・、他の子を寄せ付けないっていうか。それが、この前、昼休みから二人でどっかに消えたかと思ったら、泣きながら更級さんだけ、教室に先に帰ってきて、そのまま家に帰ったかと思ったら、それからずっと学校休んでるじゃん?ただの友達の喧嘩でそこまでなると思う?あの二人、単に友達っていうんじゃなくって、もしかしてさ・・・」
「ええ!!あの二人って、そっちなの?」
「しっ、声でかい・・・。だから、別れ話でも朱宮さんから切り出されて、更級さん、寝込んでるんじゃないかって、そういう噂になってんの。前から、ただの友達にしちゃ距離感おかしいって思ってたもん。あり得るかもね・・・」
読んでいるフリをしていた文庫本の表紙をぎゅっと、ページに皺がよるのも構わずにエリカは握りしめる。頬にまた、朱が差すのを悟られないよう、努めて平静を装う。あれだけ、普段の自分達二人には何も興味がないように振る舞っていたくせに、どうしてそういった嗅覚だけは、彼ら、彼女らは異常な程に研ぎ澄まされているのだろう。まぁ、別れ話云々は全くの的外れだとしても、あのクラスメイト達の方が、伊織がエリカに、友達としてではない「好き」という感情を抱いている事を、先んじて薄々気付いていたという事実を、どうしてもエリカは受け入れられずにいた。
『あんな、私と伊織が普段何してても関心なさそうだった人達まで、薄々気付いたいたのに、一番伊織の隣にいた私は、伊織に涙を流させて、あんな言葉まで言わせるまで、気付けなかった・・・』
胸には、あの昼休みに伊織が放った言葉が、返しのついた銛のように深く刺さり、抜けずにいた。
『エリカに見てもらえるのならば、私はお人形になりたい・・・』
忘れようにも忘れられる筈のない、呪いのように残るこの言葉。人形と心を通わせられても、隣の幼馴染の心の声をエリカは聞けていなかった。あれ以来、毎夜、夢の中でも、伊織がその言葉を放っては部屋の扉を放って出て行く、その背中を、手を伸ばして必死に追いかけても、エリカの手も、伊織を呼ぶ声さえも決して届きはしない。
そして、まだ暗い夜更けに汗と、涙と共に目が覚めて、隣に横たわるエルヴィーラに縋り付く事が最近では続いていた。エリカの訴えを聞く度に、エルヴィーラはその美しい、金色の前髪の向こうに透けて見える、青の瞳に苦しげな色を浮かべていた。
『きっとエルヴィーラも自分を責めてる・・・。私が、伊織との間にあった事を話してから。でも、あの子が悪いんじゃない。悪いのは、伊織を傷つけたのは、誰がどう見たって、私だ・・・』
そうして、空席になったままの、自分の一つ前の机をぼんやり見つめたままで、今日も一日が過ぎ去った。相変わらず、ジュリアも消息を絶ったままだが、少なくともまだ、エリカにも、家の方にも何か災いが起きてはいない。しかし、ジュリアの霊障に対してまだ警戒を解ける状態ではない。
そんな中、放課後を告げるチャイムが鳴る中、鞄に教科書や筆記用具を仕舞っていたエリカに、担任の教師が声をかけてきた。
「朱宮さん・・・、悪いのだけれど、課題や、色々な校内のお知らせなどのプリント、更級さんの分が溜まっていて、もし良かったら、更級さんの家に寄って、渡してきてもらえる?」
エリカは、肩をピクリと跳ねさせる。担任は、エリカと伊織の間にあったやり取りを何も知らないから、ただ、普段いつもエリカが伊織と一緒にいる親友だから、エリカになら伊織に届け物も頼みやすいと思ったのだろう。本当は、無視を決め込んで、そのまま帰りたい気分も大いにあった。しかし、一方では、学校に出てこない伊織が今、何をしているのか、せめて一目だけでも見たいという気持ちもあり、最終的には後者が勝った。伊織が休んだ期間のプリント類をクリアファイルに挟み込んで、鞄に入れ、学校を後にする。
思えば、伊織が朱宮家を訪ねてくる事は多々あれど、反対にエリカが伊織の家に行くのは久しぶりの事だった。それでも、伊織が住んでいるマンションは、すぐに思い出せた。端っこの銀色のメッキが、剥がれかけた表札に書かれたマンションの名前を読み取って確認し、正面玄関に入ると呼鈴のボタンを押した。やがて、伊織の声が、壁に取り付けられた機械の通話口から発されて、エリカは一瞬たじろぐ。
「はい、更級です」
伊織の両親は共働きなので、この時間にはまず家にいないから、伊織が出るのは覚悟していたが、それでも緊張する。僅か数日前までは何気なく話せていた彼女に・・・。
「伊織・・・?聞こえる?私よ、エリカよ?」
「・・・エリカ?何の用?」
エリカ、という名前を発するまでに、随分と時間がかかったように思われた。強い拒否の意思などがそこになかった事に、ひとまずエリカは胸を撫で下ろす。
「その・・・えっと学校のプリントとか、色々、休んでた間の分のやつを届けに・・・、先生に頼まれて・・・」
こんな、しどろもどろにしか話せない自分に腹が立つ。しかし、あのようなやり取りを最後に、対面で話していない相手と、何事もなかったかのように会話出来る度胸はエリカにはなかった。
閉ざされていた玄関の自動扉を、伊織は何も言わずに解錠して、開けてくれた。そのままエリカはエレベーターに乗り込んで、伊織の部屋の階まで上がる。
そして、気付けば、伊織の部屋の扉の前に立ち尽くしていた。呼鈴を鳴らそうとして、指が震える。
『どんな顔して、伊織に会ったらいいのか分からない・・・』
エリカの頭の中を占めているのは、そうした思いだったが、いつまでもこうして部屋の前で固まっている訳にもいかない。意を決して、呼鈴を鳴らす。
‐その時、扉を介して、エリカの全身を真正面から吹き抜けるように、強烈な邪気を感じた。五月も近い、暖かな季節だというのに、エリカは思わず身震いをした。
そちらに気をとられていると、やがて、エリカの前で鍵の開く音がして、ドアノブが回った。ゆっくりと扉が開かれていく。その奥から漏れ出た空気に、エリカは、一瞬、冷蔵庫の扉を開いた時の冷気のように、凍える心地がした。
伊織は簡素な白のシャツに青のデニムと、ボーイッシュな恰好をしていた。制服以外では元々、スカートもあまり好んで履くタイプではないのだ。いつもの髪型の前下がりボブは、全体的に少し髪が伸びたように感じられた。彼女の姿を見なかった期間は、せいぜいが3、4日の筈なのに、随分とやつれた印象を与えるのは、その肌や唇の色の悪さのせいだろうか。
伊織のその瞳を見た時、エリカは、彼女の瞳の色の、その暗さに驚いた。そして、またしても、全身を駆け抜けたのと同じ邪悪な気配がエリカを襲う。この邪気は、まるで・・・。
「あ、あの、伊織!この、前の話なんだけど・・・」
プリントの束を手渡しながら、エリカは、勇気を振り絞り、伊織に、この前、喧嘩別れに終わったあの話の続きを持ち出した。受け取ったプリントを、何の関心もなさそうにパラパラと適当に捲っていた伊織が、その捲る手を急に止めた。エリカは、固唾を呑んで、やつれた伊織の反応を待っている。
「・・・昼休みの後に、LINE送ったでしょ。忘れたの?あの時は変な事、私が言っちゃって、困らせたと思うから、もうエリカには忘れてほしいって、私、言ったよね・・・?」
伊織の声は、明らかに生気が失せている。洞窟の奥から、反響しながら届いたように冷たく虚ろな声だ。語気も強く、いつもの伊織ではない事は明白だった。圧倒されないように、気を強く引き締める。こんな機会でもなければ、伊織の家に自分から乗り込む事など出来なかったろうから。
「・・・忘れられる訳ないでしょう・・・⁉伊織が、あんな思いをしながらずっと私の隣にいてくれたなんて・・・伊織の、私への『好き』が、友達としてだけじゃない『好き』だったって事も、昨日、伊織の思いを聞くまで、私、馬鹿だから分からなかった・・・!あんな話を水に流して、何もなかったように今まで通りただの幼馴染としてやっていくなんて、私は無理・・・」
そこまで言い終えた時だった。エリカの目には一瞬、宙を舞う紙達が見えた。そして、扉の隙間の奥へ・・・つまり伊織の家の中へと、エリカは伊織に腕を掴まれて、引き摺り込まれていた。
「えっ・・・?」
伊織の行動のあまりの素早さに、エリカは何が起きたのかも分からなかった。そして、その荒々しく腕を掴み、引き摺り込む仕草に、恐怖を感じた。伊織は、こんな仕打ちをするような人間ではなかった筈だ。
エリカに有無を言わせず、照明もない、部屋の奥へと伸びる玄関傍の廊下にエリカを引き込んだ伊織は、そのまま、力任せにエリカを床へと押し倒してきた。鞄が飛び、伊織はなす術もなく廊下に倒れ込む。そこに伊織が、両腕を押さえ込んで、エリカの体にまたがってきた。
「ちょ・・・っ!やめて、い、伊織!どうしたの、急に、こんな・・・!」
伊織は耳を貸そうともしなかった。伊織の動作に、エリカは、何かに伊織が操られているような違和感を抱いた。このように、エリカが嫌がっているのに、無理やりに乱暴な振る舞いをした事など、伊織はないのに、今日はまるで何かが乗り移ったかのようだ。
エリカは、恐怖を感じながらも、自分の上にまたがってきた、伊織のその顔に目を遣る。伊織の瞳は、新月の夜空よりも尚、暗かった。目尻には、涙を浮かべている。その一点の光もその中に見出せない、暗い瞳を見た時、エリカは確信を抱いた。『伊織の中に、人ならざる何かがいる』と・・・。
伊織から漂う、邪悪な気配は・・・あの時、人形の間でジュリアの人形を抱き上げた時に感じたのと、間違いなく同じものだった。
『くっ・・・どうして、伊織の中からジュリアの邪気が・・・⁉』
「もっと早く、こうしていれば、エリカも私の気持ちに気付いてくれた?ねぇ、教えて、伊織?」
伊織はそう言って、エリカへと唇を近づけてくる。何をしようとしているのか、悟ったエリカは、その顔に手を当てて、拒否を込めて、力いっぱい押し戻した。
「ねぇ、エリカ、私は苦しいの・・・。どんなに思っても、思ってもエリカの目は、あの人形を・・・エルヴィーラの事しか見ないから。どうやったらこの苦しさから解放されるかなって思ってた時に、エリカが来たの。力づくで私の物にしてしまえばいいって思って・・・」
伊織の声は、二つの声が重なっているようにも聞こえた。片方は伊織の声、もう片方は・・・人形の間で聞いた『ユルサナイ』という呪詛を発していた、ジュリアの声だ。伊織に向かって・・・正確には伊織の中にいる存在に向かって、エリカは叫んだ。
「伊織の中に、誰かいるわね!出てきてよ!こんな、伊織の体を使うなんて卑怯な真似しないで、姿を現してよ!私の知ってる更級伊織は・・・こんな事をいきなりしてくるような人間じゃない!」
声を震わせつつも、必死でエリカはそう叫んだ。すると、伊織の体がピタリと固まった。まるで、時間を止めたかのように、エリカの上で微動だにしなくなったのだ。
『フフフ・・・』
そして、紛れもない、ジュリアの笑い声が、暗い廊下に響いた。エリカにのしかかっていた、伊織の体は今度は力を失い始めて、ゆらゆらと前後に揺れ出したかと思うと、床に向かって倒れようとした。エリカは咄嗟に体を捩じって、伊織の頭を腕で抱きとめた。床に転がったまま、エリカは、廊下の奥から近づいてくる、影を睨んだ。
エリカの腕の中で、気を失ったように、伊織は全く目を開けない。
やがて、エリカの前に、見覚えのある、黒装束に身を包んだ少女人形-ジュリアそのものの姿をした、長い黒髪に、暗い目をした美少女が、闇からしみ出したように現れた。
「その姿は・・・、貴女、やっぱりジュリアなの?貴女もエルヴィーラと同じように、人間体に・・・?」
エリカが、ジュリアの服装を見間違う筈がない。目の前で自分を見降ろしている、黒いドレスの美少女は、ジュリアをそのまま人間にの姿にしたものに違いなかった。
「この姿で会うのは初めてね、エリカ・・・。貴女の言う通りよ、私の魂の一部は、今、伊織の中にいる。私と伊織は、エルヴィーラへの復讐の為に協力しているのよ」
「エルヴィーラへの復讐・・・?伊織と貴女が、協力してる・・・?」
「そう・・・。あの女の人形さえ、エリカの家に来なければ、エリカの一番好きな人形はずっと私のままでいられた・・・。そして、伊織も私と一緒で、エルヴィーラの事を恨んでいる。エリカがエルヴィーラにばかり夢中になるなら、私も人形になりたいなんて、叫んでしまう程にね・・・」
ジュリアの言葉にエリカは息を呑む。
やはり、あのオカルト同好会の部室での伊織とのやり取りを、ジュリアは聞いていたのだ。学校の中にまで忍び込んできて・・・。伊織が部屋から飛び出すように去った後に感じた、ジュリアの邪気は、気のせいではなかった。
「ジュリア、聞いてたのね・・・!あの時の伊織とのやり取りを・・・!」
「ええ。立ち聞き失礼したわね。でも、伊織が、エリカに自分を見てもらえるなら、人形にだってなりたいと言ってる事は知ってたわ。だって、あの子、昔、私にも言ったんだもの、エリカに言ったのと同じ事をね。知らなかったのはエリカだけ。だから、私と伊織はエルヴィーラに同じ恨みを抱いて、そして私は伊織の隠した思い・・・エリカのせいで苦しんでいた事も知ってる旧友という訳」
エリカのせいで伊織は苦しんでいた・・・。ジュリアのその言葉には、エリカも反論出来ず、唇を噛み締める。部室から伊織が飛び出していった時、エリカは確かに見たのだから。伊織の頬を零れた雫を・・・。それを、今、伊織の心の闇に付け込んで取り憑き、操ろうとしているジュリアに指摘されている事に、エリカはどうしようもない歯痒さを覚えるしかなかった。
だから、暗い廊下の向こうに立つ、闇から溶け出したような黒衣のジュリアに向けて、エリカは感情任せにこう叫ぶしかなかった。
「返して、伊織の体を返してよ、ジュリア!伊織の中から早く出て行って!」
「それをエリカに言う資格があるのかしら?今更、伊織の親友ぶって。伊織が何年も抱いてた気持ちを、あんな形でしか気付いてあげられなかったような貴女に?今の伊織は、エリカよりも、同じ恨みと、そして秘密を分かち合ってきた私を信じているわ」
自分の膝の上で目を閉じている、伊織に視線を落とす。エリカはその言葉に愕然とする。この・・・今や半ば怨霊と化してしまったジュリアの言葉の方を、伊織はエリカよりも信じているというのか。
「嘘よ・・・出鱈目を言わないで!」
エリカは、伊織の体をそっと、床の上に横たえる。そして自分の体を縛り上げ、動かせなくしていた恐怖という縄を、ジュリアへの怒りの力で振りほどき、立ち上がり、ジュリアの前に向かおうとした・・・。すると、いきなり、胴に急に後ろから腕を回され、抱きとめるようにされた。
「えっ・・・⁉な、何・・・?」
ジュリアは、あらゆる照明の消えたこの家の闇の中でも、何故かはっきりと浮かんで見える、不敵な笑みを浮かべながら、まだエリカの前方2、3メートルのところに佇んでいる。つまり、今自分を押さえつけているのはジュリアではない。という事は・・・。
「伊織・・・⁉」
振り返ると、エリカの胴にしがみつき、動きを止めていたのは伊織だった。蒼白になった顔に浮かべる、その表情からは生気が失せ、その眼差しからは、ジュリアの物と同じ邪気を感じて、エリカは身を震わせた。
「何してるの、伊織⁉離して・・・!」
「エ・・・リ・・・カ・・・。いっちゃ、やだ・・・」
エリカの耳に飛び込んできた伊織の声は、そのまま、エリカの脳髄、更には体中を凍り尽くすように、冷気を孕んでいた。エリカは、これもジュリアによる操作だと確信した。
「ジュリア・・・!!伊織に何をしたの・・・!!」
「何って、エリカの動きを止める為に、ちょっと伊織の体をまた、操らせてもらっただけよ。伊織の中にある、エリカを自分のものにしたいという気持ちを最大限に暗く、濃くしてね」
エリカは、生まれてこの方、少女人形にばかり興味を示し、家族と伊織以外の人間との、深い関わりを持った事がない。それゆえ、人の行為に深く哀しんだり、怒ったりした事がない。伊織は、エリカとの距離感を程よくとっていたから、思えば、喧嘩も少なかったし、ましてや、人にあそこまでの感情をぶつけられたのはあれが初めてだったかもしれない。
しかし、今は‐正確には相手は元人形だが‐、他者に対する激しい怒りという感情がどういう物か、エリカには分かる。耳の中にまで、脈が強く打つ音が響いていた。
「ジュリア・・・いい加減にして!!伊織は、貴女の好き勝手にしていい操り人形じゃない!!伊織を解放して!!」
自分にも、こんな怒りに震えた怒鳴り声が出せるのかと、エリカは驚いていた。しかし、エリカの怒声にも、ジュリアはびくともした様子はない。それどころか、その美しくも冷たい造形の顔に、皮肉を込めた笑みを浮かべて、こう返す。
「人間のエリカが、人形だった私にそれを言うとはね・・・。貴女こそ、エルヴィーラに夢中になったら、身勝手に、今まで遊んできたくせに、あっさりと人形の女の子達を捨てたじゃない。私だけじゃなく、人形の間のあの子達も、皆。エルヴィーラは憎いけれど、私はエリカにだって、憎しみはある。飽きたら人形の女の子達を、身勝手にも見放す主人の、貴女にもね。だから、その意趣返しに、伊織を私の『人形』として使ってみせてるのよ。どう?エリカの幼馴染が、操り人形になった姿は?これなら、エリカも、人形になった伊織の事、もっと見てあげる?」
ジュリアはくいと指を動かした。すると、伊織は一旦手を離したかと思うと、ふらふらと、上半身を糸で吊り上げられるように身を反らせたまま、立ち上がった。そして、今度は、エリカの事など眼中にないように、すたすたと、廊下の向こうにいるジュリアの方へ歩いていく。エリカは、急いで伊織の腕を掴む。
「何を考えてるの、伊織!!あっちにいっては・・・」
そう言い終わらぬうちに、伊織は信じられない程の強い力で、エリカの腕を跳ね除けた。人間と、人形の立場が完全に入れ替わっていた。美しい少女の人形が、悪霊と化して、自分の幼馴染を操っている。
するとその時、ジュリアが、何かの気配を察したように、視線の向きを変えた。そして、忌々しそうに、その美しい鼻梁にきゅっと皺を寄せた。
ジュリアが掌を此方に向けた。急にエリカの視界がぼやけ、強烈な眠気が襲ってきた。麻酔薬でも嗅がされたようだ。エリカは、足の力が抜け、廊下にそのまま倒れ込んだ。全身に力が入らない。
「邪魔が来たようね・・・。今日はこの辺にしておいてあげる。ああ、ついでに一つ、種明かしをしておいてあげるわ。この前の、朱宮家の窓硝子が砕け散った事件のね」
「た・・・種、明かし・・・?」
廊下に這いつくばった無様な恰好のエリカに、ゆっくりと、伊織を横に付き従えて、ジュリアは歩いてきた。そして、頭上からこう言った。
「あの時、朱宮家の前に行って、霊力を注いだのは、私ではなくって、伊織。私は、エルヴィーラみたいに完璧な人間体じゃないから、長時間元気に動けないの。霊力を沢山使った後なら特にね。だから、伊織の体に私の霊力を分けて、操って、朱宮家の前まで行かせたわ。つまり、私と伊織は共犯という訳ね」
「な・・・何、それ・・・!ま、待ちなさい・・・伊織を、何処に連れてく気・・・」
話を終えて、伊織と共に玄関の方へ歩き去って行くジュリアを、呼び止めるが、体には力が全く入らない。腕を伸ばす事すら出来ない。
「次もまた、私達で面白いものを見せてあげる。エルヴィーラがもっと苦しんで、エリカも苦しむような、そんなものをね」
そう、物騒な事を言い残して、ジュリアは伊織を連れて、振り返らずに歩き去っていった。それが、ジュリアの言葉で聞き取れた、最後の言葉だった。エリカの意識はそこで途絶えた。
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