第8話 新しい日常


んん……ここは……あぁそうか。

 俺は昨日から黒崎さんの家でお世話になってるんだったな。

 俺は体を起こして、少し部屋を見渡した。


「まるでミニマリストだな。」


机と布団とキャリーケースしかない部屋。

 まさかこうなるなんて昨日の朝には考えもしなかったな……。

 落ち着いて考えたら、昨日の俺は世界一不幸な一日を過ごした自信がある。


「おい、起きてるか?」


ダラダラと制服に着替えているとドアの向こうから未玖さんの声がした。

 俺は急いで着替えを終わらせて返事をした。

 

「お姉ちゃんが朝ごはん出来たって。だから早く来なよ。」

「へいへい。」


俺は部屋から出てリビングまで向かった。

 そういえば、未玖さんは学校に行ってないものの食事は一緒に食べるんだな。

 と言うことは原因は人間関係じゃない……。

 これなら彼女が心を開いてくれるのも難しくないかもしれない。


「……何? 私に何かついてる?」

「目と鼻と口がついてるな。」

「そう言うしょうもない会話はお姉ちゃんとやって。」


随分とピリピリしてるな。

 まぁ、そりゃそうか。

 いきなり知らない男が住み始めたからな。  

 本人が知らないうちにストレスが溜まっているものだろう。


「お、涼太おはよ〜。昨日はよく眠れた?」

「おはよう、黒崎さん。家よりも寝心地がいいくらいだ。」


そんな何でもない世間話をしながら俺たちは食卓を囲んだ。

 刻一刻と学校に行く時間が近づいていることも忘れて。


「そうだ涼太、バスの時間は大丈夫なの?」

「いや、バスは交通費がかかるから使わないことにした。」

「え、じゃあどうするの?」

「ん〜……最悪、歩きで行くしかないな。」


歩きで行くなら、もうそろそろ家を出ないとな。

 わざわざ行きたくも無いところに歩いていくなんて俺はマゾか何かなのかな……。

 俺は重りを吐き出すように大きなため息をつきながら用意をしていると、未玖さんが声を上げた。


「ねぇ。」

「ん?」

「あの……私が運動するために買った自転車があるんだけど……どうせならそれを使いなよ。」

「いいのか?」

「別に、少しくらい運動しなくても大丈夫よ。」

「そうか。サンキューな。」

「ふん。ごちそうさま。」


そのまま早足で自室に戻ってしまった。

 未玖さんはあれか、ツンデレってやつなのか?

 まぁ、おかげでだいぶ楽になったがな。


「珍しいね。未玖があんな顔するなんて。」

「そうなのか?」

「うん。数年ぶりに見たよ。」


心なしか黒崎さんが安心しているように見えた。

 彼女も喜んでいるのだろうか、妹の変化に。


「黒崎さん、俺も片付け手伝うよ。」


俺は彼女の隣に立って皿の片付けをした。

 この姉妹には少しずつでも恩返ししていかないとな。


「それじゃあ黒崎さん、俺は先に行くよ。」

「うん、私も後から行くよ。後、未玖の自転車は玄関の外に置いてるよ。」

「わかった。行ってきまーす。」


俺は玄関に行くまでの通路にある未玖さんの部屋の前で改めて礼を言ってから玄関を出た。

 玄関の外には、黒崎さんが言っていた通り自転車カバーがかけられたものが置いてあった。

 俺はその自転車カバーをのかすと、綺麗な赤色をしたロードバイクがあった。


「……本当に使っていたのか怪しいな。」


俺は未玖さんのプライドに敬礼をして自転車を押してエレベーターに乗った。

 しかし、流石はロードバイクだな。

 めちゃくちゃ軽い。


「さて、地獄に向けてレッツゴ〜。」


俺は自転車を40分程漕いで学校の駐輪場に停めた。

 うちの学校は関係者なら誰でも自由に駐輪場を使えるので許可証はいらない。

 久々にチャリを漕いだからか足が痛い。


「……分かっていたが、やはり視線が痛いな。」


横目で見ると、俺の方を見てコソコソと話すやつや笑っているやつ、挙げ句の果てにはわざとぶつかって来た奴もいた。

 覚悟は決めてきたが、実際にやられるとやっぱりきついな……。


「おはようございます、鈴原さん。」


そんな腫れ物扱いを受けている俺に平然と挨拶したのは俺の事情を知っているうちの一人、有栖川 紗夜だ。

 この状況で俺と話すなんてな……。

 ええ子やなぁ。


「鈴原さん?」

「あ、あぁ。おはよう、有栖川さん。」


まさか、普通の挨拶がこんなにも安心するなんてな。

 昔、姉貴が言っていた。

 『いい? 日常にヒビを入れるのは常に妄想なの。そして、その妄想が現実になった時、日常は完全に壊れるの。そして、一度壊れた日常は二度と修復できないの。』

 俺はそれを今、身にしみて味わった。

 俺の日常は完全に破壊された。

 もう二度と元の形には修復できない。

『でも、別の形にすることはできるの。そのために必要なのは、あんたの日常を直そうとしてくれるの誰かなの。』

 

「はぁ……まぁ良いです。早く教室まで行きましょう。」


直してくれようとする誰か……か。

 俺は、少し気を楽にして教室に入った。

 

✳︎

 

教室に入った俺に向けられた視線は、見世物小屋にいる珍獣に向ける視線のようなもの。

 言われなくても伝わってくる。

 『何しにきたんだ。』

 『学校に来るなんて馬鹿なのか?』

 『小森さんに謝れ。』

 そんな感情がひしひしと伝わってくる。

 俺はそんな視線を無視して自分の席についた。

 そのついでに小森と金平の方を見ると、何事もなかったように笑いあったいた。


「俺も有名人だな。」

「その様子なら、大丈夫そうですね。」

「まぁな、これから学校じゃ心を無にすることにするよ。」


とは言え、授業はちゃんと受けないと、留年したら元も子もない。

 授業はちゃんと聞かないとな……。


「おい。」

「……何だ?」


本を読んでいる俺に話しかけてきたのは話したこともない見た目の良い男。

 ……金平の友達か何かだろうか。


「お前、小森さんには謝ったのかよ。」


どうやら、ただの正義大好きマンのようだ。

 前の俺なら、かっこいいなぁ……とか思っていただろうが、今の俺には偽善者ぶってんじゃねぇよこの野郎としか思えない。

 ……少しからかってみるか。


「いいや? 謝ってないが……お前に関係あるのか?」

「ふざけるな! 俺は女に暴力を振るうやつが一番嫌いなんだ!」


大きな声をあげて俺に説教をしようとする男。

 小森と金平は気づいたらいなくなっていた。

 まぁ、その方が俺もやりやすいか。


「ふーん……で、俺が小森に暴力を振るっていたと言う証拠は?」


俺は声のトーンを変えずに聞いた。

 こういうすぐに感情的になるやつは大抵は何も考えていない勢いだけのバカだ。


「それは……小森さん本人が言ったんだ!」


小森が自分で言ったのか……。

 やはりバカだこいつ。

 そんなもの、何の証拠にもならない……が、もし本当なら小森に証言してもらうのは不可能だな。


「お前、法律関係の仕事には就かない方がいいぞ。」

「話を逸らすな! しっかりと小森さんに謝罪しろ!」


俺は時計を見た。

 HRが始まるまで後五分くらい……か。

 そろそろ黙らせるか。

 昨日一日で超捻くれた俺は、正義大好きマンにお灸を吸えることにした。


「つまり君は、何の証拠もなく俺を犯罪者に仕立て上げたのか。」

「は? 証拠ならさっき、」

「あんなもん証拠になるわけないだろ。俺がお前から殴られたって言ったらお前は犯罪者になんのかよ。」


こいつは本当にこの学園に合格したのか?

 まぁ、親が勝手に裏口入学させたとかもありそうだが。


「で、でも! お前が暴力を振るっていないという証拠もないだろ!」

「お前、本当に検察とか弁護士とか向いてないぞ。」

「はぁ?」

「無罪推定の原則を知らないのか?」


今時、中学生でも習うぞ、こんなの。


「うるさい! どうせハッタリだろ!」

「はぁ……刑事訴訟法第336条、被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡する……常識だ。何なら今調べてくれても構わないぞ。」

「……クソ……。」


男はそのままその場を去ろうとした。

 今までの俺ならここで逃していただろう。

 だが、今の俺は許さん。

 こう言うやつは、徹底的に潰さないとまた絡んでくる。


「おい、何処に行くんだよ。」

「え?」

「刑法231条、侮辱罪。不特定または多数の人が見られる中で口頭や文書を問わず、他者を侮辱することだ。」


正直、これが侮辱罪かは定義がわからん。

 だが、こいつには効くだろうな……こう言うバカには。

 案の定、男は部の悪そうな顔をしていた。


「そ、そんなの学生同士の喧嘩に適用されるわけ……。」

「残念だが、法律には年齢も身分も関係ない。俺がお前を訴えると一年以下の懲役もしくは禁錮、または30万円以下の罰金。後は拘留か科料だな。」

「え……あ……。」


そう、こう言うやつは具体的な罰を言えば簡単にビビり散らかす。

 まさか、金平達を説き伏せるために勉強した法律がこんなところで役に立つなんてな。


「……で? 何か俺に言うことは?」

「……くっ! すまなかった……。」

「すまなかった? お前、国語も苦手なのか?」

「す……すいませんでした……。」


男が謝罪したと同時にHR開始のチャイムが鳴った。

 俺は静かに自席に座ると、いつの間にか登校していた黒崎さんにニヤニヤとこちらを見ていた。


「……何だ?」

「いや、君も割と乗り気なんだって。」


俺がいつ乗り気になった。

 俺はただ、降り掛かってきた火の粉を振り払っただけだ。

 他意はない……と思う。


「君、何だか昨日よりも楽しそうじゃない?」

「気のせいだろ。」


まぁ実際、色々な重荷が降りて今はとても気が軽い。

 ……その代わりに面倒臭いことが増えたが。

 さっきの男といい、陰口を言っている奴といい、どうしてこうも腫れ物に触れたがるのか……腫れ物は触っちゃ行けませんって母親から学ばなかったのか?


「お前ら静かにしろ〜。HR始めるぞ。」


白石先生の一声で教室に沈黙が流れる。

 その後もいつも通りに一日が流れていった。

 俺一人が変わったくらいでは皆の日常は変わらない。

 その後も、昨日と一秒の違いもなく時は流れていった。

 ただ違うのは、周りの人間の俺への対応のみだ。

 

 ✳︎


放課後、終礼を終えた俺はそのまま部活動に直行した。

 というか、別に教室に残っても何もないし、家に帰ろうにも黒崎さんがいないと何かと気まずい。

 結論、部活に行く以外にやることがない。


「何だ涼太。水にH2Oを加えたみたいな顔をしているぞ。」

「鈴森部長、それは変化がないと言っているんですか、それとも面白味がないと言ってるんですか。」

「強いて言うなら後者だな。」

「いや、それなら理由は明白ですよね。」

「何だ、言ってみろ。できる事なら改善してやるが……。」


まさかこの人……本当にわからないのか……?

 

「いや、この部活、部長以外みんな自習してるんですが。」

「何だ、勉強はいい事じゃないか。」

「まぁそうですね。勉強はいいことですね。」


俺は視線を黒崎さんの方に向けた。

 一人授業用のプロジェクターを使って映画を見ている彼女に。


「これはいいんですか? 映画を見るのは百歩譲っていいとして、授業用のプロジェクターは不味くないですか? しかもご丁寧にヘッドホンまでつけて。」

「まぁ、いいんじゃないか? 誰の迷惑にもなってないしな。」


そう言いながら、勉強している比屋定先輩と本を読んでいる有栖川さんに目をやる鈴森部長。

 そして、ヘッドホンを外して近づいてくる黒崎さん。


「一緒に観よっか。」

「……うん。」


まぁ、誰にも迷惑かけてないしいいか。

 俺は諦めて、誘われるがままに映画を見ることにした。

 正直、途中から観たので内容が全然わからなかった。

 が、最初から見ていた黒崎さんもつまらなさそうな顔をしていたので別に後悔はなかった。


「……ねぇ涼太。」

「ん?」

「これから無事に帰れると思う?」

「ん〜無理。」

「根拠は?」

「帰納的推理。」


俺は脳死で映画を見ながら黒崎さんの疑問を流していく。

 だがまぁ、今日の朝のことがあるので、もしかしたら音沙汰なしの可能性もある。


「ねぇ涼太。」

「ん?」

「晩御飯何がいい?」

「……ハンバーグ。」

「わかった。帰りに八百屋さん寄って帰ろうか。」

「そうだな…………ん?」


危ない。

 ハンバーグが野菜炒めになってしまうところだった。

 適当に返すのは危ないな。

 俺は映画のエンディングを見ながら脳死で反応するのはやめる決意をした。

 

「ねぇ涼太。」

「何でしょう。」

「帰ろっか。」

「せやな。」

「よいしょ……っと。」


俺と黒崎さんは立ち上がって荷物をまとめた。

 気がつくと、比屋定先輩と有栖川さんは帰宅していた。

 鈴森部長も、もう帰りの準備を済まして本を読んでいた。


「あれ、由那ちゃん待ってくれたの?」

「鍵は私が返しに行ないとダメだからな。」


俺たちは教室から出て、鈴森部長が鍵を返しにいくのをついていった。

 

「涼太。」

「何ですか?」

「……今度、うちに来るか?」

「……え?」

「いや、何でもない。」


その後、しっかりと鍵を返して俺たちは解散した。

 無事に帰れないと思ったが、靴も自転車も何ともなく無事に帰宅できた。

 と、思っていた。


「……おいおい、道の真ん中で棒立ちは危ないだろ。」


時刻は午後七時過ぎ、学校からしばらく走ったところに人が立っているのが見えた。

 ……あれは……女子高生か?

 俺は、その女子高生に少し近づいたところで気がついた。


「え……お前は……日南?」

「うん、やっほ。涼くん。」


その姿は、紛れもなく俺の幼馴染、小森日南だった。

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