第3話 腐った卵
「……あ」
そういえば、朝陽がメッセージを送ると言っていたか。
思い出して、スマホの電源をつける。言葉通り、朝陽からメッセージが入っていた。
『またこれからよろしくな〜。とりあえず食事行って話したいと思ってるけど、そっち都合大丈夫?』
面と向かって惨憺たる現状を話す決意はまだできていないが、4年のわだかまりを解消するには会うしかあるまい。
『メッセージありがとう。火曜と水曜なら夜でも大丈夫で、他は夜以外オッケー』
起きていたのか、すぐに既読がつく。売れっ子とは言え、小説家は生活習慣が崩れやすいらしい。
『よかった、それなら3日後の水曜日の夜にしよう。19時に駅前のサイゼリアでいい?』
駅前のサイゼリアといえば、大学時代によくお互いの小説を読み合ったところだ。落選したときは食べたいものを片っ端から頼んで爆食いしたっけ。
……あれ。朝陽が受賞したとき、飯行ってないな。
口頭では「おめでとう」と言ったはずだ。これまでの努力が実ってよかったな、とも言った。しかし落選の慰め会はやったというのに、受賞祝賀会は行っていないことに気づく。
自分のエゴが恐ろしい。朝陽を祝っても祝わなくても、自分の現状は変わらないのに。それどころか、感化されていい作品を書く可能性すらあった。
『了解。先についたら連絡するわ』
『おう、俺もそうする。楽しみにしてるよ』
メッセージを確認し、電源を落とす。それなのに、手の震えは一向に止まってくれなかった。
まだ、俺は自分の末路を認識するのが怖いらしい。
祝賀会をやらなかった理由もそれだ。同い年の朝陽はこんなにも活躍しているのに、俺は書いても書いても落選ばかり。早く身を固めて、あわよくば結婚し子供を作り、その子の夢を応援するのが俺に掴める最大限の幸せだろう。
それが怖いんだ。
俺には小説しかなかった。幼少期から友人もロクに作らず本を読み、気がつけば自分で創作するようになり、当たり前のように近くの芸術大学文芸学部へ進学した。
秀でている学歴はなければ、他に特技もない。俺がやってきたのは創作としての文芸で、記事として読みやすい文章を書くならば他に優秀な人がごろごろいる。小説家志望者なんて腐るほどいて、そのなかで俺以上に才能があって努力している人もいるわけで。
25歳になって目を覚ましてしまったら、俺はどうやって生きていけばいいのだろうか。ずっと俺は、死ぬまで自分の才能と運を呪い続けて、「小説家になりたかった」と言いながら死んでゆくのだろうか。
ありありと想像できる終焉に絶望する。空はだんだん明るくなっているのに、俺の心はずるずると
唯一の武器である『小説』を否定されたら、俺には何もない。
『正社員になる気はない?』
店長の声がよみがえる。店長は何もない俺を正社員にしてくれようとしていた。エリートではないものの、地道に正社員として頑張っていたら道は開けるだろう。小説を書き続けるよりも、よっぽど。
「いや──」
やっぱり、諦めきれない。才能があるから書いてきたわけじゃない、楽しいから小説を書いてきたんだ。そして俺は、その楽しいことを仕事にしようと頑張ってきた。
大丈夫、今はまだ諦めなければいけない時期ではない。まだ才能が試されるような段階にいるわけじゃないだろう、努力すれば景色は変わるんだ。
きっとそうだ、そうなんだ……。
雨なんて降っていないのに、道路にぽつりと雫が落ちた。
◆
シナリオの仕事も一段落したら、ちょうど家を出る時間になった。この1日を乗り切れば休み、その次の日は朝陽との食事だ。
クライアントから修正の依頼が来るかもしれないが、この人は繰り返し俺に依頼してくれている。今までにもそこまでリテイクが出たことはないし、ここまで来れば安心だ。
今回のシナリオも気に入ってもらえたら嬉しいな。ウケを狙ったからだと複雑な気分にもなってしまうが、やはり視聴者に褒められるのも悪くない。
ちょっとだけ浮かれつつ、気恥ずかしいから顔には出ないようにしてコンビニへ向かう。いつものように店長とバトンタッチして仕事を済ませると、ボーナスタイムが始まった。
カクヨムはあれから更新していないし、どうせPV数に変動はない。応援コメントが来たらメールが届く仕組みになっているのだが、それも来ていないから見るだけ無駄だろう。そもそも落選作を公開しているから、この評価も妥当か。
読者評価チェックは飛ばして、メモアプリを開く。新人賞応募原稿がこの前終わったから、短編を書き始める。長編を書き切ったら、いくつか短編を書くのがいつしかルーティーンになっていた。
短編の内容は、高校生がいきなり異世界の戦場に送り込まれたというもの。神による能力付与はなく、結末で戦死者を馬鹿にするような発言をしたことによる天罰であることを明かす。主に書きたいものは、戦場の悲惨さだ。何もできない自分への無力感も描きたい。
設定とおおまかな流れをまとめ、書き始める。書きたくて書いているものだから、すいすいと筆が進む。自分の言葉で世界が創り上がってゆく万能感は何物にも変えがたい。想像する光景にぴたりと当てはまる言葉が出てきたときなんかは、小説の神様に熱烈な感謝を捧げるほどだ。
あっという間に時が過ぎ、客の来店を知らせるチャイムが鳴ったときには1時間が経過していた。さすがに職務放棄か、と焦りながらレジへ向かう。
疲れ切ったトラックドライバーが、缶のアイスコーヒーと牛カルビ弁当を持ってくる。年齢は俺より少し上くらいだろう。深夜2時くらいによくここへ来るので覚えていた。
「お弁当、温めますか?」
「お願いします」
ドライバーの男が小さく頭を下げる。車内で食べるのだろう、いつもレジ袋をつけていなかったからそのまま会計に進む。何も言われなかったため、おそらくこれで正解なのだろう。
レジ横にある割り箸を抜き取り、温めた弁当とともに差し出す。いつもなら『ありがとうございました』と言って終わりだが、何だかそれでは味気ないような気がする。レジ袋程度なら無言のコミュニケーションが可能になったのだ。
「お仕事、頑張ってください。ありがとうございました」
「……そちらも、お仕事頑張ってください。ありがとうございます」
再び小さく頭を下げ、男は店を出る。
どうか無事仕事を終えられますように。柄にもなく祈って、何か仕事はないものかと店内を回り始めた。
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