第2話 孵化した旧友
「……
その客は、見覚えのある顔をしていた。忘れもしない、俺がここから程近い私立芸術大学に在学していたときの同級生、七瀬朝陽である。同じく文芸学科に所属して、一時期はよく作品を見せ合っていた旧友だ。
違っていた場合に職務放棄していると思われないように、商品にバーコードを通す。
「えっと……」
向こうは俺の顔なんて覚えていなかったらしい。困惑しつつ朝陽は俺の名札を見て、やっと思い出したようで「ああ、
「いやぁ、久しぶりだな。文也は文筆業と兼業しながら、ここで働いてる感じ?」
俺は文筆業をしていると名乗っていいのだろうか。シナリオを書いていると言えば大層なものに聞こえるが、文章が得意なレベルなら誰でもできる仕事しかやっていない。
「……ああ、そうだよ。さすがに専業だけじゃちょっと厳しいし、貯金もしたいからさ」
一瞬の逡巡はバレてしまっただろうか。それとも特有のあっけらかんとした性格で、何もかも流してしまったのだろうか。
懐かしくてつい名前を聞いてしまったが、朝陽に俺の現状を聞かれるのは惨め極まりない。これ以上追求されたくなくて、話題を逸らす。
「朝陽は最近どう? 大学在学中にデビューしてたけど」
「それがありがたいことに順調で、ドラマ化が決まったんだよ。月9とかじゃなくて、サブスク限定だけどな。そのお祝い会をするために実家に帰ってきたんだ」
在学中にデビューした人がほんの数人いたが、朝陽もそのひとりだった。そのなかでも特に優秀で、歴史ある新人賞の大賞を受賞したのだ。
それまでは一次選考に落ちる仲間として一緒にご飯を食べていたのだが、急に才能と努力が開花してこうなった。朝陽は俺を気遣ってくれたのだが、受賞作発行の話は至るところから入ってくる。俺は嫉妬で徐々に朝陽から距離を取っていた。
今となっては、馬鹿なことをしたと思う。朝陽から本気でアドバイスを受けていたら、いまだに一次選考に落ち続けるということはなかったのではないか、と時折考える。
本屋にはほとんど行かず、節約のために新刊は電子書籍、発行してかなり経つものは中古をネットで買っている。たまに古本屋へ赴くこともあるが、あまり値引きされていない話題書コーナーは覗かないことも多い。
だから朝陽の本を目にする機会はあまりないのだが、俺が予想していたよりも順調らしい。旧友が活躍しているのは誇らしいものの、かつてはどちらが先に入賞できるか争っていたこともあり、素直に祝福できない、醜い感情もあった。
「おめでとう、報われたな」
しかしここで嫉妬をぶつけるほど、俺はクズではないと自覚している。どす黒い感情を抑え、誇らしい気持ちだけを全面に出した。
変に飄々と振る舞わず、嬉しさを表情に滲ませているところも好感を持つ。
「ありがとう。俺も、文也を応援してるよ。……あ、そうだ」
どうした、レジ袋か。
慌ててレジ袋を用意しようとすると、朝陽はスマートフォンを取り出した。電子マネーの決済かと考えたが、その画面を見てハッとする。
「業務中だから無理だったらそれでいいんだけど、これ俺のLINE。大学3年でスマホ水没したきり、文也とは交換できてなかったからさ。家に引きこもってるとなかなか友人関係も築きにくいし、書き手ならではの悩みも言い合えるだろ? 俺の自宅ってここからけっこう近いし、よかったら友だち追加してよ」
朝陽のアカウントのアイコンは、自分の作品らしき表紙だった。それに格の違いを感じつつも、チャンスだ、と利己心がささやいた。
今まで後悔してたものが、今叶おうとしている。そのためには自分の本当の状況を語らなければいけないが、背に腹は変えられない。プライドを守って夢も叶えられるような才能は、俺にはないのだから。
「バックヤードにスマホ置いてるから、ちょっと取ってくる。レジ袋いらないなら、このまま会計に進むけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫。その間に支払っとくよ」
その言葉を信じ、バックヤードからスマホを取る。立ち上げたらメモ帳が表示された。心を無にしてページを消す。
「お待たせ」
スマホを持って戻ると、宣言通り支払いは済まされていた。シフト連絡用でしか使っていなかったLINEを立ち上げ、朝陽のQRコードを読み取る。
久しぶりに友だちが追加されたことに、軽い感動を覚えた。残りは店長と両親、公式くらいである。
「へー、文也のアイコンちいかわなんだ」
その言葉にギクリとする。昼勤の女子大生の代わりに出勤することもあるから、俺の知っているキャラでいちばんかわいいものをアイコンにしたきりだった。もしかしたら『25歳フリーター男のアイコンがそれかよ』と思われているかもしれないと、今になって考える。
「最近ハマっててさぁ」
言外に『自分の著作関係にしないの?』と言われている気がして、言い訳じみた言葉を吐く。裏の意味を推察するけれど、朝陽はそんな意図を込めていないのだろう。わかっていたことでもあるが、朝陽は特に気にかかった様子もなく「いいよなー」と同調するだけだった。
『実は著作なんてないんだ』
そう言えていれば、緊張なんて覚えずに朝陽と会話できていただろうか。
「それじゃあ、そろそろ行くわ。またあとでメッセージ送るから、仕事終わったときとか暇なときに返してー」
朝陽はキラキラした表情を崩さずに、ポテトチップスを持ってコーヒーコーナーへ歩いてゆく。
朝陽の近くにいると自分が余計惨めな存在に思えてくるな。早歩きでバックヤードに行き、退店を知らせる音を合図にコーヒー豆を持ってレジへ向かった。
誰もいない店内で、深呼吸する。
どうやって取り繕おう。もしくはどうやって、真実を明かそうか。
考えても結論は出なかった。小説を書く気分には、到底なれそうもない。どうにか仕事を見つけ手を動かしていると、店長が出勤してきた。外はもう明るくなりつつある。
おはようございます、という挨拶に、店長はにこやかな笑顔を返した。
「お疲れ、
「いえいえ。平和な立地ですし、トラブルもありませんでした」
受け答えしながら、名札のバーコードをかざし退勤時間を記録する。1分刻みで残業代が出るため、仕事していないのに記録が遅れてしまったら申し訳ない。
「そうか、それならよかった。……実は、本社から納言くんに話が来てるんだけど」
いつも通り和やかな会話をしていたのに、突然店長が真剣な表情になった。
「正社員になる気はない?」
「正社員、ですか」
言われたことをそのままオウム返しする。
3年も高頻度で働いていたら、こんな話も出てくるか。冷静に考えるけれど、突然出てきた話にまだ処理が追いついていなかった。
「保険が充実するし、今よりも給料はアップするはずだよ。興味があるなら詳しい資料を送るけど、どうかな?」
ありがたい話ではあるが、今よりも拘束時間が増えて融通が効かなくなるだろう。フリーターとして就職したのは、売れっ子小説家になって働く必要がなくなるという夢を捨てきれていなかったからだ。
たしかに、あれから3年が過ぎて当時よりも現実が見えてきたとは思う。だからといって、その期待を即座に切れるわけでもなかった。
結局俺は、中途半端なのだ。
「すみません。今すぐには決めきれないので、一旦保留にさせてもらってもいいですか? できるだけ早く結論を出しますので」
「いいよ、大事なことだもんね。今日もありがとう」
「店長も、これから頑張ってください」
頭を下げて、店を出る。
朝陽。結果の差。才能の差。正社員。フリーター。
さまざまな出来事が頭をよぎって、心を苦しめる。俺は何を選び取ればいいのだろう。問いかけたところで、答えてくれる人はいなさそうだ。
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