第3話ー② ももの夜明け

「たくさんお友達できるかな……」


水蓮すいれんならきっと大丈夫だよ」


 誰かいる――? と教室の中から聞こえた会話に、ももは耳をすませる。


「だって今日までいっぱい挨拶の練習しただろ?」


「うん……でも、本番と練習は違うかなってスイは思うから」


 それは聞き覚えのある男の人の声と幼い少女の声だった。いったい誰なんだろう、とももはゆっくりと教室の扉を開く。


「おはようございます……」


 ももが教室を覗くと、そこにはスーツ姿の暁と学園指定のセーラー服を着たディープブルーの髪を揺らす少女の姿があった。


「もも、早いな! おはよう!」ニッと笑顔で言う暁。


「お、おはよう、ございます!」


 暁の隣にいた少女もそう言って頭を下げる。


「おはようございます」ももも少女につられて頭を下げた。


 誰だろう、この子。それに、こんな早くに先生と何をしていたのかな。


 ももが少女を見つめていると、「あ、紹介がまだだったな! ほら」と暁は少女の背中を押す。


「初めまして、三谷水蓮です。九歳です。よろしくお願いします」


「練習通りできたな! えらい、えらい!」暁はそう言って水蓮の頭を撫でる。


 えへへ、と嬉しそうに水蓮は暁を見上げた。


 今日からクラスメイトになる子か。三谷水蓮ちゃん、ね。


「うんうん」と笑顔で頷くもも。それからはっとして目を見開き、暁を見る。


「あの! 三谷ってことは、先生の子ってことですか……?」


「おう、そうだ! 水蓮は正真正銘、俺の娘だよ」


「えへへ。実はそうなんです」


「そ、そうですか……」


 あれ、今九歳ってことは、私と会った時にはもうこの子は暁先生の子で――


 思考がこんがらがり始め、ももの頭上に複数のハテナマークが浮かぶ。


「あの、えっと……」


 水蓮の言葉にももははっとする。


「あ、ごめんなさい。私は宇崎ももって言います。十三歳です。今日からよろしくお願いします」


「宇崎ももちゃん、宇崎ももちゃん……うん。ももちゃんがいいですよね! ももちゃん、これからよろしくお願いします」


「ももはな、すごく優しくて良い子だから、きっと水蓮ともすぐ仲良くなれるぞ」


「うん!」


「じゃあ、他の生徒が来た時もこんな感じに――」


 暁と水蓮の会話を見ながら、本当にこの二人が親子なのだとももは理解した。


 あれ……でも、子供がいるってことは――


「先生、結婚されていたんですか?」


「ん? ああ、三年前にな!」


「なるほど……」


 三年前? ももは首を傾げる。水蓮の年齢と結婚した年を考えると、水蓮が結婚相手との間に生まれていない子だということはももにでもわかった。


 この子と先生の間には何かがある。しかし、きっと何かの深い事情があるのだろうと思い、それ以上言及することはなかった。


 でも、先生は結婚してたのか――ももはそう思いながら落胆するように小さなため息を吐く。そして自分は何を期待していたのだろうと少し恥ずかしくなった。


「じゃあ、今日からよろしくな! と言っても、俺は学園長って立場だからあまり教室には顔を出せないかもしれないけど」


「え? 先生が授業をみてくれるんじゃないんですか!?」


 また新たな事実を知り、ももは目を丸くする。


「そうなんだよ。でも、俺よりももっと素晴らしい先生が見てくれる。だから大丈夫だ!」


「そうですか……」


 暁先生の授業を期待していたんだけどな、とももは肩を落とした。


 それは限界まで膨らんでいた風船の口を開け放ち、中にあった空気を一気に抜かれるような思いだった。


 喜びと言う気体はいつの間にか遥か彼方へと流れていき、そこには空虚さだけが残る。


「ももちゃん! 先生とだけじゃなく、スイともお話ししませんか!」


 水蓮はももの裾を軽く掴んでそう言った。


 はっと我に返ったももは、水蓮の方を見つめる。


「ああ、うん。そうだね」


「わーい!」


 水蓮は嬉しそうにそう言うと、ももの腕にぎゅっと抱き着いた。


 唐突のことでももはぎょっとしたが、人懐っこい子なのかもしれないとそのまま水蓮を受け入れたのだった。


「さっそく仲良くなったみたいだな! じゃあ水蓮はももに任せて、俺は学園長室に戻るよ。たぶん他の生徒たちも来る頃だろうしな」


 暁はそう言い残し、教室を出て行った。


 二人きり、か――


 ももは腕に抱きついた水蓮を見ながら、何を話したらいいかと考えを巡らせる。もう少し年齢が近ければ、会話の内容に悩むことはないのにと困った顔をしていた。


 ほんの少し沈黙が続くと何かを思ったのか、水蓮は突然ふっと顔上げる。

 水蓮と目が合ったももは、その宝石のように美しい碧眼に吸い寄せられ、目が離せなくなっていた。


 可愛い。ううん、すごく綺麗だ――


「さっきからずっと言おうとしてたんですけど」


「え?」


「ももちゃんの髪、ふわふわのついてて可愛いですね!」


「ああ、これ?」


 ももは自分の髪を括るピンクのシュシュに触れた。


「小学生のころ、ママがくれたの」


「そうなんだあ、いいなあ」


「水蓮ちゃんはそういうのをもらったことないの?」


「うーん。今のお母さんはいろいろ買おうとしてくれるけど、遠慮しちゃってもらえないんですよね」


 そう言ってさみしげに笑う水蓮を見たももは、これ以上じぶんがこの話を深掘ることは許されなような気がしていた。


「じゃあ今度、余ったシュシュあげようか? 私、似たようなものをたくさん持ってるから」


「本当ですか!?」


 目を輝かせながら水蓮は言う。


「うん、本当だよ」


 輝きが戻ったその瞳を見て、やっぱりこの子の瞳は綺麗だなと思い、ももは微笑んだ。


「わーい! ももちゃん、ありがとうございます!」


 そう言って無邪気にはしゃぐ水蓮を見ながら、この子もきっと何かある子なんだと察したもも。


 私とは違うかもしれないけれど、きっとお母さんとの問題を抱えている――と。


「ももちゃんは、スイのお友達第一号です!」


「じゃあ私のお友達第一号は水蓮ちゃんだ」


 それからももと水蓮は教室の窓側で並んで立ちながら、好きな食べ物や好きな教科は何なのかなど、何気ない会話をして過ごしたのだった。

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