第3話ー① ももの夜明け

「もも、何かあればすぐ帰ってくればいいからな」


 電話口で不安げにそう言う父に、ももは苦笑する。


「わかってる。ありがとう、パパ。じゃあ、行ってきます」


 ももは通話を終え、ベッドの上にあるスクールバッグにスマートフォンをしまった。


「心配しすぎだよ……私だって、もう中学生なんだもん! パパがいなくっても大丈夫なのに」


 とため息交じりにももは呟く。


 心配してくれることは嬉しい。けれど、いつまでもパパがいなきゃ何もできない子供でいるのは嫌だ。ももは父の顔を思い浮かべながら、そう思っていた。


 そう、自立するために私は一人でここにいる。その決意の一つとして、「もも」と呼ぶことをやめたんだから。


「今日からここで、私は一人。パパもママもいない」


 ぽつりとそう呟き、ももは部屋を一望する。


 国立夜明よあけ学園、女子寮三階の三〇四号室。寮の一階には寮母がおり、部屋は六畳ワンルームタイプの間取りで、ベッドと勉強机だけが設置されていた。収納用にクローゼットがあり、トイレも各部屋に用意されているんだとか。


「これから六年間、ここが私の家で居場所なんだ」


 夜明学園の入学案内を見た時、『遠方に住む生徒は学生寮への入寮が可能』という記載を見つけたももは、父に寮で暮らしたいことを伝えた。隣県からの通学は時間もかかるだろうし、何よりももは家を出たいと思っていたからだった。


 そして、


 私が家にいると、いつまで経ってもママは戻って来られない――


 昔の母に戻ってほしいと願っていたことも家を出る要因の一つだったのである。そんなももの気持ちを察してか、父はももの入寮を承諾したのだった。


 入寮は三月末から四月の初登校日までの間に済ます必要があり、ももは父の仕事の都合で入寮日が期限ぎりぎりの初登校前日となっていた。そのため、他の寮生の顔を知らないままこの日を迎えたのである。


「他の寮生の子は、きっと教室でも顔を合わせるよね」


 ももはスクールバッグを肩に掛け、寮の部屋を出た。部屋の施錠を確認してから、外廊下から見える外の景色に目を遣る。


「ビルがたくさん。これぞ、都会って感じだね」


 そして視界の先にあるいくつか大きなビルに紛れて、ひっそりと存在しているこれから向かう学び舎を見つけた。


「ここからだと本当にすぐそこなんだねえ。あ、桜だ」


 綺麗に咲いてるじゃない――と呟き、口の端を小さく持ち上げると、ももは颯爽と歩き出す。両耳の下でピンクのシュシュに括られた髪とセーラー服の黄色いリボンががふわりと風になびいた。


「暁先生の学校。暁先生とまた一緒にいられるんだ」


 新たな学校生活、憧れの人との再会を心待ちにして、ももは夜明学園へ向かうのだった。




 夜明学園に到着したももは、昇降口で上ぐつに履き替え、廊下を進んでいた。


「ちょっと早すぎたかな」


 ももは静まり返った廊下を一人で歩き、嬉しそうに呟く。


「でも、これから暁先生と一緒なんだもん。こんなに幸せなことはないよ」


 いつも以上に心が弾んでいるももは、今にも踊り出しそうな気分だった。


「えっと。二階の奥の部屋が、第一期生の教室だって言ってたよね」


 ももは二階に上がり、奥の教室を目指した。窓の外を見つめると、桜の花がチラチラと吹雪のように舞い散っている景色が視界に入る。


 春は良い。何か出会いを予感させてくれる。暁先生との再会も、その出会いの一つなんだろうな。


 そんな喜びに満ち満ちた想いで、ももは教室の前までたどり着いた。


「たくさんお友達できるかな……」


水蓮すいれんならきっと大丈夫だよ」


 誰かいる――? と教室の中から聞こえた会話に、ももは耳をすませる。


「だって今日までいっぱい挨拶の練習しただろ?」


「うん……でも、本番と練習は違うかなってスイは思うから」


 それは聞き覚えのある男の人の声と幼い少女の声だった。いったい誰なんだろう、とももはゆっくりと教室の扉を開く――。

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