第6話ー③ 将来と覚悟

 寮までの帰り道、ももは長瀬川と話したことを思い出しながら歩いていた。


「長瀬川先生、かっこよかった。いつか私も、長瀬川先生みたいに言える日が来るといいな」


 角を曲がると、ももは小さな女の子がしゃがみ込んで何かへ必死に呼び掛けている姿を見つけた。不思議に思ったももは、ゆっくりと少女の元に歩み寄る。


「どうしたの?」


 ももが尋ねると、少女ははっとしてももの方を見た。

 目には今にも溢れそうなほどの涙がたまっていて、ただ事ではないのだろうとももは察する。


「わさ朗が、急に座り込んで……そしたら、動かなくなっちゃって。どうしよう、お姉ちゃん」


「わさ朗……」


 ももは少女の横で倒れ込んでいる柴犬を見て、確かに具合が悪そうだと感じた。


 そして、自分が小学生の時に具合が悪そうだった子うさぎを担任の先生が動物病院へ連れて行ったことを思い出す。


 この子も病院へ連れて行った方がいいのかな。でも、私が勝手にそんなことをしたら――


『この子を助けてあげて、もも』


 どこからともなく聞こえた声に、ももは周囲を見渡した。


 今の声は誰――? 首を傾げつつ、ももは涙目の少女のすがるような視線とぶつかる。


 この子にとってのわさ朗が、昔の私にとってのあの子屋にいたうさぎたちなんだ。だったらこの子が私と同じ道を辿らないために、私は最善を尽くさなくちゃ――


 ももは小さく頷く。


「病院、連れて行こっか! 私がわさ朗を抱っこするね。病院の場所は分かる?」


 少女は小さく首を横に振った。


 そしてももは鞄に入っていたスマートフォンを取り出し、近くの動物病院を検索する。検索結果は三件で、この場から一番近い病院を選択した。


「徒歩十分か……ここなら」


 マップのナビ機能を起動し、ももは少女にスマートフォンを渡す。ももからスマートフォンを受け取った少女は、困惑した表情でその画面を見つめていた。


「じゃあ行こうか。あなたはそのナビ通りに私を案内してくれる?」


 少女は大きく頷くと、「あっち!」と言って歩き出す。ももは横たわったわさ朗を抱きあげ、少女を追った。


「くぅぅん……」


 わさ朗はももの腕の中で苦しそうに唸っていた。


「大丈夫。もうすぐ病院だよ」


 わさ朗に優しく言い聞かせるもも。


 ミケさんのように、心で会話ができるのではないか――ももはそう期待して、わさ朗に心で呼びかけてみたが、返答はなかった。


 やっぱり能力者同士じゃないとダメなのか、とももは落胆する。


「頑張って、わさ朗」


 ももは祈るように呟き、先を急いだのだった。




「あ、あそこ!」


 少女が声を上げて指を差した先には、「ニコニコ動物病院」という看板があった。


「急ごう」


 それから少し歩くペースを速め、ももたちはナビ通りの約十分で動物病院に到着したのだった。


 ガラス戸を開けて中へ入ると、待合室では何組かが診察待ちをしている様子が窺えた。


「混んでるのかな……」


 そう言って心配そうな顔で少女は待合室を見渡す。


「とりあえず受付しちゃおう。その時になんとかしてもらえないかを聞いてみようか」


「うん」


 それからももと少女は待合室にいる人たちの間を縫って、受付に向かった。


「こんにちは! 診察券をお預かりします!」


 はきはきとした声で受付に立つ女性は言う。


 ももは少し申し訳なさそうな顔をすると、


「すみません。今日が初めてなんです。この子の容態があまり良くなくて……」


 そう言って腕に抱くわさ朗を少し持ちあげて見せた。


 受付にいた女性は少し驚いた顔をすると、「少し待っていてください」と告げ、奥に引っ込んでいった。


 少女はももの腕に抱かれているわさ朗を見て、心配そうな顔をする。


「大丈夫だよ。きっとお医者さんがわさ朗を助けてくれるから」


「本当?」


「うん」


 それから診察室とプレートに書かれた部屋から白衣の女性が出て来ると、ももたちのところに駆け寄った。


「診察するので、こちらへ」


 そう言った女性を見て、この人は獣医師なんだろうなと察したももは彼女の指示に従う。


 診察室に入り、わさ朗をベッドに寝かせると、女性獣医師が触診をしてから聴診器でわさ朗の鼓動を確かめていた。


 苦しそうな顔でベッドに横たわるわさ朗を見て、

 お願い、わさ朗を助けてください――ももは心の中でそう祈った。


 すると突然、喉元が焼けるように熱い感覚を覚える。目を見張りながらももは自分の喉にそっと手を触れ、何もないことを確認した。


 もしかして、今のはわさ朗の感じていることなの――?


 ももはわさ朗に目を遣る。

 そこには息を荒げて、苦しそうに横たわったままのわさ朗の姿があった。


「――えっと、飼い主さんはどちらです?」


 女性獣医師に尋ねられ、ハッとしたももは「この子です」と少女の肩を抱く。


「お父さんかお母さんは今お家にいるかな?」


 少女が頷くと、


「今すぐ呼んできてもらえる? 大事な話があるから」


 女性獣医師は真剣な表情でそう言った。


「わかりました」と少女は急いで診察室から出て行く。


「そんなにわさ朗。悪いんですか?」


 残ったももはその女性獣医師に尋ねた。


「そこまで悪いわけじゃないけど、治療は必要になる。でも、勝手に治療はできないから、許可がいるの。動物相手だけど、魂があって、生きているのは人間と変わらないからね」


「そうですか」


 それからももは診察室を出て、少女が戻って来るのを待った。そして少女が母を連れてくると、ももは少女たちに後のことを任せて、動物病院を後にしたのだった。




「動物も人も同じってことなんだよね……じゃあ、動物の魂を宿す私も、動物と同じで人間と同じってことなんじゃない」


 ももは寮に戻るまでの道中、動物病院で見ていた光景を思い出す。


『この子を助けてください!』


 小鳥を抱えたまま、涙目で訴える高校生くらいの男子。


『今回も問題無しだって。長生きしてね』


 ゲージに入った猫を微笑みながら見つめる老いた女性。


 来る人来る人が、友人や我が子のようにペットたちを連れて来院していた。


 そして対応するスタッフたちも、人間の患者と接せるように声を掛けたり、急患を優先したりとその時の最善の行動をする。


「すごいな。みんなかっこいい」


 自分の中にある動物の魂が、なんとなく浮足立っているような気がした。


「獣医さんか……良いかも!」




 翌日、ももは登校するとすぐに職員室にいる長瀬川の元へと向かった。


「先生! 進学にします! 獣医学部のある大学に行きます!」


 昨日の今日で何があったのか、と長瀬川は少し困惑した顔をしたが、「わかった」と小さく頷いて笑った。


 この日からももは、獣医学部のある大学への進学に向けて、勉強に励むことになった。


 『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』の能力が覚醒してから、なぜかももの学力は飛躍的に上がっており、志望校への判定も『A』という結果で、学力的には問題ないだろうと長瀬川に言われていた。


 しかし――


「学費か……」


 獣医学部は医学部同様にかなり高額の学費が発生することをももは初めて知ったのは、大学のパンフレットを取り寄せた時だった。


 ももは貧しい家庭の子というわけではなかったが、母の治療費のことを考え、学費の件は父に少々頼みづらいなと感じていた。


「私のせいで治療が必要になっているのに、それで大学の費用もなんて……とても頼めないよね」


 奨学金という制度もあるのか、とももはパンフレットに目を落としながら思う。


 翌日、長瀬川に奨学金を借りられるかを尋ねると、「宇崎さんは難しいかもしれない」と返答が来た。


「親御さんと一度話し合ってみたらいいんじゃないかな」


「でも……私。両親とはあまりうまくいってないって言うか……きっと反対されると思うんですよ。そもそも両親は私の能力のことを良く思っていないですから」


 だから、動物に関わる仕事がしたいなんて言ったら、きっとママはもっと壊れちゃうかもしれないし、パパだってどうなるか――


「宇崎さんの本気が伝われば、きっと理解してもらえるはずです。だから一度くらいはトライしてみましょう! それでダメなら、他の方法を一緒に考えましょう。私は宇崎さんの担任なんだから、一緒に悩ませてください」


「先生――ありがとうございます! 私、やってみます!」

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