第6話ー② 将来と覚悟

 授業後。職員室に呼び出されたももは、長瀬川と向かい合って座っていた。


「宇崎さん。進路は決まりましたか」


 長瀬川は淡々とももに尋ねる。


「えっと、それが……」


「確か、就職希望でしたよね」


「はい……」


「具体的にどんな職に就きたいというのをお伺いしておきたいのですか」


「――はい」


 そう言われても特にないとしか言いようがないのですが。ももは苦い顔をしながら思う。


 長瀬川は何かを問うでもなく、黙ったままのももを見つめていた。


 何か答えない限り、帰してもらえないのかもしれない――そう察したももは、適当に答えて場を切り抜けようと思い、口を開く。


「IT企業とか、いいかなって思ってます」


「具体的に、どこがいいとかは?」


「ああ、ええっと……」


 ももが目を泳がせていると、長瀬川は「ふう」と一息ついた。


「最初に就職する場所が永久に勤める先になるとは限らないけれど、適当に選んだ場所で適当に働くだけでは、無駄な時間になってしまうかもしれません。得られるものもあるでしょうが、別の選択をしていれば……と後悔に繋がることもあります。宇崎さんの人生に私が口出しをすることはお節介なのかもしれないけれど、後悔のない選択をしてほしいです」


「そういう先生は、教師になって後悔しなかったって言うんですか」


 ももはむきになって、長瀬川に尋ねた。


「辛いことや苦しいことはありましたが、でも後悔したことはないです。今でも教師で良かったと私は胸を張って言えますよ」


 この人は綺麗ごとを言っている。ももは長瀬川をめつけ、食い下がる。


「自分の叶えたい夢を叶えられたのなら、きっとそれは後悔ないでしょうね。でも、私には夢もないし、目標もない。それに未来への希望や親からの声援だって……誰からも必要とされていない私が何を頑張っても無駄に思えてしまうんですよ。先生にはわからないかもしれないけれど」


 私には真っ暗な未来しかないの。普通に生きてきたあなたに、私の苦労なんて分からないでしょう? もう、放っておいてよ――


 ももは奥歯を噛みしめ、長瀬川を睨んでいた。


「何もないと決めつけてしまえば、きっとそれまでじゃないですか。夢も目標も今からだって見つけられる。希望はあると信じていればきっとあるものだし、親からの声援は宇崎さん本人の頑張りがどこまで親御さんに届くかどうかだと思う」


「能力者でもない先生が、わかった風なこと言わないでくださいよ! 何にも分かってないくせに、わかったふりだけして私達を社会から追い出そうとする――大人はみんなそうだ! 社会ってそういうものなんだ!!」


 ももは俯きながら両手をぐっと握りしめ、強く目を瞑った。

 こんな社会は嫌だ。何も見たくない、聞きたくない、と。


「ここで会った先生たちや外部からくる大人たちをそんな風に見ていたんですか」


 その言葉にハッとしたももは長瀬川の顔を見る。悲しそうな顔で見つめている長瀬川に少しばつが悪くなり、ゆっくりと俯いた。


「――こ、ここの人たちは、違うって思いたいです。でも……本心は分からない。本当は私のことだって化け物扱いしていて、無理して笑顔で関わってくれているのかもしれないじゃないですか」


 私の、ママみたいに――


 ももは膝の上に置いた両手の拳を再びぐっと握る。


「怖いのは当たり前です」


「ほら、やっぱり……」


「そんなのは能力者であってもなくても一緒。人間と関わるのは怖い。自分以外の人間のことを理解しようと思うのなら、なおさらね。だから、私だって初めは怖かった――でも」


 何かを思い返しているのか、長瀬川は少し間を置いてから小さく息を吐いた。


「長く関わっていくことで知っていけることもあるし、一度の失敗で挫折しても長い年月をかけて、その失敗に意味があったことを知る機会が必ず訪れる。すぐには無理でも、いつかはわかり合える日が必ず来るって思ってるよ」


 長瀬川は穏やかな声でそう告げた。

 彼女の経験則なのだろうか。ももはそんなことを思いながら、彼女の言葉に耳を傾ける。


「人間はみんな怖がりなんだ。怖いと思うことに、大人も子供も、親も娘も関係ない。それぞれが感情を持った一人の人間なの。だから相手にどう思われるかは、自分の頑張り次第なんじゃないかなと私は思います」


 怖いと思うことに、大人も子供も、親も娘も関係ない――


 長瀬川の言葉を反芻しながら、ももは太ももに置かれている自分の両手を見つめた。


 私はいつまでもママの娘だってことに甘えていたのかな。ママだって一人の人間で、未知の経験に恐れているだけなのかもしれないのに。


 ももがゆっくりと顔を上げると、太陽のような笑顔をする長瀬川の姿があった。


 彼女の笑顔の輝きが、真っ暗だったももの未来に一筋の光を差す。

 その光は徐々に広がり、未来を塗りつぶしていた黒い何かを剝ぎながら光の道を作っていった。


 彼女の光が、私の未来を照らそうとしてくれているのだろうか――


「ごめんなさい。つい熱くなってしまったわね。三谷学園長の姿を普段から見ていると、つい熱くなっちゃうっていうか。本当に不思議な人よね」


 そう言ってクスクスと笑う長瀬川。


 その声にハッとしたももは、「そうですね」と笑顔で返していた。


「じゃあ、今回はとりあえず就職ということにします。でも、今度の進路調査の時はちゃんとした答えを聞かせてくださいね」


「はい、わかりました」


 そして長瀬川から解放されたももは、笑顔で職員室を後にしたのだった。

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