第6話ー④ 将来と覚悟

 七月。ももは夏休みを利用して、実家に帰省していた。


 地元の最寄り駅を降りると、見覚えのある青いワゴン車が目に入る。そのワゴン車の窓がゆっくりと開くと、中から父が顔を出した。


「おーい、もも!」


 呼ばれたももは駆け寄り、


「ありがとう、パパ」


 笑顔でそう告げた。


「これくらいのことしかしてやれないからね。じゃあ、家に帰ろうか。ママが待ってる」


「その前に――」とももは助手席に乗り込む。


「パパに聞いてほしいの」


 そう言って俯くももを見て、父は首を傾げた。


「もも?」


「えっと、その……進路のこと、なんだけど」


 ももは父の目を見据え、ためらいがちにそう言った。


「ああ、もうそんな時期だったか」


 父は柔らかい笑顔で告げる。


 パパは何を思っただろう。今、何を考えているのだろう――ももは父の目を見据えながら思う。


「それで。ももはどうしたいんだい?」


「私――私ね、獣医になりたいの。前に動物病院に行って、その時に見た獣医さんの姿やそこで働く人たちを見て、私もこの業界で働きたいって思った」


「うん」


「だから、ママの治療費がかかってることも分かってるし、それが私のせいだってことも分かってる。だけど……獣医学部に通う学費を出してもらえませんか!」


 お願いします、とももは父に深く頭を下げる。目を瞑り、両手で拳を握った。


 私にできることはもう他にない。だからお願い。届いて、私の想い――


「ももはもっと私にも、ママにも甘えればいいのに」


 その声にハッとして、ももはゆっくりと顔を上げる。そこには優しい笑顔をする父の姿があった。


「パパ?」


「ももにやりたいことが見つかったなんて、パパは嬉しいよ。いつも一人で辛いことや苦しいことばかり背負わせてしまっていて、不甲斐ない父だと思っていたんだ。でも、こうして頼ってくれたことも、やりたいことがあると言ってくれたこともパパにとってはとても嬉しくて幸せなことだ」


「パパ」


「今のママは、すぐにその現実を受け入れてくれないかもしれないが、きっといつか嬉しいって言ってくれる日が来る。だからももは自分のやりたいことに向かって突き進みなさい。パパはずっともものパパで味方でいるからね。もちろん、ママだって」


「……うん!」


 いつか私が獣医になって、ママに胸を張って今を話せるようになったらいいな。そしてあなたの娘はすごいんだって言えるくらいに――


 それからももは母には会わず、父と食事を済ませてから寮に帰っていったのだった。


 次に母と会うのは一人前の獣医師になった時。それくらいの想いを持って私は挑戦する。それが私の将来への覚悟なのだから。




「長瀬川先生。ちゃんと話し合ってきました。それで、応援してくれるって……父が」


「そっか。きっと宇崎さんの想いが伝わったんだね。すごいよ」


 長瀬川は太陽のような笑顔でそう言った。


 ああそうか。初日に言っていた素晴らしい担任教師という意味はこういうことだったのか、とももは思う。


 きっと自分だけではどうにもできなかったかもしれない。学費のことじゃなく、将来のことも彼女から教わった。後悔しない人生にしなさいとそう教わった。


「長瀬川先生が担任で良かったです」


「そう言ってもらえるのは、教師冥利に尽きるわね」


 嬉しそうに長瀬川は笑う。


 その後、本格的に受験シーズンが始まり、ももは志望校に無事合格した。そして七度目の春を迎え、ももたちは夜明学園を卒業したのだった。




 卒業後、ももは獣医学部で学び、資格を取って卒業すると、大学近くの動物病院で勤務することが決まった。


 その頃にはもう『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』の能力が消失しており、ももは普通の一人の人間としての人生を始めていたのだった。


 そして動物病院で勤務を始め、六年ほどが経過していたある日。もものスマートフォンにとある場所からの着信が入る。


「実家から……お父さん、かな――はい」

「もも」


 久しぶりに聞く母の声だった。ももは驚いて目を丸くし、声を詰まらせる。


「もものケータイであっているわよね」


「あ、う、うん。久しぶり、お母さん」


「久しぶり」


「どう、したの……」


 緊張で声が震え、額から汗が噴き出すもも。

 まだ心の準備なんて、できていないのに。どうしてお母さんは電話を――。


「声を聞きたくて。今、どうしているのかなって」


「そっか。私は元気にやってるよ」


「良かった」


 ももは自分が獣医師になったことを伝えるべきだろうか、と逡巡していると、


「パパから聞いたわ。獣医さんになったんだってね」


 と嬉しそうに母は言った。


「え……知ってたんだ」


「うん。ももが獣医になったぞって、大学を卒業した時だったかな」


 お父さんはちゃんとお母さんに私が獣医師になるって話をしていたんだ――ももは何とも言えない思いになり、スマートフォンを握る手に力が入る。


「私、自分のことばかりでもものことを何にも知らないんだなってその時に思ったの。それなのに、ひどいことばかり言って、ももをたくさん傷つけた……今更なのは分かってるけど、でも言わせて」


 母は小さくすうっと息を吸うと、


「――――本当に、ごめんなさい。こんな母親で、弱い母親で本当にごめんなさい」


 震える声でそう言った。


 何かに胸を突かれたようにももはハッとすると、小さくかぶりを振る。


「お母さんは、何も悪くない。私も気づくべきだった。お母さんだって一人の人間なんだって。母親だからって私のことをなんでも受け入れてくれるって勝手にそう思っていたの。お母さんのこと、分かってあげられなくて、ごめんね。こんな娘でごめんね」


 言いたかった言葉、言えずにいた言葉。今だから分かる。長瀬川先生が教えてくれたから。


「そんな気を遣わせていたなんて……」


 ごめんなさい、母は涙ぐんだ声でそう言った。


「でも、もういいんだよ。お互いに謝ったなら、これで終わりにしよう。これからまた、新しい関係を築いていけばいい。私たちはこれからも親子なんだから」


「ありがとう、もも」


 それからももは数日後に一時帰省することになった。約十年ぶりの母との再会。ももは胸を躍らせる――

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