第2話ー③ 事件前後

 数日後。ももの家に黒服を着た男が訪れた。


「政府の方針でお子さんをしばらく観察対象とすることになりました。残念ですが、隔離施設へ連行します」


 黒服の男は、玄関先で母に淡々とそう告げる。


「うちの子、何か危ない能力なんですか?」


「最近ニュースでも取り上げられていたかと思いますが、身体を動物に変化させる能力者は、理性を失い人間を襲う危険があります。そうなる前にこちらで手を打ちたいのです」


「人間を襲う……」


 母はぽつりと呟き、後ろにいるももを見つめた。目と目が合う。ももは久しぶりに母の顔をちゃんと見た気がした。


 ――うちの子がそんなことをするはずはない。ももは母がそう言ってくれると信じていた。


 しかし。実際に母からそんな言葉を聞くことはなかった。


 しばらくももを見つめ、険しい表情をすると、母は黒服の男にゆっくりと視線を戻す。


「そんな危険な力だったなんて……今すぐに連れて行ってください。人間を襲う前に。人間じゃなくなる前に」


 淡々とそう告げた母の背中をももは見た。


 ママは黒服の人を信じるの? ずっと一緒にいたもものことじゃなく――?


 その背中から悲哀の感情はまったく感じられない。


 まるで、分厚くおぞましい壁が目の前に立ちはだかっているようだった。


 手を伸ばせば触れられるほどのところにいるはずなのに、どれだけ手を伸ばしてもその手が母に届くことはない――とももは悟る。


 そっか。ももがいない方が、ママは落ち着けるのかもしれないね。


 ももは静かに俯く。


 それから母の顔を見ることなく、黒服の男が乗ってきた黒のセダンに乗せられ、ももは家を出た。


「パパにお別れできなかったな……」


 助手席に乗ったももは窓の外を見つめながら呟く。いつの間にか知っている近所の景色から知らない街へと移り変わっていた。


 どこへ向かっているのだろう――ももは漠然とした不安を抱きながら、黙って車に揺られる。


 そして移動すること数時間。ももを乗せたセダンは、都会になる大きなビルの地下駐車場へと入っていった。


 車が停まると、ももはそのまま黒服の男に連れられてエレベーターに乗りこみ、停まった階でエレベーターを降りる。


 黒服の男はエレベーターを降りた時に一度ももへ視線を向けたが、すぐに顔を正面に戻して、まっすぐ歩き出した。


 ちゃんと着いてきていることを確認したのかな? ももはそう思いながら、黒服の男の後を黙ってついて歩く。


 そしてしばらく行くと、重そうな扉の部屋の前へとたどり着いたのだった。


 男はゆっくりとその扉を開けると、「中へ」とももに短く命じる。


 ももが言われるがままその部屋の中に入ると、ガチャリと音を立てて扉は固く閉ざされた。


 ハッとして、ももは扉の方を振り返る。


 閉じ込められた――? そう気がついた時、急に恐怖で身体が震え出した。


 どうしよう。ここにはママもパパもいない。もも、どうなっちゃうんだろう――


 ももがその場で立ち尽くしていると、


「君も政府から呼ばれたのかい?」


 ジャージ姿の男性が視界に入った。


 黒髪に優しそうな笑顔。初対面のはずなのに、ももは彼に心を許したくなった。


 この人は他の大人たちと雰囲気が違う。もものことをわかってくれるかもしれない、そう思ったからだ。


「ママが行きなさいって言って……それで――」


 ももの目からぽろぽろと涙がこぼれだす。


「そうか。一人で偉かったな」男性はそう言ってももの頭を撫でた。


 温かくて大きな手が、ももの不安を徐々に和らげていった。


 ママのことも、この日のことも。もうどうでもいいや。温かいこの手があれば、今はそれでいい――


 これがももと三谷みたにあかつきとの出会いだった。




 隔離施設での生活は、意外にもももにとって幸せな時間だった。


 あとから来た蟻屋ありや裕行ひろゆきとは家のことや学校でのことを話しているうちに随分と仲良くなり、暁と先に来ていた糸原いとはら優香ゆうかは姉のように優しく、不安な夜は隣で眠ってくれたりしていた。


 ここでの生活がずっと続けばいいのに――ももは密かにそんな思いが芽生えていた。


 しかし数日後。暁や優香たちの働きによって、ももたちは隔離施設から解放されたのだった。



 夢のような時間の終わり。ももは再びあの日常へと戻って行くことになる。


 しかし、ただ戻るだけだと思っていた日常が、以前とは少しだけ状況が変わっていることをももはまだ知らずにいた――。

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