第2話ー② 事件前後

 転校してから一か月が経過した頃。ももはそれなりに今の学校生活を楽しんでいた。


 給食の後の昼休み。教室の窓にもたれて、談笑するももとななか。


 窓の外をちらりと見ると、クラスメイト達が校庭で楽しそうにサッカーボールを追っている姿があり、いざこざのないこのクラスでよかったとももは笑う。


 巷では能力の優劣がきっかけで喧嘩になったり、無能力者からの暴力行為など行われているという噂を耳にしていたのだ。


「そうだ! ももちゃん、うさぎさんになれるんでしょ? アタシ、見てみたいなあ」


 ななかが懇願するようにももに言う。するとももは、「いいよ!」と笑顔で返し、能力を使ってみせた。


 いつもうさぎ小屋で見ていた白うさぎ。うーたんを思い出すことで、ももは『うさぎ』の姿に変身できた。


 また、うーたんに会いたいな。『うさぎ』になったももはふとそんなことを思う。


「わあ! すごい! かわいい!!」


 そう言ってななかは白うさぎになったももの頭をなでた。


 なんだかくすぐったいな、と思いながらも自分の姿を見てよろこんでくれるななかに、ももは嬉しく思っていた。


 初めてママに見られた時はきっと急なことで怖かったのかもしれない。今のももを見たら、ママも可愛いって言ってくれるかも!


 自分と同じ可愛いもの好きな母は、きっと自分のこの姿を見て、同じように頭を撫でてくれるような気がした。




 その日の帰宅後、ももは母の前でななかの前でやったように『うさぎ』になってみせた。すると、


「やめなさい! 外でそんなことしているんじゃないでしょうね?」


 母は鬼気迫るようにももへ怒鳴りつける。


「ご、ごめんなさい……学校で友達が喜んでくれたから、ママも喜んでくれると思って」


 ももはすぐに擬態化を解くと身を縮こまらせて、頭を抱えた。


「気持ち悪い! 二度と私の前でそんな姿を見せないで!」


 母はそれだけ告げると、荒々しく扉を閉めて、リビングを出て行った。


 ももは母に言われた言葉を反芻し、蛇に睨まれた蛙のように身体が強張ってその場から動けなかった。


「もも、気持ち悪いの? なんで……わからないよママ」


 小さくなりながらももは大粒の涙を流す。他に誰もないリビングで、ももの泣き声だけが響いていた。


 しかし――どれだけももが声を上げても、母が再び戻って来ることはない。


「可愛いって、言ってほしかった。また、笑う顔が、見たかっただけ、なのに……」




 そしてその翌日から、ももは人前で能力を使わなくなった。


「いいじゃん、変身してよー」とななかは唇を尖らせる。


「ご、ごめんね。でもダメなの……」


 だって、ももの能力は気持ち悪いんだから――ももはそう思いながら俯く。


 母から向けられた視線。怒声。思い出すたびに、全身がコンクリートで固められているかのようにカチカチで動けなかった。


「ちぇ。わかったよー」


 それからななかや他のクラスメイトたちが、「うさぎになって!」とももに頼むことはなくなっていったのだった。




 一か月後。ももは夏休みが始まっていた。


 八月に入ると気温はぐんっと上がり、外に出るのが急に億劫になる。しかし家の外では、命のすべてを懸けたアブラゼミが大合唱をしていたのだ。


「セミさんたちは元気だなあ」


 いつもならば両親と避暑地で過ごしたり、母と大型ショッピングモールに買い物へ行ったりしていた夏休みだったが、この年は旅行の計画も買い物の誘いもなく、ももは部屋で静かに宿題を進めていたのである。


「ママ、もものことが嫌いになっちゃったのかな」ももは持っていた鉛筆を置き、ぽつりと呟いた。


 母から能力を使って怒鳴られて以降、ももは母と事務的な会話以外をしなくなっていた。ももから話を振ることはあっても、母はそっけなく返答するだけで会話が続かない。そして母からももに声をかけることはなかった。


「謝ったら、ママ許してくれるかな……」


 ももは両手を枕のようにして机に突っ伏す。そして最近見ていない、笑った母の顔を思い出していた。


「ママのココア、好きだったのにな。もう飲めないのかな。ももが気持ち悪いから……」


 目頭が熱くなる。ほんの少し前まで当たり前だったその顔に、もう会えないような気がしたからだ。


 それからももは声を殺して泣いた。


 外で鳴くアブラゼミに負けないくらい、心の中で大きな叫び声をあげて。




 そして夏休みが明け、少し経った頃に事件は起こった。


『山梨県にある湖で『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』の能力者たちが激しい戦いを繰り広げていたという報告がありました――』


 夕食後、父と何気なく観ていたニュース番組で伝えられたそのニュースにももはぞっとする。


 そこに映る龍の姿からヒトに戻る少女を見て、あの少女は自分と同じ動物になる能力者だとももは直感的に思った。


「物騒な事件だなあ」父は眉間に皺を寄せて呟く。


 ももはそんな父の横顔をを見て、自分と似た能力者に何を思ったのだろうと考えをめぐらせた。そして、


「ね、ねえパパ」ももは恐る恐る言葉を発する。


 父はゆっくりとももの顔を見ると、「どうした?」と首を傾げた。


「あの子。さっきの――」


 ももがそう言いかけたところで、母がリビングへとやってきた。


「あれ、寝たんじゃなかったのか?」父は母に問う。


「明日の準備を忘れていてね。済ませたら寝るわ」


 母は淡々と答え、翌朝のための仕込みを始めた。


「ごめんもも。なんだっけ?」


 思い出したようにももに視線を向け、父は問う。


 ももは小さくかぶりを振ると、「何でもないよ」と言ってリビングを後にした。


 ママの前で今の話はできない。きっと嫌な顔をするから――


 そう思いながらため息をついたももは、部屋に戻って行った。




 部屋に入ると、ももは扉の前で佇む。


 さっきの子。ももと同じだった。もものことも怖いって思う?


 ももは父に訊けなかった言葉を反芻する。それから今度は大きなため息を吐いた。


「やっぱり、こんなの訊けないよ」


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