第14話 匿名希望の少女より『素敵な人を見つけました』

 

 翌日。

 がやがや騒がしい人達の声。街は朝から賑わっていた。


「んじゃ爺さん、行ってくる」

「お嬢さんに迷惑かけるんじゃないぞ」

「ああ、分かってるよ」


 花屋から一人の青年が現れた。

 彼は先日、用心棒になったばかり。

 禿頭の老人と挨拶を交わすと、今日もまた自分の仕事を果たすべく、雇用主の女性が住む街外れの家へと向かった。


 店を出て真っ直ぐに進む。それから二つ目の宿屋を右に曲がり、その先の果物屋の角を左に曲がろうとした時だった。


「!」


 彼は思わず足を止めた。

 突然何者かが突進してきたのだ。


「きゃっ」

「おっと」


 本来だったら、彼の運動神経があれば容易に避けることが出来ただろう。

 しかし、彼はそうしなかった。


 トンという衝撃が青年の体にのしかかる。


「おい、大丈夫か?」

「……うっ、ううん……大丈、夫」


 彼をクッション代わりにした少女は、よろけながらも自分の足でなんとか一人バランスを保った。


「そ、それより、あなたこそ大丈夫?」

「俺?」

「服、汚れちゃったでしょ?」

「ああ、これか」


 男は背中に手を当てる。ビチョビチョして湿っぽい。

 先ほど彼女を支えた衝撃で、果物屋に置いてあったイチゴを背中で潰してしまったのだ。

 彼が避けることが出来るにも関わらず、そうしなかった理由はこれだ。


「別にいいよ、その服が汚れるよりましだろ」

「それは」


 少女は自分の着ている服に自然を落とす。彼女の着ているそれはこの辺りでも珍しい、ふわっふわの黄色いドレスだった。

 それはまるで、これからお城の舞踏会に行くと言っても違和感がないほど。


「そんなことよりも、ここは意外と人通りが多いんだ。気をつけろよ」

「あ……」


 男は少女の頭に手を乗せた。

 本来だったらそんな失礼な行為、不快に思って即跳ね除ける。

 けれど彼女はそれをしなかった。

 何故かと言われれば、それはきっと……。


「じゃ、俺はこれで」


 そう言って男は、果物屋の店主に潰れたイチゴの代金を支払い、立ち去っていったのだった。


「……ありがとう」


 彼の去った場所には、少女の届かない感謝の言葉が残った。

 彼女は思う。もしこの立場でなければ、彼のような人に巡り合いたいと。



「お嬢様! リリィお嬢様ぁー」


 執事服を着た老紳士が一人、少女の名前を呼んでいる。


「お一人で飛び出すから、肝を冷やしました。大丈夫ですか? お怪我はございませんか? ん、少し顔が赤いようですが」

「だ、大丈夫よ。そんなことより、アレン様の行方は分かったの?」

「ええ、確かにこの街に宿泊しているという目撃情報が」

「そう、じゃあそこに向かうわよ」

「はい。ご案内致します」



===



「お邪魔します」

「あっ、トリュス」


 男が家に入ると、部屋の奥から顔を出したのは、エプロンを腰に巻いた質素な服の女性だった。


「今日も一日よろしくね。とは言ってもやる事は今のところ無いんだけど……あらっ?」


 彼女はぴたりと動きを止めた。


「どうした?」

「背中、なんか汚れてない?」

「ああ、これ。イチゴの汁だな」


 それは先程、少女を庇った時に付いたもの。

 少し時間が経ったせいか、色味が若干増している。


「イチゴの汁? どうしてそんなところにそんなものが。まあいいわ……脱いで!」

「脱ぐ?」

「だって、イチゴならベタベタして気持ち悪いでしょ。洗わなきゃ、ほら早く早く!」

「うわっ、引っ張るな! 自分でやる、やめろ!」


 家からは悲痛な男の声が響いた。


 これは少し前の平和なひととき。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る