第3話 俺が守ってやるよとは誰も言ってくれない世界で

 

 独り身ライフの一日目もそろそろ終わりを迎えようとしていた。

 時計を見ると夜の六時。

 ここには美味しい料理を作ってくれるメイドはいない。とすれば、やる事は決まっている。


「夕飯の買い出しに行こう」


 今日からは、全て自分一人で生きていくのだ。


「よしっ」


 これからたくさん経験するだろう新たな期待を胸に、私は新生活の第一歩、玄関のドアを開けた。


「……やあ」

「……まだ居たの」

「居たよ」


 第一歩目の期待はどこへやら。

 それはもろくも簡単に打ち壊された。


 見覚えのある男の顔。

 元婚約者のアレンが家の壁に背をもたれて座っていたからだ。


「……」


 色々とツッコミたいことはあるけれど。

 私は彼を見下ろして、それから一度天を仰いだ。


 この人、仮にも現在進行形の公爵令息じゃなかっただろうか。


「えっと……」


 訊ねるのも馬鹿馬鹿しい。

 でもこのままじゃ話が進まない。

 諦めて私は、ごくごく当たり前の質問を彼に投げかけた。


「寒くないの?」

「寒いよ」

「じゃあ家に帰ったら?」


 寒いのに、いつまでもこんなところで座っているのは馬鹿のすることである。


「言っただろ、家出してきたって」


 彼は、寒空の下、私を見上げて爽やかな笑顔を向けた。


「だからって、別にここにいることは無いじゃない」

「でもほら、君とよりを戻したいからさ」


 神様、ここに不審者がいます。

 復縁する、それだけの為に、女性の家の前を陣取る不審者です。


「……用心棒でも雇おうかしら」

「えっ!」


 そう言って私は家の鍵を閉め、市街に向かい歩き始めた。


「ちょっと待つんだ」


 それで待つ人間がどこにいる。

 遅れて後ろからアレンが早歩きで追いついてきた。


「用心棒か必要なのかい、エイミー。もしかしてこの街に来る途中、危険な目にでも遭ったとか。大丈夫?」


 凄い。なんて的外れな意見だ。

 とりあえずその心配のベクトルを自分に向けることが先決だと言ってやりたい。


「……」

「女の子一人の暮らしだし、これから先、何があるか分からない。気をつけた方がいいよ、変な男に付きまとわれたりするかもしれない」


 一体どの口がそれを言うんだろう。

 鏡なら、私の家にあるから貸してあげるべきだろうか。

 いや、家に招き入れるのも嫌だな。


「あ、そうだ。雇うなら、若すぎる男はやめた方がいい。上には上がいることを知らないで、無謀に立ち向かう場合があるから。でも、年寄りも駄目だ。いざという時、持久力が足りなくてばててしまう。それから他にも……」


 うーん、これは本当に鬱陶しい。まるで心配性な母親のようだ。

 あーでもない、こーでもないと、そのよく分からない謎の持論を、結局私は買い物をしている間、延々と聞かされた。


 そして買い出しが終わる。


「はい、お金はちょうどだね」

「お爺さん、何から何までありがとう」


 家を買った時にお世話になった例の禿頭の老人に頭を下げる。


「よいしょっと」


 私は店主が差し出した食材の入った袋を、よろつきながら両手に抱えた。

 初めて持った食材は、思いの外ずっしりと重い。

 実家のキッチンにあったものを見よう見真似で買ったけど、本当は小分けに買い揃えるのがいいのかもしれない。


「大丈夫かい。何もうちで買わなくても。お嬢さんの家から近い店なんていくらでもあっただろうに」

「いいえ、私はお爺さんから買いたかったの」

「でもなぁ……」


 彼はポリポリと薄い頭を手でかいた。

 突然の申し出にも関わらず、真摯に家を見つけてくれた。それだけでこの店に来る価値は十分にある。


「本当は荷物も運んでやれればいいんだけど、うちの奴がいればなぁ……」


 そう言って、きょろきょろと誰かを探すような素振りを見せる彼。


「気にしないで、お爺さん」


 こうして私は彼のお店を後にした。


「でさ、用心棒の賃金相場だけど……」


 外に出るとアレンが待っている。

 彼は飽きもせず、まだ用心棒についてのうんちくを垂れていた。


「……アレンあなた」

「ん?」


 すっとぼけたように首を傾ける。

 まあ別に、どうでもいいことなのだが。


「さっきから聞いていれば他人を選ぶアドバイスばっかり。自分みたいな男にしとけとは言わないのね」

「えっ」


 彼はポカンと口を開けた。


「用心棒。そこまで細々こだわりがあって、私とよりを戻したいと考えているなら、真っ先に自分が用心棒になるって名乗りをあげてもいいんじゃないの」


 まあ、名乗りをあげたところで、採用するかは別の話だけど。


「いやいや」


 それは怒るでもなく、悲しむでもなく、慌てて取り繕うでもなく、ごくごく普通の返答だった。


「僕じゃ用心棒には成りえないよ」

「え?」


 真っ向からの全否定。

 思わず私の方が硬直する。


「だってほら、別にちっとも強くは無いし」


 あははとまるで他人事のように笑って彼は答えた。


「普通、自分で言っちゃう?」


 もっとこう、見栄を張ったりしないだろうか。

 無理にでも強がって、「用心棒? 任せろ!」とかならないのだろうか。

 それなのに、彼ときたら。


「言うよ、言う言う。事実だからね」

「……」


 本当に、この男はそういうところがある。


「ああでも」

「?」

「このくらいは出来るかも」


 そう言って彼は、私が抱えていた食材の入った袋を持ち上げた。

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