第2話 別れたアイツがやって来た

 

「それではお父様、お母様、今までお世話になりました」


 小荷物を馬車に詰めて、両親に別れを告げる。

 悲しそうな二人の顔。母にいたっては目元に涙を浮かべる。


「エイミーあなた……」

「ほ、本当にいいのか?」


 悲痛な声で私の名を呼ぶ。


「何がですか」


 私はそっと父の顔を見上げた。


「お前は今までずっと箱入りだっただろう? この家を出て、本当に一人でやって行けるのか?」

「そうよ、私もそれが心配!」

「お父様、お母様……」


 二人の仕草は私に悲壮感を感じさせる。

 私もここで彼らに縋りついて泣けばいいのかもしれない。そうすればまた、家族みんなで幸せに過ごせる日が来るかもしれない。


 でも。


「私は婚約破棄されたのです」


 その事実が私を突き動かす。


「それは……」

「愛するお二人に、娘のそんな汚名を被せるわけにはいきません。だからどうか、私のことはお忘れください」

「エイミー……」

「あなたにこんな決断をさせてごめんなさい、ごめんなさいね」


 二人は俯いてハンカチで目を覆った。

 そう、覆っただけ。

 だからって、私を引き止めることはしなかった。


 要するに、それが彼らの答えだった。

 どんなに悲しいフリをしようが、言葉を紡ごうが、引き止めるという選択肢は彼らの中に残っていない。婚約破棄をされた娘など、出ていくことが前提に出来てしまっている。


 それならそれで、もういい。


「……」


 相変わらずハンカチで目元覆った両親を冷たく見つめてから、私は馬車に乗り込んだ。


「それでは皆様ごきげんよう」


 結局、妹のリリィはこの場に顔すら見せなかった。

 今となってはどうでもいいけれど。 


===


 彼らと別れた後、私は馬車で三つほど山を越えた。

 そこは誰も私のことを知る人がいない街。


 小さくて賑やかな商店街。

 子供の笑い声。

 美味しそうな果実の香り。


 うん、いい場所だ。ここに住もう。


 馬車を両親のもとに送り返し、私一人、街に下りる。

 レンガ造りの道を真っ直ぐに進んだ先に、クリーム色の屋根のお店があった。

 シンプルだけど、温かい雰囲気のあるそのお店に、さっそく私は足を運んだ。


「すみません」

「いらっしゃい」


 出て来たのは禿頭の老人。

 小さな丸眼鏡をかけた小柄な彼は、ゆっくりとした足取りで私の方に近づいてくる。


「家を買いたいのですけど」

「い、家を買う?」


 彼は目を白黒させた。

 私の姿を頭のてっぺんからつま先までジロジロと眺める。

 何か、変なことを言っただろうか。


「買うってあんた、お金はあるのかい?」


 ああ、そういうことか。

 私はその一言で彼が言わんとしていることを理解した。


 恐らく金銭面が心配なのだ。

 家というのは、洋服や食べ物なんかよりも高価だいう事実は勿論知っていた。


「これでどうかしら?」


 私はあらかじめ用意してあった、元婚約者の財産を机に広げた。家なんて余裕で買えるほどの金貨の山だ。これで問題ないはず。


「……」


 店主は人差し指で用心深くそれを摘んで確認した。

 当然、全て本物だ。


「……分かった。なんとかするよ」

「ありがとう」


 こうして、私は新たな家を手に入れた。



「さあて、これから何を始めましょうか」


 家と家具を買い揃え、一通り生活空間を整えた私は新品のフカフカしたソファーに身を委ねた。


 ここには煩わしい人間関係は一切ない。

 現金と時間はたっぷりある。

 まさに夢と希望に溢れたひととき。


 そんな平和な空間に終わりを告げたのは、乾いた木製のノック音だった。


 コンコン。

 音は壁を伝い家屋に響く。


「はーい」


 不安なことは何もない。

 軽い気持ちで音の方へと駆けていった。


 誰だろう。

 訪ねてくるような知り合いなんていないハズだ。

 家財を運んでくれた業者が、うちに忘れ物でもしたのだろうか。


 カチャン

 私は鍵を外し、玄関のドアを開けた。


「やあ」

「……」


 私はそっとドアを閉めた。


「え、ちょっと待って。どうしていきなり閉めたの!?」


 ドアの向こうから慌てふためいたような声が聞こえる。


「知らない人だったので」

「そんな訳ない、知ってるハズだ。だって君の婚約者だよ!?」


 元ね。

 そんなの私にとっては過ぎた話だ。今は他人。


「ごめんなさい、私、未婚なので」

「そんな冷たいこと言わずに。少しだけでも話を聞いてくれ。大体この家だって、僕があげたお金で買ったんだろ?」

「そんなこともあったかしら?」

「エイミー!」

「…………」


 仕方ないな。


「なんですか?」


 僅かばかりの罪悪感に後押しされて、私は少しだけドアを開けた。


「いやさ、ものは相談なんだけど」


 再び顔を見せた彼は、余計な雑談もなく、いきなりそんな風に切り出した。

 しかし随分と勿体ぶった言い方だ。


「やっぱり僕たちよりを戻せないかなって」


 はい?

 私達、別れてから、ほんの少ししか経っていないんだけど。


「……どういう風の吹き回し?」

「公爵令息の立場って窮屈だろ。なんだか嫌になっちゃったんだよ。だから君のところに転がり込もうと思って家出してきた。良ければ、一緒に……」

「………………」


 私は再びドアを閉めた。

 あと、ついでに鍵もかけた。

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