第13話.うまくやっていたつもりだった
――ひやり、としたものが、喉元を通り過ぎる。
(どうして)
どうして、ばれたのだろう。頭の中を覗かれたかのように、言い当てられてしまったのだろう。
(……何か言わないと)
黙っていては、ノヴァの言葉を肯定したようになる。
私は口を開こうとした。しかし、ノヴァのほうが早かった。
「エリーは一生懸命に隠そうとしてるみたいだけど、僕はエリーのことならなんでも分かるよ」
テーブル越しに、ノヴァの手が伸びてくる。
大きな手が、私の頬を包む。まっすぐ伸ばされた親指の爪が、私の眼球を――。
「ひっ」
私は身を竦ませた。目を抉られるのではないかと思ったのだ。
だけど、ノヴァはそんなことはしなかった。反射的につぶった私の目を、目蓋の上を、愛おしげに撫でるだけだ。
震える私を見て、くすくすと楽しそうに笑っている。
おずおずと目蓋を開くと、ノヴァと目が合った。赤い蛇の目が真っ向から私を捕らえる。おそろしさに、瞬きもできなくなった。
「その、潤んだ目。隠しきれない僕への恐怖と、憎悪が浮かび上がってる。以前のエリーなら、僕がノラより君を優先すると、口では窘める振りをして喜んでいたはずなのにね」
目の下を、何度もなぞられる。私の形を確かめるようにノヴァが触れる。触れられたところから、ひんやりとした鋭い針に刺されて、身動きが取れなくなっていくようだった。
(……駄目)
私は、自分の敗北を悟る。
ノヴァに、隠し事などできるはずがなかったのだ。
まだスクロールさえ披露していないのに――否、このタイミングだからこそ、ノヴァは動いたのだろう。
この男の手のひらの上で、私はいつだって転がされている。
回帰前も、今も、変わらない。ノヴァは私の真意に気がつきながら、わざと泳がせていただけなのだ。
ありありと浮かび上がった実感が、私の四肢から力を奪う。
(私は、この男に、勝てない)
怖い。おそろしい。逃げ出したい。一分一秒も長く、ここに居たくない。
この男の顔を、吐き気がするこの面を、見ていたくない。
「ねぇ、エリー。僕のこと嫌い?」
「嫌い」
――気がつけば、私はそう答えていた。
言ってはならない本音を、ありのまま言葉にしていた。
(…………私、ここで終わりね)
生き残るために努力したつもりだったが、それもこんなところで呆気なく終わる。
魔塔にコンタクトを取ることすらできずに。前の人生よりもずっと早く、ずっと惨めに、終わりの鐘が鳴っている。
おかしくなった。馬鹿馬鹿しかった。
気がつけば、頬を涙が伝っている。身体をがたがたと震わせながら、私は口角を上げた。笑って虚勢を張るくらいしか、対抗する術を思いつかなかったからだ。
私はノヴァを見つめる。赤い目の中、泣くばかりの不様な少女の姿が映し出されている。
自分自身と目を合わせながら、私は笑ってこう言い放った。
「お兄様なんて、大嫌いよ」
しばらく、ノヴァは何も言わなかった。その指先が、私の涙に濡れていく。
彼は少し、驚いているように見えた。まさかショックだったというわけではあるまい。自分から、そう言うように仕向けたのだから。
しかしそれなら、ノヴァは何を思ったのだろう。そのときの私には分からなかった。
彼は――私を見つめたまま、笑った。
見開いた眼球の真ん中に、泣き続ける私を捕らえて、美しい唇は、確かに弧の形を描いて歪む。
そんなにも楽しそうに笑うノヴァを見るのは、二回の人生を通して初めてのことで。
私は呆然とした。わけもわからないまま、釘付けになっていた。そんな私に、ノヴァは囁くように言ったのだ。
「それは、興奮するね」
私の目元を撫でた指を、ノヴァが引き寄せる。
塩っぽい涙に濡れたそれを、ノヴァは躊躇わずに自身の唇の中に導いた。
赤い舌が丹念に指を舐め取る。ぴちゃり、と濡れた音がして、口と指の間を唾液の糸が伝う。
私は、何が起こっているのか分からず、ただその様子をまざまざと見せつけられていた。
「エリーの味がする」
「…………、は」
口を半開きにする私をおいて、ノヴァが立ち上がる。
椅子を引く音で、急に現実に引き戻されていた。一拍おくれて、私は顔を真っ赤にしていた。
「夜会では、僕が君のパートナーだ。いいね?」
「ふざけないで!」
かっと頭に熱が上り、私はテーブルを力任せに叩いていた。
怒鳴りつけたというのに、ノヴァは不敵に微笑んでいる。やはり、楽しそうだ。これ以上なく、この男は私の反応を楽しんでいる!
「相手は居るわ。あなたはお呼びじゃない」
「そうなの? 僕の知ってる男?」
「知らない人よ! あんたよりよっぽど格好良いけれどね!」
そんな人は居ない。居ないが、もう言い切るしかない。
何もかも見透かしたようににやにやと笑うノヴァが、また挑発的な言葉を付け加える。
「そう。ひとりぼっちで輝くエリーを楽しみにしてるよ」
……怒髪天を衝くとは、こういうときのことを言うのだろうか。
私は正気を失った。ソファにおいてあるクッションを拾い上げると、ノヴァに向かって投げつけていた。
ひらりと余裕をもって躱したノヴァが、さっさと部屋を出て行く。扉が閉まる直前、じゃあねと手まで振られる。
「こ、こ、こ、殺……」
殺してやる、という殺意一辺倒の言葉は、最後まで口にできなかった。
冗談ではなく、私は――ふらり、と横に倒れていた。
緊張が緩んだから、というより、むしろ逆だった。胸がばくばくと脈打っている。うるさいくらいに鼓動が騒いでいる。
「きゃあっ!? エ、エリーシェ様!?」
(う…………)
そして戻ってきたマヤが上げた悲鳴を最後に、意識がぷっつりと途絶えたのだった――。
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