第12話.こんな予定ではなかった



「それではこちらで、封印を執り行います」

「ええ、よろしく」


 神官に頷き、私は封印の様子を見守っていた。


 スクロールに封印を施すのは、宮殿に出入りする高位神官の役目だ。

 彼が手をかざすと、丸い紋章のようなものが手の中に現れて、巻物にぺたりと貼りつく。紋章の形は、「固く閉じている」ことを意味するものだが、実際は巻きつける紐のほうがよっぽど重要だ。


(封印なんて、見せかけだけだもの)


 紐を解いてしまえば、あっという間にスクロールは開く。

 スクロールは作るのは難しいが、発動ならば誰にでもできる。魔法を使えない、幼児であってもだ。スクロールを破く力さえ備わっていれば、誰だってできる。


(ラプムでは、何かしらの封印を施していたらしいけれど)


 滅びた島国ラプムの記録は、ほとんど残っていない。私が読んだ書物にもそれらしき記述はなかった。ただ、ラプムが所有していたスクロールを見た人による、封印らしき紋章があったという伝聞があるだけなのだ。

 私にそういった魔法が使えれば話が早かったのだが、残念ながら私に使えるのは、極大魔法と呼ばれるもののみ。それも、スクロールに時間をかけて刻むという限定的な方法でしか使えない。考えようによっては、簡単に風や炎、水を行使する人のほうが、よっぽど有用かもしれない。


 ……ラプムについては、何か思ったことはない。私には母の国どころか、母の記憶さえないからだ。

 ただ、ふと気になることがある。海に沈んでいったという国の人々は、私がスクロールを作っていることを、どう思うのだろうと。


「お疲れですよね、エリーシェ様! 肩を揉みましょうか、それとも何かおやつを持ってきますかっ?」


 神官たちがぞろぞろと帰っていくと、マヤが飛びつくような勢いで訊ねてきた。

 スクロールを書き終えたのは、誕生祭が始まる前日――つまり五日も前のことなのだが、そうとは言いにくい雰囲気だ。マヤは私が大仕事を終えて、疲労困憊だと思っているのである。


「大丈夫。でも、ちょっと寝て休もうかしら」

「良いと思います。大変な魔法を使ったのですもの、お休みしたほうがいいです!」


(本当はここ最近、チャンスがあればゴロゴロしていたけれど……)


 叩扉の音があって、マヤが断りを入れて部屋を出て行く。誰か客人だろうか。一応、私も椅子に座って待っておくことにする。


 数分と経たず、マヤが戻ってきた。何やら朗報を持ってきた、というような顔つきだ。年上でも子どもっぽい彼女に、私は微笑んでしまう。


「嬉しそうね。どうしたの、マヤ」

「エリーシェ様、ノヴァ様がいらっしゃいました!」


(――、え?)


 いや、珍しいことじゃない。先日、急に図書館に顔を見せたのもそうだ。

 回帰前のノヴァは、いつだって時間を作り私に会いに来た。花束やアクセサリーにカードまで添えて贈ってくれた。優しい兄だった。何も知らない頃の私にとっては。


「お通しして大丈夫でしょうか?」

「……ええ、お願い」


 まさか追い返すわけにもいかない。

 ああ、失敗した。スクロールを書き終えたばかりだからと、大々的に不調の振りでもしておけば良かったのに。


 しかしこのタイミングで現れるということは、ノヴァは神官たちとすれ違った可能性が高い。私が臥せっているわけではないことも、彼はとっくに知っている。


「やぁ、エリー」


 果たしてやって来たノヴァを、私は笑顔で部屋に迎え入れた。


「ノヴァお兄様、いらっしゃいませ。今日はどうされたの?」


 直訳すると、「用がないならさっさと帰って」という意味である。


「スクロールが無事に完成したって聞いたからさ。おめでとう、エリー」

「まぁ」


 色とりどりの花束を渡されて、私はぽっと頬を赤らめる。もちろん心の中では「おええ!」となっていたが。

 私は即座にマヤに花束を渡す。花瓶を用意するためマヤが部屋を辞する。テーブルには冷えたお茶しかないが、ノヴァを歓待するなら粗茶でじゅうぶんだ。


「お兄様ったら耳が早いのね。さっきちょうど、神官たちが帰ったところなの」

「そうなんだ。そういえばすれ違ったな」


(いけしゃあしゃあと)


「思ったより元気そうで、安心した」


 ノヴァが優しく微笑む。大きな手が、私の頬を撫でた。

 ぞくりと肌が粟立つ。嫌悪感のために鳥肌が立っているのがばれるのではないかと不安になる。ノヴァが手を離したので、私はほっとしてしまった。


「それで、少しエリーに確認したいことがあってさ」


 ノヴァは空いた椅子に座る。テーブルを挟んだ私の正面席だ。友達の居ない私にとって、未だかつてそこに座った人間はノヴァしか居ない。

 席につくと、ノヴァはすぐに口火を切った。


「ねぇエリー。夜会のパートナーって、もう決まったの?」


 私はにっこりと笑顔を浮かべていた。

 ……が、額には、たらりと汗が伝う感触がしていた。


(――――し、しまった!)


 忘れていた。魔塔のことを気にするばかりで、完全に頭から抜け落ちていた。


 誕生祭最終日には、宮殿で夜会が開かれる。皇帝が招いた貴族たちが会場に集い、会話を楽しみ、最後はダンスを踊るというのが恒例だ。


(居ない! 相手、居ないわ!)


 回帰前の私のエスコート役は、ノヴァだったのだ。

 護衛騎士の誰かを連れて行く、という手もあるにはある。名門貴族の次男か三男がちらほら居るので、申し分ないはずだ。だが宴の主役たる皇女のパートナーとしては、いささか見劣りする。


(今さら声をかけて、応じてくれる相手なんて居るのかしら?)


 ただでさえ国内での私の立場は不自由で、複雑なものだ。スクロールの利益にあやかろうとする貴族と懇意になるのも、最終目標を考えるとなるべく避けたいし……。


 私はティーカップを傾けて、動揺をどうにか誤魔化そうとするが、その沈黙だけでノヴァには何もかも見透かされたのだろう。


「僕がパートナーに立候補しようかな」

「……何言ってるのよ。お兄様にはスワラン嬢が居るじゃない」


 ノヴァには婚約者が居る。スワラン公爵家の令嬢で、名前をノラ。

 彼女と私は犬猿の仲である。理由はもはや言うまでもないだろう。ノヴァが私を、婚約者よりも可愛がるからである。


(でも私は、婚約者より優先されて嬉しいと思ってたのよね……)


 いいかげん、自分の馬鹿さ加減に反吐が出そうである。ぎりぎりと唇を噛み締めていると。


 明日の天気を話すような何気ない口調で、ノヴァが言った。




「エリーってさ、僕のこと嫌いなの?」



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