第8話.専属侍女は皇女を慕う
マヤは、ランテ男爵家という小さな一家の長女だ。
十五歳にして宮殿での侍女採用試験に合格して、それから一年間、エリーシェの身の回りの世話をしている。
下女ならばまだしも、皇族の世話をする侍女ともなると、貴族の娘か、それに準ずる立場でないと試験自体が受けられない。試験自体も難しいので、給金は高いが、容易く手の届く職ではない。
マヤは焦げ茶色の髪に茶味の強い瞳をしている。じゅうぶん可愛らしいと称される顔立ちの少女だが、いかんせん頭と手足の動きが鈍い。しかし人一倍、努力するのは得意である。侍女の採用試験にも一度落ちたが、腐らずに努力を続け、次の年に合格したのだ。
マヤは自分が落ちこぼれだという自覚がある。だから今も、昨日の出来事が信じられなかったりする。
「まさかエリーシェ様が、あたしを専属侍女に選んでくださるなんて……」
テーブルを拭き、床を掃除しと動き回る間にも、マヤは独り言を呟いてしまう。呟くだけで、じぃんと胸に、熱いものが広がるのを感じた。
昨日、エリーシェはマヤを専属侍女にすると言ってくれた。給金は今までの倍だ。
昨夜は寝床に入ってから、少し泣いた。貯金の額が増えるのが嬉しかったのではない。
なんとなく、エリーシェには嫌われているのだと思っていた。いつクビにされないかと、今までマヤはひやひやしていたくらいだった。
――第七皇女エリーシェ・ネーレミア。
絹糸のような白銀の髪の毛。聡明な光を湛える青く大きな瞳は、キラキラと輝く純度の高い宝石のよう。そして陶器のように白い肌に、整った鼻筋や小さな唇……。
あえかなる皇女を初めて目にしたとき、その美しさにマヤは見惚れてしまった。目が離せなかった。この世の粋を集めて作ったような美貌を前にして、神は不平等なのだと実感したものだ。
(でも――エリーシェ様が魔塔に入ろうとしているなんて、知らなかった)
好き好んで、魔塔などと謎めいた偏屈な組織に入りたがる人は居ない。それが皇族ならば尚更だ。
(エリーシェ様は、なんてすごい方なのだろう……)
マヤは自分の将来のことなど、漠然としか考えていない。そもそも貴族の家に生まれついた以上、自分の人生には両親の意向が反映される。数年間、侍女としての務めを果たして経歴に箔がついたら、親が用意した結婚相手の家に嫁ぐことになるだろうと思っていた。
だが、エリーシェは自ら運命を切り開こうとしている。帝国に留まれば贅沢三昧ができるのに、彼女は母親から受け継いだ特別な力を後世に語り継ぐためにと、魔塔に入ろうとしているのだ。使命感に燃えるエリーシェの崇高な魂に、マヤは感動し心が震えた。秘密の話を、マヤを信頼して打ち明けてくれたのも嬉しかった。
(ノヴァ様や周りの方々には、絶対に内緒にしないと)
エリーシェは涙ながらに言った。自分のことを愛してくれるノヴァや皇帝がこのことを知れば、絶対に止めるに違いないと。
それでも自分の意志は変わらないから、周囲に心配をかけないように、この件はマヤの心に仕舞っておいてほしいという。
(なんて、健気で優しい方……!)
思慮深さと、家族への愛情とを併せ持つエリーシェ――そのように完璧な女性に仕えることができて、マヤは幸せだ。
だがエリーシェはまだ幼い。来月、十二歳の誕生を迎える少女なのである。滅びた国の血が流れるエリーシェは、今後も複雑な立場に立たされることだろう。
(あたしが、しっかりお支えするのよ!)
マヤもまた、拳をぐっと握って決意する。エリーシェの夢のため、自分にできることはなんでもやるのだ。ひとまずは部屋の掃除を、済ませなければならないが……。
コンコン、と扉をノックする音がした。
はい、と返事をしたマヤが扉を開けると、外にノヴァが立っていた。
「ノヴァ様!」
慌てて頭を下げるが、彼は朗らかに手を左右に振る。おずおずとマヤは顔を上げる。
「君は、確かマヤ……だったかな。最近のエリーはどう? 元気にやっているかな」
「はい。お変わりありません。ただ、エリーシェ様は本当に勉強熱心な方なので、ときどき倒れてしまわないか心配になります」
「それはエリーらしいね」
何度かノヴァにはこうして声をかけられたことがある。マヤは一年前からエリーシェに仕えているが、その頃から定期的にだ。
(よっぽど、エリーシェ様のことが大切なのね)
マヤにも弟が居る。地味で朴訥だと言われがちなマヤだが、弟はよく慕ってくれた。ノヴァとエリーシェも仲睦まじい兄妹だ。相手は皇族ではあるのだが、微笑ましい気持ちにさせられる。
「昨日も、舌の有無を気にしていて、お可愛らしくて」
「舌?」
あっ、とマヤは口元を覆う。
「い、いえ。なんでもありませんっ」
昨日、珍しくエリーシェは取り乱していた。ならず者に舌を引っ張られる怖い夢でも見たのかもしれない。なんにせよ、ノヴァに告げ口していいような内容ではない。エリーシェは帝国を代表する貞淑なレディなのだ、ノヴァにこんなことを知られてはショックだろう。
「あの。あたし、これからもエリーシェ様に誠心誠意お仕えします」
「……そう、ありがとう。もしエリーに何かあったら、すぐ僕に言ってくれる?」
「はい、もちろんです!」
答えつつ、ほんのりと罪悪感を覚えるが、マヤは口元を引き締めて、謝罪したくなるのを堪える。
エリーシェが他国にある魔塔を目指していることは、秘密だ。もちろん、いつかノヴァが知るときはくるだろうが、それはエリーシェ本人の口から伝えるべきこと。
ノヴァが去って行ったあと、緊張を解いたマヤがふぅと息を吐いていると、廊下の角に小柄な影が現れた。
誰かと思えば、エリーシェである。
「マ、マヤぁ……助けて」
「エリーシェ様!?」
ぎょっと驚いたマヤは慌てて駆け寄り、腹部をおさえるエリーシェの肩を支える。
「どうされましたエリーシェ様! ベルでお呼びくだされば良かったのに……!」
エリーシェ専用図書館には、魔法道具のベルがおいてある。鳴らすと、エリーシェの部屋のベルが連動して鳴るのだ。
しかし彼女はなぜだかベルを鳴らさず、ひとりでここまで帰ってきたらしい。すっかり青い顔をしたエリーシェが、苦しそうに呻く。
「お、お腹が、痛くて……」
「と、とりあえず部屋に行きましょう。医者を呼びましょうか?」
「緊張しただけだから、ちょっと休めば大丈夫、よ。本当に、あの、クソ兄」
「おいたわしい、エリーシェ様!」と涙目になるマヤには、その呟きまでは届いていないのだった。
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