第9話.晩餐会への招待



 ――皇帝から、晩餐会に参加するようにと通達があった。


 昼までは勉強と称して、図書館で過ごすことができたのだが、昼過ぎからはそういうわけにはいかなくなる。

 私は二時間も湯浴みをして、髪や肌を磨かれる。専属侍女に任じたマヤ以外にも、世話をしてくれる侍女が次々に現れては、皇女エリーシェを飾り立てていく。


「イブニングドレスは、紺色がいいわ」


 いつも装いは彼女たちに任せきりなのだが、その日の私はそう口を出した。

 紺色でございますか、と侍女たちが顔を見合わせる。彼女たちが持ち上げていたのは、だいたい水色、青色、赤色、黒色あたりの色合いの服だ。前者は私自身に、後者はネーレミア皇族に合わせての色である。


 が、私はそのどちらも選ばない。理由は多々あるが、敢えて説明する必要はないだろう。


 そう――私はただ、余計な媚びを売りたくないのだ!


(媚びを売るだけで生き残れるなら、そうするけれどね)


 というわけで、回帰前は選ばなかっただろう紺色のドレスに袖を通し、髪を結われ、控えめに化粧を施されていく。真珠の耳飾りと首飾りをつければ、支度は完成だ。


「おきれいです、エリーシェ様!」


 侍女の賛辞の声を浴びながら、私は鏡の前でくるりと回る。

 丸く膨らんだドレスの裾がふわりと揺れる。皇族の集まりに着ていくには、紺色はやや地味な色合いだが、金糸の刺繍や幾重にも折り重なった精緻なレースは、地味とは無縁である。


 私のあまりの愛らしさに、大半の侍女はほぅと溜め息を吐いている。


(やっぱり私、何を着ても似合うわね)


 母譲りだという美貌に、にっこりと作り物の笑みを浮かべて。私はマヤを連れて、晩餐会場である皇帝の宮へと向かう。

 兵士が守りを固める正面門を通り、長い回廊を歩いて行く。遅く到着すれば、それだけで文句を言われるが、スカートの裾をたくし上げるわけにもいかない。あくまで優雅な立ち振る舞いが求められる。


 広々として、いっそ寒々しいほどの食堂には、すでに招かれた兄弟たちの姿があった。明らかに歓迎されていないのだが、私を招いたのは彼らではない。

 豪奢なシャンデリアの下、私は肘掛けにもたれる皇帝カーティスに挨拶をする。


「皇帝陛下。七番目が娘、エリーシェでございます」

「よく来てくれた、エリーシェ」


 見事な白髪をした皇帝は、五十過ぎという年齢だが、実年齢より年寄りに見える。口が滑っても、そんなことは言えないが。


 私はゆったりとした微笑みを返してから、許しを得て席につく。席順は最初から決められている。もちろん、生まれた順番ではない。王位継承権の順に、皇帝から近い席を賜るのだ。

 七番目の皇女である私の席は、端っこも端っこだ。しかしこの位置はありがたい。


(皇帝も遠いし、ノヴァも遠いし!)


 ついでにいえば王太子も遠い。皇帝と最も近い席に座る王太子アランは、一見すると目立たない男だ。容姿、勉学、戦術、馬術、社交術と、どの分野においても平凡であり、ノヴァや他の兄弟に負けている。

 アランはあまりに素朴すぎて、賢帝になるような器ではない。だが間違いなく皇帝になる。彼の持たない多くを持つノヴァという腹違いの弟が、アランを後押ししているからだ。ノヴァは帝位に一切興味がなく、アランの配下として働くことを公言している。


 それを知ると、ノヴァを、争い事が苦手で兄を慕う好人物のように誤解する者が居るが、もちろん違う。


(あの男は、人を殺すだけで満足する手合いなのよね)


 皇帝になどなれば、戦に赴く機会が減る。ノヴァはそれを嫌っているだけだ。

 アランはそんなノヴァの性質をよく理解している。回帰前も、ノヴァに好き勝手にやらせていた。お互いに得があるから、上手くいっている関係なのだ。


(皇帝も、王太子も、役に立たない)


 彼らはノヴァのやることを支持する。私をノヴァから守る盾になってくれることはない。もっと言うならば、国中を巡ってもノヴァに勝てる人物は居ないような気がするが……。


「すみません、遅れました」


 そこに溌剌とやって来たのがノヴァだ。

 皇帝自らが主催する晩餐会に遅れるとは、もってのほかである。だが誰も目くじらを立ててはいない。むしろ宮殿内に残る数少ない姉たちは、揃って頬を赤くしていた。外面の良さに全員騙されているのだ。


「……うん? ノヴァ、服が汚れているぞ」

「ああ、本当だ。失礼しました」


 アランの指摘に、爽やかに微笑みながらノヴァが上着を脱ぐ。姉たちは顔をぱっと扇で隠しながら、ちらちらと盗み見ている。

 しかし私には分かっている。ノヴァの上着には血がついていたのだ。訓練と称して、役に立たない兵をよく折檻するから、ノヴァはよく返り血をつけている。


(――いやになる。みんな、ノヴァの味方なんだから)


 ノヴァが残忍で狡猾な男だと、分かっていながら、都合の良いところばかり見る。

 だが、それは私も同じだった。人生をやり直している私だけは、もうノヴァに騙されることはないだろう。そう溜め息を吐いていると。


「エリー、今宵もきれいだ。紺色のドレス、よく似合ってるよ」


 近づいてきたノヴァが、わざわざ傍にやって来ると、私の髪を一房取って口づけた。

 ちゅ、と軽いリップ音が響く。わざとだった。悲鳴が上がる。呑み込んだ私のものではない。目を三角につり上げた姉たちのものだ。



 ――ああ、どうしてこの男はいちいち。



「……ありがとう、お兄様」


 恥じらうように私が頬を染めて礼を言うと、ノヴァが満足そうに笑う。

 口元に当てた手の下で、私の唇の端はぎこちなく引きつっていたのだった。



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