第20話 時の渦をぬけて
時の渦をぬけて
ベリー号に乗った全員が唇をギュッと噛みしめ、こらえきれない涙をぬぐっていた。誰も黙ったままだ。
運転するサトちゃんは時々座標を確認し、修正したりうなずいたりしながら、漏れそうになる泣き声を一生懸命飲みこんでいる。
ピピチャビは助手席のハルおばあさんによりかかり、涙が流れるままにぼんやりと外を眺めている。ハルおばあさんは眼を閉じ、身動きさえしない。
カッチン、ヤッチン、ヨッチンの三人は荷台に座りこみ、幌の支柱によりかかって、ごしごし涙をこすった。悔しくて、苦しくて、哀しくて、どうしようもなく暴れたくなる荒々しいものが体を駆け巡っている。
「あと十五分くらいで、時の渦の中へ飛び込むわよ。しっかりつかまっていて」
サトちゃんのかすれた、元気のない声が聞こえた。
「うん……」カッチン達もぼんやりと返事を返す。
「古屋敷のみんなはきっと大丈夫よ。誰も居なくなったりしないわ」
ハルおばあさんがみんなを元気づけるように言ったが、ハルおばあさんが一番元気をなくしているように見えた。
大きな入道雲が、はるか下に見える。ベリー号がたてるブーンと言う音だけがうつろに響いて来る。
「あれはなんだ?」しばらくしてヨッチンが、うしろを見て言った。
カッチンとヤッチンが体を起してその方を見ると、二百メートルくらい後ろに黒い点が飛んでいるのが見えた。黒い点はぐんぐん近づき、大きなコウモリの姿に変わった。ぜんぶで二十人はいる。
「バグジー」ヤッチンが口の中でつぶやく。
先頭のコウモリが赤い口をあけてにたりと笑った。
「バグジー」カッチンがバルカンをかまえる。
「やめろ、まだとどかない」ヨッチンがカッチンを止めた。
「バグジーが追ってきたの?」ピピチャピが不安そうな顔で後ろを向いた。
「みつかったようね。時の渦まであとどれくらい?」ハルおばあさんが聞いた。
「あと五分。あと五分でバグジーの手をのがれられるわ」サトちゃんがこたえる。
「五分、僕たちでなんとかする。大丈夫だ」カッチンが言った。
カッチンは急に元気が湧いてきた。バグジーにこの苺は渡せない。ハルおばあさんもサトちゃんも。
「あいつらの好きにさせるもんか」
「相変わらず、立ち直り早いなあ」ヨッチンが感心した顔で言った。
「ほんとうだ。やっぱりちょっと変だ」ヤッチンが少し笑った。
ピピチャピも笑い、サトちゃんとハルおばあさんも笑った。みんなの気持ちが少し軽くなった。
「できるだけ引きつけて、三人で一斉に攻撃しよう。狙うのはバグジーだけだ」
ヤッチンがレンコンバルカンを握り直した。
「魔法でやられたらどうする?」カッチンが聞いた。
「大丈夫だと思うわ。苺に直接魔法の力が加わったら、役に立たなくなるのよ。村は消えてしまう。バグジーにとっても取り返しがつかないことになるのよ」
サトちゃんが言った。
「でもさ、僕らって、いつもチャンスは一度だけだよな。なんでだろう?」
ヨッチンがいつもと変わらない顔で言ったので、みんなまた笑った。
「来るぞ。どんどん近づいてくる」カッチンは狙いを定める。
「お待ちなさいハルウア。せっかく再会したって言うのに、さっさと逃げ出しちゃうなんてつまらない。もう逃げられないわよ。今そこに行くからお待ちなさい」
バグジーの声がゆれながらベリー号を包んだ。
「まだだ、まだ待つんだ」
距離をはかりながらヤッチンが言った。
バグジーはあと三十メートルのところに迫っている。
「あと三分」サトちゃんが座標を見て宣言した。
と、バグジー達の体が黄色く光りふっと消えたかと思うと次の瞬間、ベリー号のすぐ後ろにあらわれた。バグジーがにたりと笑い、腕を伸ばしてベリー号へ乗り込もうとする。
「撃てっ」カッチンが叫ぶのと、三人がバルカンを撃つのが同時だった。
バグジーの姿が消え、後ろに続く魔法使い達が悲鳴をあげぎゅうんと遠ざかっていった。
「どこだ、バグジーが消えた」ヨッチンが少し身を乗り出して外を見る。
「ここよ」声と同時に、幌を突き破ってバグジーの腕がヨッチンの首をつかんだ。
「うわっ」ヨッチンがバルカンを放り出してバグジーの腕をつかむ。
ピピチャビが、運転席と荷台をへだてる幌の穴を抜けて飛び込んできたのはその時だった。荷台に飛び込んできたピピチャピは猫の姿に戻り、鋭い爪をバグジーの腕にたて、切り裂いた。
バグジーの悲鳴が聞こえ、ヨッチンをつかんでいた手が消えた。残りの魔法使いが襲いかかった。カッチンとヤッチンはバルカン砲を撃った。三人が悲鳴をあげ遠ざかる。カラカラカラ、バルカンが乾いた音をたてて回転をやめた。
「弾切れだ」カッチンはバルカンを眼の前のコウモリに叩きつけた。
ヤッチンも弾切れのバルカンを、後ろに下ったバグジーめがけ投げつける。バグジーがひょいとかわし、ぐぐっとベリー号へ寄ってきた。
「もうおしまいだよ」またぬたりと笑う。
カッチン達は、荷台の奥に身を引いた。
バグジーが幌の支柱に手をかけ、片足を荷台に乗せた。
カッチンは体をさぐった。戦える物はなにかないのか。なにもない。ウオーッ!叫ぶと、バグジーへ向かって体当たりしていった。並んで飛んだピピチャピが、鋭い爪でバグジーの顔を切り裂く。バグジーが悲鳴をあげ落ちて行った。
「あぶない!」
「落ちるぞ!」
ヤッチンがカッチンを。ヨッチンがピピチャピを引きもどした。
「時の渦に飛びこむわよ!」
荷台に転がった四人の上に、サトちゃんの声が響いた。
「ありがとう、みんな!」
空が歪み、サトちゃんの声を残して、ベリー号は青い煌めきのなかに消えた。
「痛えよ、もっとそっとやってくれよおばさん」
「若いのになに言ってんの。これくらい傷のうちに入らないよ」
山羊のおばさんが、今にも蹴飛ばしそうな勢いで言った。
古屋敷は夏の赤い夕焼けに染まっていた。
「お、おやぶん助けてください。鶏のおばさんが俺の傷をぐりぐりするんですう」
「おう、もっとぐりぐりして貰え。それも修行だ」
「おやぶん」
「泣くな」
「親分の言う通りよ。傷口からバイ菌でも入ったらどうするの」
ヤマト親分は苦笑いして、裏庭と苺畑を見まわした。あちこちにえぐられた穴があき、離れの屋根のまんなかは、瓦が吹き飛んでいる。草は焦げ、細い木は裂け折れ、苺畑のそこここも穿たれている。離れの広間には、傷が重い者が運び込まれ手当て中だ。軽い者は木陰で手当てを受け、戦い疲れた者達が、木の幹によりかかったり、草むらに寝転んで休んでいる。
離れから出てきたニモが、右足を引きずりながらヤマト親分の方へやってきた。
「傷はどうだ?ニモ」
「大丈夫ですよ。ご心配には及びません。広間の方も、どうやら命にかかわる者はいないようです」
「そうか。それは良かった」
「親分の方こそ、肩の傷はどうです?」
「フン。……どうやら持ちこたえたな」
「ええ、終わりましたね」
「ハックルベリイはどうしている?」
「土蔵で捕まえた者を見張っています」
「何人捕まえた?」
「十八人。見返しの鏡がありますから、心配はありません」
「そうか……」
ゆっくりと陽が沈み、白くぼんやりしていた月が、銀色に輝きだす。
「行っちまったねえ」
山羊のおばさんが二人のそばに立ち、お月様をながめて呟いた。
あちこちに座りこんだみんなも、気が抜けた顔で空を眺めている。
「さよならの挨拶も、ありがとうを言う暇もなかったよ……」
ぐすん、とおばさんは鼻をすすりあげた。
星がまたたきはじめ、天の川がうっすらと流れだす。
「なあに、すぐに戻ってくるさ」ヤマト親分が珍しくしんみりと言った。
「さあみんな、今日はゆっくり休んでくれ。明日からここを片付けるぞ。元気な者だけでいい。お昼ごろに集まってくれ。みんなありがとう」
ニモが庭や苺畑の回りを歩きながら告げている。
やがてみんなぞろぞろと、古屋敷の庭から消えていった。猫達が、鶏のおばさん、山羊のおじさんとおばさん。牛のゴリさん達と犬のクロベエ達。
月明りに照らされてぽつんと残ったのは、ニモとヤマト親分の影だけだ。二人は顔を見合わせ、どちらからともなく微笑んだ。
「行っちまったな……」
ヤマト親分が言った。
「行きましたね」ニモが答える。
すこしだけ涼しい風が吹き、苺の葉がさらさらと鳴った。
「……ニモ、俺の縄張りも、おめえ仕切ってみな」
ヤマト親分は、月に眼を戻して言った。
「仕切る?」ニモはほほえみ、
「私は、自分のテリトリーを広げるつもりはない」と静かだが、断固として答えた。
「若僧、それ以上、理屈をこねるのじゃねえ。俺がついていてやるから、仕切ってみせろと言っているのだ。言い訳は聞かねえ」
「頑固な老人だ……」
「年寄りは、一度言い出したら後へは退かねえぞ。ニモ、お前がみんなを守ってやれ」
ヤマト親分の声が、あまりにも切なくしみじみと響いたので、ニモは思わずヤマト親分を見た。
「ニモ、お前しかいないのだよ……」
ヤマト親分はつぶやくように言った。
二人は月を眺め黙っている。やがて、
「分かりました。やりましょう」
ニモは答えた。
「そうかい……ありがとうよ」
ヤマト親分は苺畑の上に目をやる。、
「ピピチャピはな、わしの孫娘だ。だが、あの子はそのことを知らないのだよ」
「えっ?」
ヤマト親分の声が寂しげだったので、ニモは思わず体を乗り出していた。
「ふふふっ……、あの子の母親は俺の末娘だが、ピピチャピを生んですぐに病気でいってしまった」
「それなら尚更、どうしてそのことを話してやらないのです?」
「あの子の父親は、誰だと思う?」
「さあ……」
訝しそうに首をかしげるニモへ、ヤマト親分は皮肉な笑いを浮かべた。
「ハックルベリィだよ。お前の弟のな」
「あっ!」ニモは驚いて声をあげた。
「わかったかい?」
「私の、弟の、ハックルベリィ……」
ヤマト親分は、ふむとうなずいた。
「お互い、意地を張り合ってけんか腰だったからな。ハックルベリイの奴も、言い出せなかったんだろうな」
「申し訳ない。弟がそんなことを……」
「あの子の母親は、死ぬ前に自分はハックルベリイと出会えて幸せだった、そう伝えてくれと言い残しだぜ。ピピチャピが帰って来たら、誰に隠すこともなく、話してやれると言うものだ。晴れて父娘の対面だなあ」
ニモはじっとヤマト親分の横顔を見た。
「ヤマト親分。あなたはその事を知っていて、苺畑作りに手を貸した……。我々の縄張り争いを自然におさめる為に。そうなのでしょう?」
「さあな。年寄りは物忘れが激しくてな。ニモ、お前がおぼえておいてくれ。厄介な仕事は、リーダーがやると決ってるんでな」
ヤマト親分は、真面目なのか冗談なのかはっきりしない、とぼけた顔で言った。
「判りました。おぼえておきます」
ニモが答えた。
「これで話はおわりだ。さて、どうた。せっかく人間のなりをしているんだ、今夜はアトリエで飲み明かそうじゃねえか」
ヤマト親分とニモは顔を見合わせ、にやりとした。
「お相手しましょう」
それから二匹の猫は夜の中を、音もなくアトリエに消えていった。
ベリー号は、車体がひん曲がるほど強烈にスピードをあげたかと思うと、ぎゅっと急ブレーキがかかり、かたつむりのようにのろのろと進んだ。
「サトちゃん、運転荒いなあ。もっとスムーズにやってよ」
「違うわよカッチン。時の渦を抜けるトンネルが崩れはじめているのよ。あちこちから漏れだした時間がぶつかって、時間の流れが狂い出しているの」
「ええっ?」三人は驚きの声をあげた。
「トンネルが崩れたら、僕たちどうなっちゃうんだよ?」
ヤッチンがおそるおそるたずねる。
「どこにも行きつけず、元に戻ることもできない」
「……ってことは、つまり?」とヨッチン。
「永久に時の迷宮を彷徨いつづけるしかないわ」
「このまんまで?」ヤッチンが目玉をくりくりさせる。
「そうよ」
「バグジーが僕らを追いかけて、時の迷宮に飛びこんでくれればよかったのに」
カッチンが残念そうに舌打ちする。
「バグジーはぜったいにそんなことしないわ。必ずいつかまた現れる」
サトちゃんは断言した。
「今度の戦いは、時間との戦いね」ピピチャピが前を睨んで言った。
体がゴムのように長く長く伸びていく。のろのろとベリー号は進み、突然後戻りしたかと思うと、もの凄い速度で突っ走り続ける。いつまでこんなことが続くのだろう。カッチン達はじりじりしながら、荷台にしがみついていた。ブレーキがかかり、ベリー号が急停止した。
「ああ、またか」カッチンがうんざりした声をあげる。
「停めたのは私よ。見て、この先が大きく崩れて、裂け目があるの分かる?」
サトちゃんが指さす。
「座標ではこの先が私たちの魔法の村よ」
カッチン、ヤッチン、ヨッチンの三人は、眼玉をカアッと開いて、トンネルの裂け目を睨んだ。噴きだす時間の粒子がぶつかり、虹色の火花を散らしている。時折り激しくなり、一瞬とまりまた噴きだし始める。
「サトちゃんに任せる」カッチンがごくりと唾を飲み込む。
「僕も」ヤッチンとヨッチン。
「私もまかせるわ。サトコ」ハルおばあさんが、サトちゃんのハンドルを握った手に、自分の手をかさねた。
「サトちゃんなら大丈夫。行こう!」ピピチャピがうなずく。
サトちゃんは黙ってうなすき、きりっと眉をあげて前を睨んだ。
ブレーキを踏んだまま、思いっきりアクセルを踏みこみ……。
「行け、ベリー号!」
ブレーキを離す。ベリー号が一気に加速し、トンネルを突っ走る。虹色の火花が交錯し、みんな眼がくらんで辺りは真っ暗になり、ベリー号は何度もバウンドしてようやく停まった。 何の音も聞こえない。
カッチン、ヤッチン、ヨッチンは、パカッと目を開いた。
地面がある。木々に葉っぱが繁っている。家が並んでいる。
「戻れた……」サトちゃんがつぶやいた。
「サトコ、このまま封印の木の広場まで走りましょう。残された時間は少ないはずよ」
ハルおばあさんが言った。
サトちゃんはハンドルを握り直し、ベリー号を走らせ始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます