第17話 苺の使者

苺の使者


 そして、苺は赤い実をつけた!

 夏休みに入ってすぐ、カッチン、ヤッチン、ヨッチンの三人は、ずらりと並んで、苺畑に立っていた。

 苺畑は、緑、緑、緑の輝き。畑を吹きぬけた風も、照り返す光も緑に染まって輝いている。風にゆれ、光にゆらぎ、苺が歌うのは、きっといのちの歌。

ほら、葉っぱの間からは、苺のつややかな赤い実。ぷっくらとふくらんで、風よりも熱く、光よりも透明に輝いている。

「出来た……出来たぞオ!」」

 三人は、とうとう堪えきれずに叫んだ。

ネィテブアメリカンのように、アステカの古代人のように、マサイ族の戦士たちのように、空に向かって叫び、足を踏み鳴らし、思い切り飛び上がって踊った。

そんな三人を、ハルおばあさん、サトちゃん、ピピチャピの三人は、木陰に置いたテーブルに座って、微笑みながら静かに見ている。

でも、おや?サトちゃんとピピチャピの眼には、別の光が。

(ほんと、男の子って、単純よねエ)

女の子だけに分かる、無言の会話があった。

そんなことには全然関心のない三人の男の子たちは、苺畑のあちこちに散らばって、苺の品定めに夢中になっている。と思ったら、おや? 三人組、どこかへ行っちゃうぞ?

「あとは苺の収穫だけね」

 ピピチャピが言った。ちょっとさみしそうだ。

「そうね。明日くらいには全部熟すわね」

 答えるサトちゃんの声も、何処かさみしそうだ。

ハルおばあさんは、ふたりを黙って見ている。

 分かっているのだ。みんな苺が出来たことを心から喜んでいる。しかし、苺の収穫が終われば、それはお別れの時でもあるのだ。ハルおばあさんは、ふたりの女の子の顔をそっと見た。ハルおばあさんは、胸の中で、ホッとため息をついた。ハルおばあさん自身、ここを離れがたくなっているのだ。けれど、まだ誰もそのことを口に出さない。言わない間は、別れの時がやって来ないと誤魔化しているのだ。

「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」

 カッチンたちの、明るい掛け声が聞こえてきた。

三人は、大きな台車の上の、シートをかけた大きな荷物を、重そうに押している。

サトちゃんとチャピは、今度は顔を見合わせて、クスクス笑った。だって、カッチンたちだけじゃない。荷物の上には、ヤマト親分とニモがふんぞり返って乗っていて、台車の後ろでは七、八匹の猫たちも、一生懸命に台車を押しているのだ。ヤマト親分やニモたち猫は、今日はまだ人間の姿に変身していない。

 サトちゃんとチャピは、お互いをつついて笑った。

「まるで、夏祭りの山車みたい」

 チャピが言った。

「そうね。見て、みんなのあの真剣そのものの顔ったら……」

 サトちゃんは、お腹を押さえて、やっとそれだけ言った。

カッチンたちは、大きな荷物を、サトちゃんたちの前に引っ張ってきた。

ヤマト親分とニモは、慣れた手つきでバイバイリーフをつかい、人間の姿になった。

「それでは、これより、ベリーヤーズ号のお披露目です」

 カッチン、ヤッチン、ヨッチンの三人が、声を揃えて宣言した。

サトちゃんとチャピは眼を丸くした。

ベリーヤーズ号ですって? それは何? 名前と大きな荷物の正体と、カッチンたちの誇らしげな顔が、とても気になる。

ヤッチンとヨッチンがシートの両側に、カッチンが後ろに回り、

「せえの!」

 声をかけてシートを一気にめくった。

なんと、シートの下から出て来たのは、古い三輪型小型トラックだ!

「うわあっ!」

 サトちゃんとチャピは、同時に声をあげて立ち上がった。

上下に緑と赤のツートーンに塗り分けられた車体、苺の絵と「ベリーヤーズ」の文字。真新しい幌。そこには、大きな苺の帽子をかぶって空を飛ぶ、魔法使いの絵が描いてある。

「すごい」とサトちゃん。

「いつの間に?」とチャピ。

「これは、まあ。可愛い車だこと」

 ハルおばあさんも立ち上がって、三輪型トラックを眺めた。

 カッチンたちは、アヘアヘ笑っている。

「小僧ども、笑ってるだけじゃ訳が判らんぞ。ちゃんと説明せんかい」

 ヤマト親分が、痺れを切らして言った。

三人はちょっと揉めたが、ヤッチンが前に立って説明することになった。

「エヘン。これは、みんなのベリーヤーズ号です。縮めてベリー号。苺を、魔法の村まで運ぶ為の、苺の使者です。こいつにちょいと魔法をかけて、大事な苺を運ぶのです。だって六千個の苺を、担いで運ぶ訳にはいかないでしょ?」

「ずるい、あたしたちに隠れて、こんな素敵なことをやってたの?」

 サトちゃんが言った。

「凄いだろ!自信作だぞ」

 カッチンが一番はしゃいでいる。この三輪小型トラックは、カッチンの家の倉庫の片隅に、ひっそりと眠っていた車なのだ。

「これが、魔法で空を飛ぶところを、早く見たいなア。今日辺り、試運転なんてどうかなア。天気も良いし。ぴったりの日だよね」」

 カッチンは横目で、サトちゃんとハルおばあさんと見ながら、それとなく言った。

ヤッチンとヨッチンも、真剣な眼でふたりを見詰めている。

「フフフッ……」

 ハルおばあさんとサトちゃんは、顔を見合わせた。

「どうしようっかなア?」

 サトちゃんはちょっと優越感にひたりながら、三人を見返した。

サトちゃんがピタリ、と足を止め、空を見上げ考える。

三人も空を見上げる。

「いいわよ!」

 サトちゃんが言った。

「やったあ!」

 カッチンたちが踊りあがった。まるで翼があるくらいに高く。


 小型三輪トラックは、新しい命を吹き込まれた。

 魔法の力だ。

 タイヤの代わりに、オレンジ色の光の輪が輝いている。

 車体の下には、青く淡い光。

「青い光がベリー号を空中に浮かせて、オレンジ色の光のタイヤで進むのよ」

 サトちゃんが言った。

「おお、すげえェ」

 今度はカッチンたちが眼を丸くする番だった。

「運転は車と同じ。ハンドルよ。ブレーキもアクセルもね」

「乗りたい」

 カッチンたちは叫んだ。

「どうぞ」

 カッチン、ヤッチン、ヨッチンの三人が、運転席に殺到した。

「僕に運転させて」

「僕だよ」

「僕が一番だ」

 三人は、狭い運転席に潜り込もうと団子になって、押し合いへし合いしている。

「残念ね。運転は私よ」

 助手席から、するりと中に入ったサトちゃんが宣言した。

「ずるいぞ、サトちゃん。運転させてくれるって言ったろ?」

 カッチンがサトちゃんを睨む。

「言わなかったわ。私は、乗っても良いって言ったのよ」

 サトちゃんはツンと澄ましてハンドルを握った。

「早く飛ばそうぜ」

 荷台から、ヤマト親分が声をかけた。いつの間にか荷台に乗り、待っていたのだ。あっ、ニモも乗ってる。他の猫たちも乗ってるぞ。ああ、チャピが助手席に座った。

「欲張るからいけないのよ」

チャピも澄ました顔で言う。 

「後ろだ」

 カッチンは、叫んで荷台へ飛び乗った。ヤッチンとヨッチンも続いて飛び乗る。

「行くわよ!」

 声と一緒に、僕らのトラックベリー号は、音もなく空中に飛び上がった。

「気をつけて、サトちゃん」

 ハルおばあさんが、口に手を当てて言っている。

 いつの間にか、苺の様子を見に来た山羊の一家、鶏のおばさん達、ヤッチンの家のクロベエ、それに人間の姿になった牛のゴリさん達が集まって空中に浮かんだベリー号を見あげている。

 ベリー号は、あっという間に地上から離れて、空へ昇っていく。もう、ハルおばあさんが、シチューの中のコーンのように小さくなった。

「ひょおっ」

「ウヘェ」

「おろろ」

 三人は荷台から頭を突き出し、外を眺めて声をあげた。

 ベリー号は、稲妻のようにオレンジ色の光を煌めかせ、空を走り始めた。鳶よりも小さく円を描き、鷹よりも早く空を走っていく。

「三輪エアードラフト!」

 サトちゃんは急ブレーキを踏み、ハンドルを切った。

 シュウゥ。蒸気が噴き出す音。蒸気機関車から噴き出す蒸気の音をたてて、ベリー号は空中で滑り、ぴたっと止まった。

「こいつはいい。わしも一台欲しいもんだ」

 ヤマト親分が言った。本気の声だ。

「かっこいい」

 ヤッチンが呟いて、ほおっと息を吐いた。


「ヤマト親分やニモさんまで、子供みたいにはしゃいで」

 空を駆けるベリー号を見あげて、ハルおばあさんは微笑んだ。

 ゆっくりと顔を戻した時、ハルおばあさんの顔はすこし曇っていた。

 一週間前の夜のことを思い出したのだ。

 あの夜、アトリエに集まったのは、ハルおばあさん、ヤマト親分、ニモ、ハックルベリイ、そして捕まえておいた三人の魔法使いたち。

「やっと回復したようだな。もう大丈夫だろうぜ」

 三人の魔法使いを前にして、ヤマト親分は穏やかな口調で言った。三人は黙って頭を下げる。ネズミから人間に戻った魔法使いだ。真ん中はちょっと肥えた男の人。右は若い男で、左はおばさんだった。こうやってみると、ネズミを操って苺畑を襲った恐ろしい魔法使いにはみえない。

 ここまで回復するのには、長い時間とハルおばあさんの大変な苦労と努力が必要だった。

 捕まってから暫くは、三人とも手のつけられない状態だった。全身からあのいやな臭いが噴きだし、魔法の村を嘲り、罵り、呪い叫び続けた。人間の姿に戻った三人を、十日間縛りつけて動けないようにして置かねばならなかった。

ハルおばあさんは薬を調合し、無理矢理飲ませた。その翌日から、三人の毛穴からは黄色いどろどろした膿が流れ出した。三人は苦悶にのたうち、わめき呪った。膿は六日間もの間流れ、最後には口と鼻から黒い溶けたアスファルトのようなかたまりが吐き出された。

あのヤマト親分やニモでさえ、顔をそむけるほどの凄まじい光景だった。

「ひでえもんだ。見ちゃおられん」ヤマト親分が苦しげに言うと、ハルおばあさんはこうこたえた。

「これは私がやらなくちゃならない仕事であり、わたしの責任です。この人たちをこうしてしまったのは、私たちなのかもしれない」

「それを言うなら、俺達大人の責任ってことだ。子供達や若い連中をしっかり叱らなかったせいだ。……ハルさん、あんまり自分ばかり責めないことだぜ」

「ええ、ありがとうヤマトの親分さん。でも見てください、この人たちの苦しみようを。私がきちんと話していれば、この人たちはこんな苦しみを味わう必要はなかったんです。だからこそ、私は最後まで眼をそむけずに立ち会わなければならないと思っています」

「ハルさん、あんたあ、つええなあ」

こうやって少しずつ三人は回復していった。その間、ハルおばあさんは決して子供達を近づけなかった。子供達にはぜったいに見せたくなかったのだ。体中の膿が出尽くした三人は、 それからひと月近く魂を持たない抜け殻だった。何も考えられず、自分が誰で何をしているのかさえ分からないようだった。何をみるでもなく、ぼんやりと一日をすごした。看病しているのが、ハルおばあさんであることさえ分からなかったようだ。

「あなたは、……ハルウア……」少し太った男がそう言ったのは、三人が捕まってから二カ月もたってからだった。

「眼がさめたようね、トグル。……お帰りなさい」

 ハルおばあさんは、心から嬉しそうな笑顔になって答えた。

 この日を境に、残りの二人も悪い夢から覚めたように元気になっていった。最後の試練は、三人が真実を思い出した時だった。彼等はほとんど気が狂ったようになった。おぞましい記憶と、魔法の村の仲間を裏切った煩悶と後悔と屈辱と悲しみと怒り。そのひとりひとりに、ハルおばあさんは長い時間をかけて話し合い、優しく包み、まだ手遅れではないことを伝え続けた。トグルは悔恨に苦しみ贖罪を望んで、二度も死のうとした。ハルおばあさんはそれを決して許さなかった。少しずつ、三人は落ち着いた心を取り戻し、元気を取り戻していった。

 そして一週間前、三人を魔法の村に帰すことに決ったのだ。

「お陰さまで、恐ろしい呪縛から解き放たれ、躰も元に戻りました」

 三人は口々にお礼とお詫びを言った。

「そんなことはいいやね。そうでんしょ?今じゃおまえさんたちも、ハルさんの仲間だ」

「恥かしいことです。自分達の欲にに眼がくらんで、とんでもないことに力を貸してしまって。ほんとに恥かしい」

「救わなければならない人たちが、まだまだたくさんいます。どうかみなさん、その人たちの力になってあげて。私からのお願いです」

「はい……。必ず、村を守る為に力を尽くします。仲間の多くが、騙されてあいつらの企てに参加してしまったのです。必ず……」

 トグルは涙で声が出なくなり、何度もなんどもハルおばあさんにうなずいて見せた。

「では、出発しましょう」

 ハックルベリイが三人の魔法使いを促した。彼は三人を村はずれまで警護していくのだ。他に六匹の猫が見え隠れに警護する予定だった。ハックルベリイはしっかりと見返しの鏡を右手につけ直すと、アトリエの扉を開けた。頼むぞと言うように、ニモが頷いて見せる。ハックルベリイはかすかに会釈し、三人と共に夜の中へ消えた。

「なあ、ハルさん。あれ以来、例のいやな臭いもしねえ。怠らず見張りも出してあるが、奴等ぴくりとも動かねえ。だが、このまま何事もなく終わるはずもねえ。奴等の親玉は、今度はいったい何を狙ってやがるんだろうな?」

 三人が消えていった夜の闇を眺めながら、ヤマト親分がぼそりと言った。

「分かりません。でも、私も親分さんと同じ思いです。このまま終わるとは到底思えないのです。今度はきっと全力を傾けて仕掛けて来るでしょう。正直言って、わたし怖いんです。何が起こるのか、誰かが傷つきはしないか」

「ふふふふふ……。そりゃあ俺もおなじだ。だが、あの小僧どもを見ていると、いつか怖さを忘れちまう時がある。小僧どもはきっとなにかやってくれそうな気がしてな。それでいいんじゃねえのかい?俺達はおれたちのやれる精いっぱいをやりゃあいいのさ」

「そうね、あの子たちは決してあきらめませんものね。私が守らなきゃいけないのに、逆に力をもらって。おかしなこと」

「それでいいのだと思いますよ。私も同じですから。何者にも怯まないあの子たちのエネルギーが、私達を勇気づけてくれるのです」

 ニモがにこりとした。

「そう言うことだ。あの小僧どもめが、年寄りを平気でこき使いやがる」

 三人は、顔を見合わせ声をあげて笑った。


 ハルおばあさんは一週間前の思いから覚め、そっと微笑み、ベリー号が飛ぶ空を見あげた。青い夏の空を、入道雲を背景に緑と赤に塗り分けられたベリー号が、ゆったりと天空を舞っている。

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