第15話 間に合った!

間に合った!


「本当に、本当に今度こそ終わったんだよね?」

 ヨッチンが畑を見て言った。

「うん。苗が残ってないことは、三回確かめたからね。大丈夫だ」

 ヤッチンはごくりと唾をのみこんだ。

「間にあったぞ。やったぞ」

 カッチンが言った。

「苺畑、きれいだね、サトちゃん」

 ピピチャピはほほえんでいる。

「うん」

 サトちゃんはやっとこさうなずいた。今にも涙がこぼれそうなのだ。

「今夜は、きっと素晴らしい八十八夜のお月様よ」

 ハルおばあさんが空を見上げる。

 カッチンもヤッチンもヨッチンも夕方の空を見上げる。ピピチャピとサトちゃんは、二人でぎゅっと手をつないで、並んで空を見上げる。

 ニモがいる。ヤマトの親分がいる。クロベエと犬の友達。山羊のおじさんとおばさん。鶏のおばさん達。猫達がいる。

 苺畑を囲んで、みんな夕暮れの澄んだ空を見上げている。

「小僧、とうとうやり遂げたな。お前達の勝ちだ」

 ヤマト親分が言った。ぶっきらぼうだが、あたたかい。

「違うよ。僕らは勝ったんじゃないよ」

 カッチンは言って、みんなを見た。

「ヤマト親分、僕達は助けられたんです」

 カッチンはヤマト親分を見上げ、にっこりと笑った。真っ直ぐな笑顔だ。

 ヤマト親分は顎をぐぐっと引き、子供達を順ぐりに眺めていった。カッチン、ヤッチン、ヨッチン、サトちゃん、ピピチャピ。それからヤマト親分は、

「ワッハッハッハッハァ」

 と大声で笑った。愉快でたまらないと言った笑い方だった。

 サファイヤの空に、夜のコバルトブルーが柔くにじんでいく。そのあとを追いかけて、濃紺の帳りが大地の底から空へ向けてたちのぼっていく。

「出たぞおっ!」

 みんなは、東の空を見た。

「月だ――」

 新しい夜の初めの、新しい月が、濃紺の空に輝いている。八十八夜の月が、五月の天空の路を歩み出す。

 月の光は大地に満ち、光の川の流れとなり、二千株の苺畑を潤すのだ。苺の葉の上で、透きとおった銀の光の粒子が踊り、みんな、心に祈りの灯を持つ。それは、月と夜の、美しい贈物だった。

 一人去り、二人去り。誰れも居なくなった古屋敷の庭で、苺はしめやかに生命を育てはじめていた。


 誰もいなくなった苺畑を、屋根の上にうずくまってじっと見ている影がひとつ。

 その影は身動きもせず、息さえしていないように見える。屋根にとけこんで、よっぽど注意して探さないとぜんぜん気づかないだろう。

 月はゆっくりと昇り、銀色の光が夜を渡っていく。

 その頃、満天星の陰に、三つの影がかがみこんでいた。

「誰にも気づかれなかっただろうな?」

「うん、大丈夫だ」

「こっちも大丈夫だ。ちゃんと細工して来た」

「毛布を丸めて、寝てるようにみせかけてきたよ」

 この三つの影は言うまでもなく、カッチン、ヤッチン、ヨッチンだった。

 八十八夜の月を見て、無事に終わった苺の植えつけに満足して一度は家に帰った三人だったが、疲れているのにぜんぜん眠れなかった。

 昇ったばかりの月が照らす苺畑の美しさと、やり終えた達成感が三人を興奮させて、熱い気持ちは醒めることがなかった。

 もう一度苺畑が見たくて、一番に動き出したのはやっぱりカッチンだった。

 ヤッチンとヨッチンをそっと誘い出し、いつものように満天星の秘密の入口にあつまったのだ。

「へへへ、なんだかどきどきするよな」

 カッチンは指で鼻の下をごしごしこすって、にやりとした。

 うん!とヤッチンとヨッチンが大きくうなずく。

「久しぶりだな、こっそり忍びこむこの感じ……」

 ヤッチンがフッフッフッと不気味に笑う。

「謎の古屋敷、秘密の入口……真夜中の探検隊」

 ふむ、とヨッチンが腕組みして大人のように眉を寄せた。

「よし、出発だ」

 カッチンが言うのと、するりと秘密の入口へ滑りこむのは同時だった。

 続いてヤッチンとヨッチンが滑りこんでいく。

「よし、これはハルおばあちゃんにもサトちゃんにも内緒にしておこう」

 カッチンがささやいた。

「うん、サトちゃん達が来る前、そうっと忍びこんでたスリルを思い出せそうだものな」

 少し考えて、ヤッチンが答えた。

「そうだな。あのわくわくドキドキがたまらなかったもの」

 ヨッチンも賛成する。

「よし、じゃあ昔を思い出して、僕が斥候だ」

 頷いたカッチンは、躰を低くして林の中を音もなく進みはじめた。

 カッチンが安全を確かめて合図する。

 回りを確認してヤッチンが続く。

 背後をうかがってヨッチンが用心深く最後をしめる。

 こうやって林の中を抜け、三人はアトリエの近くまで忍んできた。

「いよいよアトリエた。これから細心の注意がひつようだぞ。相手は魔法使いだ。ぜったいに悟られないようにしなくちゃ」

 斥候のカッチンが、ヤッチンとヨッチンをふり返ってささやいた。

「うん!」ヨッチンがうなずく。

 ところが、ヤッチンは闇に眼をこらしたまま、いつまでもこたえなかった。

「どうしたんだ、ヤッチン?」ヨッチンがヤッチンの腕をつついた。

「うん……」とヤッチンはこたえたが、まだ何か気になっている様子だ。

「どうしたんだよ?」カッチンがいらいらして聞いた。

「なんか、いやな臭いがしないか?」

 ヤッチンは真剣な顔で、くん、くんくんくんと臭いをかぎながら言った。

「いやな臭い?」

 ヨッチンも、くふくふくふと辺りの臭いを嗅ぎだす。

 カッチンもあわてて臭いをかいでみた。

 五月の夜のさわやかな空気。ぐんぐん伸びる草と木々の葉っぱの匂い。花がただよわせるあまやかな薫り。そして、そして……いままでこの古屋敷ではかいだことのない……。

「どぶの……なにか腐っていくような……いやな臭い」

「そうだ、どぶの臭いだ」

 カッチンの呟きに、ヤッチンがこたえた。

「ほんとうだ、なにか腐ったいやな臭いだ」ヨッチンが顔をしかめて言った。

「そうなのよ。いやな臭いでしょ?」

 三人の背中に、そのささやきがおおいかぶさってきた。

 ひゃあ!うがあっ!ほひょほひょ!三人は声も出ずに叫んでいた。

 声が出なくらい驚いて、からだがうごかなくなっていた。

 恐ろしい化け物が、知らない間に背後に忍びよっている!

 ヤッチンは叫びそうになって両手で口をふさぎ、ヨッチンはからだが凍りそうになってぶるるんと震え、カッチンは口を熊みたいに開いてもう一度無言で咆え、眼を見開いて後ろを振りかえった。

 そこには、サトちゃんと人間に変身したピピチャピの顔があった。

 カッチンとヤッチンとヨッチンは、これ以上ないくらい口をあんぐりあけ、飛びだした眼玉で、背後の二つの顔を見た。

 何十秒も、そうやってサトちゃんとピピチャピの顔をみていた。

「しっかりしなさいよ、あんたたち。大丈夫?」

 サトちゃんが首をかしげて聞いた。

 三人が、ウンウンと操り人形みたいに首をがくんがくんさせる。

「お化けでも見たような顔してるよ」

 ピピチャピがおかしそうに、上目づかいでカッチン、ヤッチン、ヨッチンと順番に顔をのぞきこんでいく。

 三人はようやく、ほおおーおっと止めていた息を吐き出し、直ぐに思い切りぶわぁーと息を吸いこんだ。

「おどかすなよサトちゃん……」ヨッチンがやっとのことで言った。

「おどかしてなんかいないわよ」とサトちゃん。

「お化けかと思った」カッチンはペタンと地面にお尻をついた。

「俺も……おどろいた」ヤッチンが額の冷たい汗を拭く。

「こわがりねえ。男の子って」

 サトちゃんは勝ち誇った笑みをうかべたが、すぐに真剣な顔になって言った。

「このいやな臭い、今夜きっと何かがおこるわよ」

「何が出るんだ、サトちゃん?」カッチンの喉がくぎゅと音をたてた。

「……わからない……でも、このいやな臭い。必ず何かがおこる。このいやな臭いと同じくらい嫌なことが……」

 サトちゃんはぎゅっと唇をかみしめた。

「ハルおばあちゃんは?気づいてる?」ヤッチンが聞いた。

「ええ、アトリエにいるよ。じっとなにか考えてる」ピピチャピがこたえた。

「そうか、それなら大丈夫だ」ほっとしたように、ヨッチンが手のひらで顔をこすった。

「そうだ、おばあちゃんが、みんなが来たらこれを渡しなさいって」

 はっとして、サトちゃんが三人に何かをさし出した。

 三人が受け取ったのは、耳の穴にすっぽり入る小さなイヤホーンと、水泳のときに使うゴーグルだった。

「あの、これは?」ヤッチンが興味津々で眼を輝かせる。

「それは、蝙蝠イヤホーンと猫の眼ゴーグルよ。イヤホーンは音波を出して撥ね返ってくる音のゆがみで色んな物を見つけ出すの。音波レーダーね。それと今まで聞こえなかった小さな音も聞き分けることが出来るのよ。つけてみて」

 サトちゃんに促されて、カッチン達は蝙蝠イヤホーンを耳につけてみた。

━━ええっ?なんだこれ!

 カッチン達は顔を見合わせた。急に耳の中にひゅーっと風が吹いたかと思うと、まわりの音が素晴らしくはっきりと聞こえ出し、頭の中がギュウーンと広がって澄んでいった。

「こんな、こんなにいろんな音がしていたんだ」ヤッチンが口をぽかんとあけてつぶやく。

 しかも音波レーダーの力で、それが何なのかも知ることができるなんて!

「きこえる、すっごいぞ蝙蝠!」

 ヨッチンが今にも踊り出しそうに肩をゆさゆさゆすっている。

 カッチンは息をひそめて、聞こえてくる音とその正体をさぐった。

 葉っぱがかさかさ、さらさら、とふれあう音。虫の足音。バッタだ。

 眠れない鳥のため息。夢をみながらふらふら泳ぐ魚がたてる水音。

 蛙のあくび。芋虫のお母さんの子守唄。狸のひとり言。夜鷹の恋の物語。カブト虫の角がぶつかるすもうの荒い鼻息。

 そしてこれはなんだ?小さな寝息の集団、それは地面の下から聞こえてきて、なんと蟻たちの寝息だった。

「すごいぞ、すごい、すごいすごいぞ蝙蝠!」

 カッチンは嬉しくなった。聞こうと気持ちを集中すると、どんな小さな生き物の声も聞こえる。

「使い方わかったでしょ。次は猫の眼ゴーグルよ」

 サトちゃんがじれったそうに鋭くささやいた。

「ほら、カッチンはやくつけてみてよ。びっくりするよ」

 ピピチャピがカッチンの肩をつつく。一生懸命笑いをこらえている顔だ。

 うん、とカッチン達は揃って今度は猫の眼ゴーグルをつけた。

━━へっ?へええええぇ!

 まわりがぱあっと明るくなって、突然、昼間の景色に変わった。

「どうカッチン、ヨッチン、ヤッチン。すごくよく見えるでしょ!」

 ピピチャピが得意満面で言った。

「あひゃあ、これもすごいぞ。なんだこれ」ヨッチンの躰がゆらゆら揺れている。

「これ、ひょっとして猫の眼で見た夜のけしきなのか?」ヤッチンがかすれた声で聞いた。

「そうだよ。昼間みたいでしょ」ピピチャピがにいっと笑う。

「ずるいや、こんなの。猫ってすごいんだ。夜でもこんなにはっきり見えるなんて」

 カッチンがうらやましそうにピピチャピを見て、ちょっとにらんだ。

「だから気をつけてね。カッチンたちがなにをしてるか、ぜんぶ分かるんだから」

━━それってまずくないかあ。いたずら全部ばれちゃってるなんて。

 カッチンはがっくりと頭をたれた。

「それと、もうひとつ大事なことを話しておくわね」

 サトちゃんが厳しい顔になってみんなを見回した。

「いい、よおく聞いてよ」

 カッチン、ヤッチン、ヨッチンの眼を覗きこんでうなずくと、サトちゃんは話し始めた。

「最初にこのことに気づいたのは、ヤマト親分とニモだったの。ちょうど畝作りが終わった頃よ。どぶ鼠が急に増えたって。それで二人は相談して、用心の為にあちこちさぐってた。その指揮を取っていたのは、ニモの弟のハックルベリイさん。その日から毎晩この古屋敷を見はったり、いろんなこと探ったりしてるの。ヤマト親分たちは、私達を狙っている魔法使いの仕業じゃないかって心配したのね。ハックルベリイさんは、今も屋根の上で見張ってる。あとで見るといいわ。そして、二、三日前からこの嫌な臭いが漂い出した。今日みんなが帰った後、ヤマト親分から連絡があったの。もし何か起こるなら、苺を植え終わった日の夜だろうって」

 話し終わると、サトちゃんはほっと息を吐いた。

 カッチン、ヤッチン、ヨッチンの三人も、肩の力をぬいて大きく息を吐き出していた。

「そうか、ヤマト親分やニモたち、僕たちの知らないところで大変な仕事していたんだ。苺のこと真剣に心配してくれていたんだ」

 ヤッチンがしんみりした声で言った。

「うん。いつもは小僧ども!って怒鳴ってるのにね」

 ヨッチンが切ない顔になった。

「そうだね。なんだか、僕たち浮かれ過ぎてたかもしれない……」

 カッチンはまた頭をがっくりとたれた。

「ほら、しょげてる時じゃないでしょ」ピピチャピがぴしゃりとカッチンの肩をたたいた。

「だけど、僕たち、ちょっと喜びすぎてた。苺を植え終わったら、もうそれで全部うまくいくみたいな気持になってた。でも、親分たちは違った。きっと分かってたんだ。これからが大変なんだって」

 ヤッチンが言うと、ヨッチンとカッチンが力なくうなずいた。

 だけど、カッチンの立ち直りは超光速宇宙船だ。

「よおし、まだ間に合う。僕たちは僕たちの出来ることをやろう!」

 カッチンは眼玉をぐりんぐりん、ぎらんぎらんさせてかっと顔をあげて言った。一瞬前に落ちこんでいたカッチンが嘘のようだ。

「すごいでしょ、カッチンの立ち直り。ちょっと変だけど」

 ピピチャピが言うと、サトちゃんがくすくす笑った。

 つられてヨッチンとヤッチンも笑い出し、ピピチャピも笑い出す。

「そんなに、僕って変かなあ」

 唇をぐにゅっと突き出して抗議したカッチンも、とうとう笑いだしてしまった。

「変じゃないけど、おもしろい」ヨッチンは真面目な顔でうなずき「カッチンの言う通りだ。僕らは僕らのやれることを精いっぱいやろうよ」しっかりした声で宣言した。

 みんな笑いながらうなずいていた。

 それからみんなで、苺畑が見える場所まで移動して、木の陰や草むらに隠れ様子を探った。まだ怪しい音も話し声もしない。カッチン達は屋根の上にいると言う、ハックルベリイの姿をみつけた。その姿は石のように動かない。時々、眼だけがキラン、きらりと苺畑の辺りを見つめ、くまなく怪しい物がないか探っている。

月は青白く光り、流れる雲が月を隠すと、なんだか冷たい風がさあっと吹いていく。どれくらい時間がたったのだろう。

 蝙蝠イヤホーンに声が飛び込んできた。

「ハックルベリイ隊長」

 押し殺した声が呼んだ。

「どうした?」ハックルベリイと呼びかけられた影は、動くことなくひそやかに答える。

「ヤマト親分とニモリーダーからの伝令です。配置はすべて終わりました。あとは待つだけだと」

「わかった。こちらも準備できている。心配ないと、伝えてくれ」

「はい」

「それと、この妙に薄気味悪い、嫌な臭いに気をつけるよう言ってくれ。奴等と関係がありそうな気がする」

「はい。たしかに、この臭いここ何日か段々強くなっています。では、隊長もお気をつけて。伝令行きます」

「頼む」

 ほとんど聞き取れない低い声でのやり取りが終わると、辺りはまたひっそりとした。

 幽かな風の音だけが、苺の苗を揺らしている。

「いいか、俺達は雑魚ネズミとの戦いには手を出すな。俺達が狙うのは、鼠どもを支配している奴を見つけて捕まえることだ。ちゃんとバイバイリーフを用意しておけ」

 ハックルベリイはさっきよりもっと低い声で言った。

 どこからともなく、はいっ、とそれに答える返事が鋭く低く返って来た。

 それから、また古屋敷と苺畑はしーんと静まりかえった。

「いよいよかな」カッチンはこぶしを握りしめた。

「そうだね。いやな臭いがだんだん強くなってきてる」ヤッチンが荒い鼻息を噴きだす。

「いつでもいいぞ」とヨッチン。

「私たちはハックルベリイの手伝いをしましょう。襲ってくるのがネズミなら、私たちは大きすぎてヤマト親分の邪魔になるわ。それに命令してる奴を捕まえなきゃ、何度も同じことの繰りかえしになっちゃう」

「よし」カッチン達はうなずいた。


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