第13話 牛のゴリさん
牛のゴリさん
牛小舎の中はきれいに掃除され、サイロから出して広げたばかりの、乾草のいい匂いがしていた。昨日と変わらず、雨は降り続いている。
子牛は、ハルおばあさんの薬がきいたのかして、さっき眠りはじめていた。でもまだ息がすこし荒い。カッチン、ヨッチン、ヤッチン、ピピチャピ、サトちゃん、ハルおばあさんは、じっと子牛を見守っている。その横で、お父さん牛のゴリさんとお母さん牛が、心配そうに首を伸ばして子牛をのぞきこんでいた。
「大丈夫よ。あと一時間もすればもっと良くなるわ」ハルおばあさんは言った。
「ありがとうございます」
ヨッチンが言った。
ハルおばあさんはいいえとかぶりを振り立ち上がった。
「おばあちゃん、私、もう少しここにいてもいい?」サトちゃんが聞いた。
「ええ、いいわよ。でも、夜遅くならないようにね」
ハルおばあさんは言い、お父さん牛とお母さん牛の方へ言った。
「すぐに良くなりますよ。何も心配はありませんよ」
「ありがとうございます」
牛のお父さんとお母さんが言った。
「子牛が気持よく眠れるよう、みんなで子牛の背中をそっとさすってあげなさい。優しくそうっとよ」
「はい」ヤッチン達は小さい声で返事した。
「それじゃ、お大事に」
ハルおばあさんは牛のお父さんとお母さんに会釈すると、大きなコウモリ傘を広げ雨の中を帰っていった。
「良かったなあ、ゴリさんよ」
通路をはさんだ向こう側の柵から、他の牛がお父さん牛のゴリさんへ呼びかけた。
「おお。心配かけてすまなかったな」
「それにしても、どう言う人なんだ?今の、女のお医者はよ?」
「ヨッチンの知り合いだ。特別に特別の薬を持って来てくれたのさ」
「ヘェッ。ヨッチン、お前、偉いもんだな」
「そんなことないよ」
ヨッチンは子牛の背中を優しくさすりながら言った。ちょっと得意そうだ。
「ゴリさん、ごめんね。ヨッチンは、私とおばあちゃんの為に、ずっと畑作りを手伝ってくれてたの。だから、子牛のことが心配でたまらなかったけど、今日まで何も出来なかったの。私が悪いの」サトちゃんが言った。
「あんたは何も悪くないさ。こうやって、俺の息子を助けてくれたんだものな。俺の方こそ、息子の病気が心配で、畑作りが手伝えなくて、悪かったな」ゴリさんが言った。
「私達で手伝えることがあったら、今からでも言って下さいね」
お母さん牛も、すまなそうに言った。
「そうだぜ。ゴリさんは俺達の大将さ。俺達もやるぜ」他の牛も口々に言った。
「ありがとう。その時は頼むね」
ヨッチンが言った。
「おや?こいつ、すっかり気持良さそうな寝息をたててやがる」
ゴリさんが、子牛を見て言った。
「ほんとだ。もう大丈夫だ」
ヤッチンが言った。
「あっ、お腹がぐぅって鳴ったぞ」
ヤッチンが言うと、
「お腹空いたのかな?」
ピピチャピが言った。
みんな、声をひそめてくすくす笑った。
「ありがとうサトちゃん、ありがとうみんな」
ヨッチンは、すっかり元気な顔に戻っていた。それからみんなを見て、
「明日から土、日でまた休みだ。がんばって、苺畑を仕上げるぞ」と言った。
みんな、ウンとうなずいた。
牛小舎の高い梁の上では、ヤマト親分とニモが、そんな子供達の様子を見ていたが、誰れ一人気付く者はいなかった。
次の日の土曜日も、雨はやまなかった。カッチン達は、午前中を届けられた苺の苗のチェックで過ごし、午後からは子牛の様子を見に行った。
子牛はすっかり元気になっていた。ぴょこんぴょこんと後足ではね、長いまつ毛をぱち
ぱちさせ、珍しそうに人間の子供達を見た。カッチン達は、ホッと胸をなでおろしたのだった。
夜遅くに雨は上がり、日曜の朝、空はきれいに晴れていた。
古屋敷の庭は、朝から騒々しい。それでも、耕す前より、みんなのんびりとした顔をしている。あとは、苺を植え、八十八夜を待てばいいのだ。猫も鶏も山羊も犬も、みんな混じっている。みんなの前には、カッチン、ヤッチン、ヨッチン、サトちゃん、ピピチャピが立ち、少し離れて、ニモが立っていた。
ヤマトの親分は、アトリエの前で椅子に腰を降ろし、のんびりした顔をしている。
「では、説明します」
ヤッチンが一歩前に進み出た。
「午前中は、雨で流れた畝を固め直します。その時に、肥料を混ぜて下さい。そして、午後から、一気に苺の苗を植えます。それで、苺畑作りはお終いです」
ヤッチンが言うと、
「それだけでいいのか?」
「まかせとけ」
「あっと言う間に終わらせるぞ」
あちこちから声があがった。
「じゃ、お願いします」
ヤッチンが下がると、ニモが前に出た。
「グループは今まで通りだ。最後まで、きちんとやろう。最後の一株を植え終わるまで、気を抜くなよ」
「おおっ」みんなの声が木霊した。
「では、始めよう」
ニモは静かに言って、鍬を手にとった。
「若いモンが働くのを見るのは、気持がいいものだな」
ヤマトの親分は呟いてふっふっふっと笑った。
「そうれっ」
男達が畑に並んで声をかけた。
「ハルさん」
ヤマト親分は、小走りに畑の方へ行くハルおばあさんを呼びとめた。
「何でしょう?」
「ハルさん、あんたがこせこせ力仕事をする必要はねえ。ここにでんと座ってりゃあいい」
ヤマト親分は、空いた椅子を指さした。
「でも……」
「いいんじゃよ。力仕事は若い連中に。仕切りは小僧共とニモにやらせておきなさい」
ヤマト親分の言葉に、ハルおばあさんは顔をほころばせた。
「それにな、わしらのような大人は、余り出しゃばらん方がいいのだ」
「そうですね」
ハルおばあさんは畑の方を眺め、ゆっくり椅子へ座ると、
「ヤマト親分は面白い方ね」と言った。
「ふふふふ……。面白くはないが。あと十年も生きて百才をこえれば、わしも晴れて猫又の仲間入りだ」
「まあまあ。そんなに長生きするつもり?」
「ああ。一匹くらい、うるさいのが残っておらぬと、若い者にしめしがつかんよ。第一、この世は若い連中だけで出来あがっているものでもなかろうよ」
「その通りです」
ヤマト親分は細い眼の奥で一瞬、激しい光を閃かせた。
「所で、ひとつだけ聞きたいのだが」
すぐにとぼけた顔に戻って聞いた。
「何でしょう?」
「苺が作れなかったら、どうするつもりだったのだね?」
ヤマトの親分は、畑の方を見たままで言った。ハルおばあさんの眼が鋭い光を宿したが、すぐに元の柔いまなざしにかえった。けれど、何も言わなかった。
「ひとつひとつ丁寧にやるんだ。無理に今日中に終わらせようと思うな。日にちはあるぞ。あわてるな、急ぐな」
ニモの声が響いてくる。
「ハルさん。サトちゃんだけ助けて、自分は一人、その魔法使いの村へ戻る覚悟じゃなかったのかね?」
ヤマトの親分は、ハルおばあさんを見た。
ハルおばあさんは眼をみひらいてヤマト親分を見ている。そして、ほおーっと大きく息を吐き出し、にっこりとした。
「ヤマトの親分さん、あなたは恐い人ね。……正直に言います。その通りよ」
言い終わって、ハルおばあさんはヤマト親分を悪戯っぽい眼で眺めた。それから、
「あなたは、猫にしとくのは惜しいわね」
ともう一度ほほえんで言った。
「いいや。人間じゃないから分るのだよ。わしは、人間には媚びないからな」
と、ヤマト親分はにぃっと笑い、
「ところで、バイバイリーフだが、わしにもちょいと分けてもらえるかね?」と聞いた。
エッ?とハルおばあさんは驚いた表情になったが、にこりとして、
「ええ、どうぞ」と答えた。
「少し多めにな。――ハルさん、あんたも人間にしとくにゃ、惜しい人だねェ」
ヤマト親分は、にやりとした。
午前中に、畝作りは終わった。暑い陽射しをさけ、午後少し遅くなって、苺の苗を植えることになった。
作業が順調にすすみ、みんなウキウキした顔をしていた。一番張り切っているのは、カッチン、ヤッチン、ヨッチン、サトちゃん、ピピチャピの五人だ。
五人は、苺の苗を抱えてみんなの間を走り回っている。苗を植える深さ。植えた後の土の押え加減。水の量などを教えているのだ。みんな真面目な顔で五人の話を聞き、もっと詳しく質問する者もいた。
「それじゃ、みんな位置について下さい。苗は、畑の両端から植えていきます」
子牛の病気が直り、すっかり元気を取り戻したヨッチンの声が、陽射しの中へ溶けていく。
「準備は良いですか?」
ヨッチンが呼びかけると、畑に集まったみんなが、おおっと声をあげた。
「では、始めっ!」ヨッチンが声をはりあげた。みんなが、わらわらと動き出す。
苺の苗を植える為に、土を盛り上げた畝は三本ある。幅は三十センチ、高さは二十センチ程だ。畝のまんなかに、丁寧に苗を植え、そっと土をおさえていく。二人一組になって、あわてずあせらず、大事に苗を植えていく。
「穴が浅いんじゃないのかい?」
「苗と苗の間は二十センチだろ?」
「そっと、そっと押えろ。強過ぎないか?」
「こりゃ、どっちが前だ?」
「苗に前も後もないよ」
「そ、そうなのか?知らなかった……」
「ようし、次だ」
みんなはわいわい言いながら、苺の苗を植えていく。鼻歌混じりの者がいると思えば、苗を植え終わる度に、一本々々、芸術家のように仔細に眺めて頷く者もいる。日陰から苗を畑に運ぶ者。植えられた苗に如露で水をやる者。交替して休憩する者に飲み物を配る者。誰が言うのでもないが、みんな自分の仕事をみつけて、楽しそうにせっせと働いている。
ハルおばあさんも、ピピチャピもサトちゃんも、猫や犬や山羊や鶏と一緒に苗を植え、交替して休み、また苗を植える。陽の光を浴びて、畑は土のいい臭いで包まれ、苺の苗は風にゆれて、広いぎざぎざの葉っぱをひらひらさせていた。みんなの間を、あっちに行ったりこっちに来たりして教えているのは、カッチン、ヤッチン、ヨッチンの三人だ。
様子を見て三時頃から始まった苺の苗植えは、日が傾いた六時頃に中断された。畝の半分位、苗が植えられている。ニモにカッチン達が相談して決めたのだ。
「お日様がある時に植えた方が良いからね」
ヨッチンとヤッチンが言った。
そこで、今日はお終いと言うことになった。あと半分。それで、苺の苗植えも終わりだ。
「あんた達が明日学校から戻る頃には、もう全部終わってるよ」
山羊のおばさんが、体をぶるんとふるわせて言った。
「少しは残しといてよ」
カッチン達は言って、みんなが帰って行くのを見送ったのだった。
「学校が休みだったら良いのにな」
ヨッチンが言うと、ヤッチンが、
「しょうがないよ。明日は月曜日だもん」
くやしそうに言った。
「学校より、苺畑の方が大事なのになあ」
カッチンが言うと、すかさず、
「そう言うの、本末転倒って言うのよ。知ってる?」サトちゃんが言った。
「……わかってるよ」
カッチンはぼそりと答えたのだった。
次の日。月曜日。
――時間が進むのが、おそい……おそい……おそいぞ。
カッチンは、じりじりする気持を無理矢理押えつけていた。
机の下で、膝小僧をこすり合わせたり。お腹にぎゅうっと力を入れて、気持をなだめたりした。ヨッチンも、今日は落ち着きがない。サトちゃんだって、二回も筆箱を落とした。
休み時間が来るたびに、カッチン、ヤッチン、ヨッチン、サトちゃんは廊下に集まり、
「もう、ずい分すすんだかな?」
「みんな、きちんとやってるかな?」
苺畑のことばかり話した。
窓の外では、優しい気持のいい風が吹き、太陽の光は、木々の枝や花壇の花をきらきら輝かせている。なのに、四人は学校にいなくちゃならない。今すぐにでも外へ駆け出し、苺畑へ飛んで行きたいのに。
午前中は亀の時計のようにゆっくりで、午後は逆転する時計のようだった。そして、ついに、終わった。
四人は走った。走って走って走って。四人の目の前に、苺の苗で緑に埋め尽くされた苺畑があった。
「やったあ」
四人は手をつなぎ、とびはねた。
――八十八夜に、間に合った。
カッチンもヤッチンもヨッチンも誇らしかった。
「あれっ……?」
その、変な静けさに気付いたのはヨッチンだった。
「どうしたんだよヨッチン?」
カッチンが聞いた。
「変だ……」ヤッチンは周りを見回した。
猫や山羊や鶏や犬達、クロベエまで、妙に不安そうな眼をして、カッチン達三人とサトちゃんを見ている。
「どうしたのみんな?苗を植え終わって、気がぬけたの?ごめんね、手伝えなくて」
カッチンは、みんなの方へ歩いていきながら声をかけた。アトリエの扉が開き、ハルおばあさんが出て来た。
「おばあちゃん、どうしたの?」
サトちゃんが聞いた。ハルおばあちゃんと一緒に、ヤマト親分とニモが姿を見せた。三人共、重々しい真剣な顔をしている。
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