第10話 ヤマト親分

ヤマト親分


「何をしょぼくれてるんだ?小僧?」

 夕暮れの向こうで声がした。

 カッチン達は、夜の闇をすかし見た。闇の奥で笑い声が、ほふほふふあっふあふあとひびいて、アトリエの陰から黒い影がいくつもあらわれた。

「ヤマトの親分っ!」カッチンが叫んだ。

 ヤマトの親分を先頭に、十匹近い猫が歩いて来る。

「カッチン、こっちも!」サトちゃんが甲高い声をあげる。

 振り向くと、畑の横を通って、同じように十匹以上の猫が歩いてくるのが見えた。先頭にいるのはニモだ。

 カッチン達の前に、ふた群れの猫が向かい合って止まった。

「よお、来たなニモ」

 ヤマトの親分さんは、ニモを見下ろして言った。

「そちらこそ、約束を守ってくれたようだ。まずは、礼を言おう」ニモが答えた。

 うしろに並んだ猫たちは、地面に爪をたてたり、背中を丸めて毛を逆立てて鋭い眼で相手を睨んでいる。フウッ、フシュウッと声をあげる猫もいた。

――なぜ、猫たちが……。

 カッチンは、突然あらわれた猫を見て、頭が混乱していた。しばらくは何も思い浮かばないまま、ニモとヤマト親分を見ていた。

「止めて。約束が違うよ、ヤマトの親分さん!」ピピチャピが叫んだ。それは悲しい声だった。

 カッチンとサトちゃんは、あっと声をあげた。

――まさか……。ここでは決戦しないって約束してくれたのに!

 カッチンはいっぺんで頭にきた。ドッカーン。頭の中で大噴火だ。

「絶対、許さないからな。ここではもう喧嘩しないって約束したじゃないか!」

 カッチンは全身に力をこめて大声をあげた。

 猫たちがギョッとして後ろへ退いた。平気な顔をしているのは、ニモとヤマト親分だけだ。カッチンはそれが余計に悔しくて、悲しくて、怒りが体中をかけまわった。

「あわてるな小僧っ!」

 ヤマト親分の声は、夜の大気をビリリッとふるわせ、六匹の猫を草むらへ逃げ込ませた。

「小僧、早とちりするなよ。わざわざ、人間ごときの為に来てやったのだ」

 言って、ヤマト親分は、ふっふっふっとあまり面白くもなさそうに笑った。

「ここで、喧嘩するんじゃないの?」カッチンは聞いた。

「それはニモに聞け。言い出したのはわしじゃない。ニモだ」

 ヤマト親分は、ニモを見据えて言った。ニモは長い尻尾をひゅんと鳴らして、

「感謝しますよ、ヤマト親分。だが、このままでは話しづらい。まず、我々を人間の姿にしてくれるかな?」

 とハルおばあさんへ言って、丁寧に頭をさげた。

「わかりました」

 ハルおばあさんはにっこりすると、サトちゃんに合図した。二人の両手の間で光が煌めき、猫達へ向かって流れ星になって飛んだ。そこここでぽんっ、ぽん、ぽぽんっと音がして、猫達は人間の姿に変わっていった。

「やれやれ、とんだ茶番だな、ニモ」

 ヤマト親分は、山高帽を脱いでハルおばあさんにかるく腰をかがめて挨拶しながら言った。

 ヤマト親分は、黒ずくめのスーツに白いシャツ。黒いチョッキから懐中時計の銀鎖が伸びている。四角い顔とがっしりした顎。額には三本の皺が深く刻まれていた。ヤマト親分は、垂れ下がった太い眉の下の鋭く細い目で、ニモを見た。

 ニモは、白いシャツに黒い薄手の絹のベスト。サンドブラウンの細めのズボン。形の良い口髭をたくわえている。切れ長の涼しげな眸には、静かな光が宿り、額にはぱらりと髪が一筋かかっていた。背は高く体つきはがっしりしている。

「ふむ、悪くない」

 ニモは呟いて、ハルおばあさんの方へ向き、礼儀正しく挨拶した。

「私たちは休戦協定を結んだ」

 ヤマト親分の横にならんで、ニモは言った。

「休戦協定?」カッチンが声を上げた。

「そう。私の頼みを、ヤマト親分が快く聞いてくれた」ニモはカッチンを見た。

「カッチン、……ヤッチン、ヨッチン。君たちにはお礼を言わなければならない」

「お礼?」とヤッチン。

「私の息子、ガリレオを、川から助けてくれた。ありがとう」

 ニモは、にこりと嬉しそうに顔をほころばせた。

 カッチン達は軽く頭を下げた。

「息子の命の恩人が困っているのに、黙って見過ごすことは出来ない。そこで、ヤマトの親分に頼み、休戦した。そして、君たちの畑作りを手伝うことにしたのだよ」

 カッチン達は自分の耳を疑った。ニモの言うことが、すぐには理解出来なかったのだ。でも、その言葉の意味はじんわりとカッチンの体にしみこみ、やがてひとつの形、ひとつの大きな喜びになっていった。

――猫たちが本当に、手伝ってくれるんだ。

 カッチンはサトちゃんを見た、それから、

「ありがとうニモ。ありがとう、ヤマトの親分。――ありがとう」

 カッチンは、ニモとヤマト親分の手をしっかりと握った。

「噛み付き合うよりは、苺作りで競った方が平和だからな」

 カッチンにだけ聞こえるようにささやくと、ヤマト親分はにやりとした。そして、眼をぎらりと光らせ、ヤマト親分は自分の子分たちを睨むと、

「野郎ども、負けるんじゃねえぞ」

 びんびん響く声で吠えたのだった。

「オオーッ」子分たちがそれに答えて咆え返した。

「俺達も負けないぞっ!」ニモの側からも声があがった。

 ヤマト親分とニモが握手すると、両方から歓声が上がった。もちろん、カッチン達も手を取り合い大喜びだ。サトちゃんとピピチャピは、両手をとってくるくる踊りまわっている。ピピチャピはとても幸福そうだった。

――ヤマト親分が手伝ってくれるのが、本当に嬉しいんだなァ。

 カッチンは思った。

「早速仕事にかかった方がよさそうだぞ。この天気は、三日ともつまいよ」

 ヤマト親分は空を見上げて言った。

「どうやら、そのようですね」ニモも空を見上げてうなずく。

 休戦協定を結んだとは言え、縄張りが違う猫たちは、右と左に分かれて、ぎこちなく互いの様子をさぐっている。こんなことは、初めてなのだ。

「早速、今から始めようと思います」

 ニモはハルおばあさんに一声断って、ヤマト親分と一緒に、猫達の前に立った。ハルおばあさんはほほえんで、黙って頭をさげた。

 カッチン達も興味津々で何が起こるのかを見守っている。縄張り争いをしている猫たちが、本当になにごともなく、仲良く力をあわせてひとつのことをやれるのだろうか?

「集まれ。――ほれ、ぐずぐずするな。もっと寄らねえか」

 ヤマト親分は、二つに分かれた猫の群れをひとつに集めると、ひとわたり猫たちを睨み、

「苺作りの先生は、ヨッチン、カッチン、ヤッチンの三人だ。猫の仕事の按配の仕切りは、ニモがやる」

 ヤマト側から不満の声が上がる。ニモ側からは拍手が起こった。

「私達、猫全体の総指揮は、ヤマト親分にお願いしてある」

 ニモが言うと、今度はヤマト側から拍手が起こり、ニモ側は静かになった。

「この三日のうちには、必ず雨が降る。わしの天気予報は人間と違って正確だぞ。雨が降る前に全力を尽くせ」

 ヤマト親分は、何処で見つけたのか、立派な木の枝をステッキにしてついていた。そのステッキで自分の横をさして、

「小僧、仕事の説明をしてくれ」と言った。

 カッチンとヤッチンは、ヨッチンを前に押した。ヨッチンは畑の専門家だ。

「草むしりは終わっています。これからは、固くなった地面を掘り、石を取って、肥料を入れて、また耕して、畑のもとを作ることです。それが済んで、苗を植えます」

 ヨッチンは言って、ニモを見た。ニモがかるく会釈し前に出る。

「作業は全体を三つのグループに分け、昼夜兼行で交代しながら進めることにする」

 ニモは人間の姿になった猫ひとりひとりの顔を見ながら言った。

 猫の後の方、カッチン達のすぐそばで、猫が話しているのを聞いて、カッチン達は思わず、笑うのを我慢したのだった。

「なァ、チュウヤケンコウってのは、どう言う意味だ?」聞いたのは、ニモ側の猫だ。

 ヤマト側の猫がこう答えている。

「チュウヤってのは、昼と夜ってことだ。ケンコウってのは、元気ってことよ。だから、昼も夜も、皆なで元気にいこうぜってことだ」

「なるほどなァ」

 思わず身を乗り出して、昼夜兼行は昼も夜も作業をすることだと、サトちゃんは説明しようとした。カッチンはあわててサトちゃんを止めた。

「猫達が仲良くなろうとしてるんだ。二人に恥をかかせて、仲が悪くなるより、黙ってようよ」カッチンはサトちゃんにささやいた。

「そうか。――そうだね。昼も夜も、元気、げんき」サトちゃんが答えた。

 その間に、猫は八匹、いや八人ずつ三つのグループに分けられた。

「まず、道具に慣れる為に、三つのグループ全員、耕してもらいます。それぞれのグループに、僕達がついて使い方を教えます」

 ヨッチンが説明した。猫達は身を乗り出して、ふんふんと聞いている。

「猫なのに、みんな素直に聞いてるね」

 ヤッチンがカッチンに耳打ちした。

「そうだね。どうなることかと、最初はすっごく心配だったんだ」

「おかげで、畑作りがはかどりそうだね」

 ヤッチンとカッチンは、ほっとした顔でにんまりと笑った。

 と思ったのも束の間。すぐに大騒ぎが持ち上がった。鍬や鋤を持って、草むしりが終わった場処へ八人が並んだ途端、いさかいが始まったのだ。三つのグループには、ヤマト派とニモ派の猫達が、いい具合に混ぜてあった。グループの中で、派閥争いが起きたのだ。

「なんだいおめえ。俺の前に出るんじゃねえよ。邪魔だ」と一人が言えば、

「お前こそ、おらっちの肩を気易く小突くんじゃない」と相手が気炎を吐く。

 それにまた互いの派が口を出し、肩で押しあったり、足を絡ませあったり。

 すっと風になって動いたのはヤマト親分だった。親分は八人の後に回ると、いきなり手にした木の枝で、猫共の尻を目にもとまらぬ速さで、ビビビビッと打ちすえた。

「あひゃ」「ほおうっ」「いてっ」「うっ」

 と猫達は悲鳴をあげる。そこへヤマト親分の怒声が落ちた。

「手前等、それでも猫かあっ!」

 そのひと声で猫達はヒッと目玉をひんむいて直立不動で固まり、二本の鍬と一本の鋤がぱたぱたぱたんと地面に倒れた。

「まさかお前達、猫の恥を晒しに来たのじゃねえだろうな?」腹の底をどどんとふるわせる声が、猫達の背筋をぞくりとさせた。

「チ、ちがいます」猫達が答えた。

「それじゃあ、どうすればいいのか、すっかり心得てるな?」とヤマトの親分。

「ハイッ」猫全員が声をそろえて返事した。

 その様子を、ニモだけが口辺にほほえみを浮かべて見ていた。

「やるぞ」誰かが地面に倒れた鍬を取り上げた。

「よおし」他の全員が答えた。

 猫達はグループに分かれ、ヨッチンを先生に、ヤッチンとカッチンを助手にして、鍬や鋤の使い方を習い出した。

「あれっ?」 (ぬ、抜けない)

「おっとっと」 (あぶないっ)

「何だと」 (変なとこ掘っちまった)

 腰がふらついたり、地面を外れて空を切ったり、よろけたり。またひとしきり大騒ぎ。

 その時、腕まくりしたニモが鍬を持ち、みんなの横に並んで、鍬をふるい始めた。

「腰を落として、真っ直ぐに打ちこむ」

 みんなに手本を見せ、地面に鍬を打ち、土を掘り起こしていく。猫達も段々真剣になっていった。

 ニモは、三つのグループが慣れる迄、黙々と鍬をふるい続けた。ニモの額から汗が流れ落ち、背中は見る間に汗でぬれていった。いつか、猫全員が黙々と地面を耕している。

 ヤマトの親分は、ふふふっと含み笑いしてその様子を離れて眺めていた。カッチン達もそうだ。草むしりの疲れも忘れて、いつの間にか猫達と一緒に汗だくになって地面を耕しているのだった。ピピチャピもサトちゃんも仲間入りしていた。

「はっ、ほっ、はっ」鍬や鋤を打ちおろすたびに声がひびく。皆の呼吸がぴたりと合ってきているのだ。

「皆さん、少し休憩しましょう」

 ハルおばあさんが声をかけた。

「まだ、大丈夫でさあ」と誰れかが言った。

「いや、休もう。今夜だけの仕事ではない。明日もその先もある。無理をすれば、計画が狂ってしまうぞ」ニモが呼びかけた。

「おおっ」猫達全員が一堂に返事して手を止めた。

 猫達は輪になってアトリエの前に腰を降ろし、ハルおばあさんが用意した飲物を、喉を鳴らして飲んだ。

「こいつは、冷たくてうめえや」と一人が言うと、横に座っていたのが言った。

「俺達は、熱いのは飲めないからな」

「ありゃ。その通り。おめえ名前は?」

 あちこちで同じようなやり取りが始まっていた。猫達はまだ気付いていなかったが、もう、ヤマト派もニモ派もなく喋り合っているのだった。

「小僧、わしらはもう少し掘っくり返していく。お前達は家に帰れ」

 ヤマト親分が、カッチン達に言った。

「ええ?……でも……」

「年寄りの言うことは聞くものだ。それ程、わしらが頼りねえのか?」

「いいや、そんなことはない。みんなすごいよ」

 ヨッチンが言った。

「だったら、帰って休みな。小僧共は十分に働いた。……な?」

 ヤマト親分は、口を顔の両側にはみ出す位に広げて、にいぃっと笑った。優しい顔だった。

「はい。ありがとう、ヤマトの親分さん」

 ヤッチンが頭を下げ、三人は猫達に頭を下げた。

「ただし、明日は寝坊するなよ」とヤマト親分は言い「ピピチャピ、お前もだ」とピピチャピを見た。

「だって、私は猫だよ」

「わかってる。だがよ、お前は人間と猫の間を取りもつ大事な役目がある。それにだいいち、お前も子供だ。帰って寝な」

 ヤマト親分はピピチャピを諭し、今度は、ハルおばあさんとサトちゃんに向いた。

「あんた達もだよ。ハルさん、サトちゃん」

 と言った。

「孫娘はやすませます。でも私はやすむ訳にはいきません。皆さんはその間も畑を耕すおつもりでしょ。そんな失礼なこと」

 ハルおばあさんは答えた。

「ハルさん。猫じゃないんだから、そんな気紛れでわがままを言っちゃいかんなァ」

 ヤマト親分は、とぼけた顔で言った。これ以上は聞かないよと言う顔だった。

「ありがとう。ヤマトの親分さん」

 ハルおばあさんは、静かに頭を下げた。

「さあ、もう少しやって、私達も終わりにしよう」ニモが立ち上がった。

 猫達は一斉に立ち上がった。そして、カッチン達やサトちゃん達に向かって、

「おやすみ」

 と挨拶を投げてよこした。

 月が雲から出て青く光り、林の何処かで、梟が鳴いている。

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