第9話 ボス猫 その名はニモ
ボス猫 その名はニモ
「そこで止まれ。ここは人間が来る所じゃない。私達のテリトリーだ」
突然、上の方から落ち着いた、厳しい声が降って来た。カッチンとサトちゃんは、はっとして上を仰ぎ見た。一匹の猫の姿が見えた。逆光ではっきりと顔はわからない。
もう使われなくなった役場の中だった。その猫は光の中をふわっと跳ぶと、カッチン達の前の、大きな机の上にトンっとかるい音を立てて降りたった。立派な三毛猫で、まだ若く、深く美しい眼は、黒く静かに光っている。
「僕はカッチン。こっちはサトちゃん。それで、ピピチャピ。よろしく」
「知っている。私は、西のリーダーのニモだ。私にも、情報網がある」
三毛猫のニモが静かに言った。
「お願いがあって来たんだ。どうしても、みんなの力を借りたいんだ。だから、縄張り争いを止めて、手伝ってもらえないかな?」
カッチンに続き、サトちゃんも、
「苺畑で、六千個の苺を作るの。私の魔法の村の運命がかかってるの。お願いニモ、私達に力を貸して頂戴」と頼んだ。
「君達が困っていることは判っている。私達は、苺作りを邪魔するつもりはない」
ニモは、すこし眼を細めるようにして、柔い態度で答えた。
「でも猫の親分は、決戦の場所を古屋敷の庭だと言ってたのよ」
サトちゃんは一歩進んで声を張りあげた。
「あわてるな。それはヤマトの親分側の考えだ。私達は、ヤマトの親分と争うつもりはない。第一、ヤマトの親分も我々と決戦しようなどとは思っていないだろう」
「何故そんなことがわかるの?」
サトちゃんの質問に対して、ニモはちょっと身を乗り出し、長い尻尾をくるりと前足の前にまわして言った。
「ヤマトの爺さまは、喰えねえ古強者だ。腹の底の底では、何を考えているのか判らない。しかし、たかが縄張りごときで、大事な一族に怪我させる程愚かではない。我々は話し合いを望んでいる」
「待って。あなたは何匹も私達の仲間をやっつけてるじゃない。それはどう説明するの?」
ピピチャピが聞いた。
「ああ、あれか。連中は、自分の手柄にしたくて、勝手に私に挑んで来て負けたのだ。ヤマト親分の差金でもないし、私が望んだことでもない。だが、子供や年寄を守る為の力は必要だ。もし、君が他の動物にいじめられていたら、私達は君の為に戦うだろう」
ニモは自慢でもなく、威張るでもなく、淡々と言った。
「でも……」ピピチャピは言葉につまった。
「ヤマトの親分も、同じことをする、立派な猫だ」ニモは付け加えた。
「そうだ」
建物の中で、猫達の声が響いた。
いつの間にか、何十匹もの猫が、カッチン達を取りまいている。
猫達の眼はギラギラと光っていた。
「じゃあ、ニモの目的は何なんだ?ヤマト親分の縄張りを奪うことじゃないのか?」
カッチンは訊いた。
「違う。互いのテリトリーを開放し、もっと自由にそして安全に、お互いが暮らし助け合うことだ。食べ物にしろ、迷子になった子猫達を探すにしろ、今のままではお互いが無理をしなければならない」
ニモは言うと、かぶりをふった。猫達がニモの周りに集ってきた。若い猫、年取った猫、お母さんに連れられた子猫。猫達は、じっとカッチンとサトちゃんとピピチャピを見た。リーダー猫ニモを、他の猫達は信頼しているようだった。
「これは、人間が立ち入る問題ではない」
ニモが最後通達とも取れる言葉を、静かに吐いた。
カッチンはサトちゃんを見た。駄目だわ、とサトちゃんの眼は言っていた。
「話を聞いてくれてありがとうニモ」
カッチンは言うと、サトちゃんとピピチャピを促して歩き出した。
「おにいちゃん、この前はありがとう」
少し行った時に、カッチンの足元に三毛の子猫が飛び出してきた。猫達があっと声をあげ、母猫らしい白い猫が子猫をかばって前に立った。
「あれ?君は、たしか、この前迷子になって、川で溺れかかってた……」
カッチンが言うと、三毛の子猫は、
「そうだよ。僕だよ」と応え、カッチンの足に頭をこすりつけた。
「そうか。良かった。無事にお母さんの所に帰れたんだ」
カッチンは嬉しくなって、しゃがむと子猫の頭をなでてやった。白い猫は、
「ありがとう。あなたが私の息子を助けてくれたのね」と言った。
「僕の友だちのヤッチンとヨッチンも一緒だったよ。三人で協力して助けたんだ」
カッチンは立ち上がり、ニモへ言った。
「ニモがやりたいこと、僕にも分かるよ。がんばって。子猫が溺れたら、悲しいものな」
カッチンは、サトちゃんに行こう、と呼びかけて歩き出した。
ニモは、カッチンの後姿をじっと見ていたが、カッチン達の姿が見えなくなると、
「お前を助けてくれたのは、あの人間の少年だったのだな?」
と、三毛の子猫に言った。
「そうだよ、お父さん。川から助けてくれて、僕がプルプルふるえてたら、体をふいて乾かしてくれたよ。それから、山羊のお乳を飲ませてくれて。それから、それから、お家の近くに帰るまで、友達と三人でついて来てくれた」
三毛の子猫は、その時のことを思い出しながら、ニモに話した。
「そうか。……あの少年が」
ニモは体をゆっくりと伸ばし、前足で三度、顔を拭い、こう言った。
「ハックルベリィ、後を頼む。私は出掛ける」
「どこへ行くんだ、兄さん?」
ハックルベリィと呼ばれた、体が大きな稚子猫がたずねると、
「ヤマトの爺さまの所だ。息子のガリレオを助けてくれた少年の頼みを、黙って無視する訳にはいかないようだ。……それに、良い機会だ。この事で、お互い分かり合えるかも知れない」
ニモは机からすっと降り、歩き出していた。
「誰もついて来るなよ」
ニモは動き出そうとする猫達に言い残して、ゆっくり歩いて行った。
大丈夫 きっとやれる
ヤッチンとヨッチンは、戻ってきたカッチンの話を聞いてもがっかりはしなかった。
「カッチンもサトちゃんもピピチャピも、精一杯やったんだ。仕方ないよ。僕達がもっと力を合わせて頑張ろう。計画も立て直したし、ぎりぎりだけど、きっと上手くいくよ」
ヤッチンはそう言って、カッチンとサトちゃんを元気づけた。
「それに、犬のクロベエ達も仲間に声をかけてくれるって言ってるよ」
ヨッチンも二人を励ました。
「うん、頑張ろう」カッチンとサトちゃんも答えた。
サトちゃんは深呼吸すると、庭の方へ目をやり、草むしりしているハルおばあさんや人間の姿になった動物たちを見た。
「こうやってると、人間とか動物とか関係ないよねェ。みんな、一生懸命手伝ってくれてる。うれしい。私、自分がとっても生意気な、嫌な子に思えてきた」
サトちゃんは呟いた。
「反省したところで、僕達もバリバリやろう」
カッチンはサトちゃんの肩をひとつ叩くと、みんなの方へさっさと歩いて行った。
「そう言うカッチンは反省することないの?」
サトちゃんはぷんとしてカッチンを追いかけていく。
ヤッチンとヨッチンは、やれやれと頭をふって後に続いた。庭では、ハルおばあさんを中心に、山羊のおじさんとおばさん、鶏のおばさん達、犬のクロベエ達が、汗を流して草をむしっている。まだ半日しかたっていないのに、みんな昔々からの友だちのように眺められたのだった。
「これなら、明後日には草むしりは終わって、月曜の午後からは耕し始められそうだね」
山羊のおばさんが明るい声で言った。
その言葉どおり、草むしりは二日後、月曜には終わった。が、午前中では終わらず、夕方までかかってしまった。日曜日と月曜日の二日間は、まるで夏が来たように日が注ぎ、温度は二十八度まであがったのだ。
山羊も犬も鶏も人間も、照りつける陽射しと、地面から立ち昇る暑熱の中で、黙々と草をむしり続けたのだった。カッチン達も、日曜日は一日中、月曜日は学校から真っ直ぐに古屋敷のアトリエに駆けつけたのだった。
「草は根っこをきちんと取らないと、またすぐに生えてくるからね」
ヨッチンが先生だった。
ハルおばあさん、サトちゃん、ピピチャピ、山羊のおばさんの四人は、草むしりの合間に冷たい飲み物を準備し、昼と夕方の食事の用意をした。人間の姿をしているとは言え、山羊や犬や鶏だ。慣れない草むしりはなかなか思うようにすすまなかった。
特に、犬のクロベエとその仲間は一番大変だった。人間の姿で初めて汗をかき、水を飲みすぎて、ぐったりしてしまったのだ。それでも、最初から最後まで、クロベエ達は働いた。勿論、カッチン、ヤッチン、ヨッチン、サトちゃんの四人も怠けたりしなかった。
草むしりが終わった月曜の夕方。傾き始めた太陽の下で、みんなは日陰を選んで思い思いの場所に腰を降ろした。すぐに口をきく者はいない。こわばった首や肩をほぐし、力の入らない手と指をもんだりしている。少し風が吹いてきた。
カッチンは、二度も洗った手をみつめている。爪の間に、取れない細かな土が残っていて黒いままだ。
「見て」ヨッチンが手を出した。指がぷるぷるふるえている。
「僕も」ヤッチンとカッチンも、ぷるぷるして力が入らない手を出し見せあった。
一日中汗を流し、何度も乾いたり濡れたりした体は、泳いだ後と同じで、すっきりぐったりしていた。どこか頼りなげで、からっぽで、眠たいようで、でも、体の奥の方で新しい元気が生まれているのがわかるのだった。
「草むしり、終わったね」カッチンが気持ちよさそうに言った。
「うん、がんばったな」とヨッチン。
「半日ずれたけど、この調子ならたいした問題じゃない。どっちにしても、これからさ」
ヨッチンは顔を引きしめた。
「ヨッチン」
クロベエが、右腕をぼりぼりかきながらやって来た。
「クロベエ、ありがとう」三人は言った。
「それにしても」とクロベエは三人の前に、どさりとあぐらをかいて座り込むと「人間ってのも結構大変だな」と言った。
「何が?」ヤッチンが興味深そうに聞く。
「草むしりがこんなに大変だとは思わなかったよ。野菜を作ったり、米を作ったり、一年かけて人間てのはのんびりしてて良いなぁと、いつも眺めてたんだが」
クロベエは首をぐるんとまわし、
「こりゃあ、とてつもなく大変な仕事だ」と真面目な顔で言った。
「そうだね。草むしりだけで、くたくただよ」
ヨッチンが少し笑って答えた。
「他のみんなは大丈夫なのかな?」
カッチンがクロベエに聞いた。
「実はそのことだよ。みんな、この暑さと慣れない草むしりで参ってる。明日は一日休まなきゃ、無理だと思うよ」
クロベエは、山羊や犬や鶏の方を見た。
みんなはまだ人間の姿のままだった。鶏たちはがっくりと首をたれている。山羊のおじさんは木に寄りかかり、ポヤンと空を見上げている。クロベエの仲間の犬は草の上に寝転んで、半分眠りかけていた。
カッチン達は顔をみあわせた。
「どうだろう。明日はみんなには休んでもらうと言うのは?」カッチンが言うと、
「そうだな。僕達は明日から連休だし。学校に行って出来なかった分を取り戻そう」
ヤッチンは答えた。
「それが良いな」ヨッチンも言った。
「みんなに伝えてくるよ。……ありがとな」
クロベエはにっこりすると、よいしょっと声をかけて立ち上がった。
しばらくすると、ハルおばあさんや山羊のおばさんが、サトちゃん、ピピチャピと一緒に晩ご飯をアトリエの外のテーブルに並べた。けれど、みんな疲れていて食欲がなく、食事はすぐに終わった。
「みなさん、本当にありがとう。明日はゆっくり休んでくださいね」
ハルおばあさんが、ていねいに言って頭をさげた。
「私たちの方こそ、大した役に立たなくて。ごめんなさいよ」
山羊のおばさんが申し訳なさそうに答えた。
それからみんなはバイバイリーフを使って、自分の家に帰って行った。みんながいなくなると、庭だけでなく、草むしりが終わった畑も急にがらんと広く感じられた。
カッチンとヤッチンとヨッチンは、ハルおばあさんとサトちゃんとピピチャピと顔を見あわせ、誰からともなくため息をついた。自分達だけが取り残されたようだった。
風が強くなり、木々がざざあ、ざざあ、とざわめいた。太陽が低い山のむこうに隠れ、庭はあっという間に暗くなっていく。六人は何を考えるでもなく、ぼんやりと立っていた。空の低いところで、灰色の雲が幾重にも走り出していた。みんな疲れ、不安になっていた。
「さあ、明日だ。明日からだぞ。頑張ろう」
カッチンは腕をぶんぶん振り回し、みんなを見て言った。
「ウン。まだこれからだ」とヨッチン。
「そうね。大丈夫よ」サトちゃん。
けれど、みんなの声はちょっと弱々しい。残された時間はあと十日。十日目には、苺の苗を植え終わっていなければならないのだ。それはとても遠い遠い道のりに思えるのだった。また風が吹いた。ざざざあっ、突風だ。
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