第3話 夜の古屋敷
夜の古屋敷
夜の七時。満天星のかげ。カッチン達三人は集まった。いつも通り、一番にカッチンが入る。
入ったと思ったら、ぬっとカッチンの顔が秘密の入口から突き出した。ヤッチンとヨッチンが声をあげそうになる。
「ヤッチン、大正解。――アトリエに明りがついてる」
カッチンが息をはずませてささやいた。
カッチンの顔が、すっとひっこむ。チャピは思わず入口に飛び込んだ。続いてヤッチンとヨッチンが入っていく。
三人の顔が緊張してる。
「やったぜ」カッチンだ。
「やっぱり誰か引っ越して来たんだ」
ヤッチンが満足そうに言った。
「正体をたしかめよう。早く入って」
カッチンが手招きして、体をひいた。
ヤッチンとヨッチンが、するするっと古屋敷の秘密の入口へと消えた。チャピもふわっと夜の闇を飛んだ。
三人と一匹は、林の奥の闇を透かし見た。
「あっ」とヤッチン。
「ほっ」とヨッチン。
アトリエの灯りが、遠くにぼんやりとだが、やわらかいオレンジ色の光で、闇の中でゆれている。
カッチンは空を見あげた。夜の空は晴れ、月が細長い雲をぎらっと光らせ、青い月の光は地面を明るく照らしている。地面を照らす光は、透明な青い霧のようだった。
「よし。いくよ」
カッチンはささやいて、素早く靴をぬぐと、するすると林の中をすすみ出した。音もたてず、猫のようだ。
ヤッチンとヨッチンも靴をぬいで裸足になり、カッチンの後に続く。パキッ、スサスサッ……小枝を踏み折る音や、草がすれる音がする。猫と同じに、音をたてずに動けるのは、カッチンだけだ。ヤッチンとヨッチンは、どうしても音をたててしまう。
「シィーッ」
カッチンがふり向いて、後の二人に注意した。青い透きとおった光の中で、ヤッチンとヨッチンがうなずく。
アトリエの明りがはっきりと見える、林の外れまでやってきた。明りがついているのは、アトリエのいちばん広い部屋だけだ。
「まず、アトリエの中に誰がいるのかたしかめよう」ヤッチンが言った。
「僕がいってみる」カッチンが答えた。
「頼んだぞ」とヨッチン。
カッチンは身をかがめて、一気にアトリエの裏まで滑るように走った。猫のチャピも追いかける。
カッチンはぴたり、とアトリエの壁に体を寄せた。ゆっくりと大きく深呼吸して、そうっと首を伸ばし、窓から中をのぞきこむ。
離れて見ているヤッチンとヨッチンも、一緒になって首を伸ばしている。
カッチン、きょろきょろと部屋の中を見回しているぞ。ヤッチンとヨッチンの方を見て、早く来いと手で合図している。
ヤッチンとヨッチンは、林を出てアトリエのそばのカッチンがいる所まで移動した。
「誰もいない。――でも、テーブルはきれいで、マグカップがふたつ置いてある。のぞいてみな」
カッチンが早口で言って、二人にのぞいてみるようにうながした。
ヤッチンとヨッチンも、アトリエの中をのぞきこむ。
二人はすっと頭をひっこめ、カッチンと三人で顔をつきあわせた。
「いないな。――でも、二人か、二人以上の人間が引っ越してきたことはたしかだ」
ヤッチンが言った。
「古屋敷の母屋もしらべるか?」
ヨッチンが言う。
「しらべたいな。どんな人が引っ越して来たのか見てみたいよ」
カッチンはもうすっかりそのつもりだ。
ヤッチンは唇をかんで、じっと考えている。
「やろうよ」
カッチンは今にも動き出しそうだ。
「せっかく来たんだ。やってみようよ」
ヨッチンもうずうずしている。
「うん――」ヤッチンもとうとううなずいた。
「――カッチンが先行だ。安全をたしかめたら、合図してくれ。僕等も後に続く」
ヤッチンが言った。
「そうこなくっちゃ」
カッチンが声を出さずに笑ってみせた。
「面白くなってきたぞ」
言って、ヨッチンはもう一度アトリエをのぞきこみ、誰もいないことをたしかめる。
ヨッチンが、大丈夫とささやくと、カッチンはアトリエの壁から身を起こし、古屋敷の母屋へ向かって進んだ。
けれど、アトリエと母屋の間には、広い庭と空地がある。庭の方には木がいっぱい植えられているが、空地には、身を隠す場処がほとんどない。所々に、背の高い草のかたまりがあるだけだ。
カッチンは、アトリエの明りが届かない暗がりまで回りこむと、地面に体を伏せ、地面をはって進み出した。その早いこと!まるでトカゲだ。猫のチャピも、体を低くして、カッチンに続く。
無事に、最初の草むらにカッチンとチャピはたどりついた。
カッチンは注意深く草むらに身を隠し、夜の闇の奥を偵察する。どこもかしこも静かで、物音ひとつしない。
――大丈夫だ。
カッチンは心の中で自分にうなずいた。
カッチンの心臓は、だんだん回転数が上がってきた。母屋に行くには、まず広い庭をこえて、離れまでたどり着かねばならない。
――なんて広い庭なんだ。
いつもより、庭が広く感じられる。広い広い野原のまんなかに、ひとりぽつんといるみたいだ。
――でも、それがなんだ。
心が呼びかける。カッチンの体にエネルギーが湧きあがってくる。 ――よし、行こう!
カッチンは、そばにぴったりくっついているチャピの頭をそうっとなで、そろりと右足を踏み出した。ヤッチンとヨッチンの熱いエネルギーを背中に感じながら。
チャピも、カッチンの横を遅れずに歩いていく。次の草むらまでもうすぐだ。
その時だ。
不思議な、と言うより、とてもじゃないが信じられない呼び声が庭にひびいたのは。
「チャピ……。どこにいるんだい?チャピ」
その呼び声が聞えた瞬間、カッチンは飛びこみ前転で次の草むらへころがりこんだ。
次に聞えたのは、
「ミャァオォゥ」
チャピの鳴きごえだった。
――ああっ。まずい……。チャピ……。なんで返事するんだ?何で、あの声はチャピって名前を知ってるんだ?
カッチンは心の中で叫び、体を動かさず、眼だけをぐりぐり動かしてチャピをさがし、呼び声の主を追いもとめた。でも、どこにもチャピの姿が見えない。
心臓が、ぎゅうっとつかまれた。
一秒一秒が、何十倍にも長くなっていく。
世界が、ゆうっくり、ゆっくりと動き出す。
指一本動かすのさえ、永遠の向こうまで旅しなきゃ動かせないくらい。
――ヤッチンは?ヨッチンは?
カッチンは二人が待っているアトリエの方を見ようとした。
ふり向きかけたカッチンの右の方、庭の奥に、ぽわんと小さな灯りがひとつ。
カッチンはふりむく形のまま固まった。そして、目をきりきりきりと右へ動かし、灯りをみつめる。
「おばあちゃん、こっちよ。林の中をぐるっと回ってみたの」
アトリエの方から、女の子の声がする。
「ミャアァ」
――またチャピが鳴いてる……?
小さな灯りのそばに、月の光を背中から浴びた背の高い影がひとつ。アトリエの方から女の子の声と……。
――あっ、あしおと。
あっ、あっあっとカッチンは口をぱくぱくさせた。
「あら?猫がいる。おいで」
女の子の声がして、足音がする。
庭の方からは、灯りと一緒に黒い背の高い人影が近づいてくる。
――絶体絶命だぁー。
「そこにいるのは誰?」
女の子が、突然、鋭い声で叫んだ。
カッチンの体がビリンビリンふるえた。
「どうしたんだい、チャピ?」
声と同時に、背の高い人影が、風になって地面を滑り、カッチンのすぐ横を通っていった。あっという間に女の子がいるアトリエのそばまで移動している。
「あんた達、誰なの?」
――ヤッチンとヨッチンがみつかった!
その人の小さな灯りに照らされて、ヤッチンとヨッチンがよろよろと立ちあがるのが見えた。
小さなカンテラの明りで、女の子と灯りを持った人の姿も見える。
女の子は、カッチン達と同じくらいの年頃だ。……多分……。髪の毛は燃えあがる炎のように赤い。眼の色は……残念、見えない。
それと、カンテラを持っているのは、銀色の髪の毛の、背が高い、おばあちゃん。
「まあまあ、どうしたことでしょ。引っ越して来たその夜に、二人も突然のお客さま」
おばあさんの落ち着いた声が、カッチンの所まで聞えてくる。
「おばあちゃん、何をのんびりかまえてるの?お客じゃなくて、忍びこんだねずみよ。このまま帰す訳にはいかないわよ」
女の子が、ちょっと興奮した声で言ってる。
「あわてないで、チャピ。大丈夫よ」
おばあちゃんが言った。
――チャピ?……チャピ。……チャピ!
カッチンの頭は、すごい勢いで最高速度の考えちゅうだ。
――猫のチャピ。あの正体不明の女の子の名前も、チャピ。
それで、猫のチャピが返事したことは分かった。
――でも、それじゃなんの解決にもならないじゃないか。……どうしよう?どうすればいい?――最悪だ。
ヤッチンとヨッチンは見つかってしまった。
このまま、二人を黙って帰してくれそうな雰囲気じゃない。それに猫のチャピが、女の子の足許に座ってる。信じられないことだ。知らない人を、チャピはとても警戒するのに。
――こうなれば、やることはひとつだ。
カッチンは覚悟を決めると、深呼吸してお腹にぐっと力を入れ、草むらから立ち上がった。そして、大きな声でこう叫んだ。
「もう一人います。すみません、変な気持で忍びこんだんじゃありません」
カッチンは、アトリエの方に歩いて行った。
「カッチンっ!」
ヤッチンとヨッチンが大声で言った。
「まあまあ――」
おばあちゃんは、驚き半分、嬉しそうなのが半分の、素頓狂な声を上げ、チャピ、女の子のチャピは、眼玉をキラッと鋭く光らせ、
「三人も忍びこんでたのっ?」
怒った声で言った。
「ごめんなさい」
カッチンとヤッチンとヨッチンは、三人並んで頭を下げて謝った。
おばあさんの顔には微笑が。少女チャピの顔は怒っている。
――それに、チャピ、いや女の子は、いらいらしてる。
カッチン達は互いに目配せした。
三人の意見は一致した。
――謝って謝って、謝りぬいて、今夜の所は退散しよう。
こう言う時はヤッチンの出番だ。
「本当にすみませんでした。誰か人が居るなんて、思いもしなかったんです。だから、いつものように、ちょっと夜の散歩に来ただけです。もう、こんな失礼なことはしません。ごめんなさい」
ヤッチンに合わせて、三人はまた深く深く頭を下げた。
「それじゃ、僕達はこれで失礼します」
ヤッチンが言って、三人は駆け出そうとした。
「待って!そうはいかないの」
チャピが言った。すごく怒った顔をしてる。
チャピの両手の間で、青い光が閃いた。
――えっ?
と思った瞬間、女の子とおばあさんが、ぎゅい~んと巨大化していくではないか。
――なんてこと!
「ぎゃあーっ」
三人は叫んで逃げ出そうとした。自分の声が変だ!チキチキしてる。それに、逃げ出したくても体が動かない。
三人とも、腰がぬけて、立っていられない。女の子とおばあさんの背丈は、きっと五十メートルを超えたぞ!
三人の周りから、黒くて太い綱が迫って、三人をオリのように囲んでしまった。
――化け物だァ!
女の子とおばあさんは、巨人族宇宙人に違いない。カッチンは思った。
――逃げなきゃ。踏みつぶされてしまう。
カッチンは、ヤッチンとヨッチンに逃げるんだと叫ぶつもりで、二人の方を振り向いた。
「ひゃァァァ!……?……!……?……!」
カッチンは叫んだ。体が凍りついた。頭が真っ白になった。おどろいた。ひっくり返った。心臓と脳みそが爆発した。口が閉じなくなった。まばたきするのも忘れた。
何故って?だって、カッチンの横にいたのは、ヤッチンとヨッチンじゃなくて、でっかいでっかい!
「ネ、ネズミだあっ!」
カッチンは頭をかかえた。そしてまた、固まって息がつまって大爆発。
――み、み、みみみ……みみ?
頭の上に、ぴんっと大きな耳がある。
カッチンは、目ん玉ひんむいて、叫んだ。
「みみ~っ!」
目の前の二匹のネズミも叫んでる。
――あれっ?
お尻のところで、ピコピコしてるの、なんだ?パタパタ。シュピシュピ?
――しっぽ?
頭の方からおりてきた手が、ほっぺたのところで、変なものにひっかかった。針金みたいにぴんっと張った変なもの。
――ひげ?
カッチンは、ごくりと唾をのみこんで、目の前のネズミを見た。向こうもカッチンの方を見てる。そうっと手を見る。
「あやあ~っ!」
人間の手じゃない!
まるでネズミだぁ!
――?…???……ネ? ネ・ズ・ミ…?
カッチンの頭の中で、バチンッと大きな火花がとんだ。
――ネズミになっちゃった。
ってことは、目の前の二匹のネズミは、もしかして、もしかすると。
――ヤッチンとヨッチン。
カッチンはきゅうに泣きたくなった。ワンワン声をあげて泣きたくなった。
女の子とおばあさんが巨大化したんじゃない。三人共、ネズミにされたんだ。
――あの時のあの青い光!
カッチンはぜんぶ分かった。
――あれは、魔法だ。――古屋敷に越して来たのは、魔法使いの女の子とおばあさんだったんだ。
「キュウキュウキュッ!」
二匹のネズミ、いやどっちがどっちか分らないけれど、ネズミになったヤッチンとヨッチンがくっついて、激しく鳴き出した。カッチンの後の、上の方を見上げて、ガタガタふるえてる。
カッチンはぴょんと飛びはねてふりむいた。
「おわぉっ!」
眼の前に、でっかな猫の顔が迫っている。
ぎゃあー、叫ぼうとしてカッチンはやっと思いとどまった。
――まてよ。待って、まてまてまて、こいつはチャピだ。
カッチンはほっとして猫のチャピの方へ寄りかけ、はっと足をとめた。
――待てよ、まてよ。まずいぞ、まずいぞまずすぎる。僕は今、ネズミだ。
カッチンは気づいて、一足退がった。
カッチンのチャピは、ネズミ獲りの名人だ。
教えたのは、カッチンだった。そして、今、カッチンもヤッチンもヨッチンも、ネズミに姿を変えられているのだ。
チャピが大きく口を開けた。でっかい牙がある。
――ああ。チャピに食べられちゃう。
それでも、カッチンは両手を広げ、二匹のネズミ、ヤッチンとヨッチンの前に立った。
チャピがぺろりと舌なめずりして、ぐいと鼻をカッチンの方へ寄せてきた。
カッチンは目をつぶった。くたんくたんになって地べたにのびた尻尾から、力がぬけていく。
――もう駄目だ。
ぐふんぐふんとチャピがカッチンの臭いを嗅いでいる。風がぶわっと吹いて、チャピの鳴き声がした。
カッチンの体をビリビリふるわせ、お腹の中がどんでんどんでんひっくり返る大きな声だった。ひげがへなへなっとたれ下がった。
「チャピ。どうしてあんたは勝手に魔法を使ったの?」
おばあさんの声が、空の上の方から降ってきた。チューバの化け物みたいに、ぼわんぼわんひびいている。
「だって、私達のことを見ちゃったのよ。逃がすわけにはいかないもん」
女の子のチャピが答えている。今度は、バスクラリネットの怪物だ。
二人へ向かって、猫のチャピが大きな声で呼びかけ、地面を前足でばりばり引き裂いている。
「あら、どうしたのかしら、この猫?」
女の子のチャピが猫のチャピを見て言った。
「何か、私達に話したいことがあるのかも知れないね。――どれどれ」
おばあさんが、右手をふった。あわい紫の光が猫のチャピを包んだ。
カッチン達の目の前で、今度は猫のチャピがぐんぐん大きくなって。
大きく大きくなって。――ありゃりゃ。
――猫のチャピが……人間の女の子に?
カッチンはもう、気を失いそうだった。
「やめてやめてやめて。カッチンを元の姿に戻して。ヤッチンもヨッチンも元に戻して」
知らない女の子の声が、必死に叫んでいる。
――チャピだ! チャピが、僕達のことを守ろうとしてくれてる!
カッチンはすぐにわかった。
いつの間にか、カッチンとヤッチンとヨッチン、三匹のネズミは、固まって体を寄せあい、上を見上げていた。
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