第2話 古屋敷は……

古屋敷は…… 


 古屋敷。

 子供達にとっては、とてつもなく恐ろしい、謎だらけの屋敷だった。

 長いこと、誰も住んでいない屋敷だった。

 昔は誰れが住んでいたのか、それさえも分からない屋敷だった。

 夜になると、誰かが屋敷の中を歩くと言う噂だった。

 頑丈な、鉄の飾りがついた門と、広い庭がある屋敷だった。

 林に囲まれた、大きな屋敷だった。

 とてつもなく広い母屋と、いくえにも曲がった渡り廊下の先のはなれ。

 はなれの奥の林の中には、煉瓦と石で出来た、洋風のアトリエ。

 古屋敷は、表は昔ながらの漆喰塀が、表門からぐるりと屋敷を取り囲んでいた。  

 裏手は、大人の腰の高さに積まれた石垣が、広い林の途中までつづいている。

 林は人の手がはいらないままにうち捨てられ、一度入りこむと、迷路になって行く手をはばんだ。林の中は昼間でもうす暗い。うっそうと木々がしげった場所もあり、林と言うより、深い森に迷いこんだと思うときもあった。

 大人達にたずねても、古屋敷の昔を知る人はいなかった。わずかに、その断片を知っている人もいたが、言うことはバラバラだった。

「代々、庄屋さまの家で、あとをつぐ者がいなくて、いつのまにか誰も住まなくなったんだな」

 別の人は、こう教えてくれた。

「大きな街から来た、お金持の人が、昔々に家を建てて住んでいたけれど、そのうち使わなくなって、ほったらかしだよ」

「いいや、昔々はお侍のお屋敷で、その次に村の役場になって。村が町になって、新しい役所が出来たから、閉められたんだ。だから、この屋敷は町のものさ」

 大人達に聞いてもわからないのなら、やり方はただひとつ。自分たちの眼でたしかめるのだ。

 石垣と林の間に、カッチンたちは忍びこむ場所を発見したのだった。石垣の石がひとつだけぬけ落ち、穴が開いていたが、穴の前は、大きなつつじ、満天星でかくれていて、すぐには気づかない場所だった。子供なら通りぬけられる、絶好の秘密の入口なのだ。

 秘密の入口には、不思議な力があった。ここから忍びこむと、迷わずに、林の外れにあるアトリエまで行けるのだ。他はどの場所から入っても、ぐるぐる回って外へ出てしまい、古屋敷の建物に近づけないのだった。

 カッチンたち三人は、この秘密の入口から何度も、古屋敷に忍びこんでいた。


「よし、入るぞ」

 カッチンが、声をひそめて言った。

「気をつけろ」

 ヤッチンが答えた。

「うしろは大丈夫だ」

 ヨッチンが、あたりを見回して言った。

 秘密の入口の、満天星の繁みのかげで、三人はうなずきあった。チャピも、尻尾でぱたんと地べたをたたいて、返事のかわりにした。

 チャピは、耳をピン、背中をすっと伸ばし、自慢のひげを動かして、怪しい奴がいないかたしかめた。

「よし、チャピもしっかりついてこいよ」

 カッチンが、チャピの頭をなでてささやいた。

 チャピはひくい声で、用心深く答えた。でも、これから始まる冒険に、心臓がどきどきしていた。

 まずカッチンがするりと入る。素早く辺りを見まわし、入って大丈夫と手で合図する。ヤッチンが入る。最後に、後を確認してヨッチンが入る。そして、チャピは鼻を開いて臭いをかぎ、他の子の臭いがしないのをたしかめてするりと入り、カッチンの横にならぶ。これがいつもの順番なのだ。

 林の木立。木洩れ陽。石と煉瓦のアトリエ。いつもと変わったようすはない。

「静かだね。誰もいないんじゃない?」

 ヨッチンが言った。

「待って。もう少しようすを見よう」

 ヤッチンが用心深く言う。

 カッチンは唇をきゅっととじ、姿勢を低くして、じいっと全身でいつもと違う、何かの気配を感じとろうとしている。瞳がキラキラ輝き、熱をおびている。

 と、カッチンはすっと立ちあがった。

「いこう」

 カッチンは何でもないことのように言った。

「みつかったらまずいよ」

 ヤッチンがカッチンを止めた。

「アトリエの先の、離れが見える所まで行ってみよう」とカッチン。

「そうだな。――そこでようすを見るか」

 ヤッチンは慎重に考えるのだ。

 ヨッチンがカッチンとならび、

「いこう」と言った。

 ヨッチンは逃げない。

 ヤッチンもうなずいた。

 三人は、林の木に身を隠し、木のかげからかげへ、すばやく身を移して、アトリエに近づいた。まだ、何も物音は聞えない。人がいる気配もない。

 アトリエの裏手にくると、三人はアトリエの壁にへばりつき、耳を澄ました。かすかに水の流れる音が聞える。表の川から引きこんだ水が池に流れ、池から小川になってまた川に戻るせせらぎの音だ。池はアトリエのまわりの林の木立を抜け、十五メートルくらい先にあり、離れは池から十メートル奥だ。

「次は離れだ。あそこまで行って、母屋のようすをさぐろう」

 カッチンが離れを指さした。

「近づきすぎじゃないか?」とヤッチン。

「もしみつかったら、離れだと逃げるのが大変だよ」

 ヤッチンは離れの高い床下と、渡り廊下、そして、昼間なのに、樹の影がおちた重苦しい母屋を順番にゆびさした。

「たしかにそうだね。用心して、この林のいちばん前までだな」

 ヨッチンが母屋の方をすかし見ながら答えた。

 あぁあ、わたしなら、母屋の中にだって忍びこめるのに。

 チャピは耳をピクピクさせた。

「そうだな。――その前に……」

 カッチンは石をひとつ拾うと、するするっと林の中を音もなくすべると、離れの手前の木のかげに体を寄せた。

 ヤッチンとヨッチンを振り返ると、カッチンは手に持った石を見せ、池を指さした。二人はうなずいた。

 カッチンはねらいをつけると、石を力いっぱい離れの池へ投げこんだ。

 ドバッチャンッ!

 水しぶきがあがり、大きな音がひびいた。音が消え、池の波紋も消えていく。三人は体中を耳にして、次に聞えてくる音を聞こうとする。屋敷のどこでもいい、どんな小さな音でも聞きのがさず、空気の流れを感じ、気配をみつけようとする。

 カッチンが振り向く。ヤッチンとヨッチンが首を横にふる。カッチンも首をふる。また音をたてずに、カッチンはアトリエの裏まで戻ってきた。

「ヤッチン、誰もいないようだよ」カッチンが言うと、

「でも、たしかにさっきも、表の門はひらいてた」ヨッチンが言う。

「これじゃ、たしかめようがないぞ。あとは、母屋まで這いこむか?」

 カッチンがげんこつをつくった。

――もう、カッチンたら、すぐに無茶なことばっかりやろうとするんだから。

 チャピは思った。

 三人はすぐには動かず、じっと考えている。

「そうだ!これしかない」

 とつぜん、ヤッチンが言った。

「浮かんだのか?」

 カッチンとヨッチンが同時に叫んだ。もちろん、声をひそめてだ。

「いいか。夜、もう一度、ここに忍びこむんだ。そうすりゃ、はっきりする」

 ヤッチンは勢いこんで言った。

「夜?――また忍びこむのか?」

 ヨッチンが聞いた。

「そうかっ。わかったぞ。ヨッチン、明かりだ。明かりだよ」とカッチン。

「ああ――」ヨッチンは言った。

「わかったかい?」

 ヤッチンが二人の顔を見た。

「時間は?」カッチン。

「七時」ヤッチン。

「よし」ヨッチン。

「それじゃ、みつからないうちに、さっさと引きあげよう」

 カッチンが、鋭い眼で母屋を見た。

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