『ひつじがしつじのじしつでじひつの遺書をかくか』

やましん(テンパー)

『ひつじがしつじのじしつでじひつの遺書をかくか』』



 やましんの母は、最晩年には、かなり猜疑心が高まり、みんなが、自分を虐め、陥れようとしていると考えていたのです。そのために、報復作戦を様々やりまして、その都度、やましんが謝って回る、構図でした。はい。


 まあ、息子が、ばかなばかりに、出世もできず、母に余計な負担をかけたに違いありません。(ま、かけられた、とも、言えますが。)

 

 もし、大臣とはいわなくても、やましんが、例えば、県議さんとか、部長さんや、所長さんとか、班長さんとかになっていたら、話は違ったかも。(極めて、あり得ないか。)


 しかし、やましんは、わりに、独裁的な方があまり好きでなく(例外はあった。)、どの世界でも、トップの人は、多かれ少なかれ、その要素はありますからね。ついつい、ブレーキを踏んで、仕事やらない、と、憎まれたわけです。(あんたが、猜疑心の塊だろ? うん。そうかも。)


 といって、値打ちのあるような、焼き物や掛け軸、古文書、みたいなものは、一切残されてなくて、まあ、安心しました。もめる物がない。


 たくさん、引き継ぐものがある方は、大変だな。


 やましんが、抗うつ薬に頼るようになったのは、母の死後直ぐ、からです。


 まあ、エネルギーを使い果たしたあとは、空焚きして、本体を壊したというか。



 ときに、政府が言います、『新しい資本主義』というのは、いったい何なのか、が、やましん、前も書きましたが、やっぱり、いまだに、さっぱり、わからなくて、ない頭で悩みます。あれは、何だろう。歴史的な、新経済理論の登場なのでしょうか? その可能性は、あるみたいです。


 ただ、新しいも古いも、『資本主義』は、永年、経済学的な議論も続き、そこには、一定の定義があるわけです。たしかに、辞書にはありますね。


 ただ、このやり方に、賛成で、資本主義は、まだ発展の余地があり、さらに続くのだ、と、肯定する立場と、もはや、限界で、次の新しい段階に移行するときだ、と考えて、否定する立場が、100年遥か以上、ぶつかってきています。また、いわゆる、近代経済学の内部でも、対立が続いてきました。


 どうやら、『新しい資本主義』というのは、かつての、『修正資本主義』という考えの範疇に入る、ようなのかしら。


 つまり、資本主義の矛盾を、国が修正しながら全体の利益を高めようとする、と。民間とも協力してやる、と。


 古くは、ケインズ理論が代表格。(というか、いまも、健在。)


 同じ資本主義理論でも、ケインズさまに猛反発したグループもあります。


 ケインズさまは、必要な国の介入により、経済社会の矛盾を減らして行こう、としますが(代表策が、公共事業。)、国の役割は、規則を作り監視することで、現場は民間に任せなさい、というのが、ハイエクさまなど。小さな政府と言われたり。


 日本の政治は、特に小泉さま以降、ながく、新自由主義的な、小さな政府、経済は、あくまで、民間企業主体が基本で、やって来ました。


 郵政事業の民営化が代表例かな。


 それ以前に、国鉄の民営化がありましたが、これは、どうやら、どちらかというと、一部の労働組合を解体させたかったから、らしいです。


 それが統べてではないでしょうけど。


 ときに、地方の、ほとんど自動車が通らない場所に、とてつもないビッグな道路が出来たりしてる、というのは、わりに良く皮肉られたものです。しかし、道路は、あって初めて役に立つ。という側面もあります。ない道路は使えない。


 道路というのは、かなり難しいもののようです。


 首都高速などは、あっという間に出来ましたが、あれは、例外みたいで、やましんが子供時代から作り始め、最近ようやくできた、みたいな道路もあります。


 まあ、あほのやましんには、よくわかりませんが、『新しい資本主義』というのは、新しい経済理論を打ち立てるとか、資本主義から脱却するとか、言っているのではなく、政策のやり方を、少し変えたい、と言っているのでありましょう。


 ならば、やましんには、いささか、表現がセンセーショナルだなあ、という感じはありますが、スローガンというものは、政治には大切で、キャチフレーズに当たるものなのでしょう。


 特に言われているのは、企業の収益もあげながら、労働者の分配を増やし、その好循環を高めて行きたいというあたりでしょうか。


 もちろん、学者さまの、アドバイスはあるみたいで、『公益資本主義』という理論を背景に持っているようです。


 しかし、資本主義は資本主義なわけです。


 『新しい資本主義』、というのは、これまでになかった新しい別の資本主義、というわけではないようです。


 マルクス経済学では、資本は、余剰価値を生み出し、自己増殖する、と考えて、再生産をして、さらに成長してゆく。資本家は、労働者の取り分を、よけいに取ってるとか。


 さて、労働者への分配を増やせば、経営者の取り分は少なくなるので、それでは、経営者さまは、うんとは言いにくいはず。ならば、まずは、経営者の取り分を確保する必要がありますような。どのくらい、確保するのかな? どうやって?


 これは、鶏が先か卵が先か、みたい。


 中国は、国家資本主義の成功例とされます。


 実際に、経済的には、成功しているから、事実かと。指導者が、偉かったといわれます。ただし、自由主義ではない。圧倒的な、上からの産業革命みたいな感じ。


 とはいえ、言葉というものは、どうやら使うひとにより、意味合いが違ったりしますし、イメージの問題もあるし。


 中国だって、日本だって、『新しい資本主義』だって、昔からある、『修正資本主義』の一種じゃん。とも言えるような気もいたします。それなら、分かりやすいかも。


 日本は、以前から、ちょっと皮肉が入りながら、世界で最も社会主義的な国とも言われます。内部からは分かりにくいけれど、回りから見ると、なかなか、びっくりなことがあるらしい。


 経営者の報酬が、わりに低い。


 国民の実質的な収入が、先進国というにしては、低い、とか。


 一方、国による国民皆健康保険とか、わりに、早くから確立させています。


 純粋な自由主義的資本主義の考えからしたら、国が運営する強制保険は、個人の自由に反し、おかしいともなりますような。雇用保険もそうですね。一定の例外を除き、ひとりでも労働者を雇ったら、雇用保険は作らないとだめです。労働者側も、『おら、いらね、』は、できません。ただし、ちゃんと手続きしないと受給はできません。(勤務時間がかなり短いパートなどで、被保険者になれないことはありますような。詳しくは、厚労省のホームページなど、お調べください。)


 それでも、ないと困るひとの方が多いはずです。


 お金持ち、経営者さまには、意味がないかもしれません。(雇用保険は、雇用されてる人だけ。また正規公務員には適用がないです。)

 


 で、つまり、ひつじさん、何の話しなの。


 ひつじさん、遺書を書くのではなかったかい。



 『め〰️〰️〰️〰️〰️〰️🐏 遺書、たべた、め〰️〰️〰️〰️。』


 『ぬあに〰️〰️〰️〰️。』


 『やましんは、書かないかめ〰️〰️〰️。』


 『財産なし。だ、 め〰️〰️〰️〰️🐑』



 

 

 


 


 

 

 

 


 

 


 

 

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『ひつじがしつじのじしつでじひつの遺書をかくか』 やましん(テンパー) @yamashin-2

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