昔の夢と今の現実
「ままごとのような恋がしたい」と幼い彼女が口にした。
最近の子供では珍しくもないピンク色のランドセルをベンチに置いて、まだまだ背も何もかもが成長していない体で、彼女はそんなことを言っていた。
「ませてんな……」
そう口にしたのは自分だった。確かこの頃はまだ小学生だったはずなので「ませている」なんて感想を口にする方もませているだろう。
「ツイコ、今日はどうしたんだ? また夫婦喧嘩から逃げてきたのか?」
もう日も落ちて暗くなった公園、目立つところにいれば補導される可能性もあると考えて彼女の手を引いていつものように倉庫の裏に座り込む。
ぱっちりとした可愛らしい大きな瞳にたくさんの涙を抱え込んでいた。
幼いころのイコはふたつに結んだおさげを振り回すようにブンブンと首を横に振る。
ああ、この頃はイコのことを名前で呼んでいたな。などと懐かしく思いながら、ふとこれが夢であることに気がつく。
多分……俺が小学6年生でイコが5年生のころだ。もう5年も前のことのはずなのに、彼女の泣いた顔は嫌にハッキリと思い出せてしまう。
「……ううん。大丈夫だよ、シスイ兄ちゃん」
「大丈夫な奴は夜に抜け出してきたりしないんだよ」
イコは思い詰めた表情をして、ポツリと口を開く。
「……また、浮気だって」
「またか……というか、見つけても子供にバレるように話すなよな。今度はどっちがやらかした?」
「今回はお母さん。……お腹に赤ちゃんがいるんだって」
子供の俺は大人ぶりながらも、けれども何も解決策も慰めの言葉も思い浮かばず、イコの手を取った。
「……大丈夫」
寒々しいのは、秋の風のせいではないだろう。大丈夫なはずもないのに適当なことを言って、何も出来ないくせに頼ってくれとばかりに頭を撫でる。
そんな嘘に近いような見栄っ張りに、幼いイコは簡単に騙されてくれる。
「……うん」
「平気だ。俺もいるし、おばあちゃんもいるんだろ」
「……うん。……なんで、浮気なんてするんだろうね。この前見たテレビドラマでもみんな浮気してばっかりだった」
「……さあ、浮気以前に俺たち小学生だしなぁ。よく分からないな」
ぽとりと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……私、こんな家族いやだな……。もっと優しくて、嘘を吐かなくて、みんな大好きな、そんな家族がほしかった」
「……ああ」
「おままごとみたいな、暖かくて綺麗なだけの家族が、決まったセリフを決まったように言う、そんな家族が、欲しかった」
ぽすぽすと頭を撫でる。
「浮気とか、不倫とか、離婚とか、喧嘩とか、何もかも嫌だもん」
「……そうだよな」
「好きな人なのに嫌いになるのも、他の人を好きになるのも、さいてい」
「ああ」
この時、俺は何を考えていたのだろうか。ぐすぐすと泣くイコを慰めて、街灯の下で目を真っ赤にした彼女の頬を触ってじっと見つめ合った。
「……じゃあ、おままごとをしよう。俺がお父さんをやるから、ツイコはお母さんな」
「わ、わたし、おままごとをしたいわけじゃなくて、素敵な家族がほしいだけで……」
「一生……ふたりで一生ままごとを続けよう」
イコの目からこぼれ落ちる涙が止まって、縋りつくような視線が俺を捉える。
「……一生?」
「そう、一生だ。一生、ままごとをし続けるんだ。設定は……幼馴染のふたりが、幼い頃から好き合っていて、大人になって結婚して幸せに暮らすんだ。……いやか?」
幼いイコはブンブンと首を横に振ってから、じっと俺を見る。
「……好きな設定、足していい? この前に読んだ本に、素敵なのがあってね」
「おう、どんどん足せ」
「えっと、実はお互い一目惚れでね」
「ああ」
「中学校は同じ部活動に入ってて、下校は毎日一緒にするの。それから、お勉強を教えてもらったり、ちょっとお互いからかいあったり、普段は普通に友達みたいなのに実は両想いでね」
次から次へとイコは「おままごと」の設定を付け足していく。イコの読んでいる作品の登場人物の多くが中学生以上だったので、中学校以降の設定がどんどんと決まっていく。
「えっと、告白はね、高校の文化祭? っていう行事で、シスイ兄ちゃんの方からするの。学校の屋上に私を呼び出してね。それから、私が結婚出来る歳になったらすぐに結婚して……」
ああ、そんな話もしていたな。などと思い出しているうちに……意識が少しずつ覚醒していった。
冷たく固い床、暖かく柔らかいイコの感触。いつのまにかイコは俺の隣に座って、頭をこちらにもたれかけさせていた。
俺の上着はイコと俺の間にずり落ちていて、少し笑いながらイコに掛け直して身体を伸ばす。
朝日が見えていて少しだけ暖かくなっている。隣で眠っているイコの頭を撫でながら「文化祭までに帰らないとな」なんてことを少しぼーっとした頭で考える。
「……イコ、俺はあの時の約束、忘れてないからな。イコは忘れているかもしれないけど」
俺がそう溢すと、イコは薄目を開けて俺を見る。
「覚えてますよ。ちゃんと」
「起きてたのか……言えよ、恥ずかしいな」
「あれですよね? ほら、ゲームで負けたらスク水を着てあげるっていう」
「違う。それじゃない。というか、それ中学のときにその場のノリで適当なことを言ってただけのどうでもやつだろ」
「……どうでもいいやつなのに、三年も前のことをよく覚えてますね」
……今日はいい天気だなぁ。うん、絶好の異世界日和である。
「……もしかして先輩、本気にしてたんです?」
「違うぞ。別にな、そういうんじゃないんだよ。たまたま記憶に残っていただけで、期待していたわけじゃない」
じとりとした目でイコに見られて慌てていると、イコはクスリと笑ってから俺を見る。
「冗談ですよ。……約束、ちゃんと覚えてます。文化祭のときに先輩から私に告白するって話ですよね」
「……覚えていたのか」
「忘れないです。えへへ」
イコはからかうように笑い、俺の頬をつつく。
……覚えていてくれてはいるみたいだけど、多分俺のことを恋愛感情で見ていないだろうし……きっとフラれるだろうな。
まぁ……それは仕方ないか。子供の頃の約束で、子供の頃の思い出だ。
小さな頃に「結婚しよう」なんて約束していて……本当に結婚するのなんて、何万分の一だろうか。
まぁでも……約束は守ろう。イコが俺から離れようとしないなら。
俺にべったりと張り付いているイコを見ると、彼女は少し背が高くなったり胸が膨らんだりと昔よりかは女性らしい身体付きになっているが、「にへらー」と呑気に笑う表情や甘えん坊なところは何も変わっていない。
まだまだ、俺が守ってやらないとダメな子だ。
「そういえば、昔は先輩のことをお兄ちゃんって呼んだりしてましたね」
「そうだな。別に今もお兄ちゃんでもいいんだぞ?」
俺が軽く笑いかけてそう言うと、朝の空気が寒いからかモゾモゾと俺に引っ付きながら悪戯な笑みを浮かべる。
「この歳で男の人をお兄ちゃんなんで呼ぶのは、もはやプレイですよ」
「プレイと言うな」
そう言ってから「よっ」と立ち上がって制服を着直して、イコの頭に手を置く。
「おはよう、イコ」
「はい。おはようございます。シスイお兄ちゃん」
ニコリと笑ったイコを見て思わず顔を背ける。……まぁ、うん、これは何というか……ギリそういうプレイだな。
照れを誤魔化すように部屋の扉を開ける。
「とりあえず、今日は野菜を収穫してみるか。最悪生で食えるだろうし」
「あれー、先輩、自分から振っていて照れてます?」
「照れてない。ほら、行くぞ」
イコの前を歩いて神殿の聖堂のようなところに出ると、昨夜閉めていたはずの扉が開いていることに気がつく。
あれ、と思って立ち止まると聖堂の端に男女が立っているのが見えた。
「あ、あれって先輩のクラスメイトですよね」
「ああ、まぁ目立つ建物だし入ってくるのは不思議ではないだろ」
そうイコと会話をしてから話しかけようとすると、男子生徒がドンッと女子生徒を壁に追い詰める。
「俺の行動を制限しようとしてんじゃねえよ。お前はここで待ってろ」
「ふんっ、ここを見つけたのは私だし、足手まといになんかならないから。むしろそっちが足を引っ張らないでよね」
男子生徒は威圧的に話すが、女子生徒も負けじと言い返す。
喧嘩になったら止めに入ろうと思っていると、男子生徒はニヤリと笑う。
「ふん、おもしれえ女」
その言葉を聞いたイコは俺の後ろに隠れながらテンションを上げたように俺の服をぴょこぴょこと引っ張る。
「先輩、聞きましたか!? 今の、生の「おもしれえ女」ですよ。あの有名な奴です!」
「えっ、何? なんでテンション上げてんの?」
俺がイコの反応に困惑していると、その声に気がついたらしい男子生徒が壁ドンの体勢のままこちらを向き、妙なものを見たように首を傾げる。
「……アカガネ、お前、なんで変なポーズとってんの?」
「……いや、取り込み中のところ見つかると気まずいから、木のフリをして隠れていただけだが?」
「ふん、おもしれえ男」
俺の言葉を聞いた男子生徒は口元をニヤリと歪ませる。
「なっ、先輩がおもしろ人間だったせいで、せっかくの「おもしれえ女」発言がただの笑い上戸みたいになってしまいました……」
「おもしろ人間ではない」
俺は木のフリをやめて、軽く手を上げながらふたりに近づく。
「よう、アカガネ」
「案外元気そうだな、正堂。あと一路も」
思ったよりも早く合流出来たな。食料を考えると喜ぶべきか分からないが……とりあえず、喜んだフリはしておくか。
そう考えてニヤリと笑みを浮かべておく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます