バンクシーの作品を発見

 農業用水路の跡だと思われる窪みの横を通りながら、イコの方に目を向けると丁度イコもこちらを見ていた。

 ぱっちりとした大きな瞳が俺の方を向いて、不安そうに微かに揺れる。


「……あの、先輩。大丈夫ですか? もし合流出来たら否応なく共同生活になりますけど」

「えっ、もしかしてサバイバルよりもコミュ障を心配されてるの? 俺」

「いや、まぁ……先輩って、ほら……クラスでも浮いてるじゃないですか?」

「俺がクラスで浮いているかを後輩のイコが知っている方が問題だと思うぞ? 俺のクラスに来すぎだろ。自分のクラスに居場所ないのか?」


 イコは遠い目をしてゆっくりと頷く。


「不思議なことに……休憩時間ごとに男の先輩のところに行ってると、クラスの女の子からめちゃくちゃ嫌われるんですよね……」

「原因まで判明してるじゃねえか。……というか、俺が浮いてるように見えるのはイコが来るからだぞ? 休憩時間のたびに彼女を呼んでイチャついてると思われてるから遠慮されてるだけだ。イコのいないときには普通に話してる」

「まさか……お互いがお互いの枷になっているとは……ですね」

「一方的に枷に繋がれてるだけなんだよなぁ」


 イコは勝手に納得した空気を出して「うんうん」と頷く。……俺の彼女だと勘違いされてるのは別にいいのか。


「まぁ、でも……真面目な話、先輩が普通に友達がいるのは知っていますけど、共同生活みたいなのはしんどくないですか? ……その、特に揉め事とか起きて、クラス内で裁判みたいになったら……。先輩は、とても嫌かと」


 ふざけている空気はなくなり、心配そうに俺の顔を覗き込む。

 少し近い距離感に恥ずかしくなって距離を置きつつ、俺はイコに返す。


「まぁ……そういうのは苦手だけど、ある程度は仕方ないだろ。そもそもそういう揉め事が得意な奴なんて中々いない」

「でも、先輩はお父さんの……」


 イコが何かを言おうとしたとき、視界が少し開けて見える。急に背の高い木がなくなり、日差しを遮るものがない草原のようなところに出る。


 だが、草原というには狭い。視界の端には石造の塔のようなものが見えて、足元の植物は今まで森にあったものと植生が違うように見える。


「……小麦……ではないが、稲科に似た植物だな」


 足元の草を指先で触れながらそう言うと、イコはこくりと頷いて俺が見ていた草に顔を近づける。


「あそこに建物がありますし、村でしょうか? 廃村というには、他の建物が見えませんが」

「多分、この麦っぽいのはかつて農業をしていた奴が野生化したんだろうし、さっきの水路も考えると人がいなくなってからかなり時間が経ったっぽいけど、元は村があったんだろ」


 そうなると……あの建物は穀物庫か何かだろうか。

 そう考えて元々畑だったらしき場所を抜けて近づくと、中には何も入っておらず、端の方に土が積もっている程度だった。


「……若干、外側の壁に焦げた跡が見えるな。他の建物が残ってないのは火災のせいか」

「んー、そうですね? 単に朽ちたってだけかもしれないですけど」

「水が止まっている水路が完全に埋まっていないのを見るとそこまでの年月が経っているようには見えないし、朽ちるほどの時間はないだろ。あと……道具とかの跡も残っていないな。引っ越ししたのか?」


 こんなちゃんと作った拠点から引っ越すというのは少し妙に思えるが……と思いながら中に入ると、壁に幾つかの斬り傷があることに気がつく。


 ……戦、かもな。


 あえて口にせず考えていると、イコが「あっ」と声をあげて、とてとてと歩く。


「先輩! ここ、何か書いてあります!」


 そちらに寄ってしゃがみ込みながら見ると、確かに自然に彫られたものではないだろう線が並んでいた。


「ま、まさかこれは……!」

「ああ、これはおそらく……」

「ば、バンクシー……?」

「なんでだよ。異世界にいないだろ、バンクシー」

「でも、匿名の芸術家なので可能性は……」


 いや、ないだろ。

 イコは笑いながらも森を歩き疲れたのか床に倒れ込んで息を深く吐く。


「歩き疲れましたね。喉も乾いてます」

「とりあえず、神殿待ちだな。……これ、何語だ? 知らない言語だな」

「んー、異世界の言語では? バンクシーは異世界出身だったのかもしれないですね」

「バンクシーじゃないだろ。異世界にバンクシーはいない」

「でも、バンクシーは僕らの心の中に今も生きているんですよ」

「バンクシー存命だから僕らの心の中じゃなくて地球で生きてるよ」


 俺も一緒に座って壁の文字を見ているとなんとなく頭の中にその文字の意味が入り込んでくる。


「……なんか、これ、読めるぞ? ……『許さない、裏切った奴らは全員殺す』って……物騒な」

「えっ、読めないですよ? あっ、そう言えば、アイネさんが先輩には翻訳の力を……みたいなこと言ってたしたね」

「そういえば、そんなこと言ってたな。……こんなところに書き残すようなものじゃないよな」

「どういう経緯があったんでしょうか?」

「……まぁ、こんな住むのに向いていないところに滞在していたってことっぽいし……。何か揉め事があって火事で家が全部無くなって、一人取り残された奴が恨み事を書いたってところか? もしくは……」


 と、考えを口にしようとして止める。

 これは多分言わない方がいい。そう判断して誤魔化そうとイコの方に目を向けると、彼女はジッとこちらを見ていた。


「……何かに気がついたんですか?」

「……いや、あー、まぁ、その……話さない方がいいと思う」

「……いえ、話してください。先輩は多分、私に負担をかけないようにって考えているんでしょうけど、私は先輩の助けになりたいですから」


 真っ直ぐな言葉と視線に負けて、少し戸惑いながら指を文字に這わせる。


「……書いた人物が、俺達と似た状況かもしれないな、と。例えば、この後に合流した後に揉め事があって逃げ延びたところで廃墟になっていたここを住処にした、といった具合で」

「ふむ……まぁマニュアルがあるぐらい何度も送られているみたいですから、ありえない話ではないですね。でも、隠すような事ですか?」

「その場合、なんでここを知っていたんだと思う?」

「普通に見つけたんじゃないですか?」


 イコは不思議そうに首を傾げて、俺はゆっくりと首を横に振って否定する。


「揉め事があって逃げ延びた場合、他の奴から見つからない必要があるだろ。つまり、一人だけ知っていたということになる」

「二人以上いたかもですよ?」

「わざわざこんな隅っこに書くならひとりだろ。他の仲間がいたら仲間に愚痴る。というか、他のやつが住んでるところに落書きなんて出来ないだろ」


 イコは「確かに」と頷く。


「でも、じゃあなんで知ってたんでしょうか? 合流した後に、一人で森の中をうろちょろしますかね? 狩りや採集をするのでも一人は避けそうなものですが……。ここを見つけたときに、一緒に狩りをしていた仲間の人が亡くなったとかでしょうか?」

「それも考えられるが……。俺達と同じじゃないか?」

「私たちと同じ?」

「ああ、一緒に転移してきた奴らと合流する前に見つけていた。だから自分だけが知っていた……みたいな状況だったら整合性は取れるだろ」


 イコは「ふむ」と頷いてから手を口元にやる。


「確かに納得は出来ますが、それがどうしたんですか?」

「話が若干変わるんだが、「朽ちた不朽の城」のすぐ近くに全員を転移させるのではなくこうやってクラスメイトをバラバラにして転移させている。そうやってバラけさせたいのかと思えば、分かりやすい城という目印を教えるし、一緒に行動させたいのかバラバラにさせたいのか謎だろ、アイネ達の行動」

「んぅ、精度があまり良くないとかでは?」

「神殿を送ってくれるって言ってるんだからそれはないだろ。そもそもイコと俺がセットだし」

「それもそうですね。じゃあ、なんでですか?」


 俺は深くため息を吐いてからもう一度文字を見る。


「……俺達が城で合流したあと、クラスの連中から逃げる必要が出たらここにくるだろ。仲間割れが発生したときに、自分だけが知っている場所があるって状況にしたかった……とかな」

「……つまり、各々に避難場所を作るためにアイネさん達はわざとクラスメイト達を別々のところに転移させた……と」

「可能性としてな。ただの壁の文字を見てそう思っただけの妄想だ。けど……まぁ事実として、ここは屋根も壁もあって、避難場所にはなるな」


 イコは考えるような仕草を見せる。


「……なんか先輩が賢いっぽく見えます」

「俺は元々賢いが……?」

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